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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 自慢じゃないが、30代から乳がん検診は欠かさなかった。
 40すぎてからは、半年に1回、エコー(超音波)とマンモグラフィーを交互に受けている。
 乳がんはがんの中でも比較的成長が遅く、1センチ育つのに10年かかるという豆知識もあったので、半年に1回チェックしてれば見逃すことはないだろうと思っていた。

 最初に異常に気づいたのは今年の2月16日の朝のこと。
 ちょうど前日に大きなイベントを終えて安堵して眠りについたあと、左の乳房に痛みを感じた。
 眠りながらもずっと「痛いな」という感覚は消えなかったが、目が覚めてしまうほどではなく、朝起きたときにあらためて状態を確かめようと触ってみて仰天した。
 前日まではなにもなかったはずなのに、一晩にして(まさに一晩にしてとしか言いようがない)岩石の塊が乳房の中に入り込んだかのような異物が手に触れたのだ(位置は上部内側)。
 
 「ま、まさかこれって…」
 冷水を浴びせられたような気分であわててネットを検索したが、調べるうちにだんだんクールダウンしてきた。
 「乳がんじゃないな」
 第一に、「がんは無痛」だということ。
 もちろん、例外もあるだろうが、一般的に乳がんは「痛み」を伴わない。
 こんなに痛いのだからなにか他の乳腺の病気だろう。
 第二に、半年に一度検診をしているのに、こんなに大きなしこりが一夜城のように突然出現するはずがない。
 検診をしているがゆえの自信が私にはあった。

 もちろん、そうはいっても放置しておくつもりはなかった。
 まずは、いつも乳がん検診を受けている病院に電話をして「こういう状態なので受診したい」と言ったのだが、「予約が取れるのは2週間後」と言われた。
 いくらなんでもそれは遅すぎる。
 しかたなく、今度はL病院の乳腺科に電話をかけて「受診したい」旨を伝えたところ、「初診になるので、まずいつもかかっている科で紹介状をもらえ」と言われる。
 紹介状って……いや、そりゃあたしかに乳腺科にかかるのは初めてだけど、L病院にはもう20年以上かかっていて、十指に余るほどの数の科を受診しているのだ。
 今さら「一見」呼ばわりかよ。と少々むっとした。
 内部のことなんだから、紹介状なんてあとでもらえばいいじゃんと思ったが、そういうところは大病院は融通がきかないので、言われた通り、いつもメインでかかっている放射線科に電話して事情を説明した。

 放射線科の担当医、秋吉先生(仮名)は、私より少し年上の女性のドクターで、L病院でただ一人、過去の放射線治療が過剰であること、現在出ている後遺症との因果関係について話してくれた先生だ。
 結果的には秋吉先生の発言がきっかけで訴訟にまで発展してしまったため、多分院内では相当気まずい立場におかれてしまったのではないかと推察する。
 それでも最初のうちは「私には医師としての良心がありますから」とまるで「白い巨塔」の里見医師のような勢いできっぱりと言い切っていた秋吉先生だが、さすがに訴訟が進むにつれてだんだん勢いがなくなってきた。
 そのうちに「あれ?このあいだ言ってたことと矛盾してない?」という発言も散見されるようになってきたが、それはまあしかたがないかなとは思う。
 組織の中で働いている以上、これが精一杯だということはよくわかるから。
 里見医師なんて物語の中にしか存在しない。
 過剰照射の事実を教えてくれたことだけで、私はありがたいと思っている。

 それはともかく、翌日(17日)、私は秋吉先生の外来を受診した。
 秋吉先生は放射線の中でも乳腺が専門だったのはラッキーだった。
 先生は手回しよく、すぐに血液検査とマンモグラフィーの検査が受けられるようにしておいてくれた。
 その場で画像を確認したところ、案の定、今まで見たことがないような巨大な塊が白ヌキで写っていた。
 ただ、これだけでは「良性」とも「悪性」とも言えない。血液検査の結果にも決定的な異常はみつからなかった。
 「悪性にしては、痛みがあることや、急に大きくなるという部分に疑問を感じる」という点については秋吉先生も同意見だったが、とにかくエコーをやったほうがいいということで乳腺科に予約を入れてもらい、炎症を抑えるために抗生剤をもらった。
 1日たったら皮膚の表面も発赤して熱をもってきて、見るからに炎症を起こしている感じだ。

 ところが、その後抗生剤を飲むうちに乳房の痛みはひいてきて、しこりもどんどん柔らかくなってきてしまった。
 「小さくなったってことはやっぱりシロだったんだ」
 安心したとたん、今度は大風邪をひいた。
 疲れもたまっていたし、風邪くらいはひいてもしかたないと思ったが、これが予想以上にこじれて喘息と気管支炎まで併発し、1週間入院する羽目になった。

 乳腺科を初めて受診したのはその入院中のことで(3月3日)、3日後にエコーの予約が入るというのでそれを受けてから退院することにした。
 その結果を聞きにいったのが3月16日のこと。
 私自身はほぼ「良性」だと思っていたので、気楽な気分で出かけたのだが、「やはりこれだけだと判定できないので、細胞診を受けてほしい」と言われる。
 細胞診とは、細い針を刺して細胞を吸い取り、悪性細胞がないかどうかを判定する検査だ。
 これでほぼ悪性か良性かが確定できるという。
 まあ細胞くらいなら、じゃあ…ってことで、とられて帰った。

 その結果を聞きに、3月31日にまた乳腺科を訪ねた。
 結果は「良性」だった。
 「ほーら、やっぱりね」と内心の私の声。
 大丈夫だとは思っていたけれど、はっきりするまではやっぱり気分が悪い。
 これで憂いは晴れた!と思った。
 にもかかわらず、先生は「大丈夫だと思うけど、急にできたというのがひっかかる。気になるので3ヶ月後にもう一度エコー検査を受けてほしい。それで大きさが変わらなかったら心配ないと思う」と言うではないか。
 けっこうしつこいなぁ…とややウンザリしつつも、「まあいつもの検診だと思って行けばいいか」と自分に言い聞かせ、3ヶ月後の7月6日、今度こそ疑惑に終止符を打つつもりで私は乳腺科を訪ねた。

 が、それは終止符ではなく「始まり」となった。
 エコー検査後、ドクターから2枚のエコー画像を見せられ(1枚は3ヶ月前に撮ったもの)、「3ヶ月前に比べ、しこりの輪郭の形が変化しています。これはちょっと見過ごせません。今すぐ組織をとってください」と言われたのだ。
 たしかに3ヶ月前のしこりはまんまるだが、今日のしこりは輪郭がうねうねしている。
 「今すぐ…ですか?」
 「今すぐです」
 今までの「うーん、大丈夫だとは思うんですけどね〜」というはっきりしない口調とは違い、今日はやけにきっぱりとした有無を言わせない口調だった。

 そこまで言われたら受けないわけにはいかない。
 しかたなく、私はなんの心の準備もないまま別室で組織生検を受けた。
 組織生検は、細胞よりもさらに大きなかたまりをとりだすので、かなり太い針を使う。
 もちろん、局所麻酔を行うので針を刺すこと自体は痛くないのだが、角度を変えて3〜4カ所の組織を採取しなければならず、中でグリグリ動かされるのはけっこう痛かった。おまけに採取の瞬間、大きなホチキスをとめるようなガッチャンという音がするのがちょっとこわい。
 止血のため、翌朝まで患部を圧迫しなくてはならなかったが、皮膚の柔らかい部分にガムテのようなごっつい絆創膏をべったり貼付けられたので、はがしたあとがかゆいのなんのって。これが一番つらかったかも。

 組織生検の結果が出るのは3週間後と言われた。
 しかし、実際はもっとずっと早く耳に届いた。
 検査をして4日後の7月10日、秋吉先生から自宅に電話がかかってきたのだ。
 結果は「悪性」だった。

 組織までとられたのだから、ある程度の覚悟はしていた。
 それでもしばらくは現実感がなく、妙に落ち着いている自分が気味悪かった。
 とにかく、まずは担当医(執刀医)を決めなければ…。
 じつは母も4年半前にL病院の乳腺科で乳がんの治療を受けているため、乳腺科の先生はけっこう知っている。
 家族と相談し、南田先生(仮名)という40歳すぎくらいのドクターにお願いすることに決めた。
 南田先生は、母の手術のときも執刀チームに入っていたが、いい意味でニュートラル(感情的でない)というか、非常に明快な説明をしてくれる先生だ。
 私は背負っている事情が複雑なだけに、話をよく聞いてくれるという条件はとても重要だった。

 南田先生の診察は7月17日に決まった。
 母の乳がんを見ているので、乳がんに対する知識はある程度あった。
 あっただけに、具体的な不安がいくつも浮かんできた。
 どれも、これが最初のがんだったら悩まなくてもいい不安だ…。
 口に出すのがこわくて、でも多分、家族はみんな同じことを考えていたと思う。
 その不安は「怒り」と表裏一体だった。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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