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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 8月13日。
 初めてのセカンドオピニオンに行く。
 ファースト「セカンドオピニオン」である。

 今日の行き先は埼玉医科大学国際医療センター。
 「場所はどのへんなの?」と聞かれても説明できないくらい遠い。
 南田先生(仮名)に言ったら「ああ、あの山の中の病院ね」と言われた。
 ……山の中……。

 池袋から1時間半だが、うちからだと5回乗り換えて2時間強かかる。
 池袋から東武東上線に乗って坂戸へ。地名がわかるのはここまでが限界だ。そこから先は聞いたこともない駅名が続く。
 「越生」を「おごせ」と読むことも生まれて初めて知った。

 最終的に降りたのは東毛呂という駅。
 そこからはバスだ。
 時間を調べていったのだが、お盆期間でダイヤが変更になっていることが現地にきて判明。
 しかたなくタクシーを使う。
 とにかく暑さと湿度が半端なくて、外でなんて1分も待ってられない。

 10分ほど走ったところで、こつ然と巨大な建物が現れた。
 ほんとにまわりにはなにもない。
 埼玉医科大学国際医療センターは、2年前にできたばかりで、がんや心臓病を中心とした高度専門特殊医療を行っている病院だ。
 今TVでやっているドラマ「救命病棟24時」のロケ地でもある。

 着いたのはちょうど12時頃で、約束は1時半だったので、まずはお昼を食べることにする。
 といっても病院内で食べるしか選択肢はないので、学食となっているホールに行く。
 IDカードを首から下げている病院スタッフがウロウロしていて、見たところ患者の数より多い。
 病院スタッフと患者が同じところで食事ってどうなんだろう。。。
 お互い話しにくいんじゃないだろうか。
 医者も昼休みくらいは患者から解放されたいよね。
 スペース広いんだからエリアだけでも分ければいいのに。

 それに衛生面でもちょっと気になる。
 食堂の入り口に白衣をかけるハンガーがあるのだが、着たまま入っていって席のところでバサバサ脱いで背もたれにかけてる人もあり、ちょっといかがなものかと思った。
 ちなみに、メニューの数は非常に少なく、さらに12時10分時点ですでに半分ほどのメニューが売り切れになっていたのもがっかりだった。
 べつに食事に来たわけじゃないんだからいいんだけど、暑い中2時間かけて来たんだからもうちょっといいものが食べたかった…。

 1時10分頃、受付に行ってCTフィルムを含む資料一式を渡す。
 問診票に記入させられたあと、「呼出し機」を渡される。
 診察の順番が来ると、それが鳴って知らせてくれるのだそうだ。
 初めて見たけどこれは便利だ。
 順番待ちのためにずっと待合室に縛られるのは患者にとって苦痛なことだ。L病院など、予約してても5時間とか平気で待たせる科もある。
 これを持っていればお茶も飲みにいけるし、売店に買い物にも行けるし、他の科との掛け持ちもできる。
 芸能人とかで、名前を呼ばれたくない人なんかもありがたいだろう。
 
 約束の時間から15分遅れくらいで呼出し機が鳴った。
 先生の名前は、仮に白尾先生としておく。
 白尾先生(仮名)は、推定40歳くらい。
 あまり感情を表に表さない、いかにも研究者っぽいタイプの先生だ。
 あらかじめ質問事項をまとめて提出しておいたので、先生はそれに沿って答えてくれた。

【質問1】私は過去に、ホジキン治療のため、胸部にかかる部分まで合計80.4GYの放射線照射を受けています。今回の乳がんは放射線照射のための二次発癌と考えられるのでしょうか。

 答えは「かけ方にもよるので……なんともいえない」。
 まあ、これは放射線科の先生でなければ答えられない質問だと思うので、「なんともいえない」は正直な答えだろう。

【質問2】L病院では「もう放射線はかけられない」と言われました。標準治療では、乳房温存は放射線治療とセットになっているときいています。放射線治療を省略して温存することは可能なのでしょうか。

 答えは「放射線がかけられないのなら全摘するのが標準。放射線なしで温存は局所再発のリスクが高まる」。
 これまた予想通りの回答。

【質問3】前回の治療の後遺症のため、現在、鎖骨と肩の硬化、左腕の麻痺と浮腫で日常生活に支障が出ている状態です。「リンパ廓清さえしなければ腕に支障は出ない」と言われましたが、元が健全な状態ではない以上、私にはまったく影響が出ないとはどうしても思えません。放射線の後遺症もこれから先も進む可能性ありと言われていますし、手術には非常に不安があります。どうしても手術が必要ならば、最小限のダメージで済む方法を模索したいです。たとえば、内視鏡手術はどうなのでしょうか。

 白尾先生もやはり「リンパ廓清をするかどうか」にこだわった。
 乳がんは、最初は乳房に発生するが、やがて腋のリンパ、肺、脳、骨という順番で全身に転移していく。
 そのため、まずは腋のリンパで食い止めることが重要な治療になるが、腋のリンパに転移しているかどうかをみきわめるのは非常に難しい。
 外から触って明らかに腫れがあるとか、CT画像上で確認できるとかならともかく、そうでない場合は手術のときに全部切りとって病理で調べるしかない。

 だから一昔前までは(今でも施設によっては)、腋のリンパは転移がありそうでもなさそうでも必ず切除するのが普通だった。「実際切り取って調べたけど転移はありませんでした」という場合も当然あるわけだが、「もしあったら大変なことになってたんだからしょうがないでしょ」と言われれば何も言えない。

 しかし、リンパ切除は後遺症のリスクが少なくない。
 リンパ液の流れが悪くなって浮腫を起こしたり、腕の動きが悪くなる運動障害が残ったりする。
 できることなら不要なリンパ廓清はしないほうがいい。
 そんな流れの中で登場したのが「センチネルリンパ節生検」だ。

 センチネルリンパ節とは、「見張りリンパ節」とも呼ばれ、腋のリンパにまでがん細胞が転移した場合、最初に到達するリンパ節のこと。
 リンパ節はたくさんあるが、全部を調べるのではなく、最初の入り口となるリンパ節だけをとりだして検査することによって、その他のリンパ節に転移があるかどうかを判断するというのがミソ(そこになければ他にもないという判断。もしみつかったら次のリンパ節を調べる)。
 これなら最小のダメージで「転移がないかどうか」を確認できる。
 たくさんあるリンパ節の中で、どうやってセンチネルリンパ節をみつけるのか、その方法についてはここでは詳しく述べないが、簡単に言うと「染色して割り出す」という感じ。
 興味ある人は検索して調べてみてください。

 このリンパ節生検、4年半前に母が手術したときもすでに行われていたが、基本的には術中に行われる。
 つまり、本当に転移してないのかどうかは蓋を開けてみなければわからないということだ。
 今でもおそらくそれが主流だろう。
 が、最近はセンチネルリンパ節生検だけを術前に外来で行うというところが増えてきているのだという。
 手術する前にリンパへの転移があるかどうかがわかれば、その後の対応もいろいろな選択肢が考えられる。
 聖路加では、事前に転移なしとわかればすぐに手術を行いリンパ廓清はなし、転移が認められた場合は、術前に化学療法を行ってから手術を行いリンパ廓清…という方法をとるらしい。
 ただ、私は腋リンパにも放射線がかかっているので、皮膚が硬くなっており、外から切るのはわかりにくいかも…と言われた。
 ああ、なにをするにも邪魔をする放射線。。。

 しかたのないことだが、ここまで説明しても白尾先生はいまいち後遺症の状態がよくわかってなくて、リンパのことばかり言っている。
 私はリンパ廓清しなくても全摘したら身体への影響があるんじゃないかという点が聞きたいのだが、考えてみればもともと障害のある身体に手術したらどうなるのかなんて、先生だって答えられることではないのかもしれない。
 ほとんどの医師は、データにないこと、未経験のことについては答えてくれない。

 内視鏡手術についても「標準外」ということで実績については疑問視しているようだった。
 ただ、「手術で先進的なことをやっているところは他の部分(内科的治療や放射線など)がいまいちだったりして、全体のバランスが悪いことが多い。乳がんはトータルでバランスのとれた医療機関で治療を受けるのが望ましい。また、手術はここ、化学療法はここ…というように、複数の病院にまたがって治療を受ける人もいるが、どこかで連携がうまくいかないことが多いのでお勧めしない」とはアドバイスされた。

【質問4】化学治療については、ホジキンの治療でアドリアマイシンを最大限使ってしまっているため、タキサン系しか使えないと言われましたが、タキサン系は副作用としてかなり強い末梢神経のしびれをもたらすときいています。手に障害をもっている身の上としては、使用するのに躊躇があるのですが…。

 薬の話になったら俄然いきいきし始めた白尾先生。
 もともとは外科医だが、今は臨床腫瘍科という腫瘍内科よりの科にいるため、薬にはかなり詳しそうだ。
 過去にどんな抗がん剤をどのくらい使ったのかという薬のリスト一覧を提出したのだが、それをじっと見て一言。
 「これ、間違いないんですよね。これが違ってると元も子もなくなるんだけど」
 「はい。先生が過去のカルテを参照して作ってくださったので間違いないはずです」
 そう答えると、「あ、そう」とうなずき、いきなり「身長と体重は?」と聞いてきた。
 こんなところでサバよんでもしょうがないので正直に答えたところ、やにわに電卓をとりだして、ダダダダッと計算を始めた。
 どうやら体表面積を割り出して、あとどのくらい同系統の薬が使用可能か計算しているらしい。
 そんなことしても無駄なのに〜。
 どうせ使えないよ。
 と思ったが、いきいきと計算している先生を見ると、「計算しなくてもいいです」とは言えなかった。
 ていうか、今の状態だと腕の浮腫だけで0.5kgくらいはあると思うんだけど…。

 「えーと…これでみると前の治療では270mg使われてますね。乳がんの標準治療では240mg使うことになるんで、足すと……あー、510かー、微妙だな」
 「微妙といいますと?」
 「500越えると心不全を起こすかもしれないんですよ」
 いや、それ 微妙じゃなくて絶対ダメでしょう!
 「うーん……550くらいまではいけると言われてるんですけどね」
 いけない、いけない!
 人の心臓だと思ってなに言ってんだよ、この先生は。
 論外!と思ったが、せっかく計算してくれたので一応おあいそで聞いてみた。
 「あの…その乳がん治療で使う240っていうのは(おまけして)減らして使うってわけにはいかないんでしょうか」
 「いきません」
 うわ、即答だよ。
 「んー、やっぱりアドリアマイシンは厳しいですね」
 だから最初から無理って言ってんじゃん!
 「使うとしたらタキサン系かな。タキソテールとエンドキサンを4クール」
 「タキソテールは末梢神経にくるんですよね」
 「いや、同じタキサン系でもタキソールは関節痛やしびれがきますけど、タキソテールはそういう副作用はほとんどないです。ただ浮腫はかなりの確率で出ますけど」

 ……これも信じられない。
 じつは毎日乳がん患者が集まる掲示板を見ているのだが、「タキソテールでもひどい関節痛としびれが出て動けない」「やけどしてもなにも感じない」「治療が終わってもいっこうに回復しない」「先生に言ったら『そんなデータはない』『気のせい』と言われて相手にされなかった」という書き込みがいくつもあった。
 これはありそうな話だ。

 というのも、オンコビンという抗がん剤があって、私は21年前にこの薬の副作用で救急車を呼ぶほどの腕の痛みが起こって何度も病院に運ばれたのだが、当時はオンコビンで腕に痛みが出るというデータがまだほとんどなくて、いくら「この薬のせいだ」と訴えても聞き入れてもらえなかった。
 結局、5クール目からは別の薬に変えてもらって嘘のように痛みは出なくなったのだが、今ではオンコビンが「四肢疼痛を起こす」ことは常識になっている。
 過去のデータよりも今目の前で起こっている現実を見てほしいと私はいつも思うのだが、残念ながら「データは現実より重い」という医師は絶望的なほど多い。 

 結局、リンパに転移があった場合はタキサン系を使用。なければ化学療法はなしでいいという結論に。
 あと、HER2が陽性の場合もハーセプチンとセットで抗がん剤を使ったほうがいいとのことだったが(FISH法の結果はまだ出ていない)、核異型度がグレード1ならまずHER2も陰性だろうと言われた。

【質問5】今回ホルモンへの感受性が非常に強いタイプのがんだときいて、この治療をメインに考えるのが一番よいのではないかと思っています。L病院の南田先生には「標準外だが、術前ホルモン療法も有効かもしれない」と言われましたがどうなんでしょうか。

 さて、いよいよ核心に迫ってきた!
 これだよ、これこれ。これが聞きたくて山の中まで来たんだよ。
 白尾先生も「ホルモン療法は絶対にやったほうがいい」とのこと。
 ていうか、もうそれしかないんだけどね……。

 ホルモン療法は、閉経前か閉経後かで使う薬が変わってくる。
 閉経前なら、卵巣からエストロゲンが出るのを抑える注射(リュープリンとゾラデックス)、閉経後ならアロマターゼ阻害薬と呼ばれる飲み薬。
 アロマターゼというのは、脂肪を介して男性ホルモンを女性ホルモンに転換する酵素。
 閉経後の女性は、卵巣からエストロゲンが作られなくなるわけだが、そのあとも脂肪を使って微量のエストロゲンを作り出すらしい。
 それすらも容赦なくたたきつぶすというのがアロマターゼ阻害薬だ。

 その他、閉経前、閉経後、どちらでも使える抗エストロゲン薬のノルバデックス。
 これはがんの餌となるエストロゲンががん細胞と結びつく前に邪魔をする薬。
 とにかくあの手この手でがんを兵糧攻めにするのがホルモン療法だ。

 一般的に言って、抗がん剤の副作用がきついことは周知の事実だが、ホルモン剤の副作用についてはあまり語られることがない。
 というか「副作用は軽い」とまでいう医師もいる。
 が、これも信じてはいけない。
 ホルモン剤の副作用も人によってはすごくきつく出る。
 副作用に耐えきれず、途中で服用を断念する人も珍しくないという。
 白尾先生も「楽とは決して言いません。ホルモン療法っていうのは、言ってみれば身体を年とらせる薬ですからね」と言う。
 抗がん剤はきつくても短期間で済むが、ホルモン剤は5年とか長期にわたるので、じわじわとダメージを与えられるというイメージだ。
 ネットで「刺されるか殴られるかの違いでどっちも痛い」と書かれているのを見たが、なるほどと思った。

 そもそも、ホルモンというのは、少しでも異常が出ると身体の広範囲に支障をきたす微妙なものだ。それを薬で無理矢理不自然な状態にするのだから、副作用は出て当然といえよう。
 とはいうものの、中にはまっっっったく出ない人もいる。
 それは私の母だ(笑)。
 母はアロマターゼ阻害薬であるアリミデックスを4年半飲み続けているが、なんの副作用も感じないという。
 一番深刻だと言われる「骨量の減少」ですら、4年目に測ったらまったく減っていなかったので、「副作用が出ないなら言うことないよねー」と喜んでいたのだが、どうも白尾先生の話によると「抗がん剤は副作用と効果は関係ないが、ホルモン剤に関しては、副作用と治療の効果は比例すると言われている」らしい。
 それを聞いた母は「じゃあ私は効いてないってこと?」と憤慨し、現在「残り半年飲む気なくした」とグレている。
 たしかに効いてもいない薬を飲み続けて身体にダメージを与えていると思ったら飲む気なくなるよな。。。

 そこで提案されるのが質問にある術前ホルモン療法だ。
 前にも述べたが、術前に薬を使う意味は、「腫瘍を小さくして手術で切り取る範囲を小さくすること」と「その薬が本当に効くのかどうか確認できること」だ。
 腫瘍を取り除いたあとに薬を使っても本当にそれが効いているのかどうかはわからない。わからないけど「効いている」と信じて使っているのが現状だ。
 そのあとに再発しなかったとしても、それは「薬が効いたのか」「薬なしでも大丈夫だったのか」はわからない。

 ただし、術前に行われるとしたら化学療法で、ホルモン療法を術前に行うことはほとんどない。
 理由は「化学療法ほど劇的に腫瘍が縮小するかどうか」が疑問視されているからで、もし縮小しなかったら手術を遅らせる意味がなくなってしまう。
 なので、「標準治療では術前ホルモン療法はやらない」ことになっている。
 適用されるとしたら、「なんらかの理由で抗がん剤が使えない」か、「閉経している」場合だという。
 「でも実際は使えばかなりの確率で効果があるんですよ。95%くらいは効きます」と言う白尾先生。

 ちなみに術前ホルモン療法をやるとしたら期間は半年間だそうだ。
 まあ、考えようによっちゃ「すぐ手術します!」と言っても2〜3ヶ月は待たされるわけだから、何もしないで待たされるよりは、ホルモン療法をやりながら待っているほうがお得感はあるかも。
 術前ホルモン療法は考えてもいいかもしれないという白尾先生だが、南田先生のように「場合によっては手術なしでも」という考えまではもっていないようだった。
 「将来的にはともかく、現在の乳がん治療で手術なしはありえない」というのが白尾先生の意見だ。

 以上、きっかり1時間で初めてのセカンドオピニオンは終了した。
 終了後、精算機に受付で渡された診察券を入れたら「21000円」と出た。
 1時間でこの値段なら安いほうかもしれない。
 って、すでに保険外の高額料金体系に麻痺しつつある私…。
 関係ないけど、外来ごとに精算機があるのって空いててすごい便利だわ。
 他の病院にも見習ってほしいシステムがいっぱいあったよ>国際医療センター

 というわけで、初回からハードなセカオピになったが、無事終わった。
 次は2日後の有明だ。

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カウンター
お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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