がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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7月21日。連休が明けたので、さっそく癌研有明病院へセカンドオピニオンの申込電話をかけてみた。
有明といえば、乳がん治療においては、全国でダントツトップの症例数を誇るがん治療最先端の病院。当然、混雑が予想される。
ホームページを見ても「現在大変混み合っていて、ご迷惑をおかけいたしております」という表記がいたるところに見られる。
それなりの覚悟はしていたが、電話をしたら「一番早くて8月15日」と言われてため息をついた。
あくまでもセカンドオピニオンなので、そこからすぐに治療が始まるわけではない。
セカンドオピニオンの結果とともにいったん元の病院に戻され、やっぱり病院を移りたいという場合は、元の病院の担当医にあらためて紹介状を書いてもらって受診し、そこで初めてカルテが作られる(「希望者が多いので、治療方針が同じだった場合は元の病院で治療してほしい」とも書かれていた)。
手術をしてもらうには、さらに2〜3ヶ月待ちだという。
「乳がんは急激に進行するものではないので、数ヶ月くらいは待っても大丈夫」とは言われているが、がんがあるとわかっている状態で何ヶ月も待たされるのは正直不安ではある。目に見えないものだけによけいに。
8月15日はとても先に思えた。
基本的に、セカンドオピニオンは「担当医からの紹介状」と「診療経過と検査結果の内容が書かれたレポート」、あるいはCTなどの画像データがあればコメントをもらうことができる。
しかし、私はせっかく“病理では日本一の癌研”に行くのだから、ぜひとも組織の標本も見てもらいたいと思っていた。
そう言ったら「病理診断は別料金」だという。
相談料が30分で31,500円(保険適用外なのでけっこうなお値段)。病理診断するのにはさらに5,250円かかるとのこと。
がん治療はお金がかかるとは聞いていたが、治療前からすでにその予感を感じさせた。
病理診断は、すぐその場で意見が言えるものではないので、病理標本は相談日の1週間前までに直接病院まで届けてほしいという。
それもいつ行ってもいいわけではなく、確実に届けられる日時を事前に申告しなければならないのだそうだ。
と言われても、L病院のほうでいつまでに標本を用意してもらえるのかわからないので、いったん電話を切って南田先生(仮名)に電話してみたのだが、「即答はできない。今忙しくて23日まで時間がとれないので、24日にもう一度連絡してほしい」と言われてしまう。
しょうがないので、その旨をまた有明に電話。本当は「いつまでに確実に用意できるか」がわからないと予約は入れられないらしいのだが、それを待っているとどんどん遅くなってしまうので、最悪1週間前までに標本を用意できなかった場合は「相談」だけすることにして、とにかく8月15日には予約を入れた。
この日の午後は、放射線科の秋吉先生(仮名)の診察がある日だった。
あの「カーテン裏盗聴事件」以来、秋吉先生がどういうつもりでいるのかずっと気になっていた。
放射線科にできることはもうない以上、他の病院に移った方がいいと思っているのか。
あのときは南田先生の手前、「他の病院に行け」とは言えなかったのか。
いろいろ考えたが、今日は1対1になるので、本音を話してくれるかもしれない。
そう期待して病院に行った。
が、この日の診察は私にはっきりと「L病院との絶縁」を決意させる出来事となった。
診察室に入ったあと、開口一番秋吉先生が言い放った言葉は
「普通のがんです。ごく普通の一般的な乳がんですね」
という言葉だった。
それもカルテに目をおとしながらである。
「普通って……なに?」
なにが言いたいのか意味がわからず、しばらくその後の言葉を待ったが、続く言葉はなにもなかった。
あとは「で、なに?」という質問待ちの態度で、自分から何かを伝えようという姿勢はかけらも見られなかった。
「それで終わりかい!!!」
と叫びたくなる衝動を抑えつつ、しかたなく「あの…放射線がかけられないと全摘になると言われたんですが、私はこのように左半身に障害があって、今でも麻痺と浮腫がひどい状態なので、このうえ同じ側を全摘するというのはとても不安なんですけど」と言ったところ、思いっきり切り口上で「関係ないです。腋のリンパを廓清しない限り、腕には影響ありませんから。問題ないです。はい」と返された。
耳を疑うような返答だった。
リンパをいじらなければ腕に浮腫は出ない。
それはあくまでも「どこも悪くない健康な状態の人が手術した場合」という教科書的な一般論だろう。
少なくとも現在「肩の筋力が低下して腕があがらない」「指が脱力して手が握れない」という顕著な障害が出ている患者に対して(しかもその障害はこの先も進むかもしれないと自分でも言っていたのに)、この答え方はないと思った。
リンパを廓清しても浮腫が出ない人もいるし、しなくても出る人はいる。要するに出るか出ないかは最終的には個人差だ。だからいくら医者でも事前に後遺症や副作用が「出る」か「出ないか」を断言することはできないはずだ。
私は断言してほしいわけじゃない。
普通は「問題ない」ことでも、こんな状態でこれ以上身体にメスを入れられたらまたなにが起こるかわからない。
その恐怖をまずは受け止めてほしかったのだ。
「それは心配ですよね。わかりますよ」の一言でもいいから。
なぜそれがわからないのだろう。
全摘は影響ないというが、全摘を行った人は、身体の左右のバランスが崩れるため、歩行訓練から始めるという話もきいた。
今でもバランスが崩れているのにこのうえまた?と不安になるのは当然だろう。
「腕があがりにくくなるのでなるべく早めにリハビリをしましょう」とも書かれていた。
今でも自力で動かせない状態なのにどうやってリハビリしろというのだ。
言い返したいことはいっぱいあったが、秋吉先生は全身にピリピリとした警戒心を漂わせていて、とても言い返せる雰囲気ではなかった。
しかたなく、今度は質問の種類を変えた。
「化学療法ですけど、このあいだ南田先生に『アンスラサイクリン系の薬は過去の治療で目一杯使ってしまっているのでこれ以上使うと心臓に負担がかかる。使えるとしたらタキサン系しかない』と言われました。タキサン系はかなり強い薬だって聞いたんですけど…」
すると今度も断言口調で答えが返ってきた。
「そんなことないです。べつに強くないです。乳がんの患者さんは皆さん普通に使ってらっしゃいます。普通のお薬です」
またもや「普通」という言葉が出た。
4年前、腕の麻痺が放射線照射の後遺症だと教えてくれたとき、秋吉先生は何度も「こんなに大量に放射線を照射された人を私は見たことがないです。世界で一人しかいないです」と繰り返した。
「世界で一人」が一気に「普通」に格下げか……。
内心、秋吉先生が他の医療機関を推薦してくれるのかと期待していたが、この日の秋吉先生からはみじんもそんな様子は見られなかった。
セカンドオピニオンをもらいにいきたいという話をしようと思っていたが、どんどん切り出しにくくなってきた。
まるでアンドロイドとしゃべっているような気分だ。
「それがなにか? 問題なんてなにもないでしょ? あるなら言って?」
そんな臨戦態勢の空気が私から質問する気力を奪っていき、いろいろな感情がごちゃまぜになって、頭がくらくらしてきた。
横で聞いていた母が、たまりかねて横から口を出した。
「あの…南田先生は全摘のつもりでいらっしゃるのでしょうか」
これにも即答。
「はい。そうです」
とりつく島がないとはまさにこのこと。
「過去にいろいろありましたし…」
母はなんとか「察してほしい」というオーラを発しながら言葉を濁したが、秋吉先生は「はい」と相づちを打つだけで話をぶったぎってしまう。
「他の病院の意見もきいてみたいんですけど、有明とかどうなんでしょう。たしか前回先生が『放射線治療なしで温存手術をやってる』って…」
しかたなくストレートにきいたが、「人気のある病院は順番待ちで手術が遅くなる。うちは乳腺科としては都内でもトップ3に入る格の病院。そこで早く手術してもらえるんだからありがたく思え」的なことを言われて唖然とした。
過去の話はもうまったくなかったかのような言い方だった。
ショックのあまりしばらく黙っていたら、今度は「せっかく早くみつかったんですから」ととってつけたように付け加えてきた。
もう答える気にもならなかったが、母に「なにか言ってやれ」というように促されたため、やっとの思いで口を開いた。
「頭では…」
「はい」
「頭ではわかってるんですけど、この20年間、いろいろありすぎて…」
看護師がカーテンの隙間から様子をうかがっているのがわかる。
秋吉先生はあきらかに看護師の視線も気にしているように見えた。
「やっとけりがついたと思ったとたん、いきなり告知されて…」
「はい」
頼むからその形式的なあいづちやめて。しゃべればしゃべるほど口が重くなり、心が冷えてくる。
「それで突然全摘って言われても…気持ちとしてすぐには受け入れられないです…」
ここまで言うのが精一杯だったが、これに対し、秋吉先生はあっさりこう言った。
この言葉、私は一生忘れない。
「ええ。でも現実に病気はあるわけですし。病気から逃げるわけにはいかないですから」
……。
こんな思いやりのない言葉ってあるだろうか。
あまりにもひどすぎる。
声を大にして言いたいが、私は今まで一度たりとも病気や治療から逃げたことなんてなかった。
今考えればまじめすぎるほど前向きに治療を受けてきた。
それもこれも病院を、医師を信頼していたからだ。そうしなければ乗り切れなかったのだ。
それを裏切ったのはあんたたちだろう。
逃げたのはそっちじゃないか。
そんなふうに言われる筋合いは断じてない。
患者をなめるのもいい加減にしてほしい。
この言葉で、ずるずる閉まりかけていた私の中のシャッターが完全に閉じた。
母もさすがにあきれたようだったが、気が収まらなかったのか、最後にこう聞いた。
「南田先生には過去のことはちゃんと話してくださったんでしょうか」
秋吉先生は再び険しい表情になり、こう答えた。
「もちろんです。ちゃんとお話しました」
そしてこうつけくわえた。
「どこまでご理解いただけたかはわかりませんが」
はあ〜?!
なんだそりゃあ。理解できるように話せよ!!
子供のお使いじゃないんだから。
この発言で、万が一、南田先生に伝わっていないことがあっても、「それは私のせいではなく、ちゃんときいてなかった南田先生が悪いんです」という責任逃れをするつもりなのだとわかった。
これは…話してないな。
過去に二度放射線をかけているのでもう治療できないということは話さざるをえないだろうが、具体的にどこにどれだけ照射したかは詳しく話してないと見た。
「よそへ行かれて身内の恥をさらしたくない」「といって内部の他科の先生に広まるのもいや」「でも私に責任がおよぶのはまっぴら」という葛藤の中で、言うことが支離滅裂になっている。
話すことがなくなると、秋吉先生は「次の乳腺外来は31日でしたっけ。その日は私もとなりの診察室にいるので、終わったあとにこちらの予約も入れておきましょうか」と言い出した。
黙っていたら「じゃあ一応入れておくのでいらっしゃらなくてもいいですよ」と勝手に予約を入れられてしまった。
誰が行くか!と心の中で叫び続けたが、表に出す気力はなかった。
結局、最後まで秋吉先生の口から「なぐさめ」の言葉はいっさい出てこなかった。
初めて会った先生ならともかく、秋吉先生は私が今までどんな思いをしてきたのか、この病院で一番よく知っているはずだ。
まず最初に「ようやく終わったと思ったのにこんなことになってさぞショックだったでしょうね。でも私もなんとかいい方法をいろいろ考えますから、一緒に頑張りましょうね」くらいの、それこそ「普通の慰め」の一言でもいったらどうなんだろう。
その一言があるだけで患者の気持ちは全然違うのに。
そんな形式的なセリフ、言っても言わなくても同じだ。治療効果には関係ないとでも思っているんだろうか。
会計を待っている間、悔しくて情けなくて涙がボタボタ落ちてきた。
乳がんと言われてから初めて、私は泣いた。
最初は「損得を考えずに患者のためにミスを指摘してくれた勇気のある先生」だと思って感謝していた。
でも今はっきりわかった。
この先生は「患者のために」行動するような人じゃない。
単に「自己満足」したいだけなのだ。
ミスを指摘した「自分の正義感」に酔い、病院に圧力をかけられれば「なんで私ばっかりこんな目に」と被害者モード全開になり、あとは「保身」で頭がいっぱいになる。
患者のことなどこれっぽっちも考えちゃいない。
本人は考えてるつもりだろうが、完全なる独り相撲だ。
たしかに損得で動く人ではないと思う。
本当に損得で動く人ならもっとうまくたちまわるだろう。
ある意味正直な人なのだと思うが、その基準が「自分が一番えらい」というねじれたプライドにあるので、自分を正当化するために言うことがコロコロ変わるのだ。
これは損得で動く人よりたちが悪い。
そう考えると、最初にいきなり「普通の乳がん」と強調したのも「放射線照射のために起こった二次発癌」だとつっこまれないための保身だったのだとわかる。
今まで違和感を感じた発言はすべて「保身」というキーワードで見てみれば腑に落ちた。
以前、放射線を過剰に照射した先生に、秋吉先生が事情説明を求める電話をしたことがあった。
過剰医師は事情説明どころか烈火の如く怒りまくり、「俺は悪くない。そんなことを患者から言われるなんておまえがバカだからだ」と罵倒されたらしい。
会ったこともない人間から「バカ」呼ばわりされたことが秋吉先生はよっぽど耐え難かったのだろう。憤然とした様子で「バカって言われたんですよ、私」「私も訴えたいですよ」と何度も繰り返していた(この話をきいたフランソワさんは「なんか『父にも殴られたことないのにッ!』っていう感じだよね」と言っていたが、まさにそんな感じだ)。
そのときは私も過剰医師に怒り心頭だったので、「秋吉先生も一緒に怒ってくれてる…」と思っていたのだが、今考えればなんのことはない、秋吉先生は「過剰に照射したこと」よりも「この優秀な私がバカと言われたこと」のほうがずっと深刻な問題だったのだ。「訴えたい」のは「医療過誤」ではなく「侮辱罪」のほうだったのだろう。
結局、秋吉先生は「自分に都合のいい治療」(本人は「正しい治療」と同義だと思っている)しかやるつもりはないのだ。
それに患者が少しでも異を唱えれば、その場しのぎの理論武装をして頭からねじふせる。
この人には最初から答えが一つしかない。
今日の診察でそれがよくわかった。
秋吉先生は今日、医者として今一番やらなければならないことを放棄した。
私はそのことを絶対に許さない。
有明といえば、乳がん治療においては、全国でダントツトップの症例数を誇るがん治療最先端の病院。当然、混雑が予想される。
ホームページを見ても「現在大変混み合っていて、ご迷惑をおかけいたしております」という表記がいたるところに見られる。
それなりの覚悟はしていたが、電話をしたら「一番早くて8月15日」と言われてため息をついた。
あくまでもセカンドオピニオンなので、そこからすぐに治療が始まるわけではない。
セカンドオピニオンの結果とともにいったん元の病院に戻され、やっぱり病院を移りたいという場合は、元の病院の担当医にあらためて紹介状を書いてもらって受診し、そこで初めてカルテが作られる(「希望者が多いので、治療方針が同じだった場合は元の病院で治療してほしい」とも書かれていた)。
手術をしてもらうには、さらに2〜3ヶ月待ちだという。
「乳がんは急激に進行するものではないので、数ヶ月くらいは待っても大丈夫」とは言われているが、がんがあるとわかっている状態で何ヶ月も待たされるのは正直不安ではある。目に見えないものだけによけいに。
8月15日はとても先に思えた。
基本的に、セカンドオピニオンは「担当医からの紹介状」と「診療経過と検査結果の内容が書かれたレポート」、あるいはCTなどの画像データがあればコメントをもらうことができる。
しかし、私はせっかく“病理では日本一の癌研”に行くのだから、ぜひとも組織の標本も見てもらいたいと思っていた。
そう言ったら「病理診断は別料金」だという。
相談料が30分で31,500円(保険適用外なのでけっこうなお値段)。病理診断するのにはさらに5,250円かかるとのこと。
がん治療はお金がかかるとは聞いていたが、治療前からすでにその予感を感じさせた。
病理診断は、すぐその場で意見が言えるものではないので、病理標本は相談日の1週間前までに直接病院まで届けてほしいという。
それもいつ行ってもいいわけではなく、確実に届けられる日時を事前に申告しなければならないのだそうだ。
と言われても、L病院のほうでいつまでに標本を用意してもらえるのかわからないので、いったん電話を切って南田先生(仮名)に電話してみたのだが、「即答はできない。今忙しくて23日まで時間がとれないので、24日にもう一度連絡してほしい」と言われてしまう。
しょうがないので、その旨をまた有明に電話。本当は「いつまでに確実に用意できるか」がわからないと予約は入れられないらしいのだが、それを待っているとどんどん遅くなってしまうので、最悪1週間前までに標本を用意できなかった場合は「相談」だけすることにして、とにかく8月15日には予約を入れた。
この日の午後は、放射線科の秋吉先生(仮名)の診察がある日だった。
あの「カーテン裏盗聴事件」以来、秋吉先生がどういうつもりでいるのかずっと気になっていた。
放射線科にできることはもうない以上、他の病院に移った方がいいと思っているのか。
あのときは南田先生の手前、「他の病院に行け」とは言えなかったのか。
いろいろ考えたが、今日は1対1になるので、本音を話してくれるかもしれない。
そう期待して病院に行った。
が、この日の診察は私にはっきりと「L病院との絶縁」を決意させる出来事となった。
診察室に入ったあと、開口一番秋吉先生が言い放った言葉は
「普通のがんです。ごく普通の一般的な乳がんですね」
という言葉だった。
それもカルテに目をおとしながらである。
「普通って……なに?」
なにが言いたいのか意味がわからず、しばらくその後の言葉を待ったが、続く言葉はなにもなかった。
あとは「で、なに?」という質問待ちの態度で、自分から何かを伝えようという姿勢はかけらも見られなかった。
「それで終わりかい!!!」
と叫びたくなる衝動を抑えつつ、しかたなく「あの…放射線がかけられないと全摘になると言われたんですが、私はこのように左半身に障害があって、今でも麻痺と浮腫がひどい状態なので、このうえ同じ側を全摘するというのはとても不安なんですけど」と言ったところ、思いっきり切り口上で「関係ないです。腋のリンパを廓清しない限り、腕には影響ありませんから。問題ないです。はい」と返された。
耳を疑うような返答だった。
リンパをいじらなければ腕に浮腫は出ない。
それはあくまでも「どこも悪くない健康な状態の人が手術した場合」という教科書的な一般論だろう。
少なくとも現在「肩の筋力が低下して腕があがらない」「指が脱力して手が握れない」という顕著な障害が出ている患者に対して(しかもその障害はこの先も進むかもしれないと自分でも言っていたのに)、この答え方はないと思った。
リンパを廓清しても浮腫が出ない人もいるし、しなくても出る人はいる。要するに出るか出ないかは最終的には個人差だ。だからいくら医者でも事前に後遺症や副作用が「出る」か「出ないか」を断言することはできないはずだ。
私は断言してほしいわけじゃない。
普通は「問題ない」ことでも、こんな状態でこれ以上身体にメスを入れられたらまたなにが起こるかわからない。
その恐怖をまずは受け止めてほしかったのだ。
「それは心配ですよね。わかりますよ」の一言でもいいから。
なぜそれがわからないのだろう。
全摘は影響ないというが、全摘を行った人は、身体の左右のバランスが崩れるため、歩行訓練から始めるという話もきいた。
今でもバランスが崩れているのにこのうえまた?と不安になるのは当然だろう。
「腕があがりにくくなるのでなるべく早めにリハビリをしましょう」とも書かれていた。
今でも自力で動かせない状態なのにどうやってリハビリしろというのだ。
言い返したいことはいっぱいあったが、秋吉先生は全身にピリピリとした警戒心を漂わせていて、とても言い返せる雰囲気ではなかった。
しかたなく、今度は質問の種類を変えた。
「化学療法ですけど、このあいだ南田先生に『アンスラサイクリン系の薬は過去の治療で目一杯使ってしまっているのでこれ以上使うと心臓に負担がかかる。使えるとしたらタキサン系しかない』と言われました。タキサン系はかなり強い薬だって聞いたんですけど…」
すると今度も断言口調で答えが返ってきた。
「そんなことないです。べつに強くないです。乳がんの患者さんは皆さん普通に使ってらっしゃいます。普通のお薬です」
またもや「普通」という言葉が出た。
4年前、腕の麻痺が放射線照射の後遺症だと教えてくれたとき、秋吉先生は何度も「こんなに大量に放射線を照射された人を私は見たことがないです。世界で一人しかいないです」と繰り返した。
「世界で一人」が一気に「普通」に格下げか……。
内心、秋吉先生が他の医療機関を推薦してくれるのかと期待していたが、この日の秋吉先生からはみじんもそんな様子は見られなかった。
セカンドオピニオンをもらいにいきたいという話をしようと思っていたが、どんどん切り出しにくくなってきた。
まるでアンドロイドとしゃべっているような気分だ。
「それがなにか? 問題なんてなにもないでしょ? あるなら言って?」
そんな臨戦態勢の空気が私から質問する気力を奪っていき、いろいろな感情がごちゃまぜになって、頭がくらくらしてきた。
横で聞いていた母が、たまりかねて横から口を出した。
「あの…南田先生は全摘のつもりでいらっしゃるのでしょうか」
これにも即答。
「はい。そうです」
とりつく島がないとはまさにこのこと。
「過去にいろいろありましたし…」
母はなんとか「察してほしい」というオーラを発しながら言葉を濁したが、秋吉先生は「はい」と相づちを打つだけで話をぶったぎってしまう。
「他の病院の意見もきいてみたいんですけど、有明とかどうなんでしょう。たしか前回先生が『放射線治療なしで温存手術をやってる』って…」
しかたなくストレートにきいたが、「人気のある病院は順番待ちで手術が遅くなる。うちは乳腺科としては都内でもトップ3に入る格の病院。そこで早く手術してもらえるんだからありがたく思え」的なことを言われて唖然とした。
過去の話はもうまったくなかったかのような言い方だった。
ショックのあまりしばらく黙っていたら、今度は「せっかく早くみつかったんですから」ととってつけたように付け加えてきた。
もう答える気にもならなかったが、母に「なにか言ってやれ」というように促されたため、やっとの思いで口を開いた。
「頭では…」
「はい」
「頭ではわかってるんですけど、この20年間、いろいろありすぎて…」
看護師がカーテンの隙間から様子をうかがっているのがわかる。
秋吉先生はあきらかに看護師の視線も気にしているように見えた。
「やっとけりがついたと思ったとたん、いきなり告知されて…」
「はい」
頼むからその形式的なあいづちやめて。しゃべればしゃべるほど口が重くなり、心が冷えてくる。
「それで突然全摘って言われても…気持ちとしてすぐには受け入れられないです…」
ここまで言うのが精一杯だったが、これに対し、秋吉先生はあっさりこう言った。
この言葉、私は一生忘れない。
「ええ。でも現実に病気はあるわけですし。病気から逃げるわけにはいかないですから」
……。
こんな思いやりのない言葉ってあるだろうか。
あまりにもひどすぎる。
声を大にして言いたいが、私は今まで一度たりとも病気や治療から逃げたことなんてなかった。
今考えればまじめすぎるほど前向きに治療を受けてきた。
それもこれも病院を、医師を信頼していたからだ。そうしなければ乗り切れなかったのだ。
それを裏切ったのはあんたたちだろう。
逃げたのはそっちじゃないか。
そんなふうに言われる筋合いは断じてない。
患者をなめるのもいい加減にしてほしい。
この言葉で、ずるずる閉まりかけていた私の中のシャッターが完全に閉じた。
母もさすがにあきれたようだったが、気が収まらなかったのか、最後にこう聞いた。
「南田先生には過去のことはちゃんと話してくださったんでしょうか」
秋吉先生は再び険しい表情になり、こう答えた。
「もちろんです。ちゃんとお話しました」
そしてこうつけくわえた。
「どこまでご理解いただけたかはわかりませんが」
はあ〜?!
なんだそりゃあ。理解できるように話せよ!!
子供のお使いじゃないんだから。
この発言で、万が一、南田先生に伝わっていないことがあっても、「それは私のせいではなく、ちゃんときいてなかった南田先生が悪いんです」という責任逃れをするつもりなのだとわかった。
これは…話してないな。
過去に二度放射線をかけているのでもう治療できないということは話さざるをえないだろうが、具体的にどこにどれだけ照射したかは詳しく話してないと見た。
「よそへ行かれて身内の恥をさらしたくない」「といって内部の他科の先生に広まるのもいや」「でも私に責任がおよぶのはまっぴら」という葛藤の中で、言うことが支離滅裂になっている。
話すことがなくなると、秋吉先生は「次の乳腺外来は31日でしたっけ。その日は私もとなりの診察室にいるので、終わったあとにこちらの予約も入れておきましょうか」と言い出した。
黙っていたら「じゃあ一応入れておくのでいらっしゃらなくてもいいですよ」と勝手に予約を入れられてしまった。
誰が行くか!と心の中で叫び続けたが、表に出す気力はなかった。
結局、最後まで秋吉先生の口から「なぐさめ」の言葉はいっさい出てこなかった。
初めて会った先生ならともかく、秋吉先生は私が今までどんな思いをしてきたのか、この病院で一番よく知っているはずだ。
まず最初に「ようやく終わったと思ったのにこんなことになってさぞショックだったでしょうね。でも私もなんとかいい方法をいろいろ考えますから、一緒に頑張りましょうね」くらいの、それこそ「普通の慰め」の一言でもいったらどうなんだろう。
その一言があるだけで患者の気持ちは全然違うのに。
そんな形式的なセリフ、言っても言わなくても同じだ。治療効果には関係ないとでも思っているんだろうか。
会計を待っている間、悔しくて情けなくて涙がボタボタ落ちてきた。
乳がんと言われてから初めて、私は泣いた。
最初は「損得を考えずに患者のためにミスを指摘してくれた勇気のある先生」だと思って感謝していた。
でも今はっきりわかった。
この先生は「患者のために」行動するような人じゃない。
単に「自己満足」したいだけなのだ。
ミスを指摘した「自分の正義感」に酔い、病院に圧力をかけられれば「なんで私ばっかりこんな目に」と被害者モード全開になり、あとは「保身」で頭がいっぱいになる。
患者のことなどこれっぽっちも考えちゃいない。
本人は考えてるつもりだろうが、完全なる独り相撲だ。
たしかに損得で動く人ではないと思う。
本当に損得で動く人ならもっとうまくたちまわるだろう。
ある意味正直な人なのだと思うが、その基準が「自分が一番えらい」というねじれたプライドにあるので、自分を正当化するために言うことがコロコロ変わるのだ。
これは損得で動く人よりたちが悪い。
そう考えると、最初にいきなり「普通の乳がん」と強調したのも「放射線照射のために起こった二次発癌」だとつっこまれないための保身だったのだとわかる。
今まで違和感を感じた発言はすべて「保身」というキーワードで見てみれば腑に落ちた。
以前、放射線を過剰に照射した先生に、秋吉先生が事情説明を求める電話をしたことがあった。
過剰医師は事情説明どころか烈火の如く怒りまくり、「俺は悪くない。そんなことを患者から言われるなんておまえがバカだからだ」と罵倒されたらしい。
会ったこともない人間から「バカ」呼ばわりされたことが秋吉先生はよっぽど耐え難かったのだろう。憤然とした様子で「バカって言われたんですよ、私」「私も訴えたいですよ」と何度も繰り返していた(この話をきいたフランソワさんは「なんか『父にも殴られたことないのにッ!』っていう感じだよね」と言っていたが、まさにそんな感じだ)。
そのときは私も過剰医師に怒り心頭だったので、「秋吉先生も一緒に怒ってくれてる…」と思っていたのだが、今考えればなんのことはない、秋吉先生は「過剰に照射したこと」よりも「この優秀な私がバカと言われたこと」のほうがずっと深刻な問題だったのだ。「訴えたい」のは「医療過誤」ではなく「侮辱罪」のほうだったのだろう。
結局、秋吉先生は「自分に都合のいい治療」(本人は「正しい治療」と同義だと思っている)しかやるつもりはないのだ。
それに患者が少しでも異を唱えれば、その場しのぎの理論武装をして頭からねじふせる。
この人には最初から答えが一つしかない。
今日の診察でそれがよくわかった。
秋吉先生は今日、医者として今一番やらなければならないことを放棄した。
私はそのことを絶対に許さない。
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カウンター
お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。
がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。
だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。
漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。
別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。
がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。
だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。
漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。
別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
HP:
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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