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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 8月10日。
 よりによってこんなときに「歯の詰め物」がとれた。
 いつとれたか気づかなくて、「なんか冷たいものがしみる〜」と思ってふと舌で触ってみたら、上の歯にボコッと大きな穴が空いているのに気づいて仰天した。
 最初は「いきなりこんなに大きな虫歯?!」とあせったが、冷静に考えたらこれは削ったあとの「穴」だ。
 そう言われれば、1ヶ月ほど前、いきつけの歯医者にクリーニング&定期検診に行った際、先生に「詰め物がちょっととれかかってますが、このまま様子をみましょう」と言われた気がする。

 この先生は超ビビリで、なににつけても積極的な治療をいやがる。
 虫歯の治療のあとに問題がありそうでも「掘り出すと大事になりそうなので様子をみましょう」。
 残り1本になった親知らずも「抜いてもいいけどとりあえず様子をみましょう」。
 神経抜いてもろくなった歯の補強も「かぶせたほうがいいと思うけどしばらくは様子をみましょう」。
 はじめのうちは慎重で丁寧な先生だと思ったが、そのうちに「単に自信がないのでは…」と疑うようになってきた。
 温存主義にもほどがある。
 この先生が乳腺科医だったら、きっと「がんがあるけど治療は大変なので様子をみましょう」って言ってくれるんだろうな。
 いや、なってほしくはないけど。

 ぐずぐずしているとお盆休みに入ってしまいそうだったので、とにかく応急処置だけでもしてもらうことにしたが、いつもの歯医者は遠くて面倒だったので、近所に新しくできた歯医者にかけこんだ。
 初めての受診だったので問診票を渡された。
 もう。この問診票って大ッ嫌い。
 書くこと多すぎるんだもん。
 全部「なし」「なし」で済めば簡単なんだけど、だいたい空欄で済む場所はほとんどない。
 しかも手書きは手に力が入りにくいのですごく疲れる。

 書き終えて提出したら、それを見た先生がギョッとした表情になった。
 「え?喘息あるの?…ヨード禁?……乳がん??」
 ここでおそるおそるという感じでこっちの様子を窺う。
 「……この、『その他』っていうのはなんなの?」
 「悪性リンパ腫です」
 「え〜〜〜〜!!!」
 驚き、というよりは「勘弁してよ」「てか、来るなよ」「やりたくねー」という不服のニュアンスだった。
 「昔ですよ、昔。あ、乳がんはこれから治療ですけど」
 「………」
 「………」
 いいからとっととやれよ。
 このうえ、「あと放射線も過剰照射されてて、手も動かなくて、障害者3級です」って言ったらたたきだされるかな。

 この日、すべてのセカンドオピニオン申込を終えた。
 いろいろ調べて、いろいろ意見を聞き、結果4件まわることに決めた。

 まず8/13に行くのが埼玉医科大学国際医療センター。
 はっきり言ってすんごく遠い。
 なぜそんな遠くに行くことになったかというと、お目当ての先生(知人の内科医からの推薦)がつい数ヶ月前に都内の病院からここへ移ったときいたからだ。
 その先生はアメリカで研修を積んでいて、乳腺外科医だけど内分泌に詳しいらしい。
 つまり内科系(薬)にも強いということ。
 最近患者が急増しているとはいえ、アメリカに比べたら日本の乳がん患者はまだまだ少ない。患者数も臨床データもアメリカは桁違いに多いのだ。
 なので、まだ若いけれどいろいろな症例の経験値が高いんじゃないかと思ったのがひとつと、ネットで「術前ホルモン療法」が専門だと知ったため、せめて意見だけでもきいてみたいと思ったのだ。

 8/15に行くのが癌研有明病院。
 これについては、すでに8/6に、病理標本と紹介状・検査結果を直接提出しに行っている(個人情報なので郵送は不可と言われた)。セカンドオピニオンは時間単価が高いので、事前に資料に目を通してもらえるのはありがたい。
 本当はこれだけでいいんだけど、念のため自分で参考資料を作成してそれも添付した(「過去の病気の治療内容」「乳がんと診断されるまでの経緯」「今回質問したい項目」「現在服用中の薬」など)。

 8/31に行くのは三鷹にあるクリニック。
 術式のひとつに内視鏡手術という選択肢があって、これは傷口が小さくて済むということで関心があるのだが、設備費も手間も技術も必要なわりには保険点数が一般の外科手術と同じで割に合わないせいか、実施している医療機関が非常に少ない。
 定評があるのは千葉鴨川の亀田総合病院なのだが(ドラマ「コード・ブルー」のロケで使われた病院)、うちからはあまりにも遠い。。。
 と思ってたら、どうもそこの内視鏡手術のエキスパートである先生が、月1回、三鷹のクリニックに出張しているらしいという情報を得て、話だけでも聞いてみようとセカンドオピニオンの申込をした次第。

 最後のひとつは聖路加国際病院だが、これは申込まで手間取った。
 まず、7月中に電話したところ、「中村先生ですか?それとも先生の指定なしですか?」と聞かれた。
 中村先生は、乳がんの名医といえば必ず名前があがる著名なドクターなのだが、先生の指定がないなら9月以降、中村先生指定なら10月以降だと聞いてびっくり!
 有明で驚いていたらまだまだ上があった……。
 さらに、8月分の受付はもう終了したので、9月分以降の申込は8月からになるという。 
 しかたなく8月最初の平日になる8/3の朝一番にかけ直したところ、「9月分の受付は8/10からです」というではないか。
 だったら最初にそう言ってよ〜!

 で、今日の朝、またかけたのだが、今度は「午後2時半から4時の間にブレストセンターの看護師に直接かけて予約状況をきいてほしい」という。
 だ・か・ら!
 最初から言ってよ〜。
 どうしていちいち一個ずつしか情報流さないんだよ。
 こっちはホームページの「セカンドオピニオンを受ける方へ」というページを見て、それに従って申し込んでるのに。そこまで込み入った手続きがあるならホームページに載せてくれないと困るよ。

 で、2時半にまたまたかけ直し、9/4に入れてもらったのだが、なんと時間は「未定」。
 当日の午後2時にもう一度電話してほしいという。
 なぜかというと、セカンドオピニオンは通常の診療終了後に行うことになるので、何時になるのかわからないのだという。
 午後になればある程度進行状況が把握できるので、その時点で時間を決めさせてもらいますとのことだった。
 「ちなみにその最終の患者さんの予約時間って何時くらいなんですか?」と聞いたら「7時半くらい」という返答。
 そんな時間まで予約が入ってるのか?!
 恐るべし、聖路加。

 それにしてもホームページに書いてあることと随分違う。
 セカンドオピニオンは週1回しかやってないというし、資料の事前預かりもしないという(当日直接持ってきてくださいと言われた)。
 聖路加は巷の評判が非常によくて、悪くいう人を聞いたことがないのだが、セカンドオピニオンの受付対応に関してはかなり不満が残った。
 その点、有明は完璧に近い対応だったと思う。

 以上、セカンドオピニオンのスケジュールは今日で整った。
 あとは約束の日を待つだけだが、待つだけというのもどうにも落ち着かないものだ。
 ついつい朝から晩までネットで治療法や病院について調べてしまうし、夜寝る前には頭がゴチャゴチャになるくらいいろいろなことを考えて眠れなくなってしまうし、寝たら寝たで夢の中でも治療のことを考えていて、まだ会ったことのないはずのセカンドオピニオンを受ける医師が登場して話をしているなど、結局24時間病気のことを考えている。

 ただ、肉体的には鍼に行って以来、確実に体調がよくなっている気がする(8/6に2回目の治療を受けた。四ツ谷先生ではないが)。
 のぼせが軽くなっているのにくわえて、慢性的に感じていただるさも軽減しているし、手もさらに動くようになっている。
 具体的に言うと、仰向けになった状態では左腕はびくとも動かせなかったのだが、肘から下の部分だけなら持ち上がるようになった(まだ100%の確率ではないが)。
 これまたすごい変化だ。
 左腕が持ち上がらないと寝返りが打てず、ずっとそれが苦痛だったのだが、このまま動きがよくなれば寝返りも打てるようになるかも…と期待がふくらむ。
 なにかができるようになって心が浮き立つという感情はもう久しく味わえなかったものだ。

 精神的にはボロボロだが、身体が回復しているのは嬉しい。
 病院めぐりは気力も体力も消耗する。
 しっかり充電して備えなければ……。

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 西洋医学と東洋医学の併用はできない──。
 初めて行った鍼灸院で思わぬ厳しい選択を迫られ、愕然として帰路についた私だが、「今すぐ選ぶのは無理でも、身体に変化が現れれば自然に納得できるはず」という七瀬さん(仮名)の言葉を思い出し、とにかく鍼灸治療の効果を待つことにした。
 ……が、その変化は予想以上に早くやってきた。

 現在抱えている苦痛のひとつに「冷えのぼせ」がある。
 放射線照射のせいで首から鎖骨にかけて鉄板のようにガチガチになっているため、首から上と首から下の温度感覚にすさまじく差があるのだ。
 特に低気圧と湿度は凶器だ。
 頭の芯がじわ〜っと熱くなり、涼しい場所でじっとしていてもタラタラとひっきりなしに顔に汗をかく。
 じっとしていてもそうなのだから、動こうものならもう目を開けていられないほど滝のように汗が吹き出てくる。
 それでいて足先と、むくんでいる腕は氷のように冷たい。
 ただ表面が冷たいだけでなく、芯から冷たいので、エアコンがつらくてたまらない。それでいて表面は常に汗で湿っている。
 一方、足先は、昼間は冷えるのに、寝ているときは脚の裏だけがものすごく熱くなる。

 最初は「更年期障害」じゃないかと思ったが、私は治療でずっと女性ホルモンを補充しているので、「薬を飲んでいる限り更年期障害は起きない」と婦人科の先生に言われた(もちろん、乳がんがわかってからは薬はやめている)。
 とすると、やはり首まわりに原因があるとしか思えない。

 それまで、毎日漢方を煎じて「むくみ」や「冷えのぼせ」に対処してきたが、良くなったように思えたのは最初だけで、その後は悪化する勢いのほうが勝っているという感じだった。
 西洋医学でも「のぼせ」に関してはまったく打つ手がないということで、これはもう治ることはないんじゃないかと諦めていた。

 ところがである。
 その頑強な「のぼせ」がその日のうちに、正確に言うと帰り道ですでに軽くなっていることに気づいたのである。
 汗はかいているが、いつものような不自然な汗ではない。
 それに顔が沸騰するような感覚もなくなって、頭の中の熱もとれてきた気がする。
 帰ったら家族にも「なんか顔がスッキリしてる」と言われたので気のせいではないようだ。
 あまりの即効性に信じがたい気持ちを抑えられなかったが、実際「のぼせた状態」が日常になっていた私にとって、「普通の状態ってこんなに楽なんだ」とびっくりするほどその変化ははっきりしていた。

 次に出た変化は「疲労感」だった。
 夕食後になって、急に「スポーツをしたあと」みたいな疲労感が体中に広がってきて、「おお、鍼の反応キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!」と実感。
 鍼を打った当日は、歪みの調整のために気が動きだすので、「疲労感」や「だるさ」などの症状が一時的に出る。
 それまでも鍼は週1でずっと打っていたが、ここまではっきりと反応が出たのは初めてだった。
 鍼を打った日は「入浴禁止」なので(入浴や飲酒や徹夜や激しい運動は鍼の効果を帳消しにするとのこと)、その日は早々に床についた。

 寝ている間は疲れが身体の中心から深層水みたいにじわじわしみだしてくる感じだったが、いつもより熟睡することができた。
 目が覚めたときは身体のあちこちが痛くて、「起きられるかなー」と一瞬心配になったが、起きてみたら問題なく動くことができた。

 さらにその日は「冷え」も軽減していることに気づいた。
 足先の冷えは相変わらずなのだが、腕の「冷え」が明らかに楽になっていて冷房がつらくない。腕の表面もさらさらしている。
 それに胃腸の動きもよくなった気がする。
 自分にしかわからない変化だが、長年苦しんでいた症状が1日で消えるという事実には、なによりも説得力があった。

 その翌日、37.2度の微熱が出た。
 免疫機能が働きだすと熱が出ると聞いたことがあるのでそのせいかもしれない。
 ……と思っていたらさらに劇的な変化が!

 なんと、まったく握れなかった左手の指がわずかだが曲がるようになったのである。

 じつは治療が終わったあと、四ッ谷先生(仮名)に「左手の麻痺は治らないですよね」と聞いたところ、「あのね、私は今日乳がんの治療をしたわけじゃないんですよ」と言われ、その言葉の意味が気になっていたのだ。
 乳がんの治療じゃない?
 局所じゃなく、体全体がよくなる治療をしたってこと?
 でも、でも、いくらなんでも神経じたいが損傷している麻痺は治らないだろう。
 整形外科でも「脳からくる神経麻痺じゃないからリハビリしても回復しないよ」と言われていたので、 麻痺に関しても、のぼせ同様治らないと私はほぼ諦めていた。

 その麻痺がわずか1回の鍼治療で回復の兆しをみせたのだ。
 この12年間、悪くなる一方で、良くなることは決してなかった左手に力が入る感触を久しぶりに感じ、私は心底驚愕した。
 正直、「これが治るなら乳がんなんて楽勝で治るんじゃね?」とすら思った。
 そのくらい驚いた。

 あんまり見たくないと思うが、これがその写真だ。


 「え?これだけ??」と思われるかもしれないが、前日までは人差し指はつっぱったまままったく曲がらず、中指もほとんどそれに近い状態だった。
 手の甲にもひらにも指の根元にも浮腫が顕著なので、その上麻痺があると手を握るのはほとんど不可能だ。
 手を握れないと数えきれないほどの日常動作が制限される。
 たとえこれっぽっちであっても、指がわずかでも曲がればそれだけでいろいろな不自由が解消する。
 これはすごいことだ。
 私は嬉しくて何回も何回も握れるところまで手を握る動作を繰り返した。
 家族にも何度も「見て見て。すごいよ、これ」と見せびらかし、写真も何枚も撮った。

 指が動きやすくなれば、むくみのほうも少しは解消してくるかもしれない。
 むくんで動きにくいから麻痺も進む。麻痺して動かせないからむくみもひどくなる。
 この2つの症状は相関関係にある。

 ちなみに今のむくみの状況はこんな感じだ。

 


 ものすごく重い……。
 腕が上がらないのでリンパ液も末端にたまりまくりだ。

 とにかく、鍼治療の威力は一回だけでも充分感じられた。
 今後の変化が楽しみになってきた。

 さて、話を戻すと、鍼灸院に行った翌日、南田先生(仮名)の外来に行ってきた。
 前日に行ったCT検査の結果をきくためだ。
 CTを見る限り、リンパや肺など他の臓器への遠隔転移はないとのことだった。
 正確には、切って中を調べないとわからないが(つまり100%ないとは言えない)、まあ今の時点では心配ないとのことなので、とりあえず安心した。

 念のため、CTに写っていた腫瘍の大きさを測ってもらったところ「19mm」と言われた。
 19mm……エコーとマンモでは27mmって言われたけど。
 随分差があるんだなと思って聞いたところ、「画像上で大きさが変わることは珍しくない」のだそうだ。
 特に発展途上(?)のがん細胞は成長するのに多くの栄養を必要とし、栄養が足りないと中心が壊死してグチャグチャになり、やがてその水分が吸収されて「実」の部分だけにキュッと凝縮されるので、小さくなったように見えることがあるという。
 南田先生によると、最初の細胞診で「良性」と出たのも、その壊死部分を吸い上げてしまったためではないかという。
 それにしても、大きさの診断がそんなに曖昧なのだとしたら、病期の判断もいい加減なものだな……。
 栄養云々の話をしたら、友人が「絶食よ!今日から絶食して兵糧攻めにするのよ!」と騒いでいたが、それはちょっと違う気がする。。。

 南田先生は、さらに2件分の紹介状と病理標本、それにCTのフィルムも貸し出してくれて、「納得いくまでいろいろな病院で話を聞いてきてください」と気持ちよく送り出してくれた。
 ありがとう、南田先生!

 ところで、前回、放射線科の診察時に、秋吉先生(仮名)が「この日は私も乳腺科で診察をしているので、次回の南田先生の診察後に予約を入れておきます」と言われたのだが、私はもう二度と秋吉先生には会いたくないという気持ちだったので、キャンセルすることにした。
 乳腺科の受付で「秋吉先生の診察をキャンセルしたい」と言ったところ、「予約のキャンセルは放射線科に申し出てくれ」という。
 しかたがないので、私が会計を待っている間に、母に放射線科までキャンセルしに行ってもらうことにする(会ってしまうといやなので)。
 以下、母からきいた体験談。

 放射線科の受付に行って「秋吉先生の診察をキャンセルしたい」と言ったところ、「じゃあ次はいつにしますか?」と何度もしつこく聞かれたという。
 それをふりきって乳腺科に戻ろうとしたところ、ちょうど乳腺科から出てくる秋吉先生とバッタリ会ってしまったらしい。
 そのときの様子には息をのんだという。
 「とにかくどよどよに疲れきった様子で、能面みたいで、こっちを見てもまったく表情が動かない」のだそうだ。
 で、開口一番「今日はどうなさったんですか?」と、「来たくなければそのまま帰ってもいいから」と言ってたくせに、思い切り非難がましい態度。
 「伺っても今日お話することはありませんので」と母。
 「そうですか」と先生。
 「いくつか病院をまわるつもりですが、どこも混んでいて……」と母が言うと、無表情のまま一言「そうでしょう」。
 最後に「今後ともよろしくお願いします」と挨拶したら、無視してそのまま立ち去ったとのこと。

 なんだかなあ……。

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 7月30日。
 この日はCT検査のあと、紹介された新しい鍼灸院に行くことになっていた。

 私が今悩まされている後遺症の数々は、どれも西洋医学では対処できないため、3年ほど前から鍼や漢方などのお世話になっている。
 特に鍼は「痛み」には驚くほど効果があり、一時は毎朝起きた瞬間に首、肩、背中にかけて体中がみしみし痛んで起き上がれないほど具合が悪かったのに、鍼と漢方を継続するようになってからは楽に起きられるようになった。
 今年の春に気管支炎で入院したとき、ちょうど1ヶ月くらい鍼に行けなくなったのだが、退院してからしばらくは体中の痛みが再発して、あらためて「鍼なしでは生きていけない!」と思ったものだ。

 鍼灸院で私の治療にメインであたってくれたのは、七瀬さん(仮名)というまだ20代の若い女性で、彼女とは治療中によくしゃべった。
 鍼灸師にもいろいろなタイプがいて、無駄口をたたかない人もいれば、のべつまくなしにしゃべる人もいる。私はどちらかというと放っておいてもらったほうが勝手に考え事ができていいのだが、七瀬さんとのおしゃべりは楽しかった。
 健康に関係ないよもやま話も多かったが、やはり東洋医学系の話をきくのが一番おもしろい。
 七瀬さんは若いのにとてもよく勉強していて、「からだ」についての話はどれも興味深かった。

 その七瀬さんが今年の3月限りで鍼灸院をやめることになった。
 やめる、というか、もともとそこに勤めているわけではなく、研修で来ていたので、研修期間がきれただけなのだが。
 残念ではあったがしかたがない。
 七瀬さんがいなくなったあとも私は担当を変えてそこの鍼灸院に通い続けた。

 乳がんが発覚したとき、私は七瀬さんにもメールで報告した。
 すぐに返信がきた。
 「小春さんにはぜひ私の師匠の治療を受けてみてほしい」という内容だった。

 その師匠は四ツ谷先生(仮名)と言って、鍼でがん治療に取り組んでいる有名な先生なのだという。
 鍼でがんが治せるのか?と言われたら、それはその人の自己治癒力やがんの進行速度にもよるので断言はできないが、鍼は体を確実に動かすし、それはがん細胞にも影響を与えると七瀬さんは言う。
 私が今通っている鍼灸院は、七瀬さんが学んでいる流派とは違うもので、そこに研修に通っている間は、立場上自分の師匠を勧めることはできなかったが、前から受けてもらいたいと思っていたというのだ。

 ネットでその流派について調べてみたが、たしかに一般の鍼とは随分違うようだった。
 正直、鍼でがんが消えるとは思わなかったが、西洋医学だけでは限界があることも実感していたので、七瀬さんがそこまで勧めてくれるなら行ってみようという気になった。

 七瀬さんが言うには、そこの鍼灸院にいる針灸師は、全員同じメソッドで治療しており(当たり前のようだけど、これは意外にあるようでない)、どの先生にあたっても同じ治療を受けることができるが、鍼灸の効果は施術者の技量によるところが大きく、やはり四ツ谷先生に診てもらうのが一番近道だという。
 が、間の悪いことに、四ツ谷先生は8月から3週間、仕事で海外に行ってしまうことになっていて、その間は治療が受けられない。
 その前にせめて一度だけでも四ツ谷先生に診てもらったほうがいいという。
 というわけで、頑張ってスケジュール調整をしてもらって、30日の夕方になんとか診てもらえることになったという次第だ。

 その鍼灸院は、扉を開けた瞬間から他の鍼灸院とは違う雰囲気が漂っていた。
 一般の鍼灸院は、「マッサージ施設」といった感じで、病院のリハビリ室の延長のようだし、鍼灸師も理学療法士とほとんど変わらない印象の人が多かった。
 でもここは違う。
 なんというか、いかにも「東洋医学」という感じなのだ。
 スタッフは全員作務衣姿で、よけいな無駄口をたたかず、黙々と仕事をしている。今までの鍼灸院では、受付の人と毎回気楽にだらだらと立ち話をしていたが、ここはそういう雰囲気ではない。

 まずは四ツ谷先生の問診からスタート。
 事前に今までの病歴をメールで送るように言われて送っておいたのだが、何枚にもわたって続くそれを見た先生の第一声は、「これは……戦いの連続だねぇ」だった。
 万感の思いを込めて「はい…」と答える。
 そのあと、いくつか補足質問がされ、簡単に西洋医学と東洋医学のアプローチの違いについて説明があった。

 まず、先生はピラミッドのような三角形を紙に書いた。
 すべての病気は、それまで生きてきた人生の中でためてきた疲労の蓄積によって起きる。
 その疲労は生まれたときの状態に始まり、仕事や人間関係で受けるストレス、生活習慣、今までにかかった病気やケガ、そのために受けた治療など、あらゆる要素が影響する。
 本来なら自己治癒力でこれらを抑えられるのだが、それが追いつかないと気の歪みが重なって「病気」が現れる。
 ピラミッドの先端が水面に現れた状態がそれだ。

 西洋医学では、水面に出ている部分からなくそうとするが、水面下にあるものには目をむけない。
 頂上だけを削っても、ベースがそのままである限り、山の標高は再び高くなっていく。
 東洋医学はまったく逆のアプローチで、山麓から削っていき、標高を低くしていくという方法をとる。
 すべての有害事象には因果関係があり、ベースが改善されればその上にある症状もすべて一緒に改善していく…というのが東洋医学の考えだ。

 その説明じたいは初めて聞くものではないし、私にも「東洋医学とはそういうもの」という認識はあった。
 理屈はわかる。でもベースを削るというのはそう簡単にできることではない。
 なんだかんだいっても、どの鍼灸院に行ってもやっていることは「肩こり」やら「腰痛」といった表面的な苦痛をとりさるのがメインで、局所的な治療という意味では西洋医学の考え方と同じだ。
 なので、その時点ではまだ半信半疑だった。

 問診が終わって、いよいよ治療が始まった。
 ……。
 ……。
 ……。
 終わった。
 え?……終わったの??
 これで終わり???

 時間が短かったわけではない。
 そこそこ45分くらいはやっていたと思う。
 ……が、刺さないのだ。鍼を。一度も。
 今までやってきた鍼は、刺して、場合によってはぐりぐりツンツンしながらツボを刺激して、「うっひょ〜」となって、そのまま10分ほど放置される→抜く…というのが基本だったが、この鍼灸院の鍼は刺されている感覚がいっさいない。
 感覚としては指であちこちを順番に軽く押さえていくだけという感じ。
 で、時折皮膚の変化を確認する。

 どうやってなにを確認しているのかときかれると説明するのが難しい。
 ただ「今、確認してるんだな」という気がするだけだ。
 乳房のしこりとか、鎖骨まわりの硬化など、表面に現れた有害事象が、鍼刺激にどうに反応しているのかを見ている感じだ。

 今までの鍼はとにかく「痛かった」。
 痛くないときもあるがほとんどが痛い。
 確率でいうと、100本打たれたら、75本くらいは痛くて、75本のうち15本くらいは「すごく痛い」。中には電撃が走るような痛みもある(体調が悪いと痛みの打率はさらにアップする)。
 いつ「痛い」のがくるのかわからないので、施術中、身体はずっと身構えっぱなしでひと時も油断できない。
 それでも、鍼を打ったあとは筋肉がほぐれ、首周りが軽くなって身体が楽になるので、痛くても「しかたがない」と我慢して通い続けるしかなかった(気持ちいいという意味では、マッサージが一番気持ちいいのだが、それはその場だけのもので、終わったらすぐに効果は消える。所詮は表面だけの刺激なのだ)。

 だから私にとっては「鍼=痛いもの」であり、「痛くない鍼」があるなんて考えられなかった。
 ていうか、これほんとに鍼使ってんのか??
 と疑いたくなるほどなんの刺激も感じない。
 こんな楽な治療で効果があるのなら万々歳だ。

 治療が終わったあと、再び四ッ谷先生と話をした。
 開口一番「重症だね」と言われた。
 続いて「切らないでいいんじゃない」と言われる。
 一見、矛盾しているように聞こえるかもしれないが、そうではない。
 「重症だね」というのは、「乳がんが」ではなく「身体全体の状態が」という意味だ。
 「切らないでいいんじゃない」というのは、「乳がんはまだ軽症なので切る必要はないんじゃないか」という意味。

 「これ以上身体に負担をかけたらますますひどいことになるよ」
 これは、「西洋医学の薬なり手術なりで目に見えてる部分(がん)は治っても、治療のダメージで次の病気をひきおこす可能性が高まるよ」っていうことらしい。
 それはわかる。
 実際、前のがん治療によって今回のがんがひきおこされた可能性が大だから。
 でも、だからといって西洋医学の治療をいっさいするなってこと?

 「あの…私が考えていたのは、西洋医学の治療を受けつつ、その副作用を東洋医学で軽減できないかってことだったんですけど…」
 そう言ったら即座に否定された。
 「これはわかっておいてほしいんだけど、西洋医学と東洋医学の併用はできない。もし同時に使うと、西洋医学の薬の副作用だけでなく、効果のほうも消してしまうことになる。そうなると、医者は『薬が効いてない』と判断してどんどん強い薬に変えていくことになる。どっちにとってもいい結果は出ない」

 正直、これはかなりショックだった。
 併用……できない。
 どっちかを選ぶ……。
 無理だ……そんなの簡単に選べるわけがない。

 「西洋医学は病気のことしか考えないから。病気が治れば身体はどうなってもいい。あとはあなたの問題ですっていうのが西洋医学のやり方だから」
 それはわかる。
 ああ、わかりすぎるくらいわかる。
 だからこそ悩む。
 「すぐに決められるとは思わないけど。このあたりで身体のことを真剣に考えなきゃね」
 こうして一回目の治療は終了した。

 終わったあとに、七瀬さんと少し話をした。
 七瀬さんは「今すぐ西洋医学をいっさいやめろというのが無理なのはよくわかる。それはすごい覚悟がいること。ここに来る人はみんな最初は悩む。でもここで治療を受けていると、必ず身体が変わっていくことを自分で実感できるようになる。そうやって身体が納得できるようになれば、自然に『ああ、これが自分にとって必要なことなんだ』とすっと受け入れられるようになる。だから、とにかくしばらくは治療を続けてみてほしい」と言う。

 帰りのバスの中でずっと考えた。
 もし私が今まで大病をまったくしたことがない状態だったら、迷わず西洋医学を選んだだろうと思う。
 とにかくがんを叩くことが最大の目標。
 そのために身体にダメージを与えることになっても、それはしかたがないことだ。我慢するしかない。
 だって命がかかってるんだから。
 少しでも再発の不安をうち消すため、できうる限り、考えうる限りの治療を受けよう。
 そう思っただろう。

 でも今はどうしてもそうは思えない。
 がんははたして敵なのか?
 外から襲ってきたものではなく、もとは自分の一部だったのではないのか?
 がんがみつかるというのは、今までの自分の生き方そのものを見直せという「警告」なのではないか?
 今までの生活スタイルをそのまま支障なく継続したいがために、身体について深く考えることなく、がんという「邪魔もの」を切り捨ててすっきりする。
 本当にそれでいいのか?

 もちろん、初期だから言えるきれいごとだと言われればそれまでだ。
 がんと共存するなんてなまやさしいことではない。
 「肉を切らせて骨を断つ」ことが必要な場合もあるだろう。
 でも、がんにかかった人の苦しみの何割かは、病気ではなく治療によってもたらされることも事実だ。
 そしてその治療は、どこまでが「必要でしかたのないもの」なのか、どこからが「副作用だけをもたらすよけいなもの」なのかは、実際のところ誰にもわからない。
 治療を受ける人は「必要な治療」「効いている治療」だと信じてやるしかないが、治療を受ければ受けるほど、身体に負担がかかり、正常だった機能も損なわれていくという現実がある以上、治療は「やればいい」というものでは断じてない。

 ここで四ッ谷先生の「西洋医学は病気のことしか考えない。身体はどうなってもいい」という言葉がよみがえった。
 そこまで言うのは極論だとは思うが、東洋医学から見ればそう言われてもしかたのない部分はたしかにある。
 「命か、身体か、どっちが大事か」と言われたら、今の私は「身体」と答える。
 もちろん、どっちも大事で、二択にされることじたいがおかしいのだが、西洋医学では常にこの二択を迫られている感じがする。
 「命」を選び続ければ、「身体」はどんどんつけを背負わされる。
 そして悲鳴をあげ続ける「身体」に対し、西洋医学は無力だし、無関心だ。
 それはいやというほど知っている。

 だから、今回は簡単に「切れ」とか「抗がん剤やれ」とか言われても「治るならなんでもやります」という気持ちにはどうしてもなれない。それは事実だ。
 が、一方で、西洋医学をいっさい拒否して、東洋医学一辺倒で通し、命を落としたがん患者がたくさんいることも知っている。
 本当に東洋医学だけでがんが治るのか、それもまた確証はない。
 
 がんはまだ小さい。
 悪性度も低そうだ。
 だからこそ今のうちに早く切ったほうがいい。というのもひとつの意見。
 だからこそ今なら切らないで治せるかもしれない。というのもまたひとつの意見だ。

 難しい……。

拍手[2回]

 秋吉先生(仮名)の外来を受診し、私ははっきりと「L病院で治療を受けるのはやめよう」と心に決めた。
 翌日、私が誕生して以来の皆既日食が起こり、それを目撃しながら「これを機に私も生まれ変わるんだ」と自分に暗示をかけた(下の写真は家のベランダから撮影)。



 まずは南田先生(仮名)に自分の気持ちを率直に話してみよう。
 秋吉先生があてにならないことははっきりしたのだから。
 それこそ「どこまでご理解いただけるのか」わからないが、どの病院に移るにせよ、L病院からの紹介状がなければセカンドオピニオンすら受けられないのだ。
 私の置かれた状況を少しでも理解してくれる医師をL病院の中でみつけなければならない。
 うっかり心証を害されたら、紹介状にもなにを書かれるかわかったものではない。
 元の病院でいざこざを起こしてよその病院に移ろうとした患者が、セカンドオピニオンを妨害されたという話は決して珍しくない(その場合、相談先の病院に「うちに来てもやることは同じだし、元の病院で治療したほうがいいのでは?」とやんわり押し戻されることもある)。

 南田先生は24日なら時間がとれると言っていたので、とにかく24日に、何時でもいいからゆっくり話せる時間をとってもらおうと電話を入れたところ、「外来診療後なら…」とアポを入れてくれた。

 それまでの2日間、私は気合いを入れて「乳がん」について情報収集しまくった。
 ネットで調べるだけではなく、医療関係者の知り合いや、乳がん経験者の知り合い、がん患者サポートの相談受付など、電話もかけまくった。
 望む情報は一度には入ってこなかったが、ひとつひとつは不完全な情報でも、集めるうちにだんだんと輪郭が見えてきた。
 乳がん経験者といえば母が一番身近で、乳がん関係の本や資料などもうちにはあったのだが、4年半前の資料はどれもすでに情報が古かった。
 日本はまだまだ乳がん後進国であり、人気の病院も最新の治療法も、日々更新され続けている。

 7月24日。この日は朝から漢方をもらいに行き、リンパマッサージに行き、鍼治療を受け、最後に南田先生と会う…というハードスケジュールの一日だった。
 外来を終えた南田先生の診察室に呼び入れられたのは6時すぎだった。

 最初はセカンドオピニオンの紹介状の話から。
 いろいろ調べた結果、有明と聖路加に意見を聞きに行くことにしたと話したところ、即座に2軒分の紹介状を作成してくれた(紹介状の中身もその場で見せてくれた)。
 標本についてはすぐには用意できないが、7月中には用意できるようにするとのこと。
 南田先生は、セカンドオピニオンを受けにいくことに関してはまったく抵抗がないようで、非常に協力的だった。
 まずは紹介状をもらうことができて一安心。

 続いて、治療法についての相談に入った。
 私はできるだけ正直に、今の気持ちを先生に語った。
 外からはわかりにくいだろうが、前の治療の後遺症で、今は毎日の日常生活を送るのも大変な状況であるということ。
 特に左腕の麻痺と鎖骨まわりの硬化は全身に影響を与えており、QOL(生活の質)も著しく損なわれているということ。
 そのことをここの病院は一度としてまともにとりあってくれなかったということ。
 ましてや症状を緩和することに関しては無力に等しいということ。
 今は、漢方や鍼など、東洋医学の力を借りてやっとこさっとこ生活しているが、もしこのまま症状が悪化したら、将来ひとりで暮らすことも難しくなるのではないかと常に不安を抱えているということ。

 そのような状態で外科手術を受けたり、化学療法を行ったりしたら、後遺症に拍車がかかってまともに生活が送れなくなるのではないかと心配でたまらないということ。
 これが初めてのがん治療ならば、もっと前向きに治そうと思えたかもしれないが、がん治療の結果、今のような状態がもたらされたと思うと、なかなかこれ以上の治療を受ける気になれないということ。
 「全摘すれば安心だから」と軽く言われたが、私はその昔、ここの病院で「放射線をかけておけば安心」と言われて、言われた通りに治療を受けたが、その結果はご覧の通りで、毎日後遺症に苦しんでいる。「安心」という言葉を聞くと、そのことを思い出してかえって不信感が募ってしまうということ。
 南田先生に不満があるわけではまったくないが、この病院で治療を受けることに関しては複雑な思いがあり、心理的に抵抗があるのは否定できないということ。

 南田先生は想像以上に真剣な様子で話に耳を傾け、「それは…そんな経緯があるならそう思うのは当然だと思いますよ」と私の思いを受け止めてくれた。
 話をきくと、たしかにその状態で全摘はつらいと思うし、メスを入れること自体に躊躇があるのもわかる。化学療法にしても、唯一使えるタキサン系は「末梢神経にかなりしつこいしびれが残る」という副作用が報告されているので、すでに麻痺と浮腫が進んでいる状態で使うのは憚られる。この病院では標準治療(全摘+化学療法とホルモン療法)しかすることはできないが、標準治療外の治療を積極的に行っている病院もたくさんあるので、いろいろな病院の意見をきいてみてはどうか。
 そう言ってくれた。

 さらにひとつの提案として「術前ホルモン療法」という治療法も教えてくれた。
 ホルモン療法といえば、術後に再発予防のために数年間投与するものだが、最近は術前に半年ほど投与するという方法が注目されているのだという。
 そのメリットはおもに2点ある。

 1つ目は、「術前に病巣をできるだけ小さくして、外科手術の負担を減らせる」ということ。
 「術前化学療法」も同じ考え方で行われている治療法だが、一般的に、ホルモン療法は化学療法ほど顕著な効果はないと言われているため、大きな腫瘍を術前に短期間でできるだけ小さくしたいという目的ならば、「化学療法」が選択されることのほうが圧倒的に多い。
 しかし、実際は、化学療法でも人によっては効かない場合もあるし、薬が合えばホルモン療法でも充分縮小効果が認められることがあるので、必ずしも化学療法>ホルモン療法というわけではないらしい。
 
 2つ目のメリットは「薬の効果がたしかめられる」ということ。
 当然のことだが、手術後はがんの病巣は取り除かれているので、その状態で抗がん剤なりホルモン剤なりを投与しても、本当にその薬が再発予防に効いているのかは証明できない。
 しかし、まだがん細胞が目に見えているうちに薬を投与すれば、その薬が効いているのかいないのかははっきりわかる。
 効かないようなら薬を変えればいいし、明らかな縮小効果が見られるようなら、術後にもう一度その薬を使えば予防効果が見込める。
 効いてるのか効いてないのかさだかでない薬を、高いお金を払い、きつい副作用を我慢しながら続けるのはたしかに不合理だ。
 特にホルモン剤は、術後5年間という長期間にわたって服用するので、合わない薬を飲み続けることはQOLにも影響する。

 以上の理由から、最近はそれほど大きな腫瘍でなくても、術前に薬を投与するケースが増えてきているのだという。
 ただし、これはまだあくまでも「標準外の治療」。
 標準治療では、ホルモン療法は術後に行うことになっている。

 南田先生は、私の場合、ホルモンの感受性が非常に強いタイプのがんであることがわかっているので、ホルモン療法は最優先で使ってみる価値があるという。
 その結果、腫瘍の縮小が認められれば、外科手術のダメージも最小限に抑えられるし、もしかしたら手術なしでもいけるかもしれないと言われて驚いた。
 手術なしなんて考えもしなかったが、乳がん先進国アメリカでは、「乳がんはいずれ手術なしで治せる時がくる」と言われているらしい。

 南田先生の話をきいて、気持ちが随分落ち着いてきた。
 事態はなにも変わっていないのだが、先生の対応ひとつで帰りの患者の足取りは重くも軽くもなる。
 秋吉先生の診察後とはなんという違いだろう!

 考えてみれば、これって逆ではないだろうか。
 今までの事情をよく知らない外科医は「全摘すれば安心なんだから、ごちゃごちゃ言わないで全摘、全摘」と言い、今までの事情をよく知る放射線科医は「そこをなんとか他の可能性も考えてほしい。放射線はもう使えないが、術前ホルモン療法ならばあるいは手術しない道も開けるのではないか」と患者目線で外科医を説得する。
 これならわかるが、まったく逆ってどういうこと?(笑)

 とにかく、南田先生が事情を理解してくれて本当に気が楽になった。
 L病院で治療を受けたくない気持ちに変わりはないが、窓口になってくれるドクターがみつかったことで、孤立無援の精神状態からは脱却できた。

 週が明けたらさっそく病院を探そう……。
 漂流の旅は始まったばかりだ。

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 7月21日。連休が明けたので、さっそく癌研有明病院へセカンドオピニオンの申込電話をかけてみた。
 有明といえば、乳がん治療においては、全国でダントツトップの症例数を誇るがん治療最先端の病院。当然、混雑が予想される。
 ホームページを見ても「現在大変混み合っていて、ご迷惑をおかけいたしております」という表記がいたるところに見られる。
 それなりの覚悟はしていたが、電話をしたら「一番早くて8月15日」と言われてため息をついた。

 あくまでもセカンドオピニオンなので、そこからすぐに治療が始まるわけではない。
 セカンドオピニオンの結果とともにいったん元の病院に戻され、やっぱり病院を移りたいという場合は、元の病院の担当医にあらためて紹介状を書いてもらって受診し、そこで初めてカルテが作られる(「希望者が多いので、治療方針が同じだった場合は元の病院で治療してほしい」とも書かれていた)。
 手術をしてもらうには、さらに2〜3ヶ月待ちだという。
 「乳がんは急激に進行するものではないので、数ヶ月くらいは待っても大丈夫」とは言われているが、がんがあるとわかっている状態で何ヶ月も待たされるのは正直不安ではある。目に見えないものだけによけいに。
 8月15日はとても先に思えた。

 基本的に、セカンドオピニオンは「担当医からの紹介状」と「診療経過と検査結果の内容が書かれたレポート」、あるいはCTなどの画像データがあればコメントをもらうことができる。
 しかし、私はせっかく“病理では日本一の癌研”に行くのだから、ぜひとも組織の標本も見てもらいたいと思っていた。
 そう言ったら「病理診断は別料金」だという。
 相談料が30分で31,500円(保険適用外なのでけっこうなお値段)。病理診断するのにはさらに5,250円かかるとのこと。
 がん治療はお金がかかるとは聞いていたが、治療前からすでにその予感を感じさせた。

 病理診断は、すぐその場で意見が言えるものではないので、病理標本は相談日の1週間前までに直接病院まで届けてほしいという。
 それもいつ行ってもいいわけではなく、確実に届けられる日時を事前に申告しなければならないのだそうだ。
 と言われても、L病院のほうでいつまでに標本を用意してもらえるのかわからないので、いったん電話を切って南田先生(仮名)に電話してみたのだが、「即答はできない。今忙しくて23日まで時間がとれないので、24日にもう一度連絡してほしい」と言われてしまう。
 しょうがないので、その旨をまた有明に電話。本当は「いつまでに確実に用意できるか」がわからないと予約は入れられないらしいのだが、それを待っているとどんどん遅くなってしまうので、最悪1週間前までに標本を用意できなかった場合は「相談」だけすることにして、とにかく8月15日には予約を入れた。

 この日の午後は、放射線科の秋吉先生(仮名)の診察がある日だった。
 あの「カーテン裏盗聴事件」以来、秋吉先生がどういうつもりでいるのかずっと気になっていた。
 放射線科にできることはもうない以上、他の病院に移った方がいいと思っているのか。
 あのときは南田先生の手前、「他の病院に行け」とは言えなかったのか。
 いろいろ考えたが、今日は1対1になるので、本音を話してくれるかもしれない。
 そう期待して病院に行った。
 が、この日の診察は私にはっきりと「L病院との絶縁」を決意させる出来事となった。
 診察室に入ったあと、開口一番秋吉先生が言い放った言葉は
 
普通のがんです。ごく普通の一般的な乳がんですね」

 という言葉だった。
 それもカルテに目をおとしながらである。

 「普通って……なに?」
 なにが言いたいのか意味がわからず、しばらくその後の言葉を待ったが、続く言葉はなにもなかった。
 あとは「で、なに?」という質問待ちの態度で、自分から何かを伝えようという姿勢はかけらも見られなかった。

 「それで終わりかい!!!」

 と叫びたくなる衝動を抑えつつ、しかたなく「あの…放射線がかけられないと全摘になると言われたんですが、私はこのように左半身に障害があって、今でも麻痺と浮腫がひどい状態なので、このうえ同じ側を全摘するというのはとても不安なんですけど」と言ったところ、思いっきり切り口上で「関係ないです。腋のリンパを廓清しない限り、腕には影響ありませんから。問題ないです。はい」と返された。

 耳を疑うような返答だった。
 リンパをいじらなければ腕に浮腫は出ない。
 それはあくまでも「どこも悪くない健康な状態の人が手術した場合」という教科書的な一般論だろう。
 少なくとも現在「肩の筋力が低下して腕があがらない」「指が脱力して手が握れない」という顕著な障害が出ている患者に対して(しかもその障害はこの先も進むかもしれないと自分でも言っていたのに)、この答え方はないと思った。

 リンパを廓清しても浮腫が出ない人もいるし、しなくても出る人はいる。要するに出るか出ないかは最終的には個人差だ。だからいくら医者でも事前に後遺症や副作用が「出る」か「出ないか」を断言することはできないはずだ。 
 私は断言してほしいわけじゃない。
 普通は「問題ない」ことでも、こんな状態でこれ以上身体にメスを入れられたらまたなにが起こるかわからない。
 その恐怖をまずは受け止めてほしかったのだ。
 「それは心配ですよね。わかりますよ」の一言でもいいから。
 なぜそれがわからないのだろう。

 全摘は影響ないというが、全摘を行った人は、身体の左右のバランスが崩れるため、歩行訓練から始めるという話もきいた。
 今でもバランスが崩れているのにこのうえまた?と不安になるのは当然だろう。
 「腕があがりにくくなるのでなるべく早めにリハビリをしましょう」とも書かれていた。
 今でも自力で動かせない状態なのにどうやってリハビリしろというのだ。
 言い返したいことはいっぱいあったが、秋吉先生は全身にピリピリとした警戒心を漂わせていて、とても言い返せる雰囲気ではなかった。

 しかたなく、今度は質問の種類を変えた。
 「化学療法ですけど、このあいだ南田先生に『アンスラサイクリン系の薬は過去の治療で目一杯使ってしまっているのでこれ以上使うと心臓に負担がかかる。使えるとしたらタキサン系しかない』と言われました。タキサン系はかなり強い薬だって聞いたんですけど…」
 すると今度も断言口調で答えが返ってきた。
 「そんなことないです。べつに強くないです。乳がんの患者さんは皆さん普通に使ってらっしゃいます。普通のお薬です」
 またもや「普通」という言葉が出た。
 4年前、腕の麻痺が放射線照射の後遺症だと教えてくれたとき、秋吉先生は何度も「こんなに大量に放射線を照射された人を私は見たことがないです。世界で一人しかいないです」と繰り返した。
 「世界で一人」が一気に「普通」に格下げか……。

 内心、秋吉先生が他の医療機関を推薦してくれるのかと期待していたが、この日の秋吉先生からはみじんもそんな様子は見られなかった。
 セカンドオピニオンをもらいにいきたいという話をしようと思っていたが、どんどん切り出しにくくなってきた。
 まるでアンドロイドとしゃべっているような気分だ。
 「それがなにか? 問題なんてなにもないでしょ? あるなら言って?」
 そんな臨戦態勢の空気が私から質問する気力を奪っていき、いろいろな感情がごちゃまぜになって、頭がくらくらしてきた。

 横で聞いていた母が、たまりかねて横から口を出した。
 「あの…南田先生は全摘のつもりでいらっしゃるのでしょうか」
 これにも即答。
 「はい。そうです」
 とりつく島がないとはまさにこのこと。
 「過去にいろいろありましたし…」
 母はなんとか「察してほしい」というオーラを発しながら言葉を濁したが、秋吉先生は「はい」と相づちを打つだけで話をぶったぎってしまう。
 「他の病院の意見もきいてみたいんですけど、有明とかどうなんでしょう。たしか前回先生が『放射線治療なしで温存手術をやってる』って…」
 しかたなくストレートにきいたが、「人気のある病院は順番待ちで手術が遅くなる。うちは乳腺科としては都内でもトップ3に入る格の病院。そこで早く手術してもらえるんだからありがたく思え」的なことを言われて唖然とした。
 過去の話はもうまったくなかったかのような言い方だった。

 ショックのあまりしばらく黙っていたら、今度は「せっかく早くみつかったんですから」ととってつけたように付け加えてきた。
 もう答える気にもならなかったが、母に「なにか言ってやれ」というように促されたため、やっとの思いで口を開いた。
 「頭では…」
 「はい」
 「頭ではわかってるんですけど、この20年間、いろいろありすぎて…」
 看護師がカーテンの隙間から様子をうかがっているのがわかる。
 秋吉先生はあきらかに看護師の視線も気にしているように見えた。
 「やっとけりがついたと思ったとたん、いきなり告知されて…」
 「はい」
 頼むからその形式的なあいづちやめて。しゃべればしゃべるほど口が重くなり、心が冷えてくる。
 「それで突然全摘って言われても…気持ちとしてすぐには受け入れられないです…」
 ここまで言うのが精一杯だったが、これに対し、秋吉先生はあっさりこう言った。
 この言葉、私は一生忘れない。

 「ええ。でも現実に病気はあるわけですし。病気から逃げるわけにはいかないですから

 ……。
 こんな思いやりのない言葉ってあるだろうか。
 あまりにもひどすぎる。
 声を大にして言いたいが、私は今まで一度たりとも病気や治療から逃げたことなんてなかった。
 今考えればまじめすぎるほど前向きに治療を受けてきた。
 それもこれも病院を、医師を信頼していたからだ。そうしなければ乗り切れなかったのだ。
 それを裏切ったのはあんたたちだろう。
 逃げたのはそっちじゃないか。
 そんなふうに言われる筋合いは断じてない。
 患者をなめるのもいい加減にしてほしい。
 この言葉で、ずるずる閉まりかけていた私の中のシャッターが完全に閉じた。

 母もさすがにあきれたようだったが、気が収まらなかったのか、最後にこう聞いた。
 「南田先生には過去のことはちゃんと話してくださったんでしょうか」
 秋吉先生は再び険しい表情になり、こう答えた。
 「もちろんです。ちゃんとお話しました」
 そしてこうつけくわえた。
 「どこまでご理解いただけたかはわかりませんが

 はあ〜?!
 なんだそりゃあ。理解できるように話せよ!!
 子供のお使いじゃないんだから。
 この発言で、万が一、南田先生に伝わっていないことがあっても、「それは私のせいではなく、ちゃんときいてなかった南田先生が悪いんです」という責任逃れをするつもりなのだとわかった。
 これは…話してないな。
 過去に二度放射線をかけているのでもう治療できないということは話さざるをえないだろうが、具体的にどこにどれだけ照射したかは詳しく話してないと見た。
 「よそへ行かれて身内の恥をさらしたくない」「といって内部の他科の先生に広まるのもいや」「でも私に責任がおよぶのはまっぴら」という葛藤の中で、言うことが支離滅裂になっている。

 話すことがなくなると、秋吉先生は「次の乳腺外来は31日でしたっけ。その日は私もとなりの診察室にいるので、終わったあとにこちらの予約も入れておきましょうか」と言い出した。
 黙っていたら「じゃあ一応入れておくのでいらっしゃらなくてもいいですよ」と勝手に予約を入れられてしまった。
 誰が行くか!と心の中で叫び続けたが、表に出す気力はなかった。

 結局、最後まで秋吉先生の口から「なぐさめ」の言葉はいっさい出てこなかった。
 初めて会った先生ならともかく、秋吉先生は私が今までどんな思いをしてきたのか、この病院で一番よく知っているはずだ。
 まず最初に「ようやく終わったと思ったのにこんなことになってさぞショックだったでしょうね。でも私もなんとかいい方法をいろいろ考えますから、一緒に頑張りましょうね」くらいの、それこそ「普通の慰め」の一言でもいったらどうなんだろう。
 その一言があるだけで患者の気持ちは全然違うのに。
 そんな形式的なセリフ、言っても言わなくても同じだ。治療効果には関係ないとでも思っているんだろうか。

 会計を待っている間、悔しくて情けなくて涙がボタボタ落ちてきた。
 乳がんと言われてから初めて、私は泣いた。

 最初は「損得を考えずに患者のためにミスを指摘してくれた勇気のある先生」だと思って感謝していた。
 でも今はっきりわかった。
 この先生は「患者のために」行動するような人じゃない。
 単に「自己満足」したいだけなのだ。
 ミスを指摘した「自分の正義感」に酔い、病院に圧力をかけられれば「なんで私ばっかりこんな目に」と被害者モード全開になり、あとは「保身」で頭がいっぱいになる。
 患者のことなどこれっぽっちも考えちゃいない。
 本人は考えてるつもりだろうが、完全なる独り相撲だ。

 たしかに損得で動く人ではないと思う。
 本当に損得で動く人ならもっとうまくたちまわるだろう。
 ある意味正直な人なのだと思うが、その基準が「自分が一番えらい」というねじれたプライドにあるので、自分を正当化するために言うことがコロコロ変わるのだ。
 これは損得で動く人よりたちが悪い。

 そう考えると、最初にいきなり「普通の乳がん」と強調したのも「放射線照射のために起こった二次発癌」だとつっこまれないための保身だったのだとわかる。
 今まで違和感を感じた発言はすべて「保身」というキーワードで見てみれば腑に落ちた。
 
 以前、放射線を過剰に照射した先生に、秋吉先生が事情説明を求める電話をしたことがあった。
 過剰医師は事情説明どころか烈火の如く怒りまくり、「俺は悪くない。そんなことを患者から言われるなんておまえがバカだからだ」と罵倒されたらしい。
 会ったこともない人間から「バカ」呼ばわりされたことが秋吉先生はよっぽど耐え難かったのだろう。憤然とした様子で「バカって言われたんですよ、私」「私も訴えたいですよ」と何度も繰り返していた(この話をきいたフランソワさんは「なんか『父にも殴られたことないのにッ!』っていう感じだよね」と言っていたが、まさにそんな感じだ)。
 そのときは私も過剰医師に怒り心頭だったので、「秋吉先生も一緒に怒ってくれてる…」と思っていたのだが、今考えればなんのことはない、秋吉先生は「過剰に照射したこと」よりも「この優秀な私がバカと言われたこと」のほうがずっと深刻な問題だったのだ。「訴えたい」のは「医療過誤」ではなく「侮辱罪」のほうだったのだろう。

 結局、秋吉先生は「自分に都合のいい治療」(本人は「正しい治療」と同義だと思っている)しかやるつもりはないのだ。
 それに患者が少しでも異を唱えれば、その場しのぎの理論武装をして頭からねじふせる。
 この人には最初から答えが一つしかない。
 今日の診察でそれがよくわかった。

 秋吉先生は今日、医者として今一番やらなければならないことを放棄した。
 私はそのことを絶対に許さない。

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 7月17日。最初の診察日がやってきた。
 乳腺科の南田先生(仮名)は、組織検査の結果について以下のように説明してくれた。

 まずは病期(進行度)について。
 これはしこりの大きさとリンパへの転移があるかどうかで決まる。
 当然、大きさは小さい方がいいし、転移はないほうがいい(一般的には大きいほど転移している確率が高くなるが、小さくても転移している場合もある)。
 私のしこりは最大径で27ミリ程度。すごく小さいとは言えないが、決して大きくはない。
 1期から4期まである中では2期にあたる(0期というのもあるが、これは乳管内のみにとどまって管外への浸潤がない状態。この状態ではまず触っただけではわからない)。
 リンパへの転移(最初は腋のリンパに転移する)は、今のところはなさそうだが、正確なところは切ってみなければわからないとのこと。

 次にがんの広がり具合について。
 しこりに存在するがん細胞は、時間が経つにつれて、蜘蛛の巣のように張り巡らされている乳管をつたって乳房全体に広がっていく。
 しこりが小さくても、広がり具合が大きいとそれだけ切除部分も大きくなるわけで、病期だけでは安心できない。
 この広がり具合も、今のところは「それほど広がっていなさそう」という診断だった。

 さらに、がん細胞の性質として、今後の治療法を決める目安となるデータがいくつかわかった。
 ひとつは「ホルモン受容体の有無」。
 これは、女性ホルモンを餌として育っていくタイプのがんであるか、そうでないかという診断で、もし前者ならば「ホルモン剤(女性ホルモンをブロックする薬)」を使うことでがんが育たないようにすることができる。
 つまり、乳がんは、数あるがんの中でも、「抗がん剤」以外の薬が有効という点で、選択肢がひとつよけいにあるわけだ。
 当然だが、後者であればホルモン剤は使っても効果がない。
 検査対象となる女性ホルモンは、エストロゲンとプロゲステロンの2つ。
 私の場合は両ホルモンともマックスの感受性を示す数値が出た。

 もうひとつはがん細胞にHER2(ハーツー)という遺伝子があるかどうか。
 これが陽性だとがんの増殖能力が高いと言われており、ちょっと前までは恐れられていたが、今は分子標的薬(ハーセプチン)というHER2の増殖能力を抑える薬が登場したため、前よりは安心できるようになったという。
 もちろん、これも陽性の人にしか効果がない薬なので、全員に使っても意味がない。
 私の検査結果は2+。
 0か1+であれば陰性で、3+だと陽性。2+は「境界域」らしい。
 この場合、FISH法というさらに詳細な検査をして「陰性」か「陽性」かを決めるのだが、この結果が出るのはけっこう時間がかかる。

 がんの悪性度を判断する材料としては、HER2の他に「核異型度」という指標がある。
 どのくらい変形しているかの度合いをみるらしいが、これは3段階評価で「1」。
 まあ比較的おとなしい性質の「良い子」ということらしい。

 以上が私のがんについての身上書(?)だ。
 今後の検査でもう少し明らかになることもあるが、最終的には外科手術で組織をまるごととりだし、すみからすみまでくまなく病理検査を行うことによってすべてがはっきりする。
 今後の検査については、7月30日にCT検査を行って肺や脳、肝臓などの他臓器に遠隔転移がないかどうかを見て(それによってまた治療法が変わってくる)、さらに8月20日にMRI検査でがんの広がり具合をさらに細かくチェック。
 手術は最短で8月31日に予約できるという。
 驚いたことに、南田先生は、このすべての予約をすでに入れておいてくれたらしい。

 乳がんを治療するにあたって、まずおさえておかなくてはならないこと。
 それは、乳がんは「乳房という局所にできた悪性のできもの」ではなく、「全身病」だということだ。
 がんにもいろいろあるが、乳がんは育つのが遅い。
 今は乳房内にしかがん細胞を発見できなくても、発見できないレベルの大きさで全身のどこかにすでに同胞が散らばっている可能性がおおいにあるのだ。

 昔はがんがある部分だけを切り取れば終わりという外科レベルのみの話だったが、今は手術が終わったあとに、放射線をかけるなり、抗がん剤を使うなりして、「どこかに芽吹いているかもしれないがん細胞」を機銃掃射することが必須になっている。
 それをしておかないと、時間差で育ってきたがん細胞が、5年後、10年後にどこからか顔を出すかもしれない。
 だから今の乳がん治療には、「外科」だけでなく、腫瘍内科や放射線科など(再建手術をするなら形成外科も)いろいろな科の連携プレーが必要になっている。

 乳がんの標準的な治療は以下の通りだ。
 まず、大きさや広がり具合によって一部を切り取り乳房を残す「温存」か、乳房全部を切除するいわゆる「全摘」かを決める。
 もちろん、切ってみて「思ったより広がっている」「思ったより転移している」ということがわかった場合は、手術中に「温存」から「全摘」に切り替える場合もある。
 うちの母の場合も、麻酔から覚めたときに「残ってるのかどうか」がわからず、誰も何も言ってくれないので「これは全摘されたんだ」と思い込んだという(実際は最小限の温存で済んだわけだが)。
 ここで温存だった場合は、残った乳房に放射線をかけるのが一般的なやり方だ。
 これは残りの乳房内での再発率をおさえるための予防治療である。
 全摘の場合にはこれは省略される。

 乳房についての治療は以上で、あとは全身治療が行われる。
 方法は抗がん剤治療、ホルモン治療、分子標的薬など。
 抗がん剤以外は、がんのタイプによって使える人と使えない人がいるということは前述した通りだ。
 それらを考慮した上で、複数の治療を組み合わせたり、単独で行ったりするわけだが、このへんのやり方は、データ的にまったく同じ病状であっても、病院によって、医師によって異なってくる。

 さらに、患者の価値観(なにを最優先させ、なにをあきらめるか)によってもとる治療は変わってくるので、乳がんの治療は本当に奥が深い。
 これはもう乳房の数だけ治療法があるといってもいいのかもしれない。
 自分の目にふれる部分だけに、内臓の切除とはまた違ったデリケートな問題を抱えているのが乳がんの難しさだ。
 説明が長くなったが、ここをおさえておかないと話が先に進まないので、乳がんになったら、「医療素人レベル」でこれくらいは知っておいたほうがいいだろうという前提をあえて最初にまとめてみた。

 さて、ここからが本題。
 今までの話はあくまでも一般論。前科がない人のケースだ。
 私が乳がんと聞いたとたん、まっさきに脳裏をよぎったのは、「私はもう放射線はかけられない。普通だったら温存できる大きさでも、温存と放射線治療がセットになっている以上、問答無用で全摘されるんだろうな」という絶望的な予測だった。

 誰だって全摘なんてしたくはない。
 ましてや、今は昔に比べて「温存できるケース」が増えているのだから、できうる限り温存したいと思うのが当然だ。
 それに、病巣が大きく広がってしまっているのならまだしかたがないと思える部分もあるが、上記の身上書を見てもわかる通り、今の私の状態は通常なら充分温存できるケースなのだ(と南田先生にも言われた)。
 にもかかわらず、過去の野蛮な放射線治療のせいで二次発癌を起こし(南田先生はその可能性も認めた)、その治療のせいで温存できる乳房が全摘されるのか。

 そう思うと過去にあじわってきた怒りや悔しさや恨みがあとからあとからこみあげてきて、「治療を頑張る」とかいう問題以前に、こんな病院と和解したことが悔やまれてならなかった。
 まわりの人から「乳がんには今いい治療法がどんどん出てきてるっていうし…」と言われるたびに、「違う!私は乳がんでおちこんでるわけじゃない。どんなにいい治療法があったって私には使えない。乳がんの治療もできない身体にした病院が憎くて、でもそれをぶつける場所がないことにいらだっている自分をどうしようもできなくて悲しいんだよ!!」と心の中で叫び続けた。

 それでも、まだ私は放射線治療ができるかもしれないという一縷の望みを抱いていた。
 今は医療も進歩して、今までには考えられなかったようなハイテクな照射方法が編み出されているかもしれない。
 そうでも思わなければ診察を受けに行く気力も萎えそうだった。
 今日はまず南田先生にそのことを質問しなければ。
 南田先生に過去の話がどこまで伝わっているのかはわからなかったが、今日南田先生の診察を受けることは秋吉先生も知っているはずなので、きっと事情はわかってくれているだろう。

 「あの…私は過去にかなりの量の放射線照射を受けているんですが、今回は放射線治療を受けられるんでしょうか」
 こう切り出すと、南田先生は、すぐに「無理ですね」というのではなく、まずは「乳房の照射にはこういう方法があって…」と図に書きながら説明をし始めた。
 その話に耳を傾けようとした瞬間である。
 信じられないことが起こった。

 突然、南田先生の後ろにひかれていたカーテンがジャッと勢いよく開いて、秋吉先生が飛び出してきたのだ。
 顔面は蒼白で、表情はひきつっている。
 どう見てもたまたま通りかかったのではなく、「盗み聞きしていてたまらずにとびだしてきた」という感じだった。
 「あの…今ずっと後ろで聞いてて、いてもたってもいられなくなって出てきちゃったんですけど…」
 しかも自分で言ってるし!
 口早に言い訳をしたあと、ひときわ大きな声で秋吉先生は叫んだ。

 「放射線はできませんから!」

 その異様な雰囲気にのまれて、南田先生も私も母もしばらく言葉を失った。
 その間を埋めるようにさらに秋吉先生は叫んだ。
 「前回、胸部までかかってますし…私にはできません!無理です!絶対に!」
 誰も反論していないのに秋吉先生は一人で「できない」を連呼した。
 「有明の癌研なら部分切除で放射線なしという手術もやっているようですが、それはあくまでも標準外の治療ですから」
 なぜか他の病院の情報まで流している。
 これはどういう意味なのか。
 「うちでは標準治療の全摘しかできない。他へ行ったほうがあなたのためよ」というメッセージなのか?
 呆然としているうちに、再びジャッとカーテンが閉まり、秋吉先生は退場してしまった。

 「えーと…そういうことで」と我に返って本題に戻る南田先生。
 先生もあきらかに秋吉先生の行動に戸惑っている様子だった。
 「今秋吉先生がおっしゃってたように、放射線がかけられないということになると標準治療では全摘になりますね」

 標準治療とは、世界的に効果と安全性が認められているオーソドックスな治療法のことで、標準からはずれた治療をすれば当然リスクも高くなるということだが、病院によっては新しい治療法を確立するために、積極的に標準外の治療に取り組んでいるところもある。
 有明の癌研は、病理に絶対的な自信をもっているため、残った部分に放射線をかけなくても、かけた人と再発率は変わらないというデータを持っているらしい。
 じつは私もその情報については事前に調べていたので、病院を移るのは難しいとしても、せめて有明のセカンドオピニオンは聞いてみたいと思っていたのだ。
 このままなにもせずにL病院の言われるがままになるのはあまりにもやりきれない。

 南田先生も「乳がんは急激に進行する心配はまずないので、納得できない点があるなら考えたり調べたりする時間をとったほうがいいですよ」という。
 とにかく、これから少し他の病院の情報を収集してみよう。
 今度こそ後悔がないように。

 それにしても秋吉先生…なぜカーテンの後ろでこそこそ立ち聞きなんてしてたんだろう。
 この病院では私の主治医的立場なんだし、南田先生に話を通したのも秋吉先生なんだし、堂々と最初から同席すればいいのに…。
 主治医が立ち聞きなんてどう考えてもおかしすぎる。
 いろいろ理由を推測してみたが、結局答えはみつからなかった。

 が、このときの違和感は、あとになって決定的な形で現れることになるのだった。

拍手[1回]

 自慢じゃないが、30代から乳がん検診は欠かさなかった。
 40すぎてからは、半年に1回、エコー(超音波)とマンモグラフィーを交互に受けている。
 乳がんはがんの中でも比較的成長が遅く、1センチ育つのに10年かかるという豆知識もあったので、半年に1回チェックしてれば見逃すことはないだろうと思っていた。

 最初に異常に気づいたのは今年の2月16日の朝のこと。
 ちょうど前日に大きなイベントを終えて安堵して眠りについたあと、左の乳房に痛みを感じた。
 眠りながらもずっと「痛いな」という感覚は消えなかったが、目が覚めてしまうほどではなく、朝起きたときにあらためて状態を確かめようと触ってみて仰天した。
 前日まではなにもなかったはずなのに、一晩にして(まさに一晩にしてとしか言いようがない)岩石の塊が乳房の中に入り込んだかのような異物が手に触れたのだ(位置は上部内側)。
 
 「ま、まさかこれって…」
 冷水を浴びせられたような気分であわててネットを検索したが、調べるうちにだんだんクールダウンしてきた。
 「乳がんじゃないな」
 第一に、「がんは無痛」だということ。
 もちろん、例外もあるだろうが、一般的に乳がんは「痛み」を伴わない。
 こんなに痛いのだからなにか他の乳腺の病気だろう。
 第二に、半年に一度検診をしているのに、こんなに大きなしこりが一夜城のように突然出現するはずがない。
 検診をしているがゆえの自信が私にはあった。

 もちろん、そうはいっても放置しておくつもりはなかった。
 まずは、いつも乳がん検診を受けている病院に電話をして「こういう状態なので受診したい」と言ったのだが、「予約が取れるのは2週間後」と言われた。
 いくらなんでもそれは遅すぎる。
 しかたなく、今度はL病院の乳腺科に電話をかけて「受診したい」旨を伝えたところ、「初診になるので、まずいつもかかっている科で紹介状をもらえ」と言われる。
 紹介状って……いや、そりゃあたしかに乳腺科にかかるのは初めてだけど、L病院にはもう20年以上かかっていて、十指に余るほどの数の科を受診しているのだ。
 今さら「一見」呼ばわりかよ。と少々むっとした。
 内部のことなんだから、紹介状なんてあとでもらえばいいじゃんと思ったが、そういうところは大病院は融通がきかないので、言われた通り、いつもメインでかかっている放射線科に電話して事情を説明した。

 放射線科の担当医、秋吉先生(仮名)は、私より少し年上の女性のドクターで、L病院でただ一人、過去の放射線治療が過剰であること、現在出ている後遺症との因果関係について話してくれた先生だ。
 結果的には秋吉先生の発言がきっかけで訴訟にまで発展してしまったため、多分院内では相当気まずい立場におかれてしまったのではないかと推察する。
 それでも最初のうちは「私には医師としての良心がありますから」とまるで「白い巨塔」の里見医師のような勢いできっぱりと言い切っていた秋吉先生だが、さすがに訴訟が進むにつれてだんだん勢いがなくなってきた。
 そのうちに「あれ?このあいだ言ってたことと矛盾してない?」という発言も散見されるようになってきたが、それはまあしかたがないかなとは思う。
 組織の中で働いている以上、これが精一杯だということはよくわかるから。
 里見医師なんて物語の中にしか存在しない。
 過剰照射の事実を教えてくれたことだけで、私はありがたいと思っている。

 それはともかく、翌日(17日)、私は秋吉先生の外来を受診した。
 秋吉先生は放射線の中でも乳腺が専門だったのはラッキーだった。
 先生は手回しよく、すぐに血液検査とマンモグラフィーの検査が受けられるようにしておいてくれた。
 その場で画像を確認したところ、案の定、今まで見たことがないような巨大な塊が白ヌキで写っていた。
 ただ、これだけでは「良性」とも「悪性」とも言えない。血液検査の結果にも決定的な異常はみつからなかった。
 「悪性にしては、痛みがあることや、急に大きくなるという部分に疑問を感じる」という点については秋吉先生も同意見だったが、とにかくエコーをやったほうがいいということで乳腺科に予約を入れてもらい、炎症を抑えるために抗生剤をもらった。
 1日たったら皮膚の表面も発赤して熱をもってきて、見るからに炎症を起こしている感じだ。

 ところが、その後抗生剤を飲むうちに乳房の痛みはひいてきて、しこりもどんどん柔らかくなってきてしまった。
 「小さくなったってことはやっぱりシロだったんだ」
 安心したとたん、今度は大風邪をひいた。
 疲れもたまっていたし、風邪くらいはひいてもしかたないと思ったが、これが予想以上にこじれて喘息と気管支炎まで併発し、1週間入院する羽目になった。

 乳腺科を初めて受診したのはその入院中のことで(3月3日)、3日後にエコーの予約が入るというのでそれを受けてから退院することにした。
 その結果を聞きにいったのが3月16日のこと。
 私自身はほぼ「良性」だと思っていたので、気楽な気分で出かけたのだが、「やはりこれだけだと判定できないので、細胞診を受けてほしい」と言われる。
 細胞診とは、細い針を刺して細胞を吸い取り、悪性細胞がないかどうかを判定する検査だ。
 これでほぼ悪性か良性かが確定できるという。
 まあ細胞くらいなら、じゃあ…ってことで、とられて帰った。

 その結果を聞きに、3月31日にまた乳腺科を訪ねた。
 結果は「良性」だった。
 「ほーら、やっぱりね」と内心の私の声。
 大丈夫だとは思っていたけれど、はっきりするまではやっぱり気分が悪い。
 これで憂いは晴れた!と思った。
 にもかかわらず、先生は「大丈夫だと思うけど、急にできたというのがひっかかる。気になるので3ヶ月後にもう一度エコー検査を受けてほしい。それで大きさが変わらなかったら心配ないと思う」と言うではないか。
 けっこうしつこいなぁ…とややウンザリしつつも、「まあいつもの検診だと思って行けばいいか」と自分に言い聞かせ、3ヶ月後の7月6日、今度こそ疑惑に終止符を打つつもりで私は乳腺科を訪ねた。

 が、それは終止符ではなく「始まり」となった。
 エコー検査後、ドクターから2枚のエコー画像を見せられ(1枚は3ヶ月前に撮ったもの)、「3ヶ月前に比べ、しこりの輪郭の形が変化しています。これはちょっと見過ごせません。今すぐ組織をとってください」と言われたのだ。
 たしかに3ヶ月前のしこりはまんまるだが、今日のしこりは輪郭がうねうねしている。
 「今すぐ…ですか?」
 「今すぐです」
 今までの「うーん、大丈夫だとは思うんですけどね〜」というはっきりしない口調とは違い、今日はやけにきっぱりとした有無を言わせない口調だった。

 そこまで言われたら受けないわけにはいかない。
 しかたなく、私はなんの心の準備もないまま別室で組織生検を受けた。
 組織生検は、細胞よりもさらに大きなかたまりをとりだすので、かなり太い針を使う。
 もちろん、局所麻酔を行うので針を刺すこと自体は痛くないのだが、角度を変えて3〜4カ所の組織を採取しなければならず、中でグリグリ動かされるのはけっこう痛かった。おまけに採取の瞬間、大きなホチキスをとめるようなガッチャンという音がするのがちょっとこわい。
 止血のため、翌朝まで患部を圧迫しなくてはならなかったが、皮膚の柔らかい部分にガムテのようなごっつい絆創膏をべったり貼付けられたので、はがしたあとがかゆいのなんのって。これが一番つらかったかも。

 組織生検の結果が出るのは3週間後と言われた。
 しかし、実際はもっとずっと早く耳に届いた。
 検査をして4日後の7月10日、秋吉先生から自宅に電話がかかってきたのだ。
 結果は「悪性」だった。

 組織までとられたのだから、ある程度の覚悟はしていた。
 それでもしばらくは現実感がなく、妙に落ち着いている自分が気味悪かった。
 とにかく、まずは担当医(執刀医)を決めなければ…。
 じつは母も4年半前にL病院の乳腺科で乳がんの治療を受けているため、乳腺科の先生はけっこう知っている。
 家族と相談し、南田先生(仮名)という40歳すぎくらいのドクターにお願いすることに決めた。
 南田先生は、母の手術のときも執刀チームに入っていたが、いい意味でニュートラル(感情的でない)というか、非常に明快な説明をしてくれる先生だ。
 私は背負っている事情が複雑なだけに、話をよく聞いてくれるという条件はとても重要だった。

 南田先生の診察は7月17日に決まった。
 母の乳がんを見ているので、乳がんに対する知識はある程度あった。
 あっただけに、具体的な不安がいくつも浮かんできた。
 どれも、これが最初のがんだったら悩まなくてもいい不安だ…。
 口に出すのがこわくて、でも多分、家族はみんな同じことを考えていたと思う。
 その不安は「怒り」と表裏一体だった。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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