がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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8月15日。
癌研有明病院に行く。
セカンド「セカンドオピニオン」である。
癌研有明病院は、りんかい線の国際展示場駅から数分。
この病院に来たのは3回目だが、いつも電車内も駅も閑散としていて、だだっぴろい空間にただ海風だけが吹き付けているようなイメージだった。
だから楽勝で座れるとたかをくくっていたのだが、なぜかこの日に限って異様に混んでいる。
お盆期間の、土曜日の、しかも朝8時という時間なのに、新宿から乗った時点ですでに激込み。
なんなんだよ。なんなのこの人の群れ。
この人たちいったいどこに行こうってんだよ。
私は癌研だけど。
あなたたちも癌研??
なわけないよね。
若い子多いし。キャリーバッグ持ってる人多いし。
夏休みの旅行か?
じゃあ天王洲で降りて、モノレールで羽田空港に向かうのかな。
と思いきや、天王洲アイルでもほとんど降りず。
じゃあ、お台場か?
と思ったけど、「東京テレポート」でも降りず。
結局、ほとんど100%に近い人が私と同じ「国際展示場」でどっと降りた。
ひー、まじでみんな癌研行くのーー??
って、私は「国際展示場には癌研しかない」と思い込んでいるようだが、国際展示場にあるものといえばフツーは東京国際展示場(東京ビッグサイト)なのである。
そう。
この日はよりによって年2回行われるコミックマーケット(通称コミケ)の開催日だったのだ。
コミケといえば、世界最大の同人誌即売会。
キャリーバッグの中身はコスプレの衣装だったんだな。
駅から降りてもなかなか前に進めないほどの大群にのみこまれたが、癌研の前まで行ってようやく隊列から抜けることができた。
当然だが癌研の中はガラガラだった。
8時半に受付を済ませ、問診票に記入。
ここでも国際医療センターと同様、呼出し機が渡された。
10分ほど待ったところで呼出し機が鳴る。
今日の先生は、国際医療センターの白尾先生(仮名)よりもかなり年上っぽい。
50歳くらいか、もうちょい前くらいかな。
今回の仮名は安西先生としておく。
今日も事前に提出した質問項目に沿って話が進められた。
【質問1】放射線照射のための二次発癌の可能性について
これについては、開口一番「可能性は低い」と言われた。
「なぜなら、二次発癌が出るとしたら30年40年たってからが多いから」だと。
いや、それ「20年なら二次発癌じゃない」っていう証明にはならないでしょ。「普通は20年くらいで出るから、30〜40年もたってから出るのは関係ない」という理屈のほうがまだわかるんだが…。
通常の倍照射してるんだからそれだけ早く細胞ががん化したのかもしれないし。
ていうか、30年40年たってもそんなリスクあるのかよ。
病気の再発のリスクとはべつにそれも背負わなきゃならないってこと?
うがぁ〜〜、もう一生安心できねーじゃん。
なんとなく、この微妙なもの言いは、この病院とL病院のつながりの深さからくるような気がしないでもない(L病院からここに出向しているドクターも多いので)。
「可能性あり」とは言いにくい雰囲気があるのかもしれない。
と思ったら、そのあとしきりに「放射線をこれ以上かけると皮膚に穴があく」だの「これはもはや広島長崎の被爆と同じ」とか、過去の放射線照射量が尋常ではないことを匂わせるような発言が続いた。
いったいどっちの味方だ。
【質問2】放射線治療を省略して温存することは可能なのか。
この病院で一番聞きたかったのはこの点だった。
放射線省略しても温存できると広言しているのはこの病院だけだったからだ。
ただ、なんとなく予測していたことだが、放射線かけなくても「とりきれてる。温存でOK」というのは、温存といえば聞こえはいいが、一般の温存(放射線とセットになってるケース)に比べるとかなり大きくざっくり切り取るもののようだ。
というのも、「あとで放射線かけるなら、手術で多少取り残しがあっても大丈夫」と思えば、なるべく小さな切除(具体的にはしこり部分だけのくりぬき)に収めることができるだろうが、手術だけでとりきろうとすると、どうしても大きめに切りとらざるをえないからだ。
具体的には、しこりとその周囲を乳頭を中心に扇形に切りとるという方法(扇状部分切除)になる。
そこまで切れば乳房も変形するだろうから、そうなると「温存」する意味も、ないとは言わないけどちょっと微妙になってくる。
「どうやってとり残しの有無を判定できるのか」
浸潤性乳がんについては、どこまでがんが広がっているのかを術前に正確に知るのは不可能だと言われている。今のところは。
ある程度の広がりや転移についてはエコー、CT、MRIでわかるかもしれないが、最終的には切り取った組織をうすーくうすーくスライスしていって、断端にがん細胞のかけらでも残っていないかどうかを病理が確認しなければ「どこまで切ればいいのか」はわからない。
まずは外科医ががんの広がっている範囲を肉眼でみてチェック、次に手術中に切った組織を迅速診断してとり残しがないかどうかをチェックする。
これで終わればいいのだが、所詮は迅速診断なのでこれは100%信用はできない。
術後、組織をさらに徹底的に精査し、それでも断端陰性ならセーフ。
そこで陽性が出たら再手術となる(放射線かければ再手術しなくてもいいというケースもあるようだが)。
最初、「とり残しで再手術になった」という人の話をきいて「はぁ?その外科医ヤブ…?」と思ってしまったが、たとえどんな名医でも、手術中に絶対とりきれる範囲をみきわめるのは不可能なのだそうだ。
これは外科医というかむしろ病理医の腕にかかっている。
有明の場合、病理のレベルが高いので、手術中の迅速診断でも術後の検査に近いレベルでみきわめられるということなのだろう。
以上の話はこの日に聞いた話ではなく、今まで調べた情報からの私の推測だが。
まあ、そんなまどろっこしいことやるくらいなら最初から全摘でいいよという人も中にはいるらしいが、全摘は全摘で、そして再建は再建でいろいろ問題がある。
医師にとってはそりゃあ全摘のほうがよけいな神経使わなくてもいいんだろうけど、患者にとってみれば「とりかえしのつかないこと」をするわけだから簡単には決断できない。
いつも思うことなのだが、術式について「こう切ります」「ああ切ります」と平面図だけで説明されても、本物は立体なので想像しにくい部分がある(写真を見てもやっぱり平面なので限界がある)。
もちろん、乳房の形や大きさは一人ひとり違うので「切ってみなければわからない」と言われたらそれまでなのだが、なんかこう小さな乳房模型みたいなものを使って切り方を説明してくれると非常にありがたいのだが(できれば材質もなるべく近いもので)。
手術してみて「思ってたのと違う」とショックを受ける人が多いのは、三次元でどうダメージを受けるのかが事前に想像しにくいという理由もあるのではないだろうか。
いずれにせよ、安西先生はあまり「放射線なしの温存手術」は積極的にやりたい感じではなかった。
データ集めのために取り組んでいるんだろうけど、この治療法だけが特例であり、基本的にはあまり標準から離れた方法はとりたくない病院という印象を受けた。
【質問3】最小限のダメージで済む方法を模索したいが、内視鏡手術はどうか。
安西先生は、内視鏡手術についてはあまり興味がなさそうだった。
「症例が少ないからとり残しがある危険もあり」と言われた。
どうなのかなー。拡大できる分、肉眼で見るよりもとり残しが少ないという話もきくのだが。
どちらにしろ、セカンドオピニオンなので、あまり詳しくなさそうな部分はつっこまないほうがいい。時間単価高いんだし。
これについてはやはり内視鏡手術をやるドクターに聞いた方がいい気がする。
【質問4】化学治療について
【質問5】術前ホルモン療法の可能性について
安西先生は、白尾先生ほど薬には詳しくないように感じた。
「抗がん剤ははたしかに使うのが難しそうだけど、ホルモン剤は副作用軽いから」とさらっと言われたときに「あ……言ったな」と思った(笑)。
軽くないって!
「軽く済む人『も』いる」と言ってほしい。
術前は「化学療法」ならやることもあるけど、「ホルモン療法」は効果があるとまだ証明しきれていないので標準ではやらないとのこと。
それはわかってる。。。。
ガイドラインがどうかってことはわかってんだよ。
そのうえで、「私のこの状態」でどういう治療法が考えられるかを聞きたいのだが(リスクが高くなることも含めて)、セカンドオピニオンでそこまで要求するのは無理なんだろうか。
教科書通りの答えしか返ってこないことにだんだんいらだちがにじみでてくる。
そのいらだちが微妙に伝わったのか、後半になって安西先生の態度に少しずつ変化がみられた。
最初はわりと「淡々モード」だったのだが、私の訴えを聞くうちに同情心が芽生えたのか、だんだん「素」の顔を見せるようになってきた。
「たしかにねぇ、それだけの治療を受けてきたら、もう受ける気になれないっていうのはわかりますよ。でもねぇ、治る病気なんだから……ほら、糖尿病とかそういうずっと抱えていかなきゃいけない病気と違って治るんだから。やっぱりねぇ、ここは決断をして治療を……ねぇ。受けて…ほしいなあ」
私の顔色を窺いながら、困ったような表情で、ほとんどなだめすかすように「治療してください」を繰り返す。
ここは小児科か!
安西先生はいい先生なんだと思う。
白尾先生はもっと「理系一筋」って感じで割り切りがすごかったけど(「再発したらもう治療できませんから」とさらっと言われたし)、安西先生にはそれよりも「情」を感じた。
でも、残念ながら同じ1時間で得た情報量としては白尾先生のほうがずっと濃厚だった。
安西先生は、あくまでもガイドラインに沿ったことしか言わないし、そこからはずれることに罪悪感すら感じているようにみえた。
初めてのがんなら、ここはやるべきことをきっちりやってくれるいい病院なのかもしれない。
でも二度目、三度目のがんはガイドライン通りにはいかない。
治療効果だけでなく、身体がどこまでそれに耐えられるかについても同じくらいみきわめられる先生でないとこっちも命を預けられない。
「ずっと抱えていかなきゃいけない病気と違ってこの病気なら治る」と言うが、すでに私は充分すぎるほどいろいろなものを抱えている。
やっぱりこの先生も「病気」しか見ていないんだと思った。
私が「はい」と言いつつ納得していないような顔をしていたためか、安西先生は引き続き「頑張ろう」的な励ましの言葉を一生懸命言い始めた。
が、横目で時計を見たらすでに1時間経過。
ここは30分ごとに延長料金をとられる。
こんな精神論で追加料金をとられたらたまらない。
と思ってあわてて話をうちきって退出した。
ひどい患者でごめんなさい>安西先生
ちなみに、再検査を頼んだ病理標本だが、結果はL病院と同じだった。
会計は最初の30分で31500円、次の30分で10500円、病理検査が5250円、しめて47250円也。
こりゃあセカオピだけで10万は軽くとぶなぁ。
がん保険に入ってると、がんと診断されただけで500万出るとかいう話聞くけど、マジうらやましい。
私は前の治療だけでもう絶対がん保険なんて入れなくなったから。
帰りの電車の中で考えた。
セカンドオピニオンもいいけど「セカンドキャンサー外来」とかあるといいよなー。
二度目以降のがんを診る専門医がほしい…。
癌研有明病院に行く。
セカンド「セカンドオピニオン」である。
癌研有明病院は、りんかい線の国際展示場駅から数分。
この病院に来たのは3回目だが、いつも電車内も駅も閑散としていて、だだっぴろい空間にただ海風だけが吹き付けているようなイメージだった。
だから楽勝で座れるとたかをくくっていたのだが、なぜかこの日に限って異様に混んでいる。
お盆期間の、土曜日の、しかも朝8時という時間なのに、新宿から乗った時点ですでに激込み。
なんなんだよ。なんなのこの人の群れ。
この人たちいったいどこに行こうってんだよ。
私は癌研だけど。
あなたたちも癌研??
なわけないよね。
若い子多いし。キャリーバッグ持ってる人多いし。
夏休みの旅行か?
じゃあ天王洲で降りて、モノレールで羽田空港に向かうのかな。
と思いきや、天王洲アイルでもほとんど降りず。
じゃあ、お台場か?
と思ったけど、「東京テレポート」でも降りず。
結局、ほとんど100%に近い人が私と同じ「国際展示場」でどっと降りた。
ひー、まじでみんな癌研行くのーー??
って、私は「国際展示場には癌研しかない」と思い込んでいるようだが、国際展示場にあるものといえばフツーは東京国際展示場(東京ビッグサイト)なのである。
そう。
この日はよりによって年2回行われるコミックマーケット(通称コミケ)の開催日だったのだ。
コミケといえば、世界最大の同人誌即売会。
キャリーバッグの中身はコスプレの衣装だったんだな。
駅から降りてもなかなか前に進めないほどの大群にのみこまれたが、癌研の前まで行ってようやく隊列から抜けることができた。
当然だが癌研の中はガラガラだった。
8時半に受付を済ませ、問診票に記入。
ここでも国際医療センターと同様、呼出し機が渡された。
10分ほど待ったところで呼出し機が鳴る。
今日の先生は、国際医療センターの白尾先生(仮名)よりもかなり年上っぽい。
50歳くらいか、もうちょい前くらいかな。
今回の仮名は安西先生としておく。
今日も事前に提出した質問項目に沿って話が進められた。
【質問1】放射線照射のための二次発癌の可能性について
これについては、開口一番「可能性は低い」と言われた。
「なぜなら、二次発癌が出るとしたら30年40年たってからが多いから」だと。
いや、それ「20年なら二次発癌じゃない」っていう証明にはならないでしょ。「普通は20年くらいで出るから、30〜40年もたってから出るのは関係ない」という理屈のほうがまだわかるんだが…。
通常の倍照射してるんだからそれだけ早く細胞ががん化したのかもしれないし。
ていうか、30年40年たってもそんなリスクあるのかよ。
病気の再発のリスクとはべつにそれも背負わなきゃならないってこと?
うがぁ〜〜、もう一生安心できねーじゃん。
なんとなく、この微妙なもの言いは、この病院とL病院のつながりの深さからくるような気がしないでもない(L病院からここに出向しているドクターも多いので)。
「可能性あり」とは言いにくい雰囲気があるのかもしれない。
と思ったら、そのあとしきりに「放射線をこれ以上かけると皮膚に穴があく」だの「これはもはや広島長崎の被爆と同じ」とか、過去の放射線照射量が尋常ではないことを匂わせるような発言が続いた。
いったいどっちの味方だ。
【質問2】放射線治療を省略して温存することは可能なのか。
この病院で一番聞きたかったのはこの点だった。
放射線省略しても温存できると広言しているのはこの病院だけだったからだ。
ただ、なんとなく予測していたことだが、放射線かけなくても「とりきれてる。温存でOK」というのは、温存といえば聞こえはいいが、一般の温存(放射線とセットになってるケース)に比べるとかなり大きくざっくり切り取るもののようだ。
というのも、「あとで放射線かけるなら、手術で多少取り残しがあっても大丈夫」と思えば、なるべく小さな切除(具体的にはしこり部分だけのくりぬき)に収めることができるだろうが、手術だけでとりきろうとすると、どうしても大きめに切りとらざるをえないからだ。
具体的には、しこりとその周囲を乳頭を中心に扇形に切りとるという方法(扇状部分切除)になる。
そこまで切れば乳房も変形するだろうから、そうなると「温存」する意味も、ないとは言わないけどちょっと微妙になってくる。
「どうやってとり残しの有無を判定できるのか」
浸潤性乳がんについては、どこまでがんが広がっているのかを術前に正確に知るのは不可能だと言われている。今のところは。
ある程度の広がりや転移についてはエコー、CT、MRIでわかるかもしれないが、最終的には切り取った組織をうすーくうすーくスライスしていって、断端にがん細胞のかけらでも残っていないかどうかを病理が確認しなければ「どこまで切ればいいのか」はわからない。
まずは外科医ががんの広がっている範囲を肉眼でみてチェック、次に手術中に切った組織を迅速診断してとり残しがないかどうかをチェックする。
これで終わればいいのだが、所詮は迅速診断なのでこれは100%信用はできない。
術後、組織をさらに徹底的に精査し、それでも断端陰性ならセーフ。
そこで陽性が出たら再手術となる(放射線かければ再手術しなくてもいいというケースもあるようだが)。
最初、「とり残しで再手術になった」という人の話をきいて「はぁ?その外科医ヤブ…?」と思ってしまったが、たとえどんな名医でも、手術中に絶対とりきれる範囲をみきわめるのは不可能なのだそうだ。
これは外科医というかむしろ病理医の腕にかかっている。
有明の場合、病理のレベルが高いので、手術中の迅速診断でも術後の検査に近いレベルでみきわめられるということなのだろう。
以上の話はこの日に聞いた話ではなく、今まで調べた情報からの私の推測だが。
まあ、そんなまどろっこしいことやるくらいなら最初から全摘でいいよという人も中にはいるらしいが、全摘は全摘で、そして再建は再建でいろいろ問題がある。
医師にとってはそりゃあ全摘のほうがよけいな神経使わなくてもいいんだろうけど、患者にとってみれば「とりかえしのつかないこと」をするわけだから簡単には決断できない。
いつも思うことなのだが、術式について「こう切ります」「ああ切ります」と平面図だけで説明されても、本物は立体なので想像しにくい部分がある(写真を見てもやっぱり平面なので限界がある)。
もちろん、乳房の形や大きさは一人ひとり違うので「切ってみなければわからない」と言われたらそれまでなのだが、なんかこう小さな乳房模型みたいなものを使って切り方を説明してくれると非常にありがたいのだが(できれば材質もなるべく近いもので)。
手術してみて「思ってたのと違う」とショックを受ける人が多いのは、三次元でどうダメージを受けるのかが事前に想像しにくいという理由もあるのではないだろうか。
いずれにせよ、安西先生はあまり「放射線なしの温存手術」は積極的にやりたい感じではなかった。
データ集めのために取り組んでいるんだろうけど、この治療法だけが特例であり、基本的にはあまり標準から離れた方法はとりたくない病院という印象を受けた。
【質問3】最小限のダメージで済む方法を模索したいが、内視鏡手術はどうか。
安西先生は、内視鏡手術についてはあまり興味がなさそうだった。
「症例が少ないからとり残しがある危険もあり」と言われた。
どうなのかなー。拡大できる分、肉眼で見るよりもとり残しが少ないという話もきくのだが。
どちらにしろ、セカンドオピニオンなので、あまり詳しくなさそうな部分はつっこまないほうがいい。時間単価高いんだし。
これについてはやはり内視鏡手術をやるドクターに聞いた方がいい気がする。
【質問4】化学治療について
【質問5】術前ホルモン療法の可能性について
安西先生は、白尾先生ほど薬には詳しくないように感じた。
「抗がん剤ははたしかに使うのが難しそうだけど、ホルモン剤は副作用軽いから」とさらっと言われたときに「あ……言ったな」と思った(笑)。
軽くないって!
「軽く済む人『も』いる」と言ってほしい。
術前は「化学療法」ならやることもあるけど、「ホルモン療法」は効果があるとまだ証明しきれていないので標準ではやらないとのこと。
それはわかってる。。。。
ガイドラインがどうかってことはわかってんだよ。
そのうえで、「私のこの状態」でどういう治療法が考えられるかを聞きたいのだが(リスクが高くなることも含めて)、セカンドオピニオンでそこまで要求するのは無理なんだろうか。
教科書通りの答えしか返ってこないことにだんだんいらだちがにじみでてくる。
そのいらだちが微妙に伝わったのか、後半になって安西先生の態度に少しずつ変化がみられた。
最初はわりと「淡々モード」だったのだが、私の訴えを聞くうちに同情心が芽生えたのか、だんだん「素」の顔を見せるようになってきた。
「たしかにねぇ、それだけの治療を受けてきたら、もう受ける気になれないっていうのはわかりますよ。でもねぇ、治る病気なんだから……ほら、糖尿病とかそういうずっと抱えていかなきゃいけない病気と違って治るんだから。やっぱりねぇ、ここは決断をして治療を……ねぇ。受けて…ほしいなあ」
私の顔色を窺いながら、困ったような表情で、ほとんどなだめすかすように「治療してください」を繰り返す。
ここは小児科か!
安西先生はいい先生なんだと思う。
白尾先生はもっと「理系一筋」って感じで割り切りがすごかったけど(「再発したらもう治療できませんから」とさらっと言われたし)、安西先生にはそれよりも「情」を感じた。
でも、残念ながら同じ1時間で得た情報量としては白尾先生のほうがずっと濃厚だった。
安西先生は、あくまでもガイドラインに沿ったことしか言わないし、そこからはずれることに罪悪感すら感じているようにみえた。
初めてのがんなら、ここはやるべきことをきっちりやってくれるいい病院なのかもしれない。
でも二度目、三度目のがんはガイドライン通りにはいかない。
治療効果だけでなく、身体がどこまでそれに耐えられるかについても同じくらいみきわめられる先生でないとこっちも命を預けられない。
「ずっと抱えていかなきゃいけない病気と違ってこの病気なら治る」と言うが、すでに私は充分すぎるほどいろいろなものを抱えている。
やっぱりこの先生も「病気」しか見ていないんだと思った。
私が「はい」と言いつつ納得していないような顔をしていたためか、安西先生は引き続き「頑張ろう」的な励ましの言葉を一生懸命言い始めた。
が、横目で時計を見たらすでに1時間経過。
ここは30分ごとに延長料金をとられる。
こんな精神論で追加料金をとられたらたまらない。
と思ってあわてて話をうちきって退出した。
ひどい患者でごめんなさい>安西先生
ちなみに、再検査を頼んだ病理標本だが、結果はL病院と同じだった。
会計は最初の30分で31500円、次の30分で10500円、病理検査が5250円、しめて47250円也。
こりゃあセカオピだけで10万は軽くとぶなぁ。
がん保険に入ってると、がんと診断されただけで500万出るとかいう話聞くけど、マジうらやましい。
私は前の治療だけでもう絶対がん保険なんて入れなくなったから。
帰りの電車の中で考えた。
セカンドオピニオンもいいけど「セカンドキャンサー外来」とかあるといいよなー。
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カウンター
お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。
がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。
だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。
漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。
別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。
がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。
だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。
漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。
別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
HP:
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
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