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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 息を殺してじっとしている。
 爪先まで力を入れて体をかたくする。
 ちょっとした筋肉の弛緩だったり、体勢を変えるための首の回転だったり、ほんのささいなきっかけで咳の速射砲が始まるので、たえずビクビクしている。
 銃を持ってウロウロ歩き回っている兵隊から身を隠すような緊張状態がずっと続いている。

 一週間ほど前から明らかに一段階状態が悪化した。
 とにかく咳がパワーアップしている。
 外に出る咳ではなく、内へ内へとこもっていく重くキレの悪い咳なので、体力の消耗感が半端ない。
 肋骨の痛みはなくなったけど、そのかわりに頭に響くようになった。
 咳をするたびに頭がうっ血していく。
 咳じたいも苦しいが、たえず続く咳で身体中に熱がこもり、背中回りがパンパンにむくんでいるのがつらい。
 横になっても力が抜けないので、ぐったりしてるんだけどぐったりできない。
 
 リン酸コデインも2日に1回とか悠長なことは言ってられず、日に3回飲むようになった(マックスは日に6錠と言われている)。
 ここまで飲むようになると便秘も避けられないので下剤も服用。
 普通の排便でも弱ってるときはすごい体力使うなと実感するので、便秘になったらどうなるのかとおそろしい。

 毎日いろいろな人が出入りして質問したり確認したりしてくるが、今週はもうしゃべるそばから咳が始まるので代わりにしゃべってくれる人が必要な状態。

 さすがに心身ともに「もうダメかも…」と思った。
 緩和ケア病棟に入院しようかとも思ったけど、そうすると院長の鍼が受けられなくなってしまう。

 とはいっても、鍼に通うのももう限界に近かった。
 今は週2回車で送迎してもらっているが、正直車でもしんどい。

 と、そこで頭に浮かんだのが今まで何度も助けてもらった鍼灸師の七瀬さん(仮名)だった。
 院長は往診しないけど、七瀬さんはたしか車で往診もやってるって言ってた。
 なんとか往診を追加することで事態を好転させられないかと思って七瀬さんにSOSのメールを送った。

 そしたら夕べ、遅い時間にもかかわらず、かけつけてくれました。
 院長の治療は時間制限があるので(枠が15分しかない)、重篤な状態の人にはどうしても時間が足りなくなってしまう。
 鍼って体力をバケツに注ぎ込むようなものだから、キャパがいっぱいある人は短時間で満タンにできて、しかもそれが長時間もつんだけど、体力が落ちている人や重病人の場合は、キャパが小さいから1回に入れられる体力の量も少なくなるし、持続力も短くなる。
 さらにうっかり入れすぎるとかえって悪化するのでそこが厄介。

 七瀬さんは往診なので、時間を気にせず私のペースでじっくりやってくれて、昨日は1時間半くらいかけてやってくれた。
 咳をとめるのは治療中しか効果ないけど、びっくりしたのは咳によるうっ血と火照りとむくみが見事にひいたこと。
 これだけで目の前の霧が晴れたように楽になった。
 
 夕べは久々に熟睡できた。
 今後は院長の鍼の翌日に往診で追加治療をおこなうという「こまめに給水方式」で様子をみることになった。
 今日は疲れはあるけど昨日に比べたらかなり気力が戻ってきているのがわかる。

 咳には咳止めを。
 それは戦場の掟でしかたのないことなんだけど、このままでは両軍ともに兵士が疲弊していくのは否めない。
 そんな中、七瀬さんが傷病兵を癒しにきたナイチンゲールに見えた夜でした。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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