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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 今朝、うとうとしているときにベッドの右側に誰かが立ってじっと私の様子をうかがっている気配がした。
 起きようと思えば起きられたけど、一日のうちで一番楽な状態がこの時間帯(起床前の数時間)なので、気配だけを感じつつ、そのまま寝息をたてていた。
 最初は父が様子を見にきたのかと思ったが、階下では父が働いている物音がする。
 じゃあ、誰だろう。
 ……母だろうか。

 次に目が覚めたとき、気配を感じた場所を見てみたら、そこには人の立てるスペースはなかった。
 迎えにきたのかな。
 なにかを伝えにきたのかな。
 そういえばこの1週間くらい毎晩のように夢に母が出てきている。

 びわの葉を続けるようになってから、肋骨の痛みは劇的によくなった。
 首肩背中腰は相変わらずつらいけど、前屈みになる回数は減った。

 咳止めを飲むのは2日に1回くらいだが、最強の薬というほど効いてる感じはしない。
 咳は基本的に動いたりしゃべったりするときにガーッと出ることが多いが、たくさんしゃべっても出ないときもあるし、安静にしていてもひどく出るときもあるのでまったく予想できない。
 ただ、総体的には朝起きあがった直後が一番具合悪い気がする。
 逆に夕方以降のほうが少し調子がよくなるようだ。

 不眠は相変わらずだが、眠れない原因は「熱」だ。
 昼はそんなことはないのだが、就寝時になると太もものあたりに熱が浮いてくるような感じになって睡眠モードに入れない。
 かゆみを伴うこともある。
 頭をボーッとさせるためには眠剤や安定剤があるが、これはまたべつの問題なんじゃないか。
 医者に言うとかゆみどめとか、アレルギーの薬とか出すんだろうが、もっと根本的な要因があるように思う。

 食事はなんとかとれているけど、かなり食が細くなった。
 食べたいものの幅が猛烈に狭い(しかも日々変わる)。
 昼間はわりと食べられるが、夜が入らない。いつもの半分くらい。
 甘いもの、冷たいもの、生ものもあまりほしくない。
 わりと常においしく食べられるのはトマトソース。それに麺類。
 したがってトマトソース系のパスタの出番が多い。
 最近は、Facebookのタイムラインに食べ物の写真が多すぎて見るのが気持ち悪い。
 体重は3キロくらい減ったが、おそらくそのほとんどが筋肉だと思う。

 体調の具合を見ながら、25年前からの話を『闘病、いたしません。』にせっせと連載している。
 ようやく第1部(最初の治療の話)を書き終えた。
 本文にも書いたが、ここまでは単なる「つらかったがん治療の話」。
 いわば前振りだ。
 本当に書きたい話、書かなければならない話は第2部以降に出てくる。

 これを書き上げないと死んでも死にきれないという話。
 これを世に残すことがちっぽけな個人である私にできる最大の仕事。そして「使命」だと思う。

 今は「ピンとこない」と思っている人たちも、今後数十年、もしかしたら数年のうちにきっと「このことだったのか」と直面することになるだろう話。
 3.11以来、大きな幻想の上に自分たちの安全と安心がきわどく成り立っていたことに気づいてしまったように、知ったらもう知らなかった過去へは戻れない話。

 私がいなくなったあとでも読まれてほしいけれど、いるうちに一人でも多くの人に読んでもらえたらもっと嬉しい。
 あなたが読むだけでなく、あなたが読ませたい人にも読んでもらえたらさらに嬉しい。

 どうか拡散してください。
 よろしくお願いします。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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