がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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8月20日。
今日はMRI検査の日だ。
治療前の検査としてはこれが最後になる。
乳がんの進行度合は、まずしこりの大きさが問題になるが、それと同時に広がり具合(転移があるかどうかも含め)、がん自体の性質(HER2、核異型度のグレードなどで見る悪性度)も含めて診断されることは前にも書いた。
CT検査では、おもにリンパや肺などへの遠隔転移がないかどうかを見るが、MRIではおもに乳房内でのがん細胞の広がり具合を確認する。
が、ここでひとつ厄介な問題が…。
それは「造影剤」である。
CTにしろ、MRIにしろ、血管から造影剤を流し込むことによってより鮮明な画像が得られるわけだが、造影剤には一部にアレルギー反応を起こす人がいる。
私はホジキンの手術時にパッチテストを行い、ヨードにアレルギーが出たため、CT時の造影剤はずっと「なし」でやってきた。
「造影剤あり」よりも情報は少なくなるがしかたがない。
一方、MRIはどうかというと、こちらの造影剤はCTよりはずっとアレルギー反応が起きにくいとは言われているが、私はMRIでも造影剤を入れたことはなかった。
一度だけ、遙か昔のことだが、「造影剤はいやだ」と言ったのに、検査技師の人に「これはCTの造影剤と違うから平気」とごり押しされ、入れられそうになったことがある。
「〜そうになった」と未遂形で書いたのは、結局血管に入らなかったからだ。
私は血管が異常に出ないので、そのときも足首の血管からとられたのだが、足先なんて一番冷えてるところだからどうしても入らず、あきらめた技師に「しょうがない。じゃ、なしでいくか」と言われて激怒した。
なしでできるなら最初からそうしてよ!
あんたねぇ、足からとられるのがどんだけ痛いかわかってないでしょ?
こんなとこ、意識のあるうちに入れるんじゃねえ!
散々失敗しやがって。なにが「平気」だ。
ちっとも平気じゃねえよ。
刺され損だ!
というトラウマもあって、アレルギー云々の問題もさることながら、おもに「血管が出ない」という理由で造影剤を避けてきたのだが、今回ばかりはそういうわけにはいかなさそうだった。
いつもは穏健派(?)の南田先生(仮名)も、今度の検査に関しては「どうしても造影剤を入れてほしい」と主張する。
手術の切除範囲を決めるためにも、広がりに関するデータは非常に重要なのだという。
そう言われたら覚悟を決めて受けるしかない。
ところが、検査を待つ間に、じわじわと不穏な情報が耳に入ってくるようになった。
まず最初に、埼玉医科大学国際医療センターの白尾先生(仮名)の反応。
MRIを造影剤入りでやるときいたとたん、「え?……だって喘息の薬飲んでましたよね。うーん……どうかな」とあまりお勧めできないような様子。
次に行った有明でも「造影剤入れてMRI?……それはやめたほうが…。うちだったら喘息の患者さんにはやりません」ときっぱり。
さすがに不安になってネットで調べてみたが、どうも造影剤でアレルギーを起こしそうな因子として、喘息持ちはトップにあげられるらしいのだ。
「造影剤の副作用」という項目を見ると「頻度は軽微なものを含めて1.2%程度。ほとんどは嘔吐、じんましん、めまいなどの軽いものです」…って全然軽くないじゃん!
さらに「ごくまれに血圧低下、呼吸困難を起こすこともあります」「きわめてまれですが、死に至ることもあります」「以前、造影剤を使ってなんでもなくても、今回副作用が出ないとは限りません」と脅し文句が続く。
こわい。。。そう言われると「まれ」に入るような気がひしひしとしてくる。
いよいよ不安になって、今度はL病院呼吸器内科の主治医である赤沢先生(仮名)を電話で呼び出して相談する。
赤沢先生の意見は「たしかに喘息患者は普通の人よりもアレルギーを起こす確率が高い。でも検査の重要性を考えたらやったほうがいいと思う」だった。
まあ、万が一造影剤の影響で喘息発作が起こったとしても、病院内だからそのまま呼吸器内科に連れていってもらえばいいか。
「私になにかあったら赤沢先生に連絡を」と言い残せばなんとかしてくれるだろう。
絶対なんとかしろよ。あんたが「やったほうがいい」って言ったんだからな。
という不退転の決意を秘めて今日の日を迎えたのだが、またまた逆転劇が…。
造影剤を使う検査の前には必ず医師からの「問診」が行われる。
この日も医師からいくつかの質問を受けた。
「今までに造影剤を入れてCTやMRI検査を行ったことがありますか?」
「いいえ」
「薬のアレルギーはありますか?」
「あります」
「喘息はありますか?」
「あります」
「家族にアレルギー持ちはいますか?」
「います」
ドクターの質問の勢いが落ちてきた。
「………外で少々お待ちください」
自分でも答えてて「バリバリひっかかってるじゃん」と思った。
しばらく外で待っていたら、再び名前を呼ばれ、中に入ると南田先生が座っていた。
「今日はきっと覚悟を決めて来られたと思うんですけど、やっぱり造影剤はなしでやりましょう」
「えーー??! それは……ホッとしたような、がっかりしたような…。でもいいんですか? なしじゃやっても意味ないとまで言われたこともあるんですが」
「いやー、そんなことはないですよ。なしでもそれなりに情報は得られますよ」
それなりか〜。びみょー。
「なんとか入れてやろうと思ったんですけど、放射線科の先生にストップかけられちゃいまして」
また放射線科か。。。(-_-)
まあ、でも入れないでも済むならそれに越したことはないので気が楽になった。
ついでにFISH法の検査結果はもう出たのかどうか確認してみたら「陰性」だったとのこと。
つまりHER2はマイナスということ。
HER2は、増殖のスピードが早いと言われる因子で、悪性度を測るひとつの指標になる。
「核異型度がグレード1なら、まずHER2も陰性ですよ」と白尾先生に予言されていたが、その通りになった。
これで「抗がん剤」をやる必要は限りなくゼロに近くなった。
よかった……。
HER2もマイナスだったし、造影剤もなしになったし…ってことでかなり肩の荷をおろしてMRI室に向かったが、検査は予想以上にしんどかった。
造影剤なしだと検査時間がよけいにかかるため、たっぷり30分は狭い検査機器の中に閉じ込められ、大音響を聞かされた。
しかも、乳房MRIは「うつぶせ」で撮影する。
検査台の「穴」に乳房をはめこみ、うつぶせになって手は頭の上へ…と指示されるが、私は左手があがらないので、右手だけ上へあげて、左手は身体に沿う形のまま狭い中に押し込められた。
この検査台がスライドされて暗くて狭い中に押し込められる瞬間は、いつも「焼き場の釜の中に入れられる仏さん」の気分になる。。。
このままの格好で30分身動きできないのはなかなかつらい。
最後のほうは腕が正座した足のようにしびれて感覚がなくなってきた。
MRI検査はじっとしている以外は特に苦痛はないのだが、「狭いのが苦手」な人と「大音量が苦手」の人は弱いようだ。
私の母は「閉所」が苦手なのでMRIが大嫌いらしい。
検査の残り時間を聞くとちょっと安心できるので、「あと何分」というカウントダウンコールをしてくれといつも検査技師に頼んでいるようだ。
私は足が冷えるのがつらいので、いつも検査前にタオルケットを足下にかけるよう頼んでいる。
親子して注文が多い…。
大音量については、前は耳栓を持参していたが、最近はヘッドフォンで耳をふさいでくれるのでだいぶ楽になった。
この音がこわいという人も多いが、まあこれも「慣れ」だ。
機械音を織り込んだ前衛的な音楽だと思えばそう思えないこともない。
MRIの結果は28日に聞きに行くことになっている。
広がりがなるべく小さくて済みますように…。
鍼は全部で4回行った。
次回はいよいよ帰国する四ッ谷先生(仮名)の治療が受けられる。
前回、左腕の肘から下が持ち上がるようになったと書いたが、いい気になって曲げたり伸ばしたりを繰り返していたら、なんと肘の上の筋肉が筋肉痛になった。
筋肉痛になるくらい動かせるなんてすばらしい!
感動した!!
その他の変化としては、左手の指先の感覚が普通になってきた。
今までは常に指先がじんじんしびれてて(輪ゴムで根元をぎゅっとしばられて先のほうの感覚がなくなってる感じ)、感覚が鈍くて自分の指じゃないような感じだったのだが、少しずつ血の気が通ってきた。
それからむくみが軽減して腕が軽く感じられるようになってきた。
あとは……身体全体が軽い。動くのが楽。ガソリンがチャージされた感じ。起きてすぐにスッキリ動けるのも驚きの変化。
それに、暑くても寒くてもあまりこたえなくなってきた。確実に温度調節ができるようになってきたと思う。
生活上の注意は、とにかく「早寝」が第一!と言われているので、宵っ張りの不眠症である私にはけっこう厳しい課題なのだが、頑張って少しずつ寝る時間を繰り上げている。
2時間くらいはシフトできた。
さらに鋭意努力します。
今日はMRI検査の日だ。
治療前の検査としてはこれが最後になる。
乳がんの進行度合は、まずしこりの大きさが問題になるが、それと同時に広がり具合(転移があるかどうかも含め)、がん自体の性質(HER2、核異型度のグレードなどで見る悪性度)も含めて診断されることは前にも書いた。
CT検査では、おもにリンパや肺などへの遠隔転移がないかどうかを見るが、MRIではおもに乳房内でのがん細胞の広がり具合を確認する。
が、ここでひとつ厄介な問題が…。
それは「造影剤」である。
CTにしろ、MRIにしろ、血管から造影剤を流し込むことによってより鮮明な画像が得られるわけだが、造影剤には一部にアレルギー反応を起こす人がいる。
私はホジキンの手術時にパッチテストを行い、ヨードにアレルギーが出たため、CT時の造影剤はずっと「なし」でやってきた。
「造影剤あり」よりも情報は少なくなるがしかたがない。
一方、MRIはどうかというと、こちらの造影剤はCTよりはずっとアレルギー反応が起きにくいとは言われているが、私はMRIでも造影剤を入れたことはなかった。
一度だけ、遙か昔のことだが、「造影剤はいやだ」と言ったのに、検査技師の人に「これはCTの造影剤と違うから平気」とごり押しされ、入れられそうになったことがある。
「〜そうになった」と未遂形で書いたのは、結局血管に入らなかったからだ。
私は血管が異常に出ないので、そのときも足首の血管からとられたのだが、足先なんて一番冷えてるところだからどうしても入らず、あきらめた技師に「しょうがない。じゃ、なしでいくか」と言われて激怒した。
なしでできるなら最初からそうしてよ!
あんたねぇ、足からとられるのがどんだけ痛いかわかってないでしょ?
こんなとこ、意識のあるうちに入れるんじゃねえ!
散々失敗しやがって。なにが「平気」だ。
ちっとも平気じゃねえよ。
刺され損だ!
というトラウマもあって、アレルギー云々の問題もさることながら、おもに「血管が出ない」という理由で造影剤を避けてきたのだが、今回ばかりはそういうわけにはいかなさそうだった。
いつもは穏健派(?)の南田先生(仮名)も、今度の検査に関しては「どうしても造影剤を入れてほしい」と主張する。
手術の切除範囲を決めるためにも、広がりに関するデータは非常に重要なのだという。
そう言われたら覚悟を決めて受けるしかない。
ところが、検査を待つ間に、じわじわと不穏な情報が耳に入ってくるようになった。
まず最初に、埼玉医科大学国際医療センターの白尾先生(仮名)の反応。
MRIを造影剤入りでやるときいたとたん、「え?……だって喘息の薬飲んでましたよね。うーん……どうかな」とあまりお勧めできないような様子。
次に行った有明でも「造影剤入れてMRI?……それはやめたほうが…。うちだったら喘息の患者さんにはやりません」ときっぱり。
さすがに不安になってネットで調べてみたが、どうも造影剤でアレルギーを起こしそうな因子として、喘息持ちはトップにあげられるらしいのだ。
「造影剤の副作用」という項目を見ると「頻度は軽微なものを含めて1.2%程度。ほとんどは嘔吐、じんましん、めまいなどの軽いものです」…って全然軽くないじゃん!
さらに「ごくまれに血圧低下、呼吸困難を起こすこともあります」「きわめてまれですが、死に至ることもあります」「以前、造影剤を使ってなんでもなくても、今回副作用が出ないとは限りません」と脅し文句が続く。
こわい。。。そう言われると「まれ」に入るような気がひしひしとしてくる。
いよいよ不安になって、今度はL病院呼吸器内科の主治医である赤沢先生(仮名)を電話で呼び出して相談する。
赤沢先生の意見は「たしかに喘息患者は普通の人よりもアレルギーを起こす確率が高い。でも検査の重要性を考えたらやったほうがいいと思う」だった。
まあ、万が一造影剤の影響で喘息発作が起こったとしても、病院内だからそのまま呼吸器内科に連れていってもらえばいいか。
「私になにかあったら赤沢先生に連絡を」と言い残せばなんとかしてくれるだろう。
絶対なんとかしろよ。あんたが「やったほうがいい」って言ったんだからな。
という不退転の決意を秘めて今日の日を迎えたのだが、またまた逆転劇が…。
造影剤を使う検査の前には必ず医師からの「問診」が行われる。
この日も医師からいくつかの質問を受けた。
「今までに造影剤を入れてCTやMRI検査を行ったことがありますか?」
「いいえ」
「薬のアレルギーはありますか?」
「あります」
「喘息はありますか?」
「あります」
「家族にアレルギー持ちはいますか?」
「います」
ドクターの質問の勢いが落ちてきた。
「………外で少々お待ちください」
自分でも答えてて「バリバリひっかかってるじゃん」と思った。
しばらく外で待っていたら、再び名前を呼ばれ、中に入ると南田先生が座っていた。
「今日はきっと覚悟を決めて来られたと思うんですけど、やっぱり造影剤はなしでやりましょう」
「えーー??! それは……ホッとしたような、がっかりしたような…。でもいいんですか? なしじゃやっても意味ないとまで言われたこともあるんですが」
「いやー、そんなことはないですよ。なしでもそれなりに情報は得られますよ」
それなりか〜。びみょー。
「なんとか入れてやろうと思ったんですけど、放射線科の先生にストップかけられちゃいまして」
また放射線科か。。。(-_-)
まあ、でも入れないでも済むならそれに越したことはないので気が楽になった。
ついでにFISH法の検査結果はもう出たのかどうか確認してみたら「陰性」だったとのこと。
つまりHER2はマイナスということ。
HER2は、増殖のスピードが早いと言われる因子で、悪性度を測るひとつの指標になる。
「核異型度がグレード1なら、まずHER2も陰性ですよ」と白尾先生に予言されていたが、その通りになった。
これで「抗がん剤」をやる必要は限りなくゼロに近くなった。
よかった……。
HER2もマイナスだったし、造影剤もなしになったし…ってことでかなり肩の荷をおろしてMRI室に向かったが、検査は予想以上にしんどかった。
造影剤なしだと検査時間がよけいにかかるため、たっぷり30分は狭い検査機器の中に閉じ込められ、大音響を聞かされた。
しかも、乳房MRIは「うつぶせ」で撮影する。
検査台の「穴」に乳房をはめこみ、うつぶせになって手は頭の上へ…と指示されるが、私は左手があがらないので、右手だけ上へあげて、左手は身体に沿う形のまま狭い中に押し込められた。
この検査台がスライドされて暗くて狭い中に押し込められる瞬間は、いつも「焼き場の釜の中に入れられる仏さん」の気分になる。。。
このままの格好で30分身動きできないのはなかなかつらい。
最後のほうは腕が正座した足のようにしびれて感覚がなくなってきた。
MRI検査はじっとしている以外は特に苦痛はないのだが、「狭いのが苦手」な人と「大音量が苦手」の人は弱いようだ。
私の母は「閉所」が苦手なのでMRIが大嫌いらしい。
検査の残り時間を聞くとちょっと安心できるので、「あと何分」というカウントダウンコールをしてくれといつも検査技師に頼んでいるようだ。
私は足が冷えるのがつらいので、いつも検査前にタオルケットを足下にかけるよう頼んでいる。
親子して注文が多い…。
大音量については、前は耳栓を持参していたが、最近はヘッドフォンで耳をふさいでくれるのでだいぶ楽になった。
この音がこわいという人も多いが、まあこれも「慣れ」だ。
機械音を織り込んだ前衛的な音楽だと思えばそう思えないこともない。
MRIの結果は28日に聞きに行くことになっている。
広がりがなるべく小さくて済みますように…。
鍼は全部で4回行った。
次回はいよいよ帰国する四ッ谷先生(仮名)の治療が受けられる。
前回、左腕の肘から下が持ち上がるようになったと書いたが、いい気になって曲げたり伸ばしたりを繰り返していたら、なんと肘の上の筋肉が筋肉痛になった。
筋肉痛になるくらい動かせるなんてすばらしい!
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その他の変化としては、左手の指先の感覚が普通になってきた。
今までは常に指先がじんじんしびれてて(輪ゴムで根元をぎゅっとしばられて先のほうの感覚がなくなってる感じ)、感覚が鈍くて自分の指じゃないような感じだったのだが、少しずつ血の気が通ってきた。
それからむくみが軽減して腕が軽く感じられるようになってきた。
あとは……身体全体が軽い。動くのが楽。ガソリンがチャージされた感じ。起きてすぐにスッキリ動けるのも驚きの変化。
それに、暑くても寒くてもあまりこたえなくなってきた。確実に温度調節ができるようになってきたと思う。
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カウンター
お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。
がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。
だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。
漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。
別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。
がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。
だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。
漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。
別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
HP:
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
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照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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