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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 西洋医学と東洋医学の併用はできない──。
 初めて行った鍼灸院で思わぬ厳しい選択を迫られ、愕然として帰路についた私だが、「今すぐ選ぶのは無理でも、身体に変化が現れれば自然に納得できるはず」という七瀬さん(仮名)の言葉を思い出し、とにかく鍼灸治療の効果を待つことにした。
 ……が、その変化は予想以上に早くやってきた。

 現在抱えている苦痛のひとつに「冷えのぼせ」がある。
 放射線照射のせいで首から鎖骨にかけて鉄板のようにガチガチになっているため、首から上と首から下の温度感覚にすさまじく差があるのだ。
 特に低気圧と湿度は凶器だ。
 頭の芯がじわ〜っと熱くなり、涼しい場所でじっとしていてもタラタラとひっきりなしに顔に汗をかく。
 じっとしていてもそうなのだから、動こうものならもう目を開けていられないほど滝のように汗が吹き出てくる。
 それでいて足先と、むくんでいる腕は氷のように冷たい。
 ただ表面が冷たいだけでなく、芯から冷たいので、エアコンがつらくてたまらない。それでいて表面は常に汗で湿っている。
 一方、足先は、昼間は冷えるのに、寝ているときは脚の裏だけがものすごく熱くなる。

 最初は「更年期障害」じゃないかと思ったが、私は治療でずっと女性ホルモンを補充しているので、「薬を飲んでいる限り更年期障害は起きない」と婦人科の先生に言われた(もちろん、乳がんがわかってからは薬はやめている)。
 とすると、やはり首まわりに原因があるとしか思えない。

 それまで、毎日漢方を煎じて「むくみ」や「冷えのぼせ」に対処してきたが、良くなったように思えたのは最初だけで、その後は悪化する勢いのほうが勝っているという感じだった。
 西洋医学でも「のぼせ」に関してはまったく打つ手がないということで、これはもう治ることはないんじゃないかと諦めていた。

 ところがである。
 その頑強な「のぼせ」がその日のうちに、正確に言うと帰り道ですでに軽くなっていることに気づいたのである。
 汗はかいているが、いつものような不自然な汗ではない。
 それに顔が沸騰するような感覚もなくなって、頭の中の熱もとれてきた気がする。
 帰ったら家族にも「なんか顔がスッキリしてる」と言われたので気のせいではないようだ。
 あまりの即効性に信じがたい気持ちを抑えられなかったが、実際「のぼせた状態」が日常になっていた私にとって、「普通の状態ってこんなに楽なんだ」とびっくりするほどその変化ははっきりしていた。

 次に出た変化は「疲労感」だった。
 夕食後になって、急に「スポーツをしたあと」みたいな疲労感が体中に広がってきて、「おお、鍼の反応キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!」と実感。
 鍼を打った当日は、歪みの調整のために気が動きだすので、「疲労感」や「だるさ」などの症状が一時的に出る。
 それまでも鍼は週1でずっと打っていたが、ここまではっきりと反応が出たのは初めてだった。
 鍼を打った日は「入浴禁止」なので(入浴や飲酒や徹夜や激しい運動は鍼の効果を帳消しにするとのこと)、その日は早々に床についた。

 寝ている間は疲れが身体の中心から深層水みたいにじわじわしみだしてくる感じだったが、いつもより熟睡することができた。
 目が覚めたときは身体のあちこちが痛くて、「起きられるかなー」と一瞬心配になったが、起きてみたら問題なく動くことができた。

 さらにその日は「冷え」も軽減していることに気づいた。
 足先の冷えは相変わらずなのだが、腕の「冷え」が明らかに楽になっていて冷房がつらくない。腕の表面もさらさらしている。
 それに胃腸の動きもよくなった気がする。
 自分にしかわからない変化だが、長年苦しんでいた症状が1日で消えるという事実には、なによりも説得力があった。

 その翌日、37.2度の微熱が出た。
 免疫機能が働きだすと熱が出ると聞いたことがあるのでそのせいかもしれない。
 ……と思っていたらさらに劇的な変化が!

 なんと、まったく握れなかった左手の指がわずかだが曲がるようになったのである。

 じつは治療が終わったあと、四ッ谷先生(仮名)に「左手の麻痺は治らないですよね」と聞いたところ、「あのね、私は今日乳がんの治療をしたわけじゃないんですよ」と言われ、その言葉の意味が気になっていたのだ。
 乳がんの治療じゃない?
 局所じゃなく、体全体がよくなる治療をしたってこと?
 でも、でも、いくらなんでも神経じたいが損傷している麻痺は治らないだろう。
 整形外科でも「脳からくる神経麻痺じゃないからリハビリしても回復しないよ」と言われていたので、 麻痺に関しても、のぼせ同様治らないと私はほぼ諦めていた。

 その麻痺がわずか1回の鍼治療で回復の兆しをみせたのだ。
 この12年間、悪くなる一方で、良くなることは決してなかった左手に力が入る感触を久しぶりに感じ、私は心底驚愕した。
 正直、「これが治るなら乳がんなんて楽勝で治るんじゃね?」とすら思った。
 そのくらい驚いた。

 あんまり見たくないと思うが、これがその写真だ。


 「え?これだけ??」と思われるかもしれないが、前日までは人差し指はつっぱったまままったく曲がらず、中指もほとんどそれに近い状態だった。
 手の甲にもひらにも指の根元にも浮腫が顕著なので、その上麻痺があると手を握るのはほとんど不可能だ。
 手を握れないと数えきれないほどの日常動作が制限される。
 たとえこれっぽっちであっても、指がわずかでも曲がればそれだけでいろいろな不自由が解消する。
 これはすごいことだ。
 私は嬉しくて何回も何回も握れるところまで手を握る動作を繰り返した。
 家族にも何度も「見て見て。すごいよ、これ」と見せびらかし、写真も何枚も撮った。

 指が動きやすくなれば、むくみのほうも少しは解消してくるかもしれない。
 むくんで動きにくいから麻痺も進む。麻痺して動かせないからむくみもひどくなる。
 この2つの症状は相関関係にある。

 ちなみに今のむくみの状況はこんな感じだ。

 


 ものすごく重い……。
 腕が上がらないのでリンパ液も末端にたまりまくりだ。

 とにかく、鍼治療の威力は一回だけでも充分感じられた。
 今後の変化が楽しみになってきた。

 さて、話を戻すと、鍼灸院に行った翌日、南田先生(仮名)の外来に行ってきた。
 前日に行ったCT検査の結果をきくためだ。
 CTを見る限り、リンパや肺など他の臓器への遠隔転移はないとのことだった。
 正確には、切って中を調べないとわからないが(つまり100%ないとは言えない)、まあ今の時点では心配ないとのことなので、とりあえず安心した。

 念のため、CTに写っていた腫瘍の大きさを測ってもらったところ「19mm」と言われた。
 19mm……エコーとマンモでは27mmって言われたけど。
 随分差があるんだなと思って聞いたところ、「画像上で大きさが変わることは珍しくない」のだそうだ。
 特に発展途上(?)のがん細胞は成長するのに多くの栄養を必要とし、栄養が足りないと中心が壊死してグチャグチャになり、やがてその水分が吸収されて「実」の部分だけにキュッと凝縮されるので、小さくなったように見えることがあるという。
 南田先生によると、最初の細胞診で「良性」と出たのも、その壊死部分を吸い上げてしまったためではないかという。
 それにしても、大きさの診断がそんなに曖昧なのだとしたら、病期の判断もいい加減なものだな……。
 栄養云々の話をしたら、友人が「絶食よ!今日から絶食して兵糧攻めにするのよ!」と騒いでいたが、それはちょっと違う気がする。。。

 南田先生は、さらに2件分の紹介状と病理標本、それにCTのフィルムも貸し出してくれて、「納得いくまでいろいろな病院で話を聞いてきてください」と気持ちよく送り出してくれた。
 ありがとう、南田先生!

 ところで、前回、放射線科の診察時に、秋吉先生(仮名)が「この日は私も乳腺科で診察をしているので、次回の南田先生の診察後に予約を入れておきます」と言われたのだが、私はもう二度と秋吉先生には会いたくないという気持ちだったので、キャンセルすることにした。
 乳腺科の受付で「秋吉先生の診察をキャンセルしたい」と言ったところ、「予約のキャンセルは放射線科に申し出てくれ」という。
 しかたがないので、私が会計を待っている間に、母に放射線科までキャンセルしに行ってもらうことにする(会ってしまうといやなので)。
 以下、母からきいた体験談。

 放射線科の受付に行って「秋吉先生の診察をキャンセルしたい」と言ったところ、「じゃあ次はいつにしますか?」と何度もしつこく聞かれたという。
 それをふりきって乳腺科に戻ろうとしたところ、ちょうど乳腺科から出てくる秋吉先生とバッタリ会ってしまったらしい。
 そのときの様子には息をのんだという。
 「とにかくどよどよに疲れきった様子で、能面みたいで、こっちを見てもまったく表情が動かない」のだそうだ。
 で、開口一番「今日はどうなさったんですか?」と、「来たくなければそのまま帰ってもいいから」と言ってたくせに、思い切り非難がましい態度。
 「伺っても今日お話することはありませんので」と母。
 「そうですか」と先生。
 「いくつか病院をまわるつもりですが、どこも混んでいて……」と母が言うと、無表情のまま一言「そうでしょう」。
 最後に「今後ともよろしくお願いします」と挨拶したら、無視してそのまま立ち去ったとのこと。

 なんだかなあ……。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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