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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 春にまた正念場な出来事が控えているため、更新するエネルギーがなかなか確保できなかったけどここで報告。
 事業所がようやく決まり、ヘルパーさんが来てくれるようになった。

 そこを選んだ理由は「障害者支援を昔から多くやっている」と知り合いの療法士さんから聞いたからだ。
 制度上、どこの事業所も障害者支援と介護支援、両方看板をあげているところがほとんどだが、もともとどっちから発生したかによって「慣れてる」かどうかの差はあるはずなのでこれは重要な情報だ。
 そこよりも家に近い事業所はたくさんあって、福祉事務所では「より近くを選ぶのがベター」と言われたけれど、こっちが通うわけじゃないし、そこは充分圏内だと判断し、とにかく話だけでも聞ければ…と12月に入ったとあたりでダメもとで電話してみたらあっさり「いいですよ」と言われ、向こうから訪問してくれた。

 代表の雪村さん(仮名)はとてもサバサバした女性。
 区役所からおりた認定通知に書かれた「入浴介助30分+整頓30分×週1回」という内容を見た第一声が「せこっ!

 笑った
 いや、そうだよね。私も「週にたった1時間??」と呆然としたんだけど、そういうものなのかなと思って…。
 プロの目から見てもそう思うんだ。とちょっと安心。
 実際、試しに何度かやってみてくれたんだけど、どんなにてきぱきやっても入浴介助だけで1時間はかかる。
 机上の空論とはまさにこのこと。

 「これ、2時間×2回は必要ですよ。最低でも1.5時間×2回。それでもギリギリです」というやいなや、すぐさま福祉事務所の担当者に事情を話し、時間を増やすようかけあってくれた雪村さん。
 雪村さんのアクションにより、さっそく年明け早々福祉事務所の担当者が、何にどのくらい時間がかかるのかを再確認しに来た。
 ……といってもその担当者が実際にやってみるわけでもやっているところを見学する訳でもない。ただ話をきくだけなんだけど。
 大丈夫かなーと思いつつ待っていたら福祉事務所から電話がきた。

 「会議にかけた結果、週に2回、2時間と1.5時間、合計3.5時間ということになりましたので」

 これまた……せ…こ…い<(_ _)>
 刻むなあ…(^_^;)

 介護保険は1割負担だけど、身障者の自立支援は全額国が負担するので、削れるだけ削ろうっていう姿勢なんでしょうけど。
 雪村さんが提示した具体的なケアプランとしては、まず身体介助に1時間(自分では充分洗いきれない右半身とか背中などを重点的に洗ってもらって洗髪→保湿剤を塗布してドライヤーで髪を乾燥)、家事支援に30分(洗濯物干し&裏返った衣類を直す→床や棚の清掃→トイレと洗面所の清掃)で合計1.5時間を週2回。

 ただこれだと余計なことはいっさいやる余裕がないのでプラス30分ほしいという感じ(梱包を解くとか、加湿器の水の入れ替えとか滞っていることは無数にあるので)。
 でもただ漠然と「あと30分プラスしていろいろ」という言い方では通らないので、私は具体的に「布団干しをしてほしい」とオーダーした。

 布団干しってどのくらいの頻度でやるのか人それぞれで差があると思うけど、私は週一回、シーツとカバーを全交換している。
 と言ったら「普通は日に当てるだけで週一交換までしない」と言われた。
 いや、普通って何を基準に…と思ったけど、身体介助に比べると家事支援は要望がなかなか通りにくいため、「布団干し」じたいが特別な家事の範疇になってしまうらしい。
 なので、「私は喘息持ちでハウスダストアレルギーなので、普通よりもホコリ除去に気を遣っているんです」と主張してみたら通った。
 その分が増えた30分ということらしい。
 とにかくこれでスタートすることにした。

 そして2ヶ月……。
 ヘルパーさんが入ったというとみんな「よかったね。助かるでしょ」と言うのだが、正直疲労はいっそう増している。
 
 まず、これは予測していたことだけど、他人が家の中に入ってくるというのは慣れるまでは疲れる。
 第二に、やってもらうといっても黙ってボーッとしてるだけですべてが終わるわけでは当然なくて、掃除にしても入浴にしても洗濯にしてもその家のやり方とか段取りとかがあるので、「置いてある位置」「使う順番」「補充の仕方」などいちいち教えたり指示したりしなくてはならない。
 「これはここに」「次はこれで」「それはそっちを使って」などなど、言葉で言っても説明が大変なので結局つきっきりで一緒に動き回ることになる。
 担当は4名ほどいるので、1人が慣れたと思うとまた新しい人が来てもう一度…という繰り返しで、いつまでたっても同じことを説明しなきゃいけない状況。

 そして第三ですが……まあこれも当然といえば当然なんだけど、同じ事業所でもヘルパーさんによってレベルの差が……。
 皆さん、人柄は良い方ばかりなのでそれは本当にありがたく思っているのですが、技量はまたべつですからねー。
 しかも「ここはこういう順番に変えてもらっていいですか?」とか言うだけで改善されるような問題ならまだいいんだけど、純粋に技量の問題だとどうしようもなくて。

 最初は計画をたてるためにベテランのヘルパーさんが来てくれて、それはベテランですから問題なく終わるんですが、「あ、これでいけるね」って感じで計画たてられても、あとから来るベテランじゃないヘルパーさんとでは全然時間内にできる作業の質も量も違うわけで…。
 時間がかかるのはまだ我慢できるにしても、質のほうは…特に身体介助は……正直しんどい。

 「ではシャンプーしまーす」
 あ…もっと髪の毛濡らしてからでないと…。
 「失礼しまーす」
 あ…髪の上に直接…?
 手にうけてからでないと…
 「あれ?あんまり泡立たないですねー」
 だから〜
 「もうちょっと足しますね〜(ぷぎゅ)」
 あー、そのシャンプー高いのに〜
 「あれ?だめだ。一回流しますね」
 えーーー!
 「(がしがしがしがし)強さはこのくらいでいいですか〜?」
 いいけど、髪が…ひっぱられて指にからまってる……い、痛いんスけど…
 あと泡が…たれてくる……たれてくる…。
 「流しまーす(じゃーー)」
 顔が〜!…集中豪雨に〜!
 「乾かしま〜す(ごーーーーっ)」
 いや、手櫛で乾かさなきゃ表面しか乾かないでしょ。
 「乾いてないとこありますかー?」
 大ありだよ!どこもかしこも乾いてないし!
 「あ、すいません。中のほうですね(ごごーーーっ)」
 あ…ぢっっっ!!!
 耳が……や…け…るぅ
 「失礼しました〜。こーかな(ごごごーーーっ)」
 乾いたけど……なんなのこの爆発したような頭は

 とまあこんな感じがずっと続く。
 もちろん、ちゃんとしてるヘルパーさんがほとんどなんですが……これは特にひどい例なんですが……うーん。
 お陰で美容師さんの偉大さがよーくわかったよ。

 もちろん、ダメだしはそれなりにしてるんだけど、ダメだしってすごい疲れるんだよ。
 なんか小姑ババアになったみたいで気分悪いし。

 ヘルパーさんの作業は午前中で終わるんだけど、今のところ午後は疲れて使い物にならん。
 夕方になると爆睡
 で、夜眠れなくなるという繰り返し。
 
 介護はされるほうも技術がいるんだな。
 そして体力も必要だと痛感。

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 正念場な出来事が11月に終わった。
 できる限りのことはやった。

 案の定、乳がんのサイズは見事にリバウンドして大きくなっていた。
 あらためて、「もうストレスフルな仕事はできないな」「するなら命縮めてもいいと思えるくらいの仕事限定だな」と覚悟を決めた。
 4月にもうひとつ正念場があるが、これを越えたら「休む」というよりは、生活のすべてを「縮小」していかなければならないだろう。

 危険な状態を何度も繰り返しつつもなんとか風邪はひかずに持ちこたえているが、長期間にわたって続いた緊張がなかなかとれず、夏から続いていた食欲不振は12月半ばまで続いた(今は復活したが)。
 むくみは思ったほど悪化してないけれど、腕の重さは前よりもひどくなり、不眠や夜外出など、ちょっとでも体に負荷がかかることがあるとすぐに体中どこもかしこもギシギシ痛くなる。

 一人で身支度を整えたり電車に乗ったり食事をしたりするのに、どのくらいの時間とエネルギーが費やされ、どこでつまづくのか、自分でも予測がつかなくなってきた。
 ひどいときには、着替えるだけで疲れてしばらく動けなくなることもある。

 外へ出れば出たで、外見上は健常者と変わらないので、分刻みで襲ってくる障害とずっと戦い続けなければならない。
 人と待ち合わせをしても時間通りに指定場所に行けないことも増えてきた。
 そんなわけで、外出することへの敷居がどんどん高くなっている。
 もう鍼と通院以外はほとんどひきこもりモードだ。

 それでもリハビリ前には必ず一条先生(仮名)の診察を受けなければならない。
 あくまでも形式的なものにすぎないのだが、そうしないとリハビリが受けられない規則になっているのでしかたがない。
 しかし、今、病院が私にできることなんて何もないのだ。
 毎週毎週「どうですか」と聞かれても、「どうせ何言っても答えはわかってるし」と思うと何も言えない。

 なのに、先週は珍しくまともに愚痴ってしまった。
 多分、大丈夫じゃないのに大丈夫な顔をし続ける温度差に耐えられなくなっていたのだと思う。
 が、すぐに後悔した。

 一条先生には本当に感謝している。
 誰も診たがらない漂流患者である私を拾ってくれて、治療しないという意志をも尊重してくれて、主治医になってくれた。
 自分が治療した患者でもないのに、面倒な書類もいやな顔ひとつせずにたくさん書いてくれた。
 だから不満を言うつもりはまったくない。
 …と言いつつ、こんなことをこんなところで書くと結局文句を言っていることになってしまうんだろうけど、これは本当に言わずにはいられないので言わせてもらう。

 私につきささったのはこの言葉だ。

 「なくなったものばかり見ててもしょうがない。残されたものに目を向けて生きていかなきゃ」
 
 多分これ、特別なセリフではなく、多くの人がふっとなにげなく口にしちゃってる言葉だと思う。
 一見、もっともらしいし、事実正論なのだろう。
 でも、この言葉を言われた瞬間、私は「パンがなければお菓子を食べればいいのに」とマリー・アントワネットに言い放たれたパリの主婦と同じ気持ちになった。
 「パンもお菓子も食べ放題のあんたに言われたくないよ」
 という言葉が喉元まで出かかった。

 と同時に、「なくなったもの=なくなったもの」「残ったもの=残ったもの」というセパレートな考え方にまたまた西洋医学的思考の匂いを感じたのだった。
 「なくなったもの」と「残ったもの」は決して別々のものじゃない。
 「なくなったもの」は「残ったもの」の形も変質させている。
 「残ったもの」なんて言葉で簡単にひとくくりにしてほしくなかった。

 でもそんなことを言えば「だって自分には障害者の気持ちなんてわかんないし」「具体的にどうすればいいのかわかんないし」「自分には何もできないし」と返されて終わりになるのは目に見えている。
 というか、それに近いことをすでに口にしていたし。

 それって「何も言えない」んじゃなくて「何が言えるのか」「何を言ってはいけないのか」を考えることじたいを放棄してるんじゃないの?
 申し訳ないけどそうとしか思えなかった。

 先生は終始「なにをどうしたいの?」と答えをこっち側に求めてくる。
 それがどれだけ私にとって負担なのか、おそらく考えてもいないんだと思う。

 一人で動けないということは、常に他人に「判断を求められる」ということだ。
 「これ、どこに置きますか?」
 「これ、どっちを先に使いますか?」
 「これ、どうやって干しますか?」
 「これ、開けちゃっていいですか?」
 自分でできればいちいち考えなくてもいいことを、他人にやってもらうときにはすべて言葉にして伝えなくてはいけない。
 まあ、適当なときに気が向いたらそのときの気分で…という選択肢がない。
 それだけで日常生活クタクタなのに、そのうえまだ私に答えを出させようっていうの?

 ていうか、私は「こうしたらいいよ」なんてスッキリした「答え」を求めているわけじゃないんだよ。
 「答え」を出せるのは自分だけということも言われなくてもわかってますとも。
 でもそんなの簡単に出せるもんじゃないでしょ。

 ただ、疲れてるんだよ。
 ちょっとでもいいからシェアしてほしいんだけなんだよ。
 それだけのことなのになぜさらに上から新しい荷物を乗せてくるわけ?

 ネガティブなものをシェアすることに対して、どうしてみんなそんなにビクビクと及び腰になるんだろうか。
 「いいこともあるよ」
 「前向きなこと考えようよ」
 なぜ、そういうポジティブな言葉に逃げようとするのか。
 なぜ、ネガティブなことは「なかったこと」「触れちゃいけないこと」「見なかったこと」にしようとするのか。
 そんなことしたって人生はリセットなんてできないよ。
 昼間だって月は出てるんだよ。

 こういうこと書くとまた「先生はよかれと思って言ったんだろう」「悪気はない」「精一杯やっている」と擁護しようとする人が出てくるかもしれない。
 でも擁護することじたい、自分や自分の家族は絶対にそっちにいくことはない、安全圏にいると思ってる証拠なんだよね。

 大震災が起こってよくわかったはずでしょ?
 安全圏なんてないって。
 それでもやっぱりネガティブを排除する方法論しか持たない人は変わらないんですね。

 もう病院にも医者にも期待できないとあれほど思い知らされたのに、まだ期待を残していた自分にもがっかりしたよ。

 世の中から、「きれいごと」「言い訳」「開き直り」を除いたらいったい何が残るんだろうね。
 「言い訳」「開き直り」をまったくしないというのはそれこそ「きれいごと」かもしれないが、この3つの中で一番人を傷つけるのは間違いなく「きれいごと」だと思う。

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 胃がちぎれるように痛くなって、血尿が出た翌日。
 私は一条先生(仮名)の外来に駆け込み、「入院させてくれ〜」と訴えた。
 が、答えは「NO」。
 理由は「結石にする治療はない。治療しないのに入院させるわけにはいかない」。

 え〜〜〜!!!!

 痛みをとるのだって治療じゃないの?
 胃がやられて鎮痛剤飲めないんだから、点滴で入れるしかないじゃん!
 と言ったら「痛くなったら来てください」と警察のようなことを言われる。

 だ・か・ら〜!

 えーと……ですね、近日中に起こるであろう突発的な痛みに対する恐怖っていうのがまずあるわけですよ。
 それはわかりますよね。
 で、それがきたとき、病院に来るだけでも大変なわけですよ。
 さらに待たされるわけですよ。
 先生の前にたどりつき、事情を訴えられる状況になるまで関門がいくつもあるわけですよ。
 そのうえ、血管つぶれちゃってて点滴もなかなか入らないわけですよ。
 薬が入る頃にはもうピークすぎてますよ。ですよね?
 今ここにこうやって診察室に入らせてもらえて訴えられる状況にいるっていうのは、先生にとってはいきなり始まる状況にすぎないかもしれないけど、こっちにとっては待って待って待った末に手に入れた「チャンス」なんですよ。
 なのに、そんな当たり前の結論だけ言われて終わりにされても……!

 というようなことをくどくど言ったら、

 「……じゃあ、ポート埋め込みする?」

 えーーー、そっちーーー???
 とがっっっっくり脱力_| ̄|○

 ポートっていうのは、末梢の血管からラインをとるのが困難な人、あるいは抗がん剤などで血管がボロボロになってるのに頻繁に採血や点滴をおこなわなくてはならない場合に、血流の良い中心静脈(心臓ゆきの一番太い静脈)にカテーテルを埋め込んで作る点滴用ルートのこと。
 カテーテルの末端にはシリコン製のリザーバーがついていて、それを鎖骨の下あたりの皮下に埋め込む。
 血管を造影しながらカテーテルを進めて行くため、埋め込むためには局所麻酔の手術が必要だが、一回留置すれば血管直結状態が保持されるので、リザーバーに針を刺しさえすればアクセスし放題。点滴のラインとるのにいちいち静脈探して四苦八苦という苦痛から解放されるという次第。
 私が「点滴なかなか入らないし」と言った部分だけをすくいとって返したんだと思うけどそういうことを言ってるんじゃないんだよ。

 たしかに、抗がん剤みたいに定期的に点滴が必要な状況になるとか、入退院を繰り返すような状況になったら私もポート留置は考えなくもない。
 でも、今回はとりあえず「今動いて出ようとしている石」がどうにかなるまでどうにかしてっていう話だから、そのためだけにポート留置の手術受けるってさすがにそこまではと思うわ。
 何年も埋め込みっぱなしというのも抵抗あるし。

 一条先生はすっかりその気になって模型を手にマニュアル通りの説明を始めているが、いくら聞いてもそんなに簡単に受けていい手術だとは思えなかった。
 「だいたい血管造影する針って通常の点滴針より太いですよね。それ入れるのからして無理っぽくないですか?」
 「……」
 「まず造影剤入れるルートを確保するためのポート留置が必要ですよね」
 自分でも何を言ってるのかよくわからなくなってきた。
 「それに鎖骨の下を通過させるっていうけど、私の鎖骨まわり、放射線めいっぱいかけられて左右とも皮膚も動かない状態ですよ。カテーテルなんてほんとに通るんですか?」
 「うーーん。たしかに難しいかもしれないけど…」
 中心静脈の模型を手に握ったままかたまる先生。
 難しいかもしれないけどそこは外科の仕事だから彼らがなんとかするだろうと言いたげな表情だ。

 やっぱりこれだけ「治療の後遺症がいっぱいあってできないことややったら危険なことがいっぱいある」って毎回散々訴えても、何かあればまずマニュアル通りの治療をやることに頭がいっちゃうんだな。
 たとえ局所麻酔の簡単な手術といっても、メスを入れることに変わりはない。
 この鎖骨を実際に自分の手でしっかり触ってみれば、ここにメスを入れようなんて気はたちまち失せると思うんだけど、なんで見もしないで簡単に切れるとか思えるんだろう…。

 かなり長い時間ねばったが、結局「ポート埋め込みをするならそのための入院はありだけど、しないなら帰ってね」という結論は変わらず、ブリブリ文句を言いつつ私は撤退した。

 まあたしかに「治療ができない以上入院はさせられない」というのは正論かもしれないよ。それはわかるよ。
 でもさ、帰すなら帰すでもう少し安心させるようなことを言ってほしいんだよね。
 結局こんなに長い時間話してても不安は何一つ解消されてないじゃん。
 ただでさえいろいろなもの背負ってて体調に関しては不安満載なんだから、ちょっとした異変でもこっちはドキドキなんだよ。
 気休めでもいいから、なんか医者ならではの安心させる言葉がほしいんだよ。
 なんかないわけ?そういうの。

 ……と帰りの車の中でキレ続けていたら、突然、結石経験者の父がポソッと一言。

 「もしかして、もう石出てんじゃないの?」

 え????
 あまりにも予想外の言葉に一瞬耳を疑った。

 「昨日の胃の痛み……あれが結石の発作だったんじゃないの?だって今元気だもん」

 はっ………たしかに。
 言われてみれば、これだけ毒づくエネルギーは昨日まではなかったよ。
 気がつけば、胃の固まり感もなくなっているし、体も伸ばせるようになっている。
 場所が予想と違ったから(痛むとしたら下腹だと思ってた)、直前に飲んだ鎮痛剤の副作用だとばかり思ってたけど、鎮痛剤の副作用で痛くなるにしては反射時間が早すぎるもんなー。
 「腎臓の痛みは広範囲に広がるため場所がつかみにくい」そうなので、「あれがそうだ」と言われればそうかもしれない気がしてきた。
 ていうか、もうそれでいいよ。

 そのときは半信半疑だったが、激痛を境にすべての症状が軽くなっていったのは事実だった。
 なんということだろう。
 夕べの血尿は「これからスタート」のサインではなく「これで終了」のサインだったのか?!

 もしこれで終わりなら……すげー嬉しいんですけど。
 というか、たとえこれがかりそめの希望であったとしても、「そうかもしれない」と思えただけでなんだか一気に気が楽になった。
 これだよ!
 私が言ってほしかったのはこういう言葉だったんだよ!
 ……とまた怒りの矛先は診察に戻る。
 
 患者がほしいのは「安心」だ。
 それこそ「胃の痛みと思ってるのが結石移動の痛みっていう可能性もあるかも。それ以来全身症状が軽くなってるならその可能性もあるからもう少し様子をみたら?」とか「今度痛くなったらこうしてみてください」とか、いくらでも安心させる言い方はあるだろうに。
 ただダーッと薬並べて「痛いらしいけど、結石は治療するもんじゃないからねー」だけじゃこっちだって不安でますます緊張しますよ。
 正論言えばいいってもんじゃないんだよ。
 診察時間が長いのは、一見良いようにみえるけど、見方を変えれば「なかなか患者を安心させられないから診察を切り上げられない」とも言えるのでは?

 後日談。
 それから2日後、今度は腰のあたり(前に痛んだ部分よりも明らかに下のほう)がズンズン痛くなったが、鎮痛剤を飲んでみたら普通に収まり、その後は症状が出なくなった。
 石の行方はようとして知れない。。。

 以上、<完結編>でした。

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 ああ、腎臓結石の話を書きかけのまま、年を越してしまった(>_<)
 途中というのも気持ちが悪いので、その後の経過をサクッと報告します。

 10月12日(水)

 前夜、救急外来で「腎臓結石」という診断を受けて深夜に帰宅。
 この日はとりあえず家でおとなしくしていることに。
 鈍痛は少々残っているものの、鎮痛剤を飲むほどではないのでもらった薬は飲まなかった。

 さっそくネットで体験者談を拾いまくってみたが、「石が降りてくるときの痛みは壮絶の一言」「息もできず、ただのたうちまわるのみ」「お産より痛い」「いっそ殺してくれと思った。ていうかマジでこのまま死ぬと思った」などなど、痛いという情報だけでおなかがいっぱいになりそうで、「出るのにどのくらいかかるのか」とか、そういう知りたい情報に関しては「人による」という一言に集約されちゃってほとんど役に立たない。
 よく「出産」にたとえられる「結石」だが、だったら「予定日」くらいの目処はたててほしい。
 しかも対処法が「水飲むだけ」ってなんか頼りな〜い。

 そうこうしているうちに、症状がだんだん変化してきた。
 もともとどこが痛いのかわかりにくい状態だったのだが、今は「痛い」というよりは「つる」ような感じが強い。
 場所は右の肋骨あたり。
 背筋を伸ばすとそのつった部分が痛むので、常に前屈みの姿勢に。

 さらにつらかったのは「張り」だった。
 胃から腸にかけてが石みたいで、苦しくて食べるのがしんどい。
 食べ物も無理なんだから、水をたくさん飲むなんて絶対無理。
 体を縦にしていると「つり」と「張り」が厳しいので、ひたすら横になってばかりいた。

 10月13日(木)

 この日はリハビリ通院予定だったので、聖路加へ。
 リハビリのあとは眼科の予約も入っていたし、SSDで障害年金の書類の問い合わせもしなければいけない。
 いつ地獄のような痛みが襲ってくるかわからないと思うと外出も気が重かったが、まあ病院内でウロウロしていれば何かあってもなんとかしてもらえるだろう…とひらきなおって外出した。

 まずは病院の近くでランチ。
 相変わらず胃も腸もガチガチに固まってる感じだったがなんとか食べた。
 その後、リハビリ前診察で一条先生(仮名)の外来に移動したら、ちょっと歩いただけなのにものすごく呼吸が苦しくなった。
 体全体が硬直していて、息を吸おうとすると押し戻されるような圧痛が襲ってくる。
 血圧も脈拍も急上昇。
 再び救急で入れられたペンタジンを点滴(といっても、相変わらず血管出ないんで実際に薬が入るまでかなり時間がかかったけど)。

 でもこの症状、本当に結石のせいで起きてるんだろうか。
 自覚症状としては「痛い」というよりは「あちこち苦しい」って感じなんだけど。
 そう言ったら、「結石が腎臓から外へ出ようとするときに圧がかかって内臓のあちこちで筋肉が緊張して痙攣を起こすので、つったり張ったりする感じになるのも不思議ではない」と言われた。
 
 さらに、5月に撮ったCT画像と比較してみたところ、なんとその時点から結石が写ってるということが判明(大きさも位置もほぼ変わらず)。
 レポートで特に触れられていなかったのは、触れるほどではない大きさだったのでスルーされたのか。
 通常、この程度の大きさで腎臓内に留まっている分には無症状なので、私自身もずっと気づかないできたんだけど、大きなストレスを受けたことで活火山のマグマように石が活動を始めたのかもしれない。
 と言ったら、ナースに「そんな…オカルトじゃないんだから。ない、ない」と一蹴された。

 点滴が終わる頃には苦しくて歩けないという状態からは脱したが、一応リハビリと眼科はキャンセル。障害年金の問い合わせについてはSSDのソーシャルワーカーさんが診察室まで出向いて処理してくれた。

 10月14日(金)

 午前中、ちょっと家の中で動いて家事をしたらまたまた呼吸困難状態に。
 動かなければなんとか起きていられるんだけど。
 胃のまわりのガチガチ感がとにかく半端ない。まったく動いてる感じがしなくて、食べたものがすぐに胃酸とともにこみあげてくる。
 体中、痛くて、重くて、張ってて、つっぱってて、苦くて、苦しい。

 夕方、鍼に行って「はっきりわかるストレスを感じた翌日に石が動いた。病院では関係ないって言われたけど」と言ったら、「大きなストレスがかかれば内臓のすべてに反応が出る。石くらい動いても当たり前」とさらっと言われる。

 夜はもう全然食欲がなくておかゆをちょっとだけ食べたら熱が出てきた。
 腎臓やられてるときに熱とかマジやベー。勘弁。とビビリつつ、入院患者並の時間に早々と就寝。
 その後、熱は38度台まで上昇。

 10月15日(土)

 熱は一晩で下がり、胃のこわばりもちょっとゆるんで食事も少しずつできるようになるが、今度は背中から腰にかけての鈍痛が再燃。
 鎮痛剤を飲もうかどうか迷うが、水を飲むのも苦痛なほど胃が張っているのでできれば薬はこれ以上飲みたくない。
 夕方になって収まってきたので飲まずに我慢。
 ただ、我慢できる程度とはいえ、さすがにこれだけ痛みが長期化すると疲労がたまってくる。
 
 10月16日(日)

 起きたら再び背中の痛みが増してきた。
 背中の延長で肩まで痛い。
 そして尿も出にくくなってきた。
 明らかに今までで一番痛かったので、もらった鎮痛剤(カロナール)を服用。

 その直後のことだ。
 突如、全然違う場所に「なにこれ」というような痛みがやってきた。
 胃をひきちぎられるような痛み!
 冷汗が滝のように流れ、家族を呼ぼうにも大きな声を出せなくて、ベッドの上で海老のように丸まって一人もがいていた。

 そんな状態が30分くらい続いただろうか。
 ようやく痛みがやわらいで動けるようになってきたが、ムカムカして水も食べ物も受け付けない。
 というか、これじゃもうこわくて鎮痛剤飲めないよ。

 次に痛みが襲ってくるときのことを思うと、「入院&点滴常時接続」にしてもらいたいと思ったが、こういうときに限って日曜日なんだよなー。
 救急に電話してみたが、今行っても3時間待ちだと言われる。
 3…じ…かん……。
 病院まで行ってさらに3時間待つことを考えたら家で寝ていたほうがましのように思えたので、翌日まで待つことにした。

 その夜、初めて血尿が出る。
 紅茶みたいな色。
 これって……これって……「今からいくぜ!」っていう宣戦布告?
 いや〜〜〜〜〜!!! 
 
 パート3(完結編)につ・づ・く。

拍手[4回]

 華麗なる病歴の中にまたひとつ新顔が加わった。

 それは、正念場な出来事が一段落した翌日(10月11日)のことだった。
 ストレスには、「これはストレスだなー」とわかっていながら身をさらさざるをえない「自動的なストレス」と、まわりからいきなり加えられる予測不能の「他動的なストレス」がある。
 このときはそれがダブルできている状況だった。

 夜8時過ぎ頃、パソコンに向かっていたら右の背中と脇腹と胃と肋骨あたりに鈍痛を感じた。
 もともと左麻痺のために常に身体のバランスが崩れているので、身体のどこかが痛むことは珍しくなかった。
 だからこのときも最初はそれほど気にしていなかったのだが、痛みは確実に増していった。
 筋肉がぎゅ〜っと固まっていくような痛さだ。
 ベッドに横になってみたが、いっこうに楽にならない。
 我慢できないほどの痛みではなかったが、身におぼえがありすぎる私は、とっさに数々の原因を頭の中でシミュレーションした。

 「胃が重い感じがするけど心臓ってことはないか?よく胃と心臓って痛みがごっちゃになるっていうし」
 「そうだ。私乳がんだし。骨転移ってのもありじゃね?」

 とりあえず血圧を測ってみたら「185-115」という数字が出て、こりゃやばいと思い始めた。
 10時過ぎ。痛みはますます大きくなっていく。
 一条先生(仮名)に連絡し、とにかく車で聖路加の救急外来に向かった。

 ところが、車に乗っているうちに徐々に痛みが軽くなってきたような…。
 救急外来に着いたのは11時近かったが、その頃にはピーク時の50%くらいの痛みに。
 が、ここまできたら「おそろしい原因ではない」ということだけでも証明して帰らなければこわくて一晩越せない。
 とにかく検査はしてもらおうと中へ入った。

 それからはドラマの「ER」状態……と言いたいところだけど、容態が落ちついてしまっているせいか、妙にまったりしたテンポで検査が進められた。
 場所はオペ室だけど、ついているのは若い当直医1名+ナース1名のみ。
 問診して、血圧測って、採血して、点滴ラインとって、輸液入れて、心電図モニタにつないで、心臓エコーに内臓エコー、X線写真……と一通りの検査&チェックがおこなわれたが、異常はどこにもなさそうだった。

 唐突に「今晩、何食べましたか?」と質問するドクター。
 「煮豚」と答えたら「何それ」という顔をされたので、面倒くさいから「焼豚」と答え直した。
 さらに「他には?何か生もの食べませんでしたか?」と聞かれたので「食べてない」と答えたが、どうも食中毒方向に誘導したいみたいで10分置きくらいに同じ質問をされた。

 そうこうしているうちに痛みは2割くらいに減少。
 あちこち押されて「どこが痛いですか?」と聞かれるんだけど、聞かれるたびに位置がズレていく気がする。
 「えーと。今は背中です」「あと肋骨。いや、脇腹かな?」
 答えたそばから、そこじゃない気がしてくる…。

 とりあえず、異常がないならもういいよ……とだんだん帰りたい気分になってきたが、ドクターはどうしても原因をみつけたいようで「最後にCT撮らせてくれませんか?」と言ってきた。
 CTかー。このあいだ撮ったばっかりだからなー。
 迷ったが、最後まで検査したほうがスッキリすると思い、承諾した。

 CT撮影後、処置室のベッドに移動して検査結果を待っていたら、いきなりドクターがどや顔で入ってきた。

 「わかりましたよ、小春さんッ!腎臓に石がありました。腎臓結石です!」

 腎…臓…結…石……?!……w(°0°)w

 思いもよらない病名に戸惑いを隠せなかった。
 腎臓結石なんて暴飲暴食のおっさんがなるものと思っていたので、ちょっとショック。
 でもドクターは「あー、よかったよ。結石で〜」という色がありありで、すっかりリラックスしている。
 「ここでしょ?痛いのってここでしょ?」とエコーでぐいぐい背中を押され、「そうです。そこです」と答えたら、さらに自信を深めた表情で「間違いありませんね。痛みの原因は腎臓結石です」と言い切られた。

 結石の大きさは1ミリ以内の小さなもので、右の腎盂部分にあるとのこと。
 普通、腎臓内にあるときは無症状で、尿管におりてくるときに激痛がくる。自分で気づくのはその段階であることがほとんどらしい。
 今回の場合、小さいために腎盂内で石が動き、痛みを生じたのだろう。
 ということだった。

 「とりあえず、点滴で鎮痛剤入れておきますから。経口の鎮痛剤も出しておくので、家で痛くなったらこれ飲んでください」
 「点滴終わったら帰っていいんですか?」
 「いいですよ」
 「石ってどのくらいで出るんですか?」
 「まあ、それは人それぞれなので。ずっと動かないまま腎臓に留まり続ける石もあるし」
 「えー、そんな長いこと留めておいたら大きく育っちゃいませんか?出すとき難産になりませんか?」
 「まあ、そうですね。小さいうちに出したほうがいいですけど」
 「それって早く出す方法ないんですか?」
 「うーん。まあ水をたくさん飲むくらいしか。うんと大きいと衝撃波で砕いて砂状にして出すとかできるけど、こんな小さいんじゃ命中させるのは難しいし」
 「あー、なんか頭がグルグルまわってるんですけど」
 「点滴で入れてるお薬の副作用だと思います。これ、けっこう強い薬なんで」
 「強いっていうと麻薬系の?」
 「そうですね。手術後とかによく使う薬です。少し休んでれば収まると思うので、立って歩いても大丈夫になったら帰っていいですよ」

 というわけで、グルグルが収まってから帰宅したら午前3時になった。
 想像していたようなシリアスな病変ではなかったことには安心したが、「石がいつ出るのかわからない」「痛みがいつくるのかわからない」という不安は消えないままだったので、今後どのくらいこんな状態が続くのかと思うとどっと気が重くなった。

 それにしても意外だったのは「腎臓」の位置だ。
 私は今までずっと腰に近い部分にあるのだと思っていたのだが、こんなに上にあったとは……してやられたよ。

 今日はここまで。
 パート2に続く。

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 正念場な出来事にエネルギーを吸い取られているうちにもう秋になってしまった…。

 前回の記事を書いたあと、区の重度障害者通所施設の作業療法士さん(時々相談に通っている)から「自立支援センターというのがあるから、障害者の生活に関する相談はそこに行くといい」と教えられ、もろもろの事情で延び延びになってしまったが、今日ようやく訪ねてきた。

 相談内容は「事業所ってどうやって探したらいいの?」←マダココ

 相談担当の雨宮さん(仮名)は車椅子利用の現役障害者。
 ご自身も実際にヘルパーさんを利用しているだけあって、今までとは桁違いに話の密度が濃い。
 「上肢不自由」と「下肢不自由」という違いはあれど、「そうそう、そうなのよ」「それよ、それそれ」と激しく共感できる言葉をいくつもいただき、少しだけ力がわいてきた。

 特に「足とか手とかそれ単独が不自由なわけじゃない。体は常にバランスをとって動いているのだから、麻痺している部位以外の場所も正常ではなくなる。そのことを一番わかっていないのは医療関係者」というコメント(まあちょっと意訳気味ですが)はもう全国の医療関係者にコピペして一斉送信したいくらいだった。

 私も前から思ってたんだよ。
 診断書っていうと必ず出て来る「右」「左」にわかれて機能評価するやつ。
 あれどうにかならないのかね。
 さまざまな日常の基本動作(「顔を洗う」とか「ボタンをかける」とか)について「できる」「できない」の評価をしていくんだけど、それを右左それぞれで評価していくんだよね。

 たとえば、普通なら両手を使って一瞬でできるようなことを、右だけ使って不十分であってもなんとかできる…ということになると、それは「自力でおこなうことが可能」とみなされるわけ。
 そういう評価をされると、ほとんどが「なんとかできるよね」になってしまい、自分で感じてる慢性的な肉体的精神的負担感がさっぱり書類に反映されていないように思えてしまう。

 雨宮さんいわく、「結果的にかろうじて自分でできたとしても、それを『できる』とみなすのはおかしい。そのときだけでなく、継続的にこなせて初めて『できる』と言える。たとえば靴下ひとつ履くのに1時間かかったとして、その人が日常生活を送るだけでほぼすべてのエネルギーを使い果たしてしまったら『仕事』をして『自立』することはできない。そういった日常生活の作業部分をヘルパーさんに負担してもらって、その分のエネルギーを『仕事』にむけられるようにしようというのが自立支援法の目的」とのこと。
 なるほどー。
 たしかに靴下を履くことだけで人生が終わっていいわけないよな。

 でも今までまわったところはどこも「あなたはまだいいほう」とか「これはできるじゃない」とか「できないなら我慢しろ」とか「このレベルまでいかなきゃ無理だね」とか、とにかくこちらのやる気を萎えさせよう萎えさせようとしているふうにしか思えなかった。たとえその人にそういう意図がなかったとしても。
 一般人が「わからない」「理解できない」「想像できない」と思うのはまだしかたがないと思うが、そういう仕事ををしている人が相手を萎えさせてどうするんだよ。といつも思う。「自立支援」というより「泣き寝入り推奨」って感じ。

 実際、機能評価はデジタル評価だし、本当に評価してほしい部分は項目がなかったり、どうでもいいよと思う項目はいっぱいあったりするわけで。
 そう言ったら雨宮さんに「そういうときは、<その他特記事項>という欄にいっぱい書いてもらう。言わなきゃわかんないんだからこっちから『あれも書いて』『これも書いて』と医者にどんどん要求しなきゃダメ。自由記述部分が勝負どころ」と言われた。
 ああ、この人も私と同じように今まで戦ってきたんだなーとしみじみ思った。

 事業所選びについては、やはり「近くから電話してみるのがお勧め」と言われた。
 最初は何十もあって「これ全部かけるの?」っていう気分になるだろうけど、意外に条件の合わないところが多く、心配せずとも選択肢は一気に絞られるとのこと。
 どこも介護保険(つまり高齢者対象)には慣れているところが多いけど、障害者の居宅介護に慣れているところはあまりないかもしれないとも言われた。まあ絶対数が少ないからなー。

 なんでも介護保険と居宅介護とでは、家事の範囲も厳密に決められているらしいのだが、その区別もよくわかっていない事業所も多いので、おかしいと思ったらすぐに問いただしたほうがいいという。
 そんなこと言われてもこっちも初心者だし、助けてもらいたいのはこっちなのになんでヘルパーさんの支援までしなきゃいけないのー?
 はー。支援受けるのって大変なのね。

 でも最後に「最初の一歩を踏み出すときは不安だと思う。その気持ちはよくわかるし、慣れるまではかえって疲れるかもしれないけど、私は今ヘルパーさんに来てもらってすごく楽になってる。ぜひ上手に使ってほしい」とエールを送っていただき、心強く感じた。

 すごく有意義な面談だったけど、同時に「なぜ最初からここにつないでくれないんだよ」とあらためて行政のバラバラさ加減に腹が立った。

 障害年金についてはまだ書類が全部揃わない。
 傷病がいくつかにまたがっているので、書類の書き方で疑問点がいくつも出てきて、今日は聖路加のSSD(医療社会事業課)にも相談に行った。
 そこでもわからなくて電話で問い合わせてもらったが、「書類の書き方についてはここに聞いて」「ただしこの部分についてはこっちに聞いて」とベテランのソーシャルワーカーさんも容赦なくぐるぐるたらいまわしにされていた。

 病歴部分は「できるだけ大変そうに書いて」と窓口のおじさんにリクエストされたけど、私は上肢不自由者なんだから手書きでそんないっぱい書けねえっつの。
 しかたがないので、昔のカルテとか裁判資料とか見返しながら片手でとりあえずタイピング。
 あらためて家族に清書してもらうことにした。
 こりゃ一種のプレゼンだな。。。
 

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 最後に残った「介護支援」。
 これが一番大きな山だった。

 福祉事務所に言われた通り、認定のための手続きを済ませ、訪問調査に来た区の職員と面談をおこない、100以上の質問に答え、検討会議にかけられ、ようやく認定通知が郵送されてきたのが1ヶ月前のこと。
 週に1回1時間というささやかな支援ではあったが、とにかくこれだけは認められた。
 同居家族がいると認められないケースも多いらしいので、ありがたいと思わなければならないだろう。

 ところがこの決定通知、どこをどう読んでも「次の段階」についての記述が見あたらないのだ。
 担当者の名前が書かれているわけでもないし、いつまでにどこでどういう手続きをしろといったことも書かれていない。
 ただ、「この権利は無期限ではなく、有効期間は1年間である」ということだけは書かれていて、それが切れるときの更新の手続きについてはいろいろ述べられてるんだけど、今どうすればいいのかについては何も記されていない。

 これって次の連絡を待てっていう意味?
 まあ、訪問調査も来る来ると言いつつ何週間もなしのつぶてだったしな。
 お役所だからなんでもやることが遅いんだろう。
 ……と理解しておとなしく次のアプローチを待っていた。
 しかし1ヶ月すぎても何の音沙汰もない。
 さすがにおかしいと思い、封筒に書かれていた代表者番号に電話をかけ、該当する部署の人を呼び出してもらった。

 電話に出た職員は、「何が送られてきたか」「そこには何が書いてあるか」「受給者番号は何番か」など質問ばかり重ねていっこうにこちらの疑問に答えてくれない。
 受話器を持ちながらしゃべっていると、利き手がふさがって身動きがとれず、スピーカーフォンにしないでかけたことを後悔した。
 しばらく話しているうちになんとなく薄ぼんやりとした違和感が広がり、やがてひとつの形となって頭の中に現れた。
 まさか……まさか……。

 「あの…すみません。もしかしてヘルパーさんを派遣してくれる事業所って……自分で勝手に探せってことですか?

 私の疑念に相手はあっさり「はい。そうです」と答えた。
 はぁ〜???………「そうです」って……。

 だったらなんでそういう説明を最初からしてくれないんだよ!
 今までの無駄に長い質問タイムはいったいなんだったんだ!
 というか、そういうことなら通知と一緒に「この先は自分で探してください。相談はここで受けます。資料はここで得られます」くらいの情報を添付するのが当然だろうに。
 つっこみたいところは多々あったが、とりあえず一番大事なところだけ聞いた。

 「事業所ってどうやって探すんですか?」

 答えはなんとも間の抜けたものだった。
 「はあ。まあ、ネットとか……」
 ネットとかネットとかネットとか…ってアバウトすぎだろ!!
 「事業所の一覧がほしければ郵送しますけど」
 あるなら最初から同封しとけ!

 あまりにも他人事のような物言いなんで(まあ他人事なんだけどね)、思わず最後に言ってしまった。

 「これ6月からサービスが使えるって書いてありますけど、もう1ヶ月たっちゃってるんですよ。その1ヶ月分の権利は消滅ってことですか?」

 そしたらまたもやあっさり「そうですね」という答え。
 はぁ〜???………そうなんだ。

 そのあともいろいろ聞いたけど、結局どうやって探せばいいのかはわからなかった。
 どうも、区役所の仕事というのは認定通知を出すまでで、そこから先は面倒みねーよってことになってるらしい。ちょっと前までは区のほうで事業所を決めていたが、今は自分で探してもらうようにしているという一点張りだった。
 
 途方に暮れて、今度は聖路加通院時にSSD(医療社会事業課)まで話を聞きに行ったが、「自治体によって随分違うみたいなんですよねー。私がこの前聞いた区では、認定通知と同時に担当者が直接家に訪ねてきて事業所選びの相談にのってくれたって話でしたけど、通知だけで放り出すなんて区もあるんですねー」とソーシャルワーカーさんも驚いていた。
 念のため、その人からも電話できいてもらったけど、福祉事務所で相談にのってくれるんではないかとのことだったので、事業所リストをもらいにあらためて福祉事務所を訪ねることにした。

 が、そこでの対応も似たりよったりだった。
 リストはくれたけど、事業所の所在地と連絡先がダーーッと書いてあるだけで、「まあ一番近くの事業所からあたってみたらいかがでしょう」の一言で終わり。
 結局、特定の事業所を勧めるというのは行政の立場上できないということなんだろう。

 それはわかるけど、事業所といっても玉石混淆のはず。
 「結局はヘルパーさんとの相性。まずはどこでもいいからあたってみなさい。気に入らなかったらチェンジすればいいんだから」という意見も聞くが、断るのって口で言うほど簡単じゃない。そんなエネルギーがあるくらいなら支援なんて頼まないよ。
 そんなバクチみたいなこと、今の状態でやりたくない。

 これ、80件以上あるし。
 HP持ってる事業所もごくわずかだし。 
 せめて特徴というか、「うちは障害者支援ひとすじ××年です」とか「上肢障害支援を得意としています」とか「上肢支援コンテストで金賞を受賞した伝説のヘルパーがいます」とか、なんでもいいから他とはひと味違う的な選ぶ基準みたいなものがほしい。
 一応事業所PR欄もあるんだけど「心あたたまるケアを目指しています」とか抽象的なこと書かれてても話になんないわ。

 そうこうしているうちに周囲からも情報が集まってきたが、ほとんどが介護保険でのヘルパー支援のケース。
 介護保険は65歳以上でないと使えないということも意外にみんな知らないようだ。
 ケアマネージャーがケアプランをたててくれるからまずケアマネを探すべしとか、いやケアマネがつくのは高齢者(介護保険利用者)のみで障害者にはつかないよとか、ただ漠然と「家事支援」とかじゃなくて「入浴介助」とか切実で具体的な問題をアピールしなきゃダメとか、いや入浴介助は介護保険でしょとか、なんか聞くたびに情報が錯綜し、翻弄され、数日で早くも頭がぐるぐるしてきた

 問い合わせしてくれたり、知り合いに話をきいてくれたり、いろいろやってくださった方たちには本当に感謝なんだけど、ちょっともう限界
 裁判のときもそうだったけど、未知の領域に踏み込むときにはそれなりのエネルギーと余力が必要。
 なにが起こるかわからないからね。

 この先1ヶ月は個人的に正念場的な出来事があるので、なんか同時進行するとどっちもダメになりそうな悪寒が…。
 というわけで、正念場のほうが山を越えて、どこかの総理ではないけど「一定の目処がついたら」あらためて事業所探しに取り組もうと思う。

 ただ、たとえヘルパーさんに来てもらえるようになったところで、週1時間程度では今の苦境はどうにもならないだろう。
 今後はもう少しシステマチックに、定期的に、誰にこれだけの頻度で何をやってもらうという決めごとをきっちりしておく必要がありそうだ。

 「何か手伝うことない?」とたまに来て言われても、説明するほうがよっぽど大変。
 すごくいっぱい説明したわりには、やってもらうことは一瞬で終わったりするので、やってくれる人には悪いんだけど「労多くして益少なし」という気分。というか、思うように説明できないもどかしさでかえってストレスがたまってしまう。

 もちろん、自分の手でやるようにやってもらうことが不可能だということはわかっているが、「説明しなくてもある程度事情をのみこんで自主的にやってくれる」という部分を少しずつでも増やしていかないと多分私はこの先生きていけないだろう。
  
 あー、事業所ミシュランがほしいわ〜。
 「ここがいいですよ」と推薦するのは難しくても、質を保つための第三者によるチェック機関は必要なんじゃないだろうか。
 でないと、ずっと玉石混淆のままじゃないか。
 元気だったら覆面調査員やってミシュランガイド作るのになー。
 あ、元気だったらヘルパーさん使わないか。。。。

 

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 「全摘とは言わないけど、局所くりぬきでも手術する気はない?」
 一条先生(仮名)がまた蒸し返してきた。

 検査結果を検討した結果、どうやら転移はしていなさそうだということがわかると、それはそれでまた「せっかく転移してないんだから今のうちに治療しようよ」という気になってきたらしい。
 医者にしてみれば、目の前にあるものをそのままにしておくというのはなんとも居心地が悪いものなんだろう。

 「前にも言った通り、治療はしません。目の前に見えてるものをとり除いたからといって、それで治ったとも思わないし、安心もできません。見えないところで起こっていることが大部分なんですから。手術なんかしたって外科的処置でまた体に影響が出るという不安が増えるだけです」

 今まで何度も繰り返して来た返答をもう一度繰り返すと、一条先生は「やっぱり…」という表情をしつつ、また予想通りの言葉を返してきた。
  
 「じゃあホルモン療法は?ホルモンだけでもやってみない?」

 だ・か・ら〜!!
 それもやらないって何度も言ってるじゃんよー。

 「なんでホルモン療法いやなの?」
 「なんで勧めるんですか」
 「ホルモン陽性だし、効く可能性高いと思うんだけど」
 「信用できない。そんなに効くんだったら陽性の人はみんな術前でホルモン療法やればいいじゃないですか。術前化学療法はやっても術前ホルモン療法はほとんどやらないってことはそれほど効くとは思ってないからでしょ」
 「まあたしかにそれはそうなんだけど」
 「ホルモンと関係があることがわかったからといって、ホルモン抑えればがんも治るなんてそんな単純な話じゃないと思う」

 いい加減ウンザリしてきて、こっちもかなりケンカ腰になってきた。
 でもここまで言わなきゃわからないのだから、自分が感じている正直な気持ちははっきりと言うしかない。今まで言えなかった分よけいに…。

 「たしかにそう単純じゃないというのはその通りなんだけど、『副作用も軽くて、効果もある』という人も一定数いることもたしかで…」
 「その集計データはどういう条件で集めてるんですか。過去に私と同じ治療を受けたことがある人たちですか?治療歴なにもない人と比較しても意味ないんじゃないですか?」
 「まあそう言われればそうなんだけど…。でも『副作用が重く出て、効果もない』って最初からネガティブに考えすぎじゃないかな。可能性としては『副作用が重い・軽い』『効果がある・ない』の組合わせで4通りあるわけだから…」
 「理論としてはそうでも、前提条件が違う以上、同じ可能性ではないでしょう。今でも過去の治療のせいでホルモンバランスめちゃくちゃになってんのに、これ以上ホルモンいじって体調がよくなるって考えるほうが不自然でしょう」

 どこまでいっても平行線。。。
 向こうが考えてることは手に取るようにわかる。

 放置しておいてよくなるものじゃない以上、まずは試してみるべき。
 やってみて副作用がつらかったら途中でやめればいい。
 意外に副作用が軽くてしかも効いたらラッキーと思えばいい。

 そんな感じだと思う。
 一見もっともらしい理屈だが、副作用というのはそのときだけのものじゃない。
 目に見えないところで、治療を受けるたびに自己治癒力は確実にダメージを受けている。
 それが積もり積もって今の状態があるのだから、「つらかったらやめれば」という感覚じたいすごくお気楽に見える。

 今まで充分治療する機会は与えたつもりだ。
 それでもこんな状態なんだから、「もう一度やらせて」と言われても「まだやる気?」としか思えない。
 そう言うと今度は「でも治療したからホジキンは治ったじゃないか。治療してなければ今頃命落としてたよ」と問題をすりかえてくる。

 べつにホジキンの治療について否定はしていない。
 ただ「ここまでやる必要があったのか?」という点についてはいまだに疑問をもっている。
 やりすぎによって、次のがんを引き起こしたり、重篤な障害を残したりすれば、「治った」とは言えないだろう。「ホジキン」が治ればあとはどうなってもいいというわけじゃない。

 私は過去の治療が「誰に見せても恥ずかしくないほどの正当な治療」だったとは思っていない。
 だから訴訟も起こした。
 でも、百歩譲って、「今の医学で精一杯の治療をしたし、恥ずべきことややましいことはいっさいない」のだとしても、今の状態を作ったことは事実。
 つまり今の状態とひきかえでなければ治療はできなかった。後遺症は防ぎようがなかった。それが西洋医学の限界だった。ということだ。

 だとしたら、その「限界」を認めてほしい。
 なんでもかんでも自分たちが正しいと思わないでほしい。
 治療を受けるのが当たり前だと思わないでほしい。
 それだけだ。

 前にも書いたけど、「セカンドキャンサー外来」があったらいいのにな。
 初めてがんになった人は、まだ体力もあっていろいろ調べにまわったりできるし、治療に耐えられる体も持っている。
 でも一度がんになった人は人生観も身体観もすべて変わってしまうし、治療の選択肢も限られてしまう。
 両方の患者に対して柔軟に対応できる医者はいったいどのくらいいるんだろうか。
 多分「乳がん」は「乳がん」としか思っていない医者がほとんどなのではないだろうか。

 ホルモンレセプターが陽性か陰性かの区別には注目しても、どんな生活を送り、どんな体質を持っている人なのかについては通り一遍のチェックしかしない。
 どこまでがんが浸潤しているかは懸命に調べるが、その人が医療や病気に対してどういう価値観を持っているのか、どのくらい精神力が強いのか、などということには興味がない。
 というか、治療には関係ないと思っている。

 そんな体質が10年や20年で変わるとは思えないので、多分日本の医療はずっとこのままだろう。
 少なくとも、患者が意識を変えない限り、病院も医師もずっとこのままだと思う。

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 手が不自由になって、自分で料理が作れなくなった。
 自分の食べたいものを自分で好きなように作れるのはなんて幸せなことなんだろう。
 料理が好きだっただけに、自分で作ることができないのはストレスだ(作ってくれる人には申し訳ないけど)。
 料理に限らず、人にしてもらうよりは自分でしたいよね。誰だって。

 介助があれば、まだ自分の作りたい物を作ることはできるけど、常に手伝ってくれる人がいるわけではないので、そういうときは外食なり、買ってきたものを食べるなり…ということになる。
 しかし、これはこれでまたストレスなのだ。
 開封したり、茶碗を持ったり…といった細かいさまざまなところでつまづくので、やっぱり一人ではできないことがたくさん出てくる。
 特に外食は、一人だといちいちお店の人に頼まなければならず、気が重い。
 セルフサービスの店などもいろいろ考えると入りにくくなる。

 今日は久しぶりに一人でモスバーガーに入ったのだが、トレーを受け取るときにバランスを崩してコーヒーをソーサーにこぼしてしまった。
 一瞬「あっ」と思ったが、このときの店員さん(女性)がよくできた人で、すぐに私の手が不自由だと認識し、「運びますからどうぞ」と席に案内してくれて、コーヒーもとりかえてくれて、ドレッシングの小袋もクリームのポーションも開けてくれた(ドレッシングも全部かけるのではなく、あとから好みで足せるようにと七分目くらいまでで止めてくれた)。
 当たり前のように思うかもしれないけど、なかなかここまで自然に、気持ちよく、しかも自主的にやってくれる人はいない。
 サービス料をとるようなレストランでもまったく気が利かないところもあるし、同じ店でも人によって対応が違ったりする。

 聖路加通院時にいつも行く店は、週に1回以上は必ず通っているのでもう顔を憶えられてしまい、黙ってても肉や魚やパンまでカットしたものを出してくれるし、荷物を置く椅子は右側に持ってきてくれる。
 こうなると、初めて入るお店はますます敷居が高くなり、同じ店ばかりに足が向くようになってしまうのだが、それだけに「一を見て十を判断する」みたいな店員さんにあたるとすごく嬉しくなる。
 その一方で、障害者を相手に仕事をしているところなのになんで?という対応をされて愕然とすることもある。

 今年になってから障害が進み、福祉事務所に相談に行ったら「障害認定の取り直し(3級から2級へ)」と「ヘルパー支援の要請」をおこなうようにアドバイスされた…という話はすでに書いたが、それからはや2ヶ月。手続きするたびに壁にぶちあたり、いまだに現在進行形だ。
 上肢障害に関して私がおこなっている(あるいはおこなった)手続きは以下の通り。

 1)骨折による治療費および保険金請求(保険会社)
 2)骨折による後遺障害保険金請求(保険会社)
 3)障害者手帳の認定取り直し(福祉事務所)
 4)自動車税の減免手続き(都税事務所)
 5)ガソリン代の助成(福祉事務所)
 6)医療費の助成(福祉事務所)
 7)障害厚生年金の受給手続き(年金事務所)
 8)居宅介護の要請(区役所障害者施策課)

 この半年でどのくらい診断書をとったことか。
 1通とるのに9000円近くかかるので、費用もバカにならない。

 あとから還付されるものに関しては領収書をまとめておかなければならないし、「審査に通れば還付。通らなければ診断書の文書料のみ返金」など、結果次第で変わってくるケースもあったりして、これだけ同時進行していると、なんの書類を受け取っているのか、依頼しているのか、わけがわからなくなってきて、書類が郵送されてくるたびに、また仕分けしなければ…とプレッシャーにつぶされそうになる。

 一条先生(仮名)に「部屋が散らかって片付かない」と愚痴ったら「みんな捨てちゃえばいいじゃん」と簡単に言われたが、散らかっている原因の大部分はこうした医療福祉関係の書類なのだ。
 昔の診療記録や検査データは病院にも残っていないから、古いものでもうっかり処分はできない。

 人に頼もうにも複雑すぎて頼めないし、いちいち内容を確認しようとするたびに手が思うように動かなくて涙目。
 電話しながら冊子をめくったりメモをとったりもできないので、簡単に電話連絡されても困るし。
 手書きも厳しいので、記入量が多いときは「お願いだから電子化してよ〜」と叫びたくなる。

 今日もガソリン代の助成申請のために福祉事務所に行ってきたが、記入に何十分もかかり、なおかつ「準備してくるもの」のリストに書いてなかったものもあとから次々に要求され、「自動車税減免とセットなんだから通知と一緒に申請用紙送付してよ〜。そしたら事前に記入してこられるのに〜」とその要領の悪さにイライラ。
 また、対応する職員がおじさんだと、往々にして仕事が遅くて、不手際も多い。今日も年輩の女性職員に1カ所、若手女性職員に1カ所不手際を指摘されてオロオロしていた。

 それでもまあ1)〜6)まではなんとかなった。
 障害の等級も3級から2級にあがった。
 が、ここから先が険しかった。
 問題は7)と8)だ。

 障害年金の存在は福祉事務所で教えてもらったのだが、管轄は区役所の国保年金課か年金事務所かどちらかになると言われた。
 どういう意味かというと、「初診日=障害が生じる原因となった病気のことで初めて病院にかかった日」に国民年金を払っていた場合は前者、厚生年金を払っていた場合は後者の管轄になるというのだ。

 私の場合、障害が起こった原因は治療なので、治療日までさかのぼるのか、それともホジキン発症までさかのぼるかで支払っている年金も違ってきてしまう。
 わからないのでとりあえず国保年金課に行ってみた。
 ひととおり事情を話したら「とにかく初診です。最初に不調を感じて病院に行った日です。そのときに見当違いの診断をされてそのあとに本当の病名がわかった…というケースであっても、最初の診察が基準になります」と言われたので、じゃあ頸部が初めて腫れた昭和62年までさかのぼることになるので会社員時代かな…と思い、今度は年金事務所を訪ねた。

 「障害年金の申請をしたいんですけど」というと、窓口のおじさんはまず「病名は?」ときいてきた。
 「ホジキンです」と答えたところ、おじさんは「ほいきた」と言わんばかりの手慣れた様子で書棚からシュパシュパと用紙を抜き取り、目の前にダーーーッと並べた。
 必要な書類は大きく分けて4種類あり、うち2種類は自分で書くものだったが、残りの2種類は病院が書くものだった。

 ひとつは「現在の状況について報告する証明書」。
 これは現在の主治医である一条先生に書いてもらえばいい。
 問題はもうひとつのほう。これが「初診証明」だ。
 当然、L病院に書いてもらうしかない。
 とたんに気が重くなった。
 誰に頼んだらいいんだこれ……。

 おじさんは「記入するのに楽なように」…と、あらかじめ鉛筆で丸をつけながら説明を続けた。
 「『傷病は治っていますか?』……これは『いいえ』に◯…と」
 ……え??
 いや、ホジキンだったら治ってるから『はい』なんだけど。
 でも『はい』だと「じゃあ障害ないじゃん」ってことになっちゃうのか。
 ぷぎゃーー。どうすんだ、これ(>_<)

 「あのー、病名はホジキンなんですけど、障害の原因はホジキンの治療であってホジキンそのものじゃないんです。そういう場合はどうしたら…」
 そう質問したら、水をさされたおじさんは「そんな難しいこと言われてもわかんないよ」と不機嫌になってしまった。
 「とにかく、申請しても審査に通らなければ受給できないから、あんまり期待しないでね」
 えーー、ここまでめんどくさいことやらせられたらそりゃ期待するよ。なに言ってんだよ。

 とりあえず、まず厄介なのは初診証明をどうやってとるかだ。
 因果関係をいまだに認めようとしないL病院がはたしてこの書類を書いてくれるのだろうか。
 正面きって頼めばまたいやがらせでなかなか書いてくれないということも充分ありうる。
 ということで、最初は裁判でお世話になった弁護士に相談してみた。
 弁護士を通して書類を書くように言ってもらえないかなと思ったのだ。

 が、今までL病院に散々非常識な態度をとられてきた弁護士は、「あの病院が書くはずない。当時のことを知ってる先生だってもういないだろうし、カルテだって保管してないだろうから、うちで保全したカルテのコピーを持っていってべつの病院の先生に書いてもらったほうがいい」と主張。
 本当にそんなことが通るのかどうか、今度は聖路加のSSD(医療社会事業課)のソーシャルワーカーに相談してみた。

 ここはさすがに専門部署だけあって一番詳しかったが、がっかりすることが立て続けに判明した。
 まず、初診証明はあくまでも「医療機関」の証明なので、現在L病院に勤めている医師でなくては出せないということ。
 もうひとつは、心配していた通り「この診断書は『血液疾患(ホジキン)』についての書類であり、現在の障害は肢体不自由なので、『肢体不自由』用の診断書を出さないと現在の状態を説明できない」ということ。

 じゃあこの診断書はいらないのかと聞いたら「両方必要」だという。

 えーーーー、だから窓口でそう聞いたのにーーーー!!!

 結局、年金事務所に電話して書類を追加郵送してもらうことにした。

 また、その場でL病院のソーシャルワーカーに電話を入れ、「20年以上前の初診証明をとりたいんだけどどこへ頼めばいいのか」と聞いてもらったところ、これまた予想通りの答えが返ってきた。
 聖路加には文書を一括して取り扱う「文書係」というセクションがあり、すべての文書依頼はそこで受け付けてくれる。その後、文書係のほうでしかるべき科の医師にまわしてくれるのだが、連携最低のL病院は、各科の事務が受け付けるシステムになっているため、どの科に持っていけばいいのかがわからないと受付場所が決まらないのだという。
 初診は第二外科(診断がつかなかった段階まで広げれば膠原病内科)だったが、すでに20年以上たっているので、科は何度も統廃合され、当時の姿は残っていない。
 もはや、当時の科が今の何科かというよりも、個人的に頼みやすい先生に直接頼んだほうが早いような感じだ。

 放射線科と内科にはもう絶対近づきたくない。
 となると外科だけど、当時の担当医で今も残ってる先生って……あ、一人だけいた!
 当時、研修医だった北原先生(仮名)が乳腺科にいる。
 今は他の病院に移ったと聞いているが、たしかまだ週1回は外来に出ているはずだ。
 そうだ。北原先生なら頼めるかもしれない。

 さっそくメールをしてみたところ、「書くのはかまわないけれど、所属が乳腺科でもいいのか。また、今はL病院では非常勤の立場になるんだけどそれでも大丈夫か」とまたややこしいことをきいてきた。

 私に聞かれても〜〜〜!!
 
 SSDに電話して聞いたら「それはわからないですねー。年金事務所に直接きいてみてください」と言われ、年金事務所に聞いたらもっと話が通じず「それは審査する機関がどう判断するかなのでこちらではわからないです。先生が書いてくれるって言ってるんでしょ?先生なんでしょ?ならいいんじゃないですか?もし通らなかったら『こういう理由で初診証明ができませんでした』っていう申立書が必要になりますけど…。まあそういうケースもあるんですよ。廃院になっちゃっててもうないとか。でもあるんでしょ?病院」…と聞けば聞くほどめんどうなことになっていくので「もういい!」と諦め、北原先生に頼むことにした。

 時間を約束して外来に行ったら、こちらが持っていったカルテコピーを元にその場で文書を作成してくれたので、思っていたよりはすんなりと書類を手に入れることができた。
 しかし…やっぱないんだな、昔のカルテ。
 マイクロフィルムには収められているらしいが、収められてるだけで、そう簡単に出してはくれないようだ。それって事実上「ない」ってことと同じじゃん。
 マイクロフィルム化できない資料については群馬の山奥の倉庫に保管されているらしい。
 ますますもって「出す気なし」って感じ。

 とにかく、これで初診証明はとれた。
 次は一条先生に書いてもらう書類2通だが、「血液疾患用」はともかく、「肢体不自由用」は計測(腕や指の可動範囲を細かく測る)項目がいっぱいあるので、整形外科にまわすか、リハビリ室の療法士にオーダーを出してもらうかしなくてはならない。
 この計測っていうのがまた時間かかるんでどこに頼んでもいやがられるんだよなー。
 
 なんかここまでハードルが多いと、いかにして諦めさせるかを狙ってるように思えてくる。
 毎日の日常をこなすだけでもギリギリなのに、なぜ肉体的にも精神的にも金銭的にも次々に負荷をかけてくるのだろうか。

 8)の居宅介護要請についてはまた次回。

拍手[2回]

 結婚式に出席してから3日後、聖路加に行った。
 腫瘍内科(主治医)→リハビリ(診断書作成のための計測)→眼科(定期検診・眼底検査)→文書係(診断書2通依頼)→ソーシャルワーカーに自立支援の事業所探しについて相談……とかなりハードなスケジュールだった。

 しかし、メンタルはまだ回復せず、往きの電車の中からすでにボロ泣き。
 これはいかんと途中でティッシュを買いたしたが、病院に着いて順番待ってるときも涙ボロボロ鼻水ダーーッ。
 鞄の中にどんどんたまっていく使用済みティッシュ。
 一条先生(仮名)に呼ばれてからもまたさらに大泣き。
 どんだけ泣いてるんだ>私。

 当然、先生は「どうしたのか」「何があったのか」と聞いてくるが、そんな問いに一言で答えられるくらいならこんなに泣いてない。
 今まで何十年もずーーーーっと病院に通い続けてきたが、診察室で泣いたのはこれが初めてかもしれない(母が亡くなった直後は誰の前でも泣いていたが、それはべつとして)。

 なんて答えたらいいのかなかなか思いつかなかったが、最初に出た言葉は
 「なんで治療なんてしたの?」
 「治療なんてしないで放っておいてくれればよかったのに」
 だった。

 もちろん、治療したのは一条先生ではない。
 それどころか、一条先生は無治療を支持してくれた希少な先生だ。
 こんな後遺症を残すほどの治療をしてくれた医者はべつにいて、その人たちは今でもそのことを絶対に認めようとしないし、責任逃れや隠蔽工作をすることしか考えていない。

 私の問いに対し、一条先生は前と同じことを言った。
 「過去のことを言ってもどうにもならないからね」

 じゃあ何を言えばいいというのか?
 現在の状態を誰もどうにもしてくれなくて、未来も考えられなかったら、原因のある過去へ感情が向かうのは当然じゃないのか?
 まわりの人に「理解できない」と言われ、目の前の医者に「どうしたらいいんだろうね」と頭を抱えられ、過去にもぶつけられないというのなら、この重苦しい気持ちはいったいどこへぶつければいいのか?
 国?……厚生省?……神様?

 そうやっていつも同じところで堂々巡りになる。
 ぐるぐるまわって、まわって、結局最後は自分のところに戻ってくる。
 一条先生はかなり困って考え込んでいたが、一応私の大泣きが収まるまで待っていてくれた。
 けっこうな時間、泣き続けていたが、ようやく沈静化してきたところでふと我に返った。
 
「そういえば、がん転移ってどうなってましたっけ?」
 
 この前のCTで、頸部に転移を疑われる所見があったため、1週間前に頸部エコー検査を入れてもらったんだった。
 今日はその結果を聞きにきたんだよ。そうだよ。

 私の言葉で一条先生も我に返り、あわててデータをチェックする。
 結果は、「たしかに右鎖骨上部、両顎下に5ミリ程度のリンパ節が見られるが、過去に治療をおこなった部分でもあり、その影響でリンパ節が変形しているのかも。この程度の大きさならば経過観察で充分対応可能。生検までは必要ないのでは?また、甲状腺の左側にも腫瘤が認められるが、良性だと思われる」といった内容だった。

 これでとりあえず、頸部のほうも「シロ」寄りになった。
 血液検査の結果も変わりなし。
 腫瘍マーカーもじわじわ下がっているものもあり、上がっているものもありで、これだけではなんともいえない感じ。

 「まあ、がんのほうはたいしたことないから気にしないでいいよ。とにかく支援が受けられることを最重要課題でやっていこう」という一条先生。
 たいしたことないって……言い切られちゃうと…(^_^;)
 でもたしかに今は支援を受けられるかどうかが一番死活問題。

 まず第一に、リハビリを継続的に受けられるようにすること。
 今の制度では、リハビリを受ける人をなるべく減らそうという方向に向かっているので、ボヤボヤしているとあっという間に打ち切られてしまう。
 今までは昨年の骨折のためのリハビリの延長という形で受けられていたが、骨折じたいはもう治ってしまったので、このまま受け続けるのも苦しくなってきた。

 「動かしていればそのうちに回復する」という機能障害ならば、ある程度動くようになったところで自主トレに切り替えろというのはわかる。
 でも私は脳血管性の麻痺とは違うので、いくらリハビリをしても動くようにはならないし、自分で訓練することもできない。
 そういう意味ではリハビリは「意味なし」なのだが、ただ自分では動かせなくても、人に動かしてもらうことで関節がかたまらないようにすることはできるし、今残っている神経を訓練することもできる(進行を遅らせることはできないけど)。

 だから、リハビリは続けたほうがいいのだが、これ以上続けるにはドクターのあらたな依頼書が必要になる。
 整形外科は「骨折までしか診ない」という態度だったのでもう頼めそうにない。
 頼めるとしたら一条先生しかいないが、整形外科以外の科から依頼書を出す場合は、毎回リハビリを受ける前にその科を受診しなければならないというルールがあるらしい。
 今は週1でリハビリに通っているので、そうなると今後は腫瘍内科の予約も毎週入れなくてはならない。

 なんかこのルールっていうのがどこに行っても立ちふさがっていて、手続きを進めようとするたびに障害になる。
 今、どういう手続きをおこなっているのかについてはまた次回まとめて書くことにする。

 ちなみに、この日は泣いた分診察時間が長引き、お昼を食べそこなった。
 自業自得だけど、あとでお腹が空きすぎてめまいがしてきたので、眼科で瞳孔開く目薬が効くのを待ってるあいだに食べに行った。

 悲しくても、へこたれてても、おなかは空くんだな。

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お読みになる前に…
このブログは必ずしも時系列に並んでいるわけではありません。
あるときは現在の話だったり、あるときは過去の話だったりします。
なにぶん、20年以上にもおよぶ病歴なので、「手術」といってもいつの手術の話なのか、「がん」といってもどのがんのことなのか、いろいろ出てきて混乱するかもしれませんが、すべてはつながっています。
わかりにくくて申し訳ありませんが、記事文末にあるカテゴリを参照しながら時系列をご判断ください。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、東京都内の某大学病院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後「乳がん」を告知される。
無治療を選び、現在にいたる。
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