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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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お見舞いにいただいた植物の中でボランティアさんの間でダントツ一番人気がこれ。
触ると癒されるというんですが、「触ったらストレス与えそうでかわいそうで触れない」という人も。


 なんとかこうして近況を報告してきましたが、最近は右手のほうも重くて書くのがしんどくなっています。
 そこで、これからはサイボウズの「小春プロジェクト」でお世話になっている友人に時々代わりに書いてもらうことにしました。
 今日はこの方です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 私、小春さんとは竹馬の友と申しましょうか、古くから存じ上げてはおりましたが、ちょうど苦しい闘病のさなかにあたる時期にはおつきあいがありませんでした。
 私自身も病気を患ったこともあって、同じ闘病者仲間として親交を深めるようになりました。

 そして今日、これから時々お見舞いに伺う際に、代筆をすることになりました。
 そうこう書くうちにも、ベッドに起き上がった隣の小春さんからいろいろ注文が…。
 書く気力は充分なのに、手が動かないもどかしさが伝わってきます。
 代筆を頼まれて頭を抱える私の姿を見て、その姿だけでもう書きたネタがいっぱいだと言っています。
 まあ今日はまずテストケースということで。

 今朝は、ボランティアのおばちゃんに半ば強引に紅茶を勧められ(しかも1杯で捨てたらもったいないと2杯いれられたそうです)、それを飲んだら激しく気分が悪くなり、その後レントゲン室に運ばれる羽目になったとか。
 いったい彼女に何が起こったのか?
 医師が慎重に読影した結果、出された診断は「便秘」でした。

 入院したことのある人なら一度は通る「便秘」の道。
 あら恥ずかしい、便秘のお話なんて。
 と思っている方は、まだこのブログの真の読者とはいえません。
 「小春道」を極めること。それは「便秘を極める」と言っても過言ではありません。

 話を体調に戻しますが、ベッドの上に起き上がることは問題なくとも、やはり体を動かすことは辛いようです。
 ちょっとベッドから降りただけで、息切れと咳に見舞われ、結局、頓服の咳止めをお願いすることに。
 小春さんによると、だいたい午後に頓服を飲むことが多いようです。
それでも一時期に比べて、かなり咳は治まり、ひどく体力を失うこともなくなったようです。

 薬と上手につきあうのもなかなか難しく、我慢しすぎるのも良くありませんが、副作用が気になるのも当然です。
 小春さんは、急に襲ってくる眠気の副作用がいやだと言っています。
 たしかに、薬による眠気は普通の眠気とは違って急に来るのでほんとにつらいです。

 食欲がないのも、周りのものとしては心配です。
 口触りの良いゼリーなどは口にしているようですが、今日は私と一緒にサンドイッチとおにぎりをもちょっと口にしました。

 さて、次はどなたが代筆してくれるでしょうか?
 楽しみにしていてくださいね。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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