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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 話があちこちにとんでしまうが、今日は昨年10月におこなった眼の手術についてのレポの続きを書く(手術までの経緯についてはこちらの記事を参照のこと)。

 手術を決めたのが9月14日のこと。
 まだ骨折も完全に治っていなかったし、私としては手術はできれば遅めがいいと思っていた。
 といっても、11月後半から12月にかけてはイベント続きで忙しくなるのがわかっていたため、10月後半くらいがいいかな……と漠然と希望を持っていたのだが、そんな甘いものではなかった。
 とにかく、聖路加の眼科はめちゃくちゃ混み合っているのだ。
 「10月だと15日しか空いてませんね」といきなりピンポイントで言われてびっくり。11月だと後半以降しか空いてないとのことで、もはや選択の余地はなかった。

 さらに、「術前検査は×日、結果をききにくるのは△日、麻酔科の話をききにくるのは※日で願いします」と入院にいたるまでの通院日もたたみかけるようにピンポイント指定。
 いや、正確には二択くらいの余地はあったのだが、こちらも1ヶ月の中でどの日も空けられるというわけではない。もうちょっと選べるのかと思っていたんだけど、正直ここまで詰まってるとは思っていなかった。
 特に、1万円以上する帝劇のチケットを買っていた日に麻酔科医の面談日の指定が入った時には涙目になりそうだった。
 「えー……そこはちょっと……」
 「お仕事ですか?」
 「ええと……」
 とても観劇が入ってるとは言えない空気で、手帳を隠すようにしながらウニャウニャねばったが、麻酔科の先生はそこしか空けられない、麻酔科医の面談を受けてもらわないと全身麻酔の手術は受けられない、と言い張られ、泣く泣くチケットを手放すことにした(TロT)

 その3日後、術前検査をおこなった。
 網膜の断層撮影、眼球の奥行きの計測、角膜裏の細胞検査など、眼に関する精密検査の他、血圧測定、採血、採尿、心電図、胸部レントゲンなどの全身機能のチェック。
 眼の検査そのものは苦痛をともなうものではなかったが、とにかく待たされるのと、コンタクトをいちいちはずさなければならないのが難儀で、あらためて「手術すればこの心労から解放されるんだ。あと少しなんだ」と自分に言い聞かせてふんばった。

 9月28日に結果を聞きに行く。
 手術をおこなうにあたって、特に問題はないとのこと。
 右眼については、レンズをのせる土台はしっかりしているようだが、左はやや弱めなので、もしかしたらその場の判断で「縫い付け」になるかもしれない」と説明される。
 なにぶん、23年前に吸い出した残りなので(さらに一回再発してレーザーで穴をあけたりしたので)、土台がもろいのはいたしかたない。

 水晶体は上下が固定されている袋のようなもので、最初から眼内レンズを入れるなら、袋の中身(濁った部分)だけを吸い出してレンズを挿入すればいいので、袋そのものにはほとんど傷をつけなくて済む。
 しかし、過去に私が受けた手術では、袋の前側の部分をすべて吸い出してしまっているので、残っているのは袋の後ろ側のみなのだ。
 どこまでもちこたえられるのか、こればかりは開けてみなければわからない。

 さらに、レンズの焦点をどこに合わせるのかという相談をする。
 レンズは固定焦点なので、「遠く」に合わせれば近くがぼやけるし、「近く」に合わせれば遠くがぼやけることになる。
 普通は「遠く」に合わせて、近くはメガネをかけるようにするみたいだが、私は「パソコンのモニタまでの距離に合わせてほしい」と頼んだ。

 私は現在、「近くに合わせたレンズ」と「遠くに合わせたレンズ」、2種類のコンタクトレンズを使いわけている。
 最初は「遠くに合わせたコンタクトレンズ」だけを使っていたのだが、「いちいちメガネをかけなければ手元が見えない」というのは想像以上に不便だった。目の前の料理も微妙にぼやけるのでおいしそうに見えない。
 といって、メガネをかけてしまうと、今度は向かいに座ってる人の顔すらぼやけてしまう。

 それでためしに「近くに合わせたコンタクトレンズ」を作ってみたのだが、気になるほど遠くがぼやけるわけでもなく、近くもだいたいメガネなしで見えるようになり、意外に使い勝手がよいことがわかった。
 これならば、広いスペースに出ない限りは「近く用」で充分用が足りる。
 というわけで、「遠く用コンタクトレンズ」は舞台鑑賞のときくらいしか出番がなくなっていった。

 私が一番眼を使うのは間違いなく「パソコン作業のとき」だ。
 だとしたらその距離に合わせてもらうのがもっとも合理的だろう。
 近距離というか、近〜中距離になるが、とにかくそこにピントが合うようにして、すごく遠くやすごく近くを見るときだけ、それぞれの距離に応じたメガネをかけることにした。
 一見中途半端なようだが、今までの経験上、これが一番ストレスを感じずに済むと判断したのである。

 最後は10月8日。麻酔科医のコンサルティングを受ける。
 聖路加では、担当の麻酔科医と手術室担当のナースが、入院前に必ず患者に「麻酔についての説明」を詳しくおこなうことになっている。
 手術や麻酔に対する不安や疑問をこの時点でとことん解消させるためだが、これはとてもありがたいシステムだった(私の場合、麻酔に一番のトラウマがあったし)。

 手術における麻酔科医の存在は非常に大きいが、一般的に患者はあまりその存在を意識することがない。
 意識がないときに活躍しているのだからしかたがないが…。
 麻酔科医としても、担当する患者についての病歴やアレルギーなど、どんな些細なことでも情報があると安心だと思うのだが、普通の病院では麻酔科医と患者が接点を持つ機会はほとんどない。
 まあ手術前日に挨拶くらいは来るけれど、テンパってるところにいきなり来られて「なにか質問は?」と聞かれても、患者のほうも何を聞けばいいのかわからないだろう。

 その点、このように事前にコンサルティングの機会を設けてくれれば、落ち着いた状態で概要を把握することができるし、あらためて疑問が生じたときは入院後にもう一度確認する機会が与えられるので安心できる。
 麻酔科医の労働が過酷だということは聞いているので、いちいちコンサルティングの時間をとるのは大変なことだと思うが、これは双方にとってとても有意義なシステムだと思う。
 ちなみに、このときは私のほうもかなり詳細な病歴表(今までに使った薬の名前も含めて)を作っていってナースに渡したのだが、「助かります〜」と感謝されてますます安心することができた。

 さて、これであとは入院日を待つのみとなった。
 入院3日前、目に髪の毛が入らないように、のびた前髪を美容院でカットしてもらい、入院準備を粛々と進める。

 不思議なことだが、手術を決めてから、メガネを紛失したり、破損したりすることが続いた。
 いずれも手術したらもう使えなくなるものなので新しく買うことはせずになんとかしのいだが、メガネのほうも「役割」を終えたと感じたのだろうか…。

 入院以後の話はまた次回。

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 過去の入院記録がようやくスタートしたところで、またまたぶったぎりの展開になってしまって申し訳ないのだが、ちょっとばかり現在の話に戻りたい。

 じつは来月、眼の手術(眼内レンズ挿入術)をおこなうことになった。
 これについてはもうずっと前から「いつかはしなくちゃなー」と思っていながら延ばし延ばしにしていたのだが、母がいなくなってしまったことでようやくふんぎりがついた。
 身も蓋もないけど、こういうことは、面倒みてくれる身内がいるうちにやってしまったほうがいいとあらためて思ったのが動機だ。

 事の発端は23年前にまでさかのぼる。
 ホジキンリンパ腫を発病するさらに1年前のことだ。
 私は24歳で白内障になり、L病院で両眼の水晶体をとりだす手術を受けた。

 白内障といえば一種の老化現象のようなものだから、なぜその若さで?と思われるかもしれないが、中にはいるのだ。そういう人も。
 アトピー体質の人がなりやすいとも言われているが、アトピー治療に使われるステロイド剤の副作用という説もあって、原因はまだよくわかっていない。

 今では、白内障手術は「日帰りでもできる」くらい簡単だと言われているが、当時でも日帰りとは言わないまでも、それほど大変な手術ではないという認識だった。
 方法は局所麻酔で、眼球にメスを入れて白濁した水晶体を吸い出し、代わりに眼内レンズを入れる…という一連の行程で所要時間約15分程度。
 両眼おこなう場合は、状態のいいほうの眼からおこなって、1週間ほど様子を見てからもう片方をやるというのが一般的だ。

 ところが、私は年齢が若すぎて眼内レンズが適用されず(当時はまだ30年までしか耐久性が確認できなかったのだ)、水晶体を吸い出しっぱなしで閉じられてしまった。
 水晶体はピント調節をする部分なので、手術をするとピント調節機能がなくなり、焦点がどこにも合わなくなってしまう。
 眼内レンズを入れれば(固定焦点にはなるものの)裸眼でたいていのものはクリアに見えるようになるのだが、レンズを入れなければ近くも遠くもすべてがぼやけた世界のままだ。

 そこで、眼内レンズの代わりにコンタクトを使うわけだが、近視のコンタクトと違って超凸レンズになるので、ものが1.1倍くらいの大きさに見える。
 また、固定焦点だと遠距離〜中距離までしかカバーできないため、手元の文字などはさらに近距離用のメガネをかけなくてはならない。
 いってみれば、私は24歳から老眼と同じ状態だったわけだ。

 コンタクトとメガネを併用していると、あるいは若いのに近くを見るときにメガネをかけると、かなりの確率でまわりの人に「なんで?」と訝られ、そのたびに今まで説明してきたようなことをダラダラと話さなくちゃならなくて、それはそれは面倒くさかった。
 最近は老眼でもおかしくない年齢になってきたので、あまり疑問ももたれなくなってきたのだが、それはそれでちょっと癪な感じでもある。

 というわけで、手術した先生には「今はまだ眼内レンズは入れられないけど、将来また手術すればレンズだけ入れることはできますよ。その時期は自分で決めてくださいね」と言われ、「そうかー、また手術しなきゃいけないのかー」という重い気持ちを抱えたまま今日までやってきた。

 「いつ入れてもいい」とはいえ、一応手術なのであまり高齢になってからではリスクも高くなるし、身体にかかる負担も大きくなるだろう。
 コンタクトは長く使用し続けるとトラブルも多くなってくる。
 ましてや、この数年、手の麻痺がじわじわと進んできている私にとって、コンタクトレンズの扱いがかなり負担になっていることは厳然たる事実だ。
 入院して麻痺してないほうの手が点滴でふさがれたときは、本当に「手も足も出ないとはこういうことか」と途方にくれたものだ。
 客観的に考えて、今が「入れどき」であることは間違いない。

 にもかかわらず、どーーーーしても気が進まなかった理由は非常にシンプルで、「白内障の手術がトラウマになるほど痛かったから」だ。

 前にも書いたように、世間一般では「白内障の手術はとても簡単で、痛くもかゆくもない」ことになっている。
 今は点眼麻酔だけで手術ができるらしいが、23年前は、麻酔に万全を期するため、点眼麻酔+注射の麻酔(眼球のまわりに何本も注射される)がおこなわれていた。
 手術を受けることが決まったとき、眼科の先生から「この注射がねー、ちょっと痛いんですよねー。あらゆる麻酔の中で一番痛いと言われてるんですが…」と脅かされ、ものすごくブルーになった。
 たしかに痛かった。
 でもこの麻酔さえクリアすればあとはもう痛くなくなるんだから…と自分に言い聞かせ、歯を食いしばって耐えた。

 と・こ・ろ・が!
 冗談じゃねーよ。
 痛いだけでまっっったく効きやしないんだよ、この麻酔。
 いや、まっっったくは言い過ぎだけど、麻酔が効いていると言える状態ではとてもなかった。ほぼ効いてなかったと言ってもいい。
 切られたり、縫われたりする感覚も明らかにわかるし、うっすら見えるし、もう「うgy◆※□♯&×〜!!」って感じ。
 わずか10分が10時間にも感じられ、あまりの痛さに失神寸前だった。

 ネットには「麻酔をすれば痛みは感じませんが、もし痛いようならその場で言ってください。麻酔を追加します」とか書いてあるけど、本当に痛いとき、人は声すら発することができなくなるのだ。
 はっきり言って「いっそ殺してくれ」と思うくらいの痛みだった。

 手術後、先生にそう訴えたところ、「変ですね。そんな話きいたことないけど。皆さん、トロトロとまどろんでるうちにいつのまにか終わってるって言いますよ」とうさんくさそうな顔をされたが、1週間後にはまた同じ手術をしなければならないこっちとしてはそう簡単にはひきさがれない。
 「予備麻酔の鎮静剤の量が足りないんじゃないですか。次回はもっと増やしてください」と騒ぎまくり、次は鎮静剤を増やすことを約束させた。

 で、その結果はというと……やっぱり痛かった!
 てゆーか、痛みの質を知ってるせいか前よりもっと痛く感じるし!!(>_<)
 この出来事で、もう絶対に「白内障の手術は痛くもなんともない」という話は信じなくなったし、二度としたくない!NO MORE 眼の手術!という思いを胸に刻んだのでした。

 たしかに白内障の手術経験者の話を聞くと、圧倒的に「痛くない」という人が多いのだが、たまーに「死ぬかと思うくらい痛かった」という人もいる。
 これはやはり麻酔が効いてるか効いていないかの違いとしかいいようがないと思う。
 「痛い」という人は若い人が多く、「痛くない」という人はほぼ全員が年輩者だ。
 こう言ってはなんだが、「痛くない」という人は、皆さん感覚が「鈍く」なっているのではないでしょうか。

 だいたい予備麻酔されたぐらいでトロトロまどろんでんじゃねえぞ、おら!と私は言いたい。
 普通に考えて「眼の手術」というシチュエーションだけで恐怖と緊張はマックスになる。
 そのうえ、ド痛い麻酔注射を打たれようものなら、ますます危機感を感じて意識は研ぎに研ぎすまされてしまう。
 これでリラックスしろというほうが無理な話だ。

 という経験があったので、もし、またあの手術をしなくちゃならないのなら、絶対に「全身麻酔」でなきゃいやだと思っていたのだが、あらためて白内障のサイトを見たら「手術は局麻が一般的。精神に異常をきたしている方、痴呆が見られる方、極度に神経質な方、子供などの場合には全麻でおこなう場合もあります」と書かれていて、「そんなに限定されたケースでしか全麻が適用されないのか」という事実に愕然とした。

 L病院には、コンタクト科でずっと定期検診を続けているのだが、「そろそろ再手術が避けられないところまできている」と観念した私は、ある日、眼科の医師に「眼内レンズ挿入術を考えているのですが…」と相談してみた。
 争点(?)はもちろん「手術を全麻でやってくれるかどうか」。

 ところが、答えは私が考えているよりもずっと深刻だった。
 最初から「水晶体吸い出し+レンズ挿入」がセットになっていれば手術は簡単だが、水晶体を吸い出してから長くたっていると土台がもろくなっており、レンズを安定させるために「縫い付け」をしなければならない、というのだ。
 その手術はかなり大変で、局麻で1時間くらいかかるという。

 「え?ちょっと待ってください。そんな大変な手術を局麻でやるんですか?」
 「やりますよ」
 「だって1時間ですよね。1時間じっとしてろってことですか?」
 「ええ。でも全麻にするほどでもないから」
 「私、10分でも幽体離脱しそうに痛かったんですよ。1時間なんて考えられませんッ」
 「麻酔が効きにくい場合は、点眼だけじゃなくて、眼に注射の麻酔をする方法もあります。ちょっと痛いですけどそれをすれば…」

 だ・か・ら〜、それをやっても痛かったんだってば。
 悪いけど、私、あなたが医者になる前の時代から手術してんだよ。
 そう言うと「え?注射でも効かなかったんですか。うーん。それじゃあ……全麻かなぁ」と納得できないような顔でつぶやく。
 どうもよほど全麻をやりたくない様子。
 この程度の手術で、人手の足りない麻酔科医の手を煩わせたくないのだろうか。。。

 そのうちに「ま、どうしても今しなきゃいけないものじゃなし。そのまま手術しないっていう選択もありますよ」などと言い出した。
 「じゃあ、物理的にコンタクトが入れられない状況になったらどうするんですか」と聞いたら、「そのときはメガネにするしかないでしょう」と簡単に言うではないか。
 はぁ〜?!
 他人事だと思ってなに気軽に言っちゃってんだよ。

 コンタクトですら1.1倍の大きさに見えるんだから、メガネにしたらその誤差は1.3倍になる。
 当然、視野はメチャメチャ狭くなるし、足下は歩くたびにぐにゃぐにゃ歪むし、まるで望遠レンズを眼につけてるような状態でこわくてとても外になんて出られない。
 こんなメガネで日常生活が送れるわけがないだろうが。
 そう言ったらあっさり「だってしょうがないでしょう。それで生活してる人もいますし」と切り捨てられた。
 最初からL病院で手術するつもりはなかったが、このドクターの言葉でますます不快感が増幅した。

 まあ、だからといって、じゃあどこの病院で手術しようかと考えると、やはりどこもこれといった決めてに欠け、せっかく芽生えた手術意欲は再び萎えていった。

 それから何ヶ月かが経過し、私は旅行中に腕を3カ所骨折し、聖路加に入院した。
 入院は1ヶ月近くにもおよび、あまりにも暇だったので、入院中に眼科を受診してみた。
 これも運命なのだろうか。
 それから一気に話が進み、来月聖路加で手術を受けることが決まった。

 聖路加の先生は、「全麻でというご希望ならば全麻でやりますよ」とあっけなく承諾。さらに、実際に眼底検査をしてみて「これならば縫い付けではなく、レンズをのせるだけの方法でいける」と嬉しいことを言ってくれたのだ。
 しかも、「全麻でいくなら両眼いっぺんにやってもいい」という。
 正直、「片眼ずつやる」というルールははずせないと思っていたので、全麻を短期間で2回続けてやるのはちょっとリスクが高そうでこわいなーとビビってたんだけど、1回で済むなら願ったりかなったりだ。

 もちろん、不安要素もないわけではない。
 レンズをのせる土台が普通よりも弱くなっているのは事実なので、もしかしたら時間とともに中に入れたレンズがズレてきてしまう可能性もある。
 そのときは、もう一度手術になり、「縫い付け」をすることになるかもしれないという。
 再手術はいやだなーと思ったので「それならいっそのこと、最初から縫い付けるということはできないんですか?」と聞いたら「いや、『縫い付け』は最終手段です。出血のリスクも大きいし、術後の違和感もずっと大きくなりますし、できるだけやらないほうがいいです」と聖路加の先生は「縫い付け」にはあくまでも消極的。
 まあそこまで言うのなら「簡単なほう」に賭けてみよう。

 入院期間はなんとたったの2泊3日だという。
 局麻だと1泊2日でできるとはきいていたが、全麻で3日とは…!(手術前日に入院するから、事実上は手術の翌日に帰るってことだ)
 短いのは嬉しいけど、短すぎるのもなんだか不安。
 だいたい、術後は「翌日」「3日後」「1週間後」「2週間後」…と頻繁に検査がある。生活も普段通りなんでも制限なくできるわけではない。
 早く帰されても、またすぐに病院に行かなければならないのなら、ずっと入っていたほうが楽って気もする。

 入院は1ヶ月後だが、それまでにまだ3回は検査や説明のために通わなくてはいけないらしい。
 次回までに「既往歴」を書いてもってきてくださいねと看護師に言われる。
 出たよ……「既往歴」……。
 いつまでもついてまわる「既往歴」……。
 またいろいろ制限つきの治療になるんだろうなぁ。

 と考え込んでいたら、看護師さんに「小春さん、前に白内障の手術してるんですよね」と聞かれる。
 「はい。20年ちょっと前になりますけど」と言ったら「あー、子供の頃だったんですね」と真顔で言われて困ってしまった。
 「いや………子供……ではなかったですね……」

 ふん。どうせ今でも子供だよ。
 全麻しなきゃ手術できないしね。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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