がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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7月30日。
この日はCT検査のあと、紹介された新しい鍼灸院に行くことになっていた。
私が今悩まされている後遺症の数々は、どれも西洋医学では対処できないため、3年ほど前から鍼や漢方などのお世話になっている。
特に鍼は「痛み」には驚くほど効果があり、一時は毎朝起きた瞬間に首、肩、背中にかけて体中がみしみし痛んで起き上がれないほど具合が悪かったのに、鍼と漢方を継続するようになってからは楽に起きられるようになった。
今年の春に気管支炎で入院したとき、ちょうど1ヶ月くらい鍼に行けなくなったのだが、退院してからしばらくは体中の痛みが再発して、あらためて「鍼なしでは生きていけない!」と思ったものだ。
鍼灸院で私の治療にメインであたってくれたのは、七瀬さん(仮名)というまだ20代の若い女性で、彼女とは治療中によくしゃべった。
鍼灸師にもいろいろなタイプがいて、無駄口をたたかない人もいれば、のべつまくなしにしゃべる人もいる。私はどちらかというと放っておいてもらったほうが勝手に考え事ができていいのだが、七瀬さんとのおしゃべりは楽しかった。
健康に関係ないよもやま話も多かったが、やはり東洋医学系の話をきくのが一番おもしろい。
七瀬さんは若いのにとてもよく勉強していて、「からだ」についての話はどれも興味深かった。
その七瀬さんが今年の3月限りで鍼灸院をやめることになった。
やめる、というか、もともとそこに勤めているわけではなく、研修で来ていたので、研修期間がきれただけなのだが。
残念ではあったがしかたがない。
七瀬さんがいなくなったあとも私は担当を変えてそこの鍼灸院に通い続けた。
乳がんが発覚したとき、私は七瀬さんにもメールで報告した。
すぐに返信がきた。
「小春さんにはぜひ私の師匠の治療を受けてみてほしい」という内容だった。
その師匠は四ツ谷先生(仮名)と言って、鍼でがん治療に取り組んでいる有名な先生なのだという。
鍼でがんが治せるのか?と言われたら、それはその人の自己治癒力やがんの進行速度にもよるので断言はできないが、鍼は体を確実に動かすし、それはがん細胞にも影響を与えると七瀬さんは言う。
私が今通っている鍼灸院は、七瀬さんが学んでいる流派とは違うもので、そこに研修に通っている間は、立場上自分の師匠を勧めることはできなかったが、前から受けてもらいたいと思っていたというのだ。
ネットでその流派について調べてみたが、たしかに一般の鍼とは随分違うようだった。
正直、鍼でがんが消えるとは思わなかったが、西洋医学だけでは限界があることも実感していたので、七瀬さんがそこまで勧めてくれるなら行ってみようという気になった。
七瀬さんが言うには、そこの鍼灸院にいる針灸師は、全員同じメソッドで治療しており(当たり前のようだけど、これは意外にあるようでない)、どの先生にあたっても同じ治療を受けることができるが、鍼灸の効果は施術者の技量によるところが大きく、やはり四ツ谷先生に診てもらうのが一番近道だという。
が、間の悪いことに、四ツ谷先生は8月から3週間、仕事で海外に行ってしまうことになっていて、その間は治療が受けられない。
その前にせめて一度だけでも四ツ谷先生に診てもらったほうがいいという。
というわけで、頑張ってスケジュール調整をしてもらって、30日の夕方になんとか診てもらえることになったという次第だ。
その鍼灸院は、扉を開けた瞬間から他の鍼灸院とは違う雰囲気が漂っていた。
一般の鍼灸院は、「マッサージ施設」といった感じで、病院のリハビリ室の延長のようだし、鍼灸師も理学療法士とほとんど変わらない印象の人が多かった。
でもここは違う。
なんというか、いかにも「東洋医学」という感じなのだ。
スタッフは全員作務衣姿で、よけいな無駄口をたたかず、黙々と仕事をしている。今までの鍼灸院では、受付の人と毎回気楽にだらだらと立ち話をしていたが、ここはそういう雰囲気ではない。
まずは四ツ谷先生の問診からスタート。
事前に今までの病歴をメールで送るように言われて送っておいたのだが、何枚にもわたって続くそれを見た先生の第一声は、「これは……戦いの連続だねぇ」だった。
万感の思いを込めて「はい…」と答える。
そのあと、いくつか補足質問がされ、簡単に西洋医学と東洋医学のアプローチの違いについて説明があった。
まず、先生はピラミッドのような三角形を紙に書いた。
すべての病気は、それまで生きてきた人生の中でためてきた疲労の蓄積によって起きる。
その疲労は生まれたときの状態に始まり、仕事や人間関係で受けるストレス、生活習慣、今までにかかった病気やケガ、そのために受けた治療など、あらゆる要素が影響する。
本来なら自己治癒力でこれらを抑えられるのだが、それが追いつかないと気の歪みが重なって「病気」が現れる。
ピラミッドの先端が水面に現れた状態がそれだ。
西洋医学では、水面に出ている部分からなくそうとするが、水面下にあるものには目をむけない。
頂上だけを削っても、ベースがそのままである限り、山の標高は再び高くなっていく。
東洋医学はまったく逆のアプローチで、山麓から削っていき、標高を低くしていくという方法をとる。
すべての有害事象には因果関係があり、ベースが改善されればその上にある症状もすべて一緒に改善していく…というのが東洋医学の考えだ。
その説明じたいは初めて聞くものではないし、私にも「東洋医学とはそういうもの」という認識はあった。
理屈はわかる。でもベースを削るというのはそう簡単にできることではない。
なんだかんだいっても、どの鍼灸院に行ってもやっていることは「肩こり」やら「腰痛」といった表面的な苦痛をとりさるのがメインで、局所的な治療という意味では西洋医学の考え方と同じだ。
なので、その時点ではまだ半信半疑だった。
問診が終わって、いよいよ治療が始まった。
……。
……。
……。
終わった。
え?……終わったの??
これで終わり???
時間が短かったわけではない。
そこそこ45分くらいはやっていたと思う。
……が、刺さないのだ。鍼を。一度も。
今までやってきた鍼は、刺して、場合によってはぐりぐりツンツンしながらツボを刺激して、「うっひょ〜」となって、そのまま10分ほど放置される→抜く…というのが基本だったが、この鍼灸院の鍼は刺されている感覚がいっさいない。
感覚としては指であちこちを順番に軽く押さえていくだけという感じ。
で、時折皮膚の変化を確認する。
どうやってなにを確認しているのかときかれると説明するのが難しい。
ただ「今、確認してるんだな」という気がするだけだ。
乳房のしこりとか、鎖骨まわりの硬化など、表面に現れた有害事象が、鍼刺激にどうに反応しているのかを見ている感じだ。
今までの鍼はとにかく「痛かった」。
痛くないときもあるがほとんどが痛い。
確率でいうと、100本打たれたら、75本くらいは痛くて、75本のうち15本くらいは「すごく痛い」。中には電撃が走るような痛みもある(体調が悪いと痛みの打率はさらにアップする)。
いつ「痛い」のがくるのかわからないので、施術中、身体はずっと身構えっぱなしでひと時も油断できない。
それでも、鍼を打ったあとは筋肉がほぐれ、首周りが軽くなって身体が楽になるので、痛くても「しかたがない」と我慢して通い続けるしかなかった(気持ちいいという意味では、マッサージが一番気持ちいいのだが、それはその場だけのもので、終わったらすぐに効果は消える。所詮は表面だけの刺激なのだ)。
だから私にとっては「鍼=痛いもの」であり、「痛くない鍼」があるなんて考えられなかった。
ていうか、これほんとに鍼使ってんのか??
と疑いたくなるほどなんの刺激も感じない。
こんな楽な治療で効果があるのなら万々歳だ。
治療が終わったあと、再び四ッ谷先生と話をした。
開口一番「重症だね」と言われた。
続いて「切らないでいいんじゃない」と言われる。
一見、矛盾しているように聞こえるかもしれないが、そうではない。
「重症だね」というのは、「乳がんが」ではなく「身体全体の状態が」という意味だ。
「切らないでいいんじゃない」というのは、「乳がんはまだ軽症なので切る必要はないんじゃないか」という意味。
「これ以上身体に負担をかけたらますますひどいことになるよ」
これは、「西洋医学の薬なり手術なりで目に見えてる部分(がん)は治っても、治療のダメージで次の病気をひきおこす可能性が高まるよ」っていうことらしい。
それはわかる。
実際、前のがん治療によって今回のがんがひきおこされた可能性が大だから。
でも、だからといって西洋医学の治療をいっさいするなってこと?
「あの…私が考えていたのは、西洋医学の治療を受けつつ、その副作用を東洋医学で軽減できないかってことだったんですけど…」
そう言ったら即座に否定された。
「これはわかっておいてほしいんだけど、西洋医学と東洋医学の併用はできない。もし同時に使うと、西洋医学の薬の副作用だけでなく、効果のほうも消してしまうことになる。そうなると、医者は『薬が効いてない』と判断してどんどん強い薬に変えていくことになる。どっちにとってもいい結果は出ない」
正直、これはかなりショックだった。
併用……できない。
どっちかを選ぶ……。
無理だ……そんなの簡単に選べるわけがない。
「西洋医学は病気のことしか考えないから。病気が治れば身体はどうなってもいい。あとはあなたの問題ですっていうのが西洋医学のやり方だから」
それはわかる。
ああ、わかりすぎるくらいわかる。
だからこそ悩む。
「すぐに決められるとは思わないけど。このあたりで身体のことを真剣に考えなきゃね」
こうして一回目の治療は終了した。
終わったあとに、七瀬さんと少し話をした。
七瀬さんは「今すぐ西洋医学をいっさいやめろというのが無理なのはよくわかる。それはすごい覚悟がいること。ここに来る人はみんな最初は悩む。でもここで治療を受けていると、必ず身体が変わっていくことを自分で実感できるようになる。そうやって身体が納得できるようになれば、自然に『ああ、これが自分にとって必要なことなんだ』とすっと受け入れられるようになる。だから、とにかくしばらくは治療を続けてみてほしい」と言う。
帰りのバスの中でずっと考えた。
もし私が今まで大病をまったくしたことがない状態だったら、迷わず西洋医学を選んだだろうと思う。
とにかくがんを叩くことが最大の目標。
そのために身体にダメージを与えることになっても、それはしかたがないことだ。我慢するしかない。
だって命がかかってるんだから。
少しでも再発の不安をうち消すため、できうる限り、考えうる限りの治療を受けよう。
そう思っただろう。
でも今はどうしてもそうは思えない。
がんははたして敵なのか?
外から襲ってきたものではなく、もとは自分の一部だったのではないのか?
がんがみつかるというのは、今までの自分の生き方そのものを見直せという「警告」なのではないか?
今までの生活スタイルをそのまま支障なく継続したいがために、身体について深く考えることなく、がんという「邪魔もの」を切り捨ててすっきりする。
本当にそれでいいのか?
もちろん、初期だから言えるきれいごとだと言われればそれまでだ。
がんと共存するなんてなまやさしいことではない。
「肉を切らせて骨を断つ」ことが必要な場合もあるだろう。
でも、がんにかかった人の苦しみの何割かは、病気ではなく治療によってもたらされることも事実だ。
そしてその治療は、どこまでが「必要でしかたのないもの」なのか、どこからが「副作用だけをもたらすよけいなもの」なのかは、実際のところ誰にもわからない。
治療を受ける人は「必要な治療」「効いている治療」だと信じてやるしかないが、治療を受ければ受けるほど、身体に負担がかかり、正常だった機能も損なわれていくという現実がある以上、治療は「やればいい」というものでは断じてない。
ここで四ッ谷先生の「西洋医学は病気のことしか考えない。身体はどうなってもいい」という言葉がよみがえった。
そこまで言うのは極論だとは思うが、東洋医学から見ればそう言われてもしかたのない部分はたしかにある。
「命か、身体か、どっちが大事か」と言われたら、今の私は「身体」と答える。
もちろん、どっちも大事で、二択にされることじたいがおかしいのだが、西洋医学では常にこの二択を迫られている感じがする。
「命」を選び続ければ、「身体」はどんどんつけを背負わされる。
そして悲鳴をあげ続ける「身体」に対し、西洋医学は無力だし、無関心だ。
それはいやというほど知っている。
だから、今回は簡単に「切れ」とか「抗がん剤やれ」とか言われても「治るならなんでもやります」という気持ちにはどうしてもなれない。それは事実だ。
が、一方で、西洋医学をいっさい拒否して、東洋医学一辺倒で通し、命を落としたがん患者がたくさんいることも知っている。
本当に東洋医学だけでがんが治るのか、それもまた確証はない。
がんはまだ小さい。
悪性度も低そうだ。
だからこそ今のうちに早く切ったほうがいい。というのもひとつの意見。
だからこそ今なら切らないで治せるかもしれない。というのもまたひとつの意見だ。
難しい……。
この日はCT検査のあと、紹介された新しい鍼灸院に行くことになっていた。
私が今悩まされている後遺症の数々は、どれも西洋医学では対処できないため、3年ほど前から鍼や漢方などのお世話になっている。
特に鍼は「痛み」には驚くほど効果があり、一時は毎朝起きた瞬間に首、肩、背中にかけて体中がみしみし痛んで起き上がれないほど具合が悪かったのに、鍼と漢方を継続するようになってからは楽に起きられるようになった。
今年の春に気管支炎で入院したとき、ちょうど1ヶ月くらい鍼に行けなくなったのだが、退院してからしばらくは体中の痛みが再発して、あらためて「鍼なしでは生きていけない!」と思ったものだ。
鍼灸院で私の治療にメインであたってくれたのは、七瀬さん(仮名)というまだ20代の若い女性で、彼女とは治療中によくしゃべった。
鍼灸師にもいろいろなタイプがいて、無駄口をたたかない人もいれば、のべつまくなしにしゃべる人もいる。私はどちらかというと放っておいてもらったほうが勝手に考え事ができていいのだが、七瀬さんとのおしゃべりは楽しかった。
健康に関係ないよもやま話も多かったが、やはり東洋医学系の話をきくのが一番おもしろい。
七瀬さんは若いのにとてもよく勉強していて、「からだ」についての話はどれも興味深かった。
その七瀬さんが今年の3月限りで鍼灸院をやめることになった。
やめる、というか、もともとそこに勤めているわけではなく、研修で来ていたので、研修期間がきれただけなのだが。
残念ではあったがしかたがない。
七瀬さんがいなくなったあとも私は担当を変えてそこの鍼灸院に通い続けた。
乳がんが発覚したとき、私は七瀬さんにもメールで報告した。
すぐに返信がきた。
「小春さんにはぜひ私の師匠の治療を受けてみてほしい」という内容だった。
その師匠は四ツ谷先生(仮名)と言って、鍼でがん治療に取り組んでいる有名な先生なのだという。
鍼でがんが治せるのか?と言われたら、それはその人の自己治癒力やがんの進行速度にもよるので断言はできないが、鍼は体を確実に動かすし、それはがん細胞にも影響を与えると七瀬さんは言う。
私が今通っている鍼灸院は、七瀬さんが学んでいる流派とは違うもので、そこに研修に通っている間は、立場上自分の師匠を勧めることはできなかったが、前から受けてもらいたいと思っていたというのだ。
ネットでその流派について調べてみたが、たしかに一般の鍼とは随分違うようだった。
正直、鍼でがんが消えるとは思わなかったが、西洋医学だけでは限界があることも実感していたので、七瀬さんがそこまで勧めてくれるなら行ってみようという気になった。
七瀬さんが言うには、そこの鍼灸院にいる針灸師は、全員同じメソッドで治療しており(当たり前のようだけど、これは意外にあるようでない)、どの先生にあたっても同じ治療を受けることができるが、鍼灸の効果は施術者の技量によるところが大きく、やはり四ツ谷先生に診てもらうのが一番近道だという。
が、間の悪いことに、四ツ谷先生は8月から3週間、仕事で海外に行ってしまうことになっていて、その間は治療が受けられない。
その前にせめて一度だけでも四ツ谷先生に診てもらったほうがいいという。
というわけで、頑張ってスケジュール調整をしてもらって、30日の夕方になんとか診てもらえることになったという次第だ。
その鍼灸院は、扉を開けた瞬間から他の鍼灸院とは違う雰囲気が漂っていた。
一般の鍼灸院は、「マッサージ施設」といった感じで、病院のリハビリ室の延長のようだし、鍼灸師も理学療法士とほとんど変わらない印象の人が多かった。
でもここは違う。
なんというか、いかにも「東洋医学」という感じなのだ。
スタッフは全員作務衣姿で、よけいな無駄口をたたかず、黙々と仕事をしている。今までの鍼灸院では、受付の人と毎回気楽にだらだらと立ち話をしていたが、ここはそういう雰囲気ではない。
まずは四ツ谷先生の問診からスタート。
事前に今までの病歴をメールで送るように言われて送っておいたのだが、何枚にもわたって続くそれを見た先生の第一声は、「これは……戦いの連続だねぇ」だった。
万感の思いを込めて「はい…」と答える。
そのあと、いくつか補足質問がされ、簡単に西洋医学と東洋医学のアプローチの違いについて説明があった。
まず、先生はピラミッドのような三角形を紙に書いた。
すべての病気は、それまで生きてきた人生の中でためてきた疲労の蓄積によって起きる。
その疲労は生まれたときの状態に始まり、仕事や人間関係で受けるストレス、生活習慣、今までにかかった病気やケガ、そのために受けた治療など、あらゆる要素が影響する。
本来なら自己治癒力でこれらを抑えられるのだが、それが追いつかないと気の歪みが重なって「病気」が現れる。
ピラミッドの先端が水面に現れた状態がそれだ。
西洋医学では、水面に出ている部分からなくそうとするが、水面下にあるものには目をむけない。
頂上だけを削っても、ベースがそのままである限り、山の標高は再び高くなっていく。
東洋医学はまったく逆のアプローチで、山麓から削っていき、標高を低くしていくという方法をとる。
すべての有害事象には因果関係があり、ベースが改善されればその上にある症状もすべて一緒に改善していく…というのが東洋医学の考えだ。
その説明じたいは初めて聞くものではないし、私にも「東洋医学とはそういうもの」という認識はあった。
理屈はわかる。でもベースを削るというのはそう簡単にできることではない。
なんだかんだいっても、どの鍼灸院に行ってもやっていることは「肩こり」やら「腰痛」といった表面的な苦痛をとりさるのがメインで、局所的な治療という意味では西洋医学の考え方と同じだ。
なので、その時点ではまだ半信半疑だった。
問診が終わって、いよいよ治療が始まった。
……。
……。
……。
終わった。
え?……終わったの??
これで終わり???
時間が短かったわけではない。
そこそこ45分くらいはやっていたと思う。
……が、刺さないのだ。鍼を。一度も。
今までやってきた鍼は、刺して、場合によってはぐりぐりツンツンしながらツボを刺激して、「うっひょ〜」となって、そのまま10分ほど放置される→抜く…というのが基本だったが、この鍼灸院の鍼は刺されている感覚がいっさいない。
感覚としては指であちこちを順番に軽く押さえていくだけという感じ。
で、時折皮膚の変化を確認する。
どうやってなにを確認しているのかときかれると説明するのが難しい。
ただ「今、確認してるんだな」という気がするだけだ。
乳房のしこりとか、鎖骨まわりの硬化など、表面に現れた有害事象が、鍼刺激にどうに反応しているのかを見ている感じだ。
今までの鍼はとにかく「痛かった」。
痛くないときもあるがほとんどが痛い。
確率でいうと、100本打たれたら、75本くらいは痛くて、75本のうち15本くらいは「すごく痛い」。中には電撃が走るような痛みもある(体調が悪いと痛みの打率はさらにアップする)。
いつ「痛い」のがくるのかわからないので、施術中、身体はずっと身構えっぱなしでひと時も油断できない。
それでも、鍼を打ったあとは筋肉がほぐれ、首周りが軽くなって身体が楽になるので、痛くても「しかたがない」と我慢して通い続けるしかなかった(気持ちいいという意味では、マッサージが一番気持ちいいのだが、それはその場だけのもので、終わったらすぐに効果は消える。所詮は表面だけの刺激なのだ)。
だから私にとっては「鍼=痛いもの」であり、「痛くない鍼」があるなんて考えられなかった。
ていうか、これほんとに鍼使ってんのか??
と疑いたくなるほどなんの刺激も感じない。
こんな楽な治療で効果があるのなら万々歳だ。
治療が終わったあと、再び四ッ谷先生と話をした。
開口一番「重症だね」と言われた。
続いて「切らないでいいんじゃない」と言われる。
一見、矛盾しているように聞こえるかもしれないが、そうではない。
「重症だね」というのは、「乳がんが」ではなく「身体全体の状態が」という意味だ。
「切らないでいいんじゃない」というのは、「乳がんはまだ軽症なので切る必要はないんじゃないか」という意味。
「これ以上身体に負担をかけたらますますひどいことになるよ」
これは、「西洋医学の薬なり手術なりで目に見えてる部分(がん)は治っても、治療のダメージで次の病気をひきおこす可能性が高まるよ」っていうことらしい。
それはわかる。
実際、前のがん治療によって今回のがんがひきおこされた可能性が大だから。
でも、だからといって西洋医学の治療をいっさいするなってこと?
「あの…私が考えていたのは、西洋医学の治療を受けつつ、その副作用を東洋医学で軽減できないかってことだったんですけど…」
そう言ったら即座に否定された。
「これはわかっておいてほしいんだけど、西洋医学と東洋医学の併用はできない。もし同時に使うと、西洋医学の薬の副作用だけでなく、効果のほうも消してしまうことになる。そうなると、医者は『薬が効いてない』と判断してどんどん強い薬に変えていくことになる。どっちにとってもいい結果は出ない」
正直、これはかなりショックだった。
併用……できない。
どっちかを選ぶ……。
無理だ……そんなの簡単に選べるわけがない。
「西洋医学は病気のことしか考えないから。病気が治れば身体はどうなってもいい。あとはあなたの問題ですっていうのが西洋医学のやり方だから」
それはわかる。
ああ、わかりすぎるくらいわかる。
だからこそ悩む。
「すぐに決められるとは思わないけど。このあたりで身体のことを真剣に考えなきゃね」
こうして一回目の治療は終了した。
終わったあとに、七瀬さんと少し話をした。
七瀬さんは「今すぐ西洋医学をいっさいやめろというのが無理なのはよくわかる。それはすごい覚悟がいること。ここに来る人はみんな最初は悩む。でもここで治療を受けていると、必ず身体が変わっていくことを自分で実感できるようになる。そうやって身体が納得できるようになれば、自然に『ああ、これが自分にとって必要なことなんだ』とすっと受け入れられるようになる。だから、とにかくしばらくは治療を続けてみてほしい」と言う。
帰りのバスの中でずっと考えた。
もし私が今まで大病をまったくしたことがない状態だったら、迷わず西洋医学を選んだだろうと思う。
とにかくがんを叩くことが最大の目標。
そのために身体にダメージを与えることになっても、それはしかたがないことだ。我慢するしかない。
だって命がかかってるんだから。
少しでも再発の不安をうち消すため、できうる限り、考えうる限りの治療を受けよう。
そう思っただろう。
でも今はどうしてもそうは思えない。
がんははたして敵なのか?
外から襲ってきたものではなく、もとは自分の一部だったのではないのか?
がんがみつかるというのは、今までの自分の生き方そのものを見直せという「警告」なのではないか?
今までの生活スタイルをそのまま支障なく継続したいがために、身体について深く考えることなく、がんという「邪魔もの」を切り捨ててすっきりする。
本当にそれでいいのか?
もちろん、初期だから言えるきれいごとだと言われればそれまでだ。
がんと共存するなんてなまやさしいことではない。
「肉を切らせて骨を断つ」ことが必要な場合もあるだろう。
でも、がんにかかった人の苦しみの何割かは、病気ではなく治療によってもたらされることも事実だ。
そしてその治療は、どこまでが「必要でしかたのないもの」なのか、どこからが「副作用だけをもたらすよけいなもの」なのかは、実際のところ誰にもわからない。
治療を受ける人は「必要な治療」「効いている治療」だと信じてやるしかないが、治療を受ければ受けるほど、身体に負担がかかり、正常だった機能も損なわれていくという現実がある以上、治療は「やればいい」というものでは断じてない。
ここで四ッ谷先生の「西洋医学は病気のことしか考えない。身体はどうなってもいい」という言葉がよみがえった。
そこまで言うのは極論だとは思うが、東洋医学から見ればそう言われてもしかたのない部分はたしかにある。
「命か、身体か、どっちが大事か」と言われたら、今の私は「身体」と答える。
もちろん、どっちも大事で、二択にされることじたいがおかしいのだが、西洋医学では常にこの二択を迫られている感じがする。
「命」を選び続ければ、「身体」はどんどんつけを背負わされる。
そして悲鳴をあげ続ける「身体」に対し、西洋医学は無力だし、無関心だ。
それはいやというほど知っている。
だから、今回は簡単に「切れ」とか「抗がん剤やれ」とか言われても「治るならなんでもやります」という気持ちにはどうしてもなれない。それは事実だ。
が、一方で、西洋医学をいっさい拒否して、東洋医学一辺倒で通し、命を落としたがん患者がたくさんいることも知っている。
本当に東洋医学だけでがんが治るのか、それもまた確証はない。
がんはまだ小さい。
悪性度も低そうだ。
だからこそ今のうちに早く切ったほうがいい。というのもひとつの意見。
だからこそ今なら切らないで治せるかもしれない。というのもまたひとつの意見だ。
難しい……。
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カウンター
お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。
がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。
だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。
漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。
別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。
がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。
だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。
漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。
別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
HP:
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
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照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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