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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 8月10日。
 よりによってこんなときに「歯の詰め物」がとれた。
 いつとれたか気づかなくて、「なんか冷たいものがしみる〜」と思ってふと舌で触ってみたら、上の歯にボコッと大きな穴が空いているのに気づいて仰天した。
 最初は「いきなりこんなに大きな虫歯?!」とあせったが、冷静に考えたらこれは削ったあとの「穴」だ。
 そう言われれば、1ヶ月ほど前、いきつけの歯医者にクリーニング&定期検診に行った際、先生に「詰め物がちょっととれかかってますが、このまま様子をみましょう」と言われた気がする。

 この先生は超ビビリで、なににつけても積極的な治療をいやがる。
 虫歯の治療のあとに問題がありそうでも「掘り出すと大事になりそうなので様子をみましょう」。
 残り1本になった親知らずも「抜いてもいいけどとりあえず様子をみましょう」。
 神経抜いてもろくなった歯の補強も「かぶせたほうがいいと思うけどしばらくは様子をみましょう」。
 はじめのうちは慎重で丁寧な先生だと思ったが、そのうちに「単に自信がないのでは…」と疑うようになってきた。
 温存主義にもほどがある。
 この先生が乳腺科医だったら、きっと「がんがあるけど治療は大変なので様子をみましょう」って言ってくれるんだろうな。
 いや、なってほしくはないけど。

 ぐずぐずしているとお盆休みに入ってしまいそうだったので、とにかく応急処置だけでもしてもらうことにしたが、いつもの歯医者は遠くて面倒だったので、近所に新しくできた歯医者にかけこんだ。
 初めての受診だったので問診票を渡された。
 もう。この問診票って大ッ嫌い。
 書くこと多すぎるんだもん。
 全部「なし」「なし」で済めば簡単なんだけど、だいたい空欄で済む場所はほとんどない。
 しかも手書きは手に力が入りにくいのですごく疲れる。

 書き終えて提出したら、それを見た先生がギョッとした表情になった。
 「え?喘息あるの?…ヨード禁?……乳がん??」
 ここでおそるおそるという感じでこっちの様子を窺う。
 「……この、『その他』っていうのはなんなの?」
 「悪性リンパ腫です」
 「え〜〜〜〜!!!」
 驚き、というよりは「勘弁してよ」「てか、来るなよ」「やりたくねー」という不服のニュアンスだった。
 「昔ですよ、昔。あ、乳がんはこれから治療ですけど」
 「………」
 「………」
 いいからとっととやれよ。
 このうえ、「あと放射線も過剰照射されてて、手も動かなくて、障害者3級です」って言ったらたたきだされるかな。

 この日、すべてのセカンドオピニオン申込を終えた。
 いろいろ調べて、いろいろ意見を聞き、結果4件まわることに決めた。

 まず8/13に行くのが埼玉医科大学国際医療センター。
 はっきり言ってすんごく遠い。
 なぜそんな遠くに行くことになったかというと、お目当ての先生(知人の内科医からの推薦)がつい数ヶ月前に都内の病院からここへ移ったときいたからだ。
 その先生はアメリカで研修を積んでいて、乳腺外科医だけど内分泌に詳しいらしい。
 つまり内科系(薬)にも強いということ。
 最近患者が急増しているとはいえ、アメリカに比べたら日本の乳がん患者はまだまだ少ない。患者数も臨床データもアメリカは桁違いに多いのだ。
 なので、まだ若いけれどいろいろな症例の経験値が高いんじゃないかと思ったのがひとつと、ネットで「術前ホルモン療法」が専門だと知ったため、せめて意見だけでもきいてみたいと思ったのだ。

 8/15に行くのが癌研有明病院。
 これについては、すでに8/6に、病理標本と紹介状・検査結果を直接提出しに行っている(個人情報なので郵送は不可と言われた)。セカンドオピニオンは時間単価が高いので、事前に資料に目を通してもらえるのはありがたい。
 本当はこれだけでいいんだけど、念のため自分で参考資料を作成してそれも添付した(「過去の病気の治療内容」「乳がんと診断されるまでの経緯」「今回質問したい項目」「現在服用中の薬」など)。

 8/31に行くのは三鷹にあるクリニック。
 術式のひとつに内視鏡手術という選択肢があって、これは傷口が小さくて済むということで関心があるのだが、設備費も手間も技術も必要なわりには保険点数が一般の外科手術と同じで割に合わないせいか、実施している医療機関が非常に少ない。
 定評があるのは千葉鴨川の亀田総合病院なのだが(ドラマ「コード・ブルー」のロケで使われた病院)、うちからはあまりにも遠い。。。
 と思ってたら、どうもそこの内視鏡手術のエキスパートである先生が、月1回、三鷹のクリニックに出張しているらしいという情報を得て、話だけでも聞いてみようとセカンドオピニオンの申込をした次第。

 最後のひとつは聖路加国際病院だが、これは申込まで手間取った。
 まず、7月中に電話したところ、「中村先生ですか?それとも先生の指定なしですか?」と聞かれた。
 中村先生は、乳がんの名医といえば必ず名前があがる著名なドクターなのだが、先生の指定がないなら9月以降、中村先生指定なら10月以降だと聞いてびっくり!
 有明で驚いていたらまだまだ上があった……。
 さらに、8月分の受付はもう終了したので、9月分以降の申込は8月からになるという。 
 しかたなく8月最初の平日になる8/3の朝一番にかけ直したところ、「9月分の受付は8/10からです」というではないか。
 だったら最初にそう言ってよ〜!

 で、今日の朝、またかけたのだが、今度は「午後2時半から4時の間にブレストセンターの看護師に直接かけて予約状況をきいてほしい」という。
 だ・か・ら!
 最初から言ってよ〜。
 どうしていちいち一個ずつしか情報流さないんだよ。
 こっちはホームページの「セカンドオピニオンを受ける方へ」というページを見て、それに従って申し込んでるのに。そこまで込み入った手続きがあるならホームページに載せてくれないと困るよ。

 で、2時半にまたまたかけ直し、9/4に入れてもらったのだが、なんと時間は「未定」。
 当日の午後2時にもう一度電話してほしいという。
 なぜかというと、セカンドオピニオンは通常の診療終了後に行うことになるので、何時になるのかわからないのだという。
 午後になればある程度進行状況が把握できるので、その時点で時間を決めさせてもらいますとのことだった。
 「ちなみにその最終の患者さんの予約時間って何時くらいなんですか?」と聞いたら「7時半くらい」という返答。
 そんな時間まで予約が入ってるのか?!
 恐るべし、聖路加。

 それにしてもホームページに書いてあることと随分違う。
 セカンドオピニオンは週1回しかやってないというし、資料の事前預かりもしないという(当日直接持ってきてくださいと言われた)。
 聖路加は巷の評判が非常によくて、悪くいう人を聞いたことがないのだが、セカンドオピニオンの受付対応に関してはかなり不満が残った。
 その点、有明は完璧に近い対応だったと思う。

 以上、セカンドオピニオンのスケジュールは今日で整った。
 あとは約束の日を待つだけだが、待つだけというのもどうにも落ち着かないものだ。
 ついつい朝から晩までネットで治療法や病院について調べてしまうし、夜寝る前には頭がゴチャゴチャになるくらいいろいろなことを考えて眠れなくなってしまうし、寝たら寝たで夢の中でも治療のことを考えていて、まだ会ったことのないはずのセカンドオピニオンを受ける医師が登場して話をしているなど、結局24時間病気のことを考えている。

 ただ、肉体的には鍼に行って以来、確実に体調がよくなっている気がする(8/6に2回目の治療を受けた。四ツ谷先生ではないが)。
 のぼせが軽くなっているのにくわえて、慢性的に感じていただるさも軽減しているし、手もさらに動くようになっている。
 具体的に言うと、仰向けになった状態では左腕はびくとも動かせなかったのだが、肘から下の部分だけなら持ち上がるようになった(まだ100%の確率ではないが)。
 これまたすごい変化だ。
 左腕が持ち上がらないと寝返りが打てず、ずっとそれが苦痛だったのだが、このまま動きがよくなれば寝返りも打てるようになるかも…と期待がふくらむ。
 なにかができるようになって心が浮き立つという感情はもう久しく味わえなかったものだ。

 精神的にはボロボロだが、身体が回復しているのは嬉しい。
 病院めぐりは気力も体力も消耗する。
 しっかり充電して備えなければ……。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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