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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 こんな小咄があった。
 老人のおしゃべりサロンと化した病院の待合室での会話…。
 「あら、××さん、今日はいらしてないのね。どこか体の具合でも悪いのかしら」

 ここ、笑うとこなんですが、今の私には笑えません。
 今、ほんとに、ほんとに、ほんとに通院がしんどい。
 病院は選ばれた元気な人が行くところだと思う。マジで。

 現在、聖路加にはリハビリで週一回通っている。
 その他に精神科が月一回。
 呼吸器内科はL病院に2ヶ月に一回、リンパマッサージは大森に月一回通っていたが、まずはこれがしんどくなってきて、両方とも聖路加でまとめられることがわかったので乗り換えた。
 いったん「つらい」ということに気づいたら、坂道をころげおちるようにすべてがつらく感じられるようになってきた。

 これ以外に鍼に週2回通っているが、今のところ車で行っているのでそっちはまあなんとかなる(今の私にとってのメインはこっちだし)。
 問題は電車に乗って通う病院のほうだ。

 身支度して家を出て電車に乗って診察券を出して…という一連の行動がどれも難儀だということもあるが、最近は左半身の重さの影響で左腰が慢性的に痛くて座って待っているのがとにかくつらい。
 聖路加は、前通っていたL病院の気違いじみた混雑ぶりに比べたらずっと待たされる時間は短いが、それでも今の私には耐えられなくなっている。
 もうこの25年間で一生分の待ちエネルギーを使い果たして枯渇状態といった感じだ。

 聖路加通院の主目的はリハビリを受けることだけど、前にも書いたようにそのためにはリハビリ前に必ず医師の診察を受けなければならないというくだらない決まりがある。
 正直、今一番負担になっているのがそれなのだ。

 診察といっても形式的なもので、内容は何もない。先生自身も「こんな診察意味ないのに」と内心は思っているはずだ。
 にもかかわらず、毎度毎度延々と待たされ、「当分呼ばれないので先に別の科に行ってきてください」と出直させられたりする。
 すぐに呼ばれることはまずありえないので、かんじんのリハビリの時間に大幅に遅れることもしばしばだった。
 なんて本末転倒なシステム。

 あまりにも毎回遅刻して療法士さんに悪いので、最近は(ほんとはいけないんだけど)リハビリ後の診察にしてもらっているのだが、それはそれでせっかくマッサージしてもらったのに待ってるうちにまたまた腰が痛くなり、化学療法室の空きシートに横にならせてもらうなんてことも増えてきた。
 これまた本末転倒きわまりない。

 リハビリに通うのが限定された期間ならばまだ出口が見えるので頑張れるが、私のリハビリに終わりはない。
 よくなることもない。
 ただただ体力とエネルギーだけが理不尽に奪われていく。
 心が折れそうだった。

 ストレスに耐えられず、待ってるうちに不安に襲われて過呼吸になり、ペーパーバッグを口にあててスーハーすることも何度かあった。
 なんで病院に来るたびに私は心身を痛めつけてるんだろう。
 なんで病院に来なくてはいけないんだろう。
 頭の中ではいつもその疑問が渦巻いていた。

 私はただリハビリが受けたいだけ。
 動かなくて固まってしまった筋肉をマッサージしてもらい、一時的でも楽になりたいだけ。
 必要な薬を待たないでもらいたいだけ。
 私の病歴すべてを把握している主治医に必要なとき必要な書類を書いてもらいたいだけ。
 それなのになぜ私はこんなところでスーハーしてなきゃならないんだろう。

 そもそも診察なんてこんなに大勢の人がわざわざ足を運ぶ必要があるのか?
 今具合が悪くて苦痛をとりのぞく処置が必要な人、病名の診断が必要な人、検査や治療を受ける人……それは来なきゃならないのはわかる。
 でも病状に変化がない人、単に状態の報告にくるだけの人はわざわざ来なくてもいいじゃないか。
 スカイプでいいよ。スカイプで。
 どうせ今の医師はデータしか見ないんだし、触診することも滅多にない。
 今具合が悪いわけじゃないのなら遠隔診断でいいじゃん。

 スカイプなら他科の医師や薬剤師もまじえてのトークもできる。
 患者も家(あるいは職場)にいながら受診ができるから待ってる間に用を済ませるなり、横になって休むなりが可能になる。
 それなら少々待たされても負担にはならない。
 本当に直接診察が必要な患者だけが病院に行けばいいし、それならばこんなに病院が混むこともなくなるだろう。
 定期的な処方箋出すのなんてそれで充分だ。
 処方箋は添付ファイルでメールかFAX。
 これなら病院に行かないで済む人がどれだけ多くなるか。

 …とそこで考えた。
 こういうシステムを提案したからといって今すぐ実現することは絶対にないだろうが、それに近いシステムを自分用にカスタマイズすることはできるのではないか。
 たとえば……訪問リハビリ!
 そう。訪問リハビリは適用にならないだろうか。
 リハビリさえしてもらえればいいんだから、通院がつらいなら訪問に切り替えればいい。
 訪問ならリハビリ前診察も必要なくなり、ひとまずはこの苦痛から解放される。

 さっそく聞いてみた。
 が、医師はもちろんのこと、療法士、ソーシャルワーカー、ヘルパー…とどこに聞いてもスッキリとした答えが返ってこない。

医師「えー、介護保険ならすぐに通ると思うけど…。障害は…どうなんだろう。末期がんならすぐに通るけどね」
療法士「できると思うけど…でも通院と訪問を併用はできないんじゃなかったっけ」
ソーシャルワーカー「介護保険のケースしか扱ったことが…。障害でっていうのはきいたことないですね」
ヘルパー「介護保険なら…」

 ああ〜!!またこれだよ!!

 いつも立ちふさがるこの壁。
 「介護保険ならすぐに使えるけど障害は…」
 こういうとき、一番たよりになるはずなのがケアマネージャーのはずなのだが、これまた「介護保険ならもれなくつくんですけど障害は…」ということでノーケアマネ状態ですべて自分で調べなくてはならない。
 でも調べれば調べるほど情報が錯綜し、どれが正確な情報なのかわからなくなる。

 そうこうしているうちに年に一度の介護支援認定の更新時期がきて、福祉事務所の職員がやってきた。
 「なにかお困りのことはありませんか?」

 大ありだよ!ヽ(`Д´)ノ

 ていうか、困ってないことのほうが少ないくらいだよ。
 私は綿々と窮状を職員に訴えたが、得られた助けは「通院日の着替えの介助に30分の支援をつけましょう」というものだけ。
 いや、それもありがたいけどさー、とりあえずケアマネつけてよ、ケアマネ。
 もう会う人ごとに一から説明しなきゃいけないこの苦役から私を解放してください。

 そしたら「この春から障害の人にもケアマネをつけていこうという取り組みが始まっていて、この3年ですべての対象者にケアマネをつけることを目標としている」というので、「その話は私もきいたが、いつになったらまわってくるのか、どういう基準でその順番が選ばれてるのかわからないんでどうしようもない」といったら、なんかくどくどと説明していたが、具体的なことはいっこうにわからなくて結局そこで更新時の面談は終了。

 ところがです。
 その後、たまたま事業所代表の雪村さん(仮名)と話したら、「それは順番を待つのではなく、利用者が希望した時点で契約に進むんですよ。福祉事務所からそう聞きませんでしたか?」と言われて仰天。
 雪村さんと福祉事務所の間では「小春さんは自分で情報収集できるみたいだし、自立できてるということで相談支援は必要ないでしょう」という認識になっているときいてさらに仰天。

 なに勝手に決めてんだよ!
 能力の問題じゃないんだよ。制度もろくに整備されてないのにどうやって収集しろと?
 それに外出するのも文字書くのもままならないのになんで自立できてるっていう判断になっちゃうわけ?
 私がほしいのは、物理的に動けない私の代わりに事務手続きを迅速にこなしてくれる人。そして集めた断片情報をオーガナイズしてくれるプロだ。
 どうしてわかってくれないの?

 というわけで、またまた最初から窮状をくどくどと訴えたら、「そういうことですか。よくわかりました。たしかにそれは大変ですね。もしよければ私が相談支援をひきうけましょうか」とようやく話が通じた。
 うわーーん。よかった。これで投げたロープをようやくつかんでくれる人が現れたよ〜。・゚・(ノд`)・゚・

 相談支援の契約をするには福祉事務所を通さなければならないので連絡を待ってくれと言われ、それからしばらく連絡を待った。
 が、次に福祉事務所からきた連絡の内容は耳を疑うものだった。

 「相談支援を受けるには更新の時期のタイミングで契約しなくてはならないんです」

 は????

 「なので、今回はもう更新したばかりということで相談支援の契約はできません」

 は………いやいやいや。私、更新の面談時にさんざん訴えたよね。相談支援受けたいって言ったよね。今契約できるなんて一言もいってなかったよね。そんな大事なこと、なんで最初にいわないの?契約させたくないの?そうでしょ。そうだよね?なるべくサービスとか提供したくないんだよね。いやもうそうとしか思えないし。

 「上司に相談してみたんですがやっぱりだめだそうです」

 いやーーーーーーーーー!!!!!
 なにそれ。ありえない。ありえない。ありえない。


 本当は罵倒したかったけど、福祉事務所を敵にまわすわけにはいかないのでぐっとこらえ、つとめて冷静に応対した。
 彼女もさすがにちょっと気まずいと思ったのか「私にできることがあれば相談支援のお手伝いはします」と言ってきた。
 「あんたにできることってなんだよーーーー( *`ω´) !!!」と喉まで出かかったがやっぱりこらえた。
 こうなったらやってもらおうじゃないか。とことんやってもらうぜ。
 私は鬼コーチの気分になった。

 それからまもなく、聖路加のソーシャルワーカーから一条の光明となる知らせが届いた。

 「小春さん。大丈夫です。訪問リハビリ受けられるみたいですよ。日が重ならなければ通院と訪問の併用もできるそうです」

 それは意識が遠のく遭難者の耳に届いた救助犬の吠え声のようだった。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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