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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 8月28日。
 MRI検査の結果を聞きにいく。
 が、せっかくなのでホルモン検査もしてもらおうと思い、事前に南田先生(仮名)にメールで採血のオーダーを入れた。
 予約時間前に採血を済ませれば、診察時にMRIと血液検査の結果の両方を聞くことができる。

 血液検査の目的は、「閉経」しているか、していないかの確認である。
 ホルモン療法を行う場合、それによって使う薬が変わってくるのだ(詳しくは「セカンドオピニオン(1)を参照)。

 確認するまでもなく、私は「閉経」しているだろうと予測できた。
 なぜなら、今から5年前(41歳)の時点で「このままだとすぐに閉経になる」と婦人科で言われ、以降5年間低用量ピルを服用してきたからだ。
 閉経平均年齢は50歳前後だと思うが、私は25歳のときにホジキンの治療でエンドキサンという抗がん剤をかなり使ったので、その副作用で人より早く卵巣機能が低下しているらしい。

 「生理がなくなってもかまわないならそのまま放置してもいいが、41ではまだ若すぎるので、健康のためにもしばらくはホルモンを補充したほうがいいのでは?」というのが婦人科のドクターの意見だった。
 ピルの安全性や副作用も気にはなったが、更年期症状も出ていたし、低用量ならほとんど副作用はないと言われて(ただし低用量だと保険適用外になるけど)、飲むことにした。
 たしかに飲んだ方が体調はよくなった。

 それから5年。
 婦人科の先生には、「ピルもいつまでも飲んでいてはいけない。長期服用は心臓や肝臓にも負担がかかる。そろそろ量を減らしていって、50前にはやめたほうがいい」と言われ、「やめる時期も考えなきゃなあ」と思っていた。
 そこへどーんと「乳がん」がきた。
 ご存知の通り、多くの乳がんは、女性ホルモンを餌にして成長する。
 乳がんが見つかった以上、微量とはいえ、女性ホルモンを補充するのは当然よくない。
 ホルモン受容体が陽性と判明したその日に私はピルを中止した。

 余談だが、「ピルを飲んでいると乳がんになる」とよく言われる。
 実際、そのせいにする医者もいる。
 私もそれを気にしていたのだが、婦人科のドクターには否定された。
 「リスクが上がるとはいっても気にするほどの差ではないし、検診をちゃんとするかしないかの差の方がよっぽど大きい」
 たしかに「飲んでいるから気をつけて検診しようと思う人のほうが、結果的には早期発見できて安全」という考えもあるかもしれない。
 乳がんになるのは今や20人に1人。
 アメリカでは8人に1人だが、日本も早晩このくらいの数字にはなるだろうと言われている。
 なにがリスクになるかわからないほど、患者の数は激増しているのだ。

 話を戻して。
 そういうわけで、薬をやめた時点でもう「閉経」しているだろうとは思ったが、念のため数値で確認をとることにした。
 結果は……思った通り「閉経状態」だった。
 乳がん的には女性ホルモン量は少なければ少ないほどいいので、これはホッとすべき結果ではあるのだが、ちょっとこれは……思わず考え込んでしまった。

 少なすぎるのだ。
 いくらなんでも。
 ちなみに、検査の結果は以下の通りだった。

 黄体形成ホルモン(LH) 62.2
 卵胞刺激ホルモン(FSH) 107.7
 エストラジオール(E2) 5以下

 卵巣が作り出すいわゆる女性ホルモンの値が、一番下の「エストラジオール」(エストロゲンの主要な成分)だ。
 普通の女性で「100」くらいはあるはず(卵胞期と黄体期で変動は多少ある。妊婦は万単位になる)。
 だいたい「閉経」を迎えると20以下になるらしいのだが、私の数値はご覧の通り「5以下」。事実上「計測不能状態」だった。
 20以下は覚悟していたが、さすがに「5以下」にはひいた。
 玉手箱を開けた浦島太郎のように、数字を目にしたとたん、一気に老人になったような気がした。
 ああ、肌が…髪が…急速に衰えていく〜〜!!!

 ていうか、「計測不能」ってなんだよ。
 測る気にもなれないほど少ないってこと?
 「こんなのゼロと同じだよ。2でも3でもどっちでもいいじゃん」ってこと?
 なんかすっっっごくむかつくんですけど。

 問題はエストラジオールの量だけではない。
 FSHが3桁!
 これはまあ端的に言うと、卵巣に向かって「エストラジオール出せよ」と命令するホルモンのことで、脳下垂体前葉から分泌される。
 ちゃんとエストラジオールが出ていれば10とかその程度の数値なんだろうけど、出てないとそれを促すためにガーッと上がるわけです。

 つまり、エストラジオールの量が多少少なくても、FSHがそれほど上がってなければまだ余裕ってことです。
 私は5年前の検査でエストラジオールが67.5あって、その数値はまだ「ちょっと少ないかな」程度だったのだが、FSHが61.6あったので、「脳が焦ってるのでまもなく閉経するでしょう」と診断された。それが今回はいよいよ3桁台に突入してしまったのだ。

 「いい加減、さぼってないで出さんか、ゴルァ!!」
 「できません、コーチ。私にはもう無理です。これが精一杯なんです!」
 「そんなことはない。おまえならできる。岡」
 「コーチは私を買いかぶってます。今までは助けてくれる人がいたから…」
 「己の限界を決めるな! おまえは一人でもできる」
 「私はそんなに強い人間じゃありません」
 「俺ができると言ってるんだ。おまえは俺が信じられないのか!!」
 「私だって女です。ただの弱い女なんです!」
 「女ならエストラジオール出せ。うがぁ〜!!!」→3桁突入

 とまあこんな状況でしょうか。
 ホルモンの仕組みって微妙だー。

 ってしみじみしてる場合じゃないんだよ。
 私が心配になったのは、「こんなに減ってるのにさらにホルモンを薬で抑制しても大丈夫なのか?」ってことだ。
 素人考えかもしれないが、100を50に抑えるなら、がんの縮小効果もありそうだけど、2を1に抑えてもたいして変わらないんじゃないか?
 それこそ1でも2でも3でも同じようなものなんじゃないの?
 むしろ、ここまで少ないと、骨量減少とか、身体機能全般の老化が進むとか、そういう弊害の方が大きくなるんじゃないかと思ってしまう。

 南田先生は「閉経の数値ですね」と言うだけで、特に何もコメントはせず、私もそのときはそこまで深く考えなかったのだが、あとになって急に心配になってきた。
 ネットで見ても「5以下」っていうのはさすがにみつからなかったので。
 今度あらためて聞いてみよう。

 さて、大騒ぎして撮ったMRIの結果だが、「がん細胞の広がり」は特に見られなかった。やはりすべての所見から見て「おとなしいタイプのがん」であることはたしかなようだ。
 とはいえ、無治療で放置していればいずれは大きくなるだろう。
 なんらかの治療は受けなければならない。
 問題はなにを選択して、なにを省略するかだ。
 一応、9/4の聖路加のセカオピで最終結論を出そうと思っているが、私の中で「こういう治療を受けたい」というプランはほぼ決まりつつある。
 今日はそれを南田先生に初めて話してみた。

 どこまで話そうか非常に迷ったが、いつかは話さなければならないことなので、思い切って鍼治療のことも話した。
 南田先生はなにも言わなかったが、「東洋医学もいいけどがんは治せないでしょう。体調を東洋医学で整えてもらうのはいいけど、がんの治療は西洋医学でやらないと…」と思っているのが手に取るようにわかった。
 そう思われるのはもっともだ。
 私自身、つい最近までそう思っていたので。
 でも今は少しずつ考えが変わってきている。
 身体の調子がよくなることと、がんが治ることは別のことではない。
 身体だけがよくなってがんが悪化すること、または身体が悪くなってがんだけがよくなることはないと思うようになってきた。

 ただ、これは理屈だけでなく、身体がそう感じ始めているということなので、この感覚を説明するのは難しい。
 もちろん、「東洋医学だけで治す」と言い切れるほどの確信はまだない。
 ないけれど、「たとえデータ的に再発のリスクが多少増えることになっても、西洋医学の治療は最小限に絞りたい」とは思うようになっている。

 なぜそう思うようになったのかは、またあらためて書くが、日を追うごとに私はこの「西洋医学のデータ」というものが信じられなくなってきているのだ。
 西洋医学は、データが100%に近い根拠になっているから、そこに疑問をもつと根底からゆらいでしまう。
 このへんは非常に微妙な問題で、ある意味医者の仕事を否定することにもなるので、関係を壊さずに理解してもらうのは大変なことだと思う。
 ちょっと言ってあっさり「わかりました」と納得する医者はまずいないだろうし、辛抱強く訴え続けるしかない。
 ものすごくエネルギーが必要だが、これからの自分の人生がかかっているのだから、専門家といえども人まかせにはできない。

 私は前の病気のときに告知を受けないで治療を受けてきた。
 当時の年齢や社会的状況や病気の重さを考えればしかたがなかったのだと思うが、そのことはやはり私の中でしこりになっている。
 今度は病気についてのすべての情報を知り、自分で治療を選ぶ権利が与えられている。
 そのチャンスを大事にしたい。
 告知されなかった経験をもつだけにいっそう強くそう思う。

 ところで、前回、CTを撮ったら最初のエコーと随分大きさが違っていた(27ミリ→19ミリ)という話を書いた。
 「小さくなってる?」と喜んだら「大きさが検査によって変わって見えるのは珍しくない」と言われてがっかりしたのだが、なんと今回のMRIではさらに小さくなって16.5ミリになっていた。

 16.5って……これもう誤差という範囲じゃないでしょう。
 これを「縮小」と言わずしてなにを「縮小」というんだよ!
 と思ったが、南田先生はこれについてもそれほど反応せず、「画像を拡大するとまだ中心に壊死がみえるんで、実際の腫瘍径はおそらくもっと小さいでしょうねー」などとのんびり言っている。
 さらに縮小?!
 えーーーーーー、なんかますます切りたくなくなってきた。

 でもたしかに自分で触っても小さくなってる気がするんだよなー。
 どうなんだろう。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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