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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 10月9日。
 聖路加に行った翌日、母はL病院に行き、三井先生(仮名)に「病院を変わりたいので紹介状がほしい」旨を伝えた。
 母はこれを言うのがものすごく気が重くていやでたまらなかったらしいが、三井先生はあっさりと承諾。
 「この病院ではいろいろあったし」と言ったら「そうらしいですね」とさらっと一言。
 意外にホッとしているのかもしれない。
 「紹介状と資料を来週中を揃えていただきたい」と言ったら、「私、来週は忙しいので別の先生に揃えさせます」と丸投げ。
 出たよ、丸投げ。L病院の得意技。

 というわけで、転院の話はあっさりうまくいったのだが、同じ日、今度は私のほうが予想外の災難に見舞われる。
 この日は珍しく夜外食をして帰宅が深夜近くになったんだけど、あと5分で自宅だというところで無灯火の自転車にはねとばされて頭を強打するという事故に遭った。
 相手の男はアルコールも入っていて、動転したあげくに……逃げた。
 詳細は病気とは関係ないほうの個人ブログに書いたのでここには書かないが、とにかく暗闇でしかも人のいない場所での事故は想像を絶するほどこわくて、本当にどうしたらいいのかわからなかった。

 怪我もこわかったけど、加害者もこわかった。
 頭打ってるから病院行かなきゃ…と思う一方で、咄嗟に母のことを考え、「救急車なんかで病院に運ばれたら母に連絡がいってしまう。ただでさえ精神的ダメージの大きい時期なのに、このうえ私が事故で頭打ったなんて知ったらパニックになるかも。できることならなにもなかったことにしてこのまま家に帰りたい」とも思った。
 結果的には一人で近くの交番に行き、救急車を呼んでもらって脳外科のある病院でCTとってもらったんだけど。
 母は案の定パニックになったが、とりあえずCTの結果は異常がなく、意識もはっきりしていたし、入院とかににもならずに済んだのでなんとか安心したようだった。

 とはいうものの、頭はあとになって後遺症がいろいろ出ることがあるので、それからしばらくはこわくてビクビクしていた。
 最初はそれほどのダメージではないと思っていたが、2日ほどたったら頭や首や肩や背中など、ありとあらゆる部位が痛くなり、やはり事故は侮れないと思った。
 なによりも「あて逃げ」という事実に遭遇した精神的なショックが大きくて、数日間は眠れない日が続いた。
 逃げていった相手のことを思うと胸がムカムカしたし、せっかくせっせと鍼治療に通ってここまで身体を回復させてきたのになぜこんな目に…と思うと悔しくてたまらなかった。

 事故から4日後。
 鍼灸院で事故のことを話したら「頭を打つと頸椎への影響がこわい。たとえレントゲンで異常がなくても、あとからいろいろな形で影響が出るから治療しておいたほうがいい」と言われ、頸椎に抜罐法(太い鍼を一気に差し込んで出血させ、ガラスの吸い玉で鬱血を吸わせる治療法)というちょっとハードな治療をされた。
 今までは「鍼、ほんとに使ってんの?」っていうゆるい刺激の治療しかしてなかったんでこれにはちょっとびっくりした。
 四ッ谷先生(仮名)は「じゃあこれからいきますよ〜」というタメがまったくなくて、いきなりザックリくるのでこわい。
 いや、タメられたほうがこわいか。。。

 西洋医学では事故の怪我というとその場所のことしか心配しないけど、東洋医学では外傷による刺激は身体全体の気の流れを乱すとして、かなり慎重に扱われる。
 この日は順調に小さくなっていた腫瘍径もちょっと揺り戻しがあったようだ。
 もうすぐ乳腺科でエコー計測するのにこんなことで悪化されたら困るんだよ(怒)。
 あー、ほんと腹たつ。

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 10月8日。
 あれからダメもとですぐに一条先生(仮名)にメールを出したところ、「セカンドオピニオンなら紹介状なしでも大丈夫です」という返事がきた。
 メールを出したのが5日だったので、最短の外来日は8日になる。
 紹介状なしなので、揃えられるデータは血液検査のデータくらいしかなかったが、とにかく話を聞いてもらいに行くことになった。
 つい1ヶ月前には私のことで相談に行ったのに、今度は母の転移の相談。
 あまりの展開に一条先生も驚いていた。

 話を一通り聞いた先生は、「転移した乳がんの治療は局所治療(外科手術)ではなく、全身治療(薬物療法)の領域になるので、担当は私ではなく腫瘍内科医になります」と言った。
 腫瘍内科医とは、がんの薬物治療の専門医のことで、アメリカではかなり前から育成が進められているが、日本ではまだまだ少ない。

 今までのがん治療は、胃とか腸とか肺とか脳とか、臓器別の専門医が診るのが普通だった。がん治療の第一選択といえばおもに「手術」なので、ここでいう専門医とは具体的には「外科医」になる。
 胃がんなら胃がん専門の外科医がまずは手術を行い、次に内科的治療(抗がん剤)が必要になるとやっぱり外科医がそのまま治療を行う。
 しかし、本来ならば抗がん剤治療は内科の領域である。外科医が手術の片手間にやっていいのかという疑問は当然起きる。
 そこで出てくるのが腫瘍内科医だ。

 腫瘍内科医の最大の特徴は、すべての臓器のがんを取り扱うということだ。
 がんは最初はひとつの臓器からスタートする。この時点では外科手術での根治もまだ可能な段階である。
 しかし、転移するようになると、がんは(画像で確認できない部分も含めて)全身に広がることになるから、こうなるともう外科の出番はない。治療は薬物療法しかなくなる。
 しかもどの臓器にとぶかもわからないため、臓器ごとの専門医ではカバーできない。
 腫瘍内科医は、まさにこういう状況のために存在する。

 理想は外科医と腫瘍内科医の連携だが、腫瘍内科医の絶対数が少ないうえ、前にも書いたように、外科医が自分で薬物治療までやってしまうケースが多いため、実際は転移した時点で、外科に見放されて難民になってしまうがん患者が大量に発生しているのが現実だ。
 外科は「再発転移しないように」治療しているわけだから、初期治療には熱心に取り組むが、再発転移してしまった患者には冷たい。とまで言い切るのは悪いが、そういう傾向は少なからずあると思う。
 私の場合は後遺症だったが、「もう治せない」という意味では同じで、「自分には治せない」となると急速に興味をなくすのが医者だ。
 「自分に治せない」なら、もっと治せる専門性をもった他の医者につないでくれればいいのだが、それをしてくれないから難民が次々に発生する。

 だから医者同士の連携はとても重要だと思っているのだが、私が見る限り、L病院の連携のまずさは最低だ。
 これではいくら一人ひとりが優秀で豊富なキャリアや知識を持っていようと、患者にとってはまったく安心できない。
 聖路加を選んだのはその「連携」が進んでいるという印象を受けたからであり、開口一番、一条先生の口から「腫瘍内科医につなぎます」という言葉が出たときは「やはり思った通り!」と感心した。

 しかも、よく聞くとその腫瘍内科医というのは、一条先生のご主人だというではないか。
 これ以上の連携があるだろうか!?
 L病院に腫瘍内科医がいるのかどうか知らないが、三井先生(仮名)のやり方を見ていると、とても他科と連携して治療を進めていくとは思えないので、いてもいなくても事実上機能していないと見た。
 聖路加ならどこかで腫瘍内科医も治療にかかわってくれるんじゃないかと思っていたのだが、まさかここまでうまくいくとは思わなかった。

 が、問題がただひとつあって、その先生はまだアメリカから正式帰国していないのだそうだ。
 帰国後すぐに診察を受けても19日にはなってしまう。
 そこまで治療をしないで待っていられるかと言われるとちょっと悩ましい。
 今の予定では、その前の週にL病院に入院して一回目の治療(ハーセプチン投与)を行うことになっていたが、もし病院を移るなら入院の申込もキャンセルしなくてはならない。
 でも、せっかく腫瘍内科の先生に診てもらえるんだから、どうせなら最初から診てもらいたい。
 ということで、とにかく至急三井先生に事情を話して紹介状と検査資料を揃えてもらうことにした(多分、それだけで1週間くらいかかってしまいそうだし)。
 そして、一条先生には、腫瘍内科のご主人に今の状況をできる限り詳しく説明して伝えておいていただくということに。
 母も、聖路加が引き受けてくれるとわかってかなり安心したようだった。

 本題が終わって、後半は雑談に入った。
 「そういえば一条先生はクリスチャンなんですよね。うちの母もクリスチャンなんですよ」と話したところ、一条先生は「えーーーー!」と驚いたあと、「なぁんだ〜。じゃあ大丈夫ですよ〜!」といきなりくだけた態度に。
 なにがどう大丈夫なのかよくわからなかったが、要するに「クリスチャンなら神様にお任せすれば絶対に悪いようにはならない」という共通概念があるということらしい。
 同じ信者ということでさらに親近感が増し、「これは絶対に神様のお導き!」と2人で和気あいあいと盛り上がっていた。

 その後、一条先生が私と同じ年(正確には同じ学年)だということ、一条先生と母の出身高校が同じだということ、などなど不思議な縁が次々に見つかり、いちいち驚いたが、なんといっても一番驚いたのは「私のセカンドオピニオンは、本来別の先生が担当することになっていた」という事実だった。
 当日になって、その先生にはずせない用事ができたため、急遽ピンチヒッターとして一条先生が診ることになったのだという。
 これにはちょっと鳥肌がたった。
 「神様が会わせてくださった」とはまさにこういうことなのかもしれない。

 ともあれ、なんとか道はつながった。
 19日までが待ち遠しい。

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 10月2日。
 不幸は重なると言うけれど、さすがにこれはなかなかないだろうという事態が起こった。
 4年9ヶ月前に乳がんの手術をした私の母が、肝臓への転移を宣告されたのだ。
 このブログでもちらっと「術後、再発予防のためにホルモン剤をずっと飲んできたが、副作用がないので効いてないのかも」と書いたことがあるが、冗談ではなくその通りになってしまった。

 しかも、ここが大事な部分なのだが、今回の転移をみつけたのは、事実上病院ではなく母自身だったのだ。
 結論から言うと、転移があったのは肝臓だけだということが今日の検査でわかったのだが、乳がんの場合、転移が肝臓「だけ」に起きることは滅多にない。
 普通は、乳房に近い脇のリンパとか、肺とか、骨とか、まあいろいろコースはあるんだけど、とにかく肝臓は最後にくることが多いので、肝臓でみつかったらまず全身に転移していると考えなければならない。

 だから術後の定期検査でも、残った乳房とか肺なんかは、最初に転移しやすい場所ということもあってわりとチェックするんだけど、肝臓はほぼノーチェックだった。
 血液検査で腫瘍マーカーが上昇しているとか、同じく血液検査で肝機能が悪化しているといった問題がない限りは、肝臓の検査をわざわざ行うことはほとんどないのだ。

 母はその点について、以前から何度も「もっと検査をしなくていいんですか?」と自分から念押ししていたのだが、「初期治療と違って、転移というのは早くみつけて早く治療したから治りがよくなるってものじゃないので、あんまり検査しすぎても意味ないんです。全身調べてたらキリがないですから」と言われて終わっていた。
 とはいうものの、肝臓は沈黙の臓器というだけあって、自覚症状が出るのはかなり進んでからだ。
 医者もいきなり肝臓というのは予想外だろうから、はっきり言って油断していたと思う。

 ではどうやって今回の転移がみつかったか?
 これはもう本当に本人の「勘」と「運」というしかない。
 今考えると、去年の秋頃から、すでに慢性的な疲労感を感じていたらしいが、寝込むほどではなかったし、血液検査にも異常は出ていなかったため、そのまま放置していたという。
 最初に異常を感じたのは「排尿の違和感」だったそうだ。
 今年の6月頃のことだ。なんとなく「出にくい」気がする。という程度だったが、母は片方の腎臓が働いていないため(これはずっと前からのこと。原因はわからないが腎盂腎炎をやったときにやられたのかもしれない)、腎臓のことはいつも気にしていて、念のために自分から腎臓内科と泌尿器科を受診した。

 そこでは「腎臓は異常なし。でもエコーで見ると肝臓にちょっと影がありますね」と言われたらしい。
 先生は「まあ大丈夫ですよ。たいした影じゃないから」という感じだったが、母は「心配だから消化器内科に行きたい」と言い、紹介状を書いてもらって次は消化器内科へと足を運んだ。

 消化器内科では「たしかに影があるけど、これは血管腫だと思いますよ。血管腫は知らないうちにできてる人も多いですから」とやはりのんびりしたコメント。
 そこで終わりにしようと思えばできたが、やっぱり心配が拭えない母は「じつは私、乳がんをやっているので、転移が心配なんですけど…」と言ったところ、「え? そうなんですか? じゃあCTとMRIも追加しておきましょうか。そうしたら腫瘍か血管腫かはっきりするので」と言われて検査追加に。
 この時点でもすでにツッコミどころ満載だが、とりあえずそこはおいておく。

 CT検査は7/24に行われ、7/31に結果を聞きにいった。
 結果は「やはり血管腫でした」とのこと。
 これですっかり安心した母は、MRIの検査もキャンセルしてしまった(閉所恐怖症でMRI嫌いなので)。

 ところが、8月に私と一緒にセカンドオピニオンまわりをするうちに、疲労感はますます強くなっていった。
 9月に入り、高血圧のために定期的に通っている循環器内科で血液検査を受けたところ、初めて肝機能の数値が上がっていることが判明。
 循環器内科の先生には「この程度の上昇なら薬の副作用かも。最近新しく飲み始めた薬はありませんか?」と言われ、まずは2週間ほど前から飲んでいた胃腸の薬をやめてみた。
 1週間ほどたってから再び血液検査を行ってみたが、数値はいっこうに変わらなかった。

 薬のせいだとすれば、あと考えられるのはずっと飲んでいるホルモン剤だろう。
 そう思って次は乳腺科に行こうとしたが、母がかかっている乳腺科の担当医は、超が3つくらいつく多忙なドクターで、とても定期の予約外に診てくれるような状態ではない。
 しかたなく、私が受ける南田先生(仮名)の診察日に相乗りする形で相談することになり、9/11に診察を受けた。

 南田先生は「ホルモン剤の副作用ならもっとすぐに出るはず。4年以上も飲んでから出ることはない」と言い張ったが、とりあえずホルモン剤もやめてみることになった。
 と同時に、「7月に撮ったCT写真を見ると、メインの大きな影はたしかに血管腫のように見えるが、他に小さな芽がたくさんあって、そっちは血管腫じゃないかもしれない。最新の血液検査の結果を見ると、肝機能だけでなく、腫瘍マーカーもわずかに上昇してきているし、気になるのでMRIを早急に撮ったほうがいい」と言われた。
 しかし、L病院は常に検査の予約が満杯。特にMRIは予約をとるのが大変だ。
 というわけで、南田先生の判断で別のクリニックで検査だけ行ってもらうことに。
 MRIの結果は、そのまま担当医の三井先生(仮名)に届けられ、9/28に結果を聞きにいくことになった。

 前にもこのブログでちらっと書いたが、この三井先生というのは乳腺外科の世界ではかなり名を馳せている女の先生で、とてつもなく大量の患者を抱えている。
 それはもう尋常な数ではない。
 といって、横柄だったり、機械的に患者をさばくわけではなく、大変情熱的で親身な先生らしく(伝聞形で書くのは、私は実際会ったことがないので)、そのことがさらに待ち時間の延長を招いている。
 健康な人には想像もできないと思うが、予約しているにもかかわらず、5時間6時間待ちは当たり前なのだ。診察前に検査を受けたりすると、総待ち時間は文字通り朝から晩までとなる。
 それを聞くと誰もが「ひどすぎる」と思うだろうが、当の先生があまりにも熱心で献身的なので、誰も文句が言えないらしい。
 しかし、それって本当にいい先生なんだろうか?
 ……いやいや、とりあえずその問題はおいおい話すことにして、今はおいておこう。

 この日の母の体調は非常に悪かった。
 倦怠感も相変わらずだったうえに、9月に入ってから脇腹痛がひどくて息がよく吸えない状態が続いていた(最初は骨転移を疑ったが、骨シンチの結果は異常なしで、どうやら肋間神経痛らしい)。
 にもかかわらず、その状態で6時間待たされたあげく、1時間半かけて「転移の告知」を受けたのだ。
 診察を終えた母から電話が入ったのはなんと夜の11時すぎだった(母によると、まだあともう一人待っている人がいたらしい)。
 ある程度覚悟はしていたが、あまりにも急転直下の展開に家族全員言葉を失った。

 三井先生によると、「血管腫」だと断言されたメインの大きな影も「腫瘍」だと言う。
 メインの影は直径で8センチくらいあるかなりの大きさのものだ。
 ずっと定期検査を受けてきたのに、いきなりそんな巨大な腫瘍ができてましたと言われてもにわかには信じがたかった。
 三井先生もかなりあわてた様子で、「とにかく、もう一度大至急検査を受けてください。私がなんとか入れますから」と、「至急」「至急」「大至急!!」と判子を押しまくって10/2にまとめて検査をねじこんだ。

 そして今日。
 検査(全身CT)の結果、肝臓の他に転移は見られないことがわかった。
 しかし、画像上見えなくても、転移がんである以上、肝臓だけではなく、全身に散らばっていることはまず間違いないので、もう手術はできない。
 全身治療、すなわち抗がん剤を使うしか選択肢はない。
 しかし、抗がん剤と一口に言っても、乳がんの抗がん剤だけとってみても種類は数多い。
 どれが効いてどれが効かないか、やってみなければわからないのが実情だ。
 三井先生は、使える抗がん剤を片端から並べて、機関銃のような早口で説明してくれたそうだが、要は使えるカードを順番に切りまくるつもりらしい。
 母の話では、大雑把ではあるが「余命」も宣告されたという。

 がんはいったん転移したらもう治らず、あとはいかに延命するかという話になることは、がん患者なら誰でも知っているから、母も、付き添いで行った父も、当然のことだが大変ショックを受けていて、「もう三井先生の言う通りにするしかない」と力なく言っていた。
 今日撮ったCT画像と血液検査の結果を見たところ、7月に撮ったCT画像に比べて明らかに猛スピードで進行していることが素人目にもわかったそうで、「早く治療しなければ手遅れになってしまう」という焦りでいっぱいになっているようだった。

 それはわかる。
 データを見せられて、医者に脅されたら、誰だって「お任せしますからすぐに治療を」という気持ちになるだろう。
 しかし、私は今までの経過をきいて、どうしても三井先生にそのまま母を任せる気にはなれなかった。
 過去の経緯があり、L病院が信用できないというのももちろんあるが、それだけでなく、三井先生自身に不安を感じるのだ。

 たしかに三井先生は外科医としては腕のいい先生なのだろうが、再発転移となったらもう外科の世話になることはないはずだ。
 薬物療法でコントロールしていくことになるなら、専門は内科の領域になる。
 しかし、往々にして医者というものは自分一人の力ででなんとかなると思いたがる人が多い。
 熱心でキャリアがあって自信家ならなおのことだ。
 これは私が過去に受けたがん治療で身をもって感じたことである。

 本来ならば、外科である三井先生は薬物療法が専門ではないわけだから、薬物に詳しい内科医と連携して治療にあたってくれるのが患者にとっては一番安心なのだが、三井先生は典型的な「一人で抱え込むタイプ」で、他の科の先生と連携してやっていくつもりなどさらさらないのは明らかだった。
 「私でもそのくらいできる」と顔に書いてあるのが目に見えるようだ(会ったことないけど)。

 というか、そもそもL病院には(L病院に限らず大学病院全般の傾向として)「連携」という概念がない。
 「たらい回し」や「丸投げ」はするけれど、一緒に診ていくという姿勢が決定的に欠如しているのだ。
 私が今これだけ重い荷物を背負わなくてはならなくなった理由もまさにそこにある。

 だいたい、最初に本人が異常を感じて消化器内科に行ったとき、同じ病院内であるにもかかわらず、なぜ消化器内科と乳腺科の連携がとれなかったのだろうか。
 消化器内科の医師は、こちらが申告しなかったら、母が「元乳がん患者」であるということにも気づかなかった。
 いったい、目の前にあるLANで結ばれた端末はなんのためにあるのか?
 これは情報を共有するためのツールではないのか?
 彼は、少なくとも乳腺科の担当医に「あなたの担当の患者にこういうことがあったので、これ以降はそちらで経過をみてほしい」という報告くらいすべきではなかったのか?

 乳腺科は乳腺科で、消化器内科に確認をとるでもなく、「消化器内科のほうで今後の経過を見るつもりだったんでしょう」とかいい加減なことを言ってるし(母が「いいえ。もうこれで検査はしないでいいと言われました」と反論したら、「あらま、そうなの?」とあきれたような顔をしたという)。
 三井先生はよっぽど他人のやることに関心がないのか、はたまた信用していないのか、外部診療機関から送られてきたMRIの検査所見すら「私、こういうものは見ないので」と言って目を通そうとしなかったそうだ(私だって読影くらいできるんだからこんなものいらないと言いたいのか)。

 一人の能力・体力でできることは限界がある。
 三井先生がどんなに優秀かつ頑健であろうと、生身の人間である限り、なにもかもすべてを完璧にやりとげることはできないはずだ。
 不安理由の2つ目はここにある。

 どう考えたって、夜中まで診察というのは尋常ではない。
 熱心といえばきこえはいいが、本当に患者のことを考えているなら、「私が頑張ればいい」という問題ではないということに気づくはずではないか。
 一度、母が「先生の外来はいつもすごく混んでるから」と言ったら、なにを勘違いしたのか、「私は大丈夫です。朝までだってやりますよ」と返されて絶句したらしい。
 朝までって……病人を朝まで待たせるつもりなのかよ!(怒)

 先生は使命感に燃えて気持ちいいかもしれないが、待たされる患者は、体調の悪さと、精神的不安に押しつぶされそうになりながら何時間も何時間もじっと同じ場所に座り続けているのだ。
 同じ6時間でも、職場で仕事している6時間と、なにもしないで待たされている6時間とでは苦痛のレベルが違う。
 なぜそのことがわからないのだろう。
 せめて「夜中まで待たされることが確実」なら、遅めに来院することを許可してほしいところだが、受付は受付で早く帰りたいものだから「受付だけは早く済ませてくれ」と言うし、結局ツケを払わせられるのはいつも患者側なのだ。

 いくら人気があるといっても、そこまで非常識な数の患者を抱えている医者に自分の身内を預けたいかと言われたら私は断じて「否」と答える。
 もちろん、そこまで待たされることによって身体にかかるであろう負担も心配だったが、なによりも「こんなに忙しい先生なんだから」という遠慮によって、聞きたいことも聞けない、言いたいことも言えない、不安になったときにすぐに連絡をとるのも憚られる…といった不健全なコミュニケーションしかとれなくなってしまうことが心配だった。
 これからの治療は長期戦になる。
 担当医との信頼関係は「絶対不可欠」だ。
 話をよく聞いてくれること。これは絶対にはずせない条件だ。

 話を聞くといっても、ただ相づちを打って聞いてくれればいいというわけではない。
 時間をとってくれるかどうかももちろん大事だが、それよりもこちらの気持ちを汲み取るだけの精神的余裕と能力があるかどうかがもっとも重要だ。
 正直なところ、三井先生にそれはないとみた。

 理由の第3は、第2にも通じるが、余裕のなさから、なんだかんだいって、結局自分が一番なじんでいる方法にしがみつくような医師では困るということだ。
 率直に言って、私は抗がん剤は使わせたくない。
 たとえ抗がん剤が効いて今あるがんが縮小しても、身体を弱らせることで結局またべつの場所にがんを作り、いたちごっこになるのがこわいからだ。
 でも、ここまでがんが大きくなり、肝臓の機能もがた落ちしている状態を見ると、まずは抗がん剤を使うという選択もやむをえないかなとは思う。
 とにかく肝機能と体力をあげないことにはなにも始められないからだ。

 でも、抗がん剤をダラダラと使い続けることには激しく抵抗を感じる。
 ある程度体調が回復したら、鍼に通って免疫増強に努めて全身状態を改善することが望ましいと私は思っている。
 そのへんの意向をどのくらい担当医が理解してくれるのか。
 そこも重要である。

 残念ながら三井先生はかなり西洋医学に凝り固まっているタイプのようだ。
 母が鍼の話と私の話をしたところ、「それはありえません。鍼で元気になることはあっても、がんが小さくなるなんてこと、絶対にありませんよ」と断言したという。
 「でも27mmが18mmになって…」と反論したら、「エコーはやる人によって誤差も出ますし」とまったく取り合おうとしなかったそうだ。
 バカ言っちゃいけない。目測で縮小が確認できるほど小さくなっているのにどうして「誤差」で片付けられるんだよ。
 おまけに「鍼灸院でも毎回皮膚の上から計測してますけど、確実に小さくなってるんです」と言ったら「それは都合のいいように言ってるだけかもしれないですよ」と言われて、これにはさすがに母もカチンときたらしい。私もきた。

 あのねぇ、自分がよく知らない分野のことを認めたくないのはわかりますよ。
 でもそこまで人を貶める資格があなたにあるんですか?
 私たちは今までずっと、西洋医学に従い、医師の言う通りの治療をまじめに受けてきたんですよ。
 でも母は再発しましたよね。
 ずっと飲んできたホルモン剤は効いてなかったってことですよね。
 「ええ、そうですね」ってそれで終わり?
 乳がん患者はみんな、効くと信じて、つらい副作用に耐えながら必死にホルモン剤を飲み続けてるんですよ。
 それって「がん治療に失敗した」ってことじゃないんですか?
 自分の失敗は棚に上げて、人のやってることには悪意に満ちた評価しかしないのってどうなんでしょう。
 だいたい1センチ近いサイズダウンを「誤差」と言い切るなら、エコーで薬の効果を確認するのも全然あてにならないってことですよね。
 それとも抗がん剤を使ったときは、それは「誤差」ではなく「合理的縮小」になるんでしょうか。
 元気にはなってもがんは小さくならない?
 元気ならいいじゃないですか。
 がんがなくなっても本体がへろへろになったら意味ないんですよ。
 がんがあっても元気ならいいんですよ。
 結局あなたはがんの存在にしか興味がないんですね。
 元気であることが、それがなによりも重要なんですよ。
 
 会ったこともない人のことをあまり悪く言いたくはないが、話を聞いただけで反論したいことがわき水のように溢れ出てきてしまう。

 だめだ。
 絶対この先生にかかっちゃだめだ。
 たとえ「日本百名医」に入ってる先生でも絶対だめ。
 そう強く思った私は「早まらないで他の病院に話だけでも聞きに行こう」と主張した。
 しかし、治療を焦る両親は「今さら病院を変えるなんて無理に決まってるし、第一、三井先生にそんなこととても言えない」と及び腰で、しまいにはケンカになった。

 結局、「治療の予約(一回目は入院してやる)は入れるけど、それはそれとして話だけは聞きにいく」ということで同意を得た。
 私が話を聞きたいと思っていたのは聖路加だった。
 聖路加ならチーム医療も進んでいるし、私の考えている条件に一番近い医療が受けられそうだったからだ。

 本当なら三井先生に紹介状を書いてもらわないと、セカンドオピニオンも初診も受けられないのだが、そんなもの頼んでいるとどんどん遅くなるし、「聖路加が受け入れてくれるかどうかもわからないのに三井先生との関係をこわしたくない」と母が言うので、とにかく紹介状なしで診てもらえるよう、セカンドオピニオンでお世話になった一条先生に直談判することにした。
 

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 9月18日。
 昨日は鍼に行ってから心療内科へ行った。
 抗うつ剤(ジェイゾロフト)は4月末から飲んでいたが、鍼に行きだしてから心身ともに本当に調子がいいので、8月末以来半分量にまで減らしていた。
 それでも体調が変わる事はなかったので、昨日先生に話して中止してもらった。

 先生に「乳がんの治療のほうはどうなりましたか?」と聞かれたので、「鍼を始めてから調子がよくて、腫瘍も小さくなっているので様子見になりました」と言ったら「そうですか。それはよかったです。まあ、いくらお題目並べたって効かなきゃ意味ないですからね。結果が良ければいいんですよ。結果が同じなら薬なんて飲まないほうがいいですよ」と西洋医学の医者にあるまじき発言(笑)。
 まあたしかにその通りなんだけど。

 これで、ピルに続いて抗うつ剤からも抜けられた!
 いずれは薬をすべて断ちたいけれど、長く使っている薬をやめるのはなかなか難しい。
 鍼で体調を整えつつ、少しずつでも薬を減らしていけたらと思う。
 
 鍼は昨日で10回目の治療になる。
 四ッ谷先生の治療は7回目だが、この日は12×11mmだった。
 このところ詰め詰めで通っているので、さすがにそう短期間で劇的な変化はないが、大きくなっている兆しもない。

 鍼を始めてからのおもな変化は以下の通りだ。

1)むくみの軽減
 …たしかに日によって好調不調はあるんだけど、全体的に左腕の皮膚が柔らかくなってきた。皮膚が固いとマッサージしてもリンパがなかなか流れないので、柔らかいのは非常に状態がいいということだ。むくみと言えば手のむくみばかりが目立っていたが、どうやら全身がむくんでいたようだ。まず、会う人みんなに「痩せたね」と言われるようになったのだが、実際は全然痩せてなんかいない。要するにむくみがとれて顔の形が変わったのだ。それから下腹部の感触が変わった。前に比べて弾力があるというか、しっかりしてきたように思う。これもむくみだったのかもしれない。

2)麻痺の軽減
 …麻痺は正直難物だ。西洋医学的にはほぼ100%治らないと言われている神経損傷なので、いくら鍼の効果がすごいといっても魔法のようにはいかない。最初に肘から下が持ち上がるようになったのには驚いたが、そこから先にはなかなかいかなかった。ただ、最近になって指先がしびれるようになってきた。麻痺というのはまずしびれから始まる。麻痺すれば感覚がなくなるから、しびれすら感じなくなる。しびれを感じるというのは感覚が戻ってきている証拠だと思う。

3)冷えとのぼせの軽減
 …冷えは明らかになくなった。足先の冷えはけっこう頑固だったが、今はもうない。のぼせも「滝汗」はなくなった。もちろん、汗はかくが、滝ではなくにじむような感じの汗で、ひくのも早い。アイスノン鉢巻は梅雨時から常用していて、保冷剤があっという間に生温かくなっていたものだが、今では冷たすぎてとても使えない。時々ぶわーっと顔が暑くなって「のぼせ?」と思うことがあるが、以前と違うのは体の中から熱くなっている感じがすることだ。前は、頭が沸騰しているときはもれなく首から下の冷えがついてきた。のぼせというよりは、体温自体が高めになったように思う。

4)肩こりの軽減
 …鬼のように貼っていたロキソニンの湿布薬(今までは一回に70枚くらい出してもらっていた)をパッタリ使わなくなった。こわばった筋肉がほぐれ、関節が柔らかく動きやすくなってきた。もちろん、まだまだ通常人から比べたらバリバリだけど、「つらい」と感じることは少なくなってきた。また、今まで気づかなかったのだが、どうも私は背中の皮膚感覚が鈍くなっていたらしい。最初は「なにかを押し付けられてる感覚があるだけで、鍼を使われてる感じがない」と思っていたが、ある日突然鍼の感覚を背中に感じるようになってびっくりした。思わず「ずっと同じようにやってますか?いつも同じ強さでやってますか?」と聞き返してしまった。

5)便通の改善
 …今まで特に自分が便秘症だと思ったことはなかったが、ものすごく気持ちよく定期的に出るようになって、初めて「今まではちゃんと出てなかったんだ」と知った。「快便」とはよく言ったもの。本当に良いお通じは快感を伴うのだ。

6)とにかく元気
 …前は身体が重くてだるくて動くのがつらかったのだが、ちょっとした動作も軽く無理なくできるようになった。疲れることもあるが、ひきずることがない。うつが出たときは、昼間に一回は仮眠をとらないと動けなかったのだが、今はそんなこともない。

 ざっとこんなところだ。
 なによりも、これだけ体調がよくなると、気力が桁違いにアップする。
 「病は気から」とよく言われる。
 これは「気のもちようで病気なんて防げるよ」という意味だと思っていたが、ここで言う「気」とは「気分」とかそんな軽い不確かなシロモノではないと思う。
 「気」は身体の中からわきおこってくるもので、意識で自在に操れるものではない(少なくとも素人には)。
 検査データにも「あなたの『気』は今このくらい」なんて出てこないし、数値化できるものでもない。ましてや薬で補えるものでもないが、身体の状態があるバランスを保てば、おのずと湧き出てくるものなのだ。

 鍼を始めて、その「気」としか言いようのないものがみなぎってきているのを感じる。
 「気分」で「気」をどうこうすることはできないが、「気」は「気分」に大きな影響を与える。それはたしかな事実だ。
 「気」が満ちれば、なにもかもが良い方向にいくように感じるし、自分の身体にも自信が持てるようになってくる。
 西洋医学に頼っていたときは、自分の身体に自信がどんどんなくなっていく一方だったので、この違いは大きい。
 自分の身体にこれだけのパワーが残っていたことに我ながらびっくりするほどだ。

 ただひとつ、鍼でもなかなか改善されない頑強な不調がある。
 それは「不眠」だ。
 前に「少しは早寝になった」と書いたが、最近また眠れなくなってきた。
 寝覚めは確実に前よりもよくなっているのだが…。

 今日は、漢方とリンパマッサージに行ってから、以前通っていた婦人科に行ってきた。
 薬はもうやめているし、行く必要はないのだが、どうしても一度、先生に聞いておきたいことがあった。
 それは、この間から言っている「はたしてピルをやめただけでがんが縮小することがありうるのか?」という点についてだ。
 外科の先生は「あるかも」と言っているが、女性ホルモンについて一番詳しいのはきっと婦人科だ。
 しつこいようだけど、この際、婦人科の先生の意見を聞いておきたかったのだ。

 前回、ここへ来たのは7/17のこと。
 組織生検の結果を聞いて、ピルを中止する旨を伝えにきたときだ。
 それから2ヶ月たつわけだが、婦人科の先生は、私がまだ治療を始めていないことに仰天しているようだった。
 「がんが縮小しているのだが、これはピルをやめたことと関係があるのか」
 ストレートにそう聞いたところ、「考えられない」という答えが返ってきた。
 先生いわく、ピルによってがんの育ちがよくなることはあっても、やめたことで小さくなる事はないとのこと。
 やっぱり思った通りだ〜!

 さらに、「エストラジオールが5以下とというのは少なすぎるのではないか」と聞いてみたが、その年齢なら決して異常な数値ではないと言われた。
 「でも外科の先生は、そのまま放っておくと、脂肪がエストラジオールを作るようになるから、さらにホルモンをカットする必要があると言うんですが…」
 そう言ったら、「うーん。それ、私もわかんないんですよね。乳腺科の先生はアロマターゼ阻害剤ってよく使うんですけど、閉経後にも脂肪からエストラジオールを作る人ってほとんどいないですよ。かなりの肥満体の女性とかでない限り。たとえ作られても血中のエストラジオール数値が目に見えて上がるようなレベルじゃないですから」と、アロマターゼ阻害剤の役割に懐疑的な様子。

 たしかに私もその点には疑問があった。
 乳がんは女性ホルモンに依存している(もちろん依存しないタイプもあるが)。
 だから徹底的に女性ホルモンをカットして兵糧攻めにすれば、がんは育たなくなる。
 これは乳がん治療の基本中の基本であり、そのためにみんなせっせとホルモン剤(抗エストロゲン薬やアロマターゼ阻害剤など)を飲み続けているわけだ。

 だが、素朴な疑問として、もしそういうことなら、乳がんは閉経前の、女性ホルモンが豊富に分泌される若い女性のほうが発症しやすいということにならないだろうか?
 実際は、若年層の乳がんは(他のがんに比べれば若い人も多いが)まだまだ少なく、女性ホルモンがほとんど作られなくなる閉経前後から閉経後の世代に発症ピークがある。
 中には70代や80代の発症も珍しくなく、女性ホルモンだけがそんなに関係しているとはどうしても思えない。
 無関係とは言わないが、他にも要因があって、そのほうが強い因子になっているんじゃないかという気がする。

 とにかく、ホルモンとは関係なくがんが縮小していることがわかっただけでも収穫だ。
 と満足して帰ろうとしたのだが、先生は、とにかく私がまだ治療していないことが気になってしかたがないらしく、「勉強するのはけっこうだけど、治療するときは思い切りも必要なんだから、あんまり考えすぎないで早く手術したほうがいい」としきりに勧めてくる。
 「でも小さくなってるんですよ、鍼で」と言ったら、「鍼」という言葉に全身でアレルギー反応を表明し(思いっきり顔を歪められた)、「せっかく小さくなってるんだから早く手術しましょうよ」と前半部分だけをつっこまれた。

 「ピルをやめてもがんは縮小しない」
 「にもかかわらず、鍼だけでがんが小さくなっている」

 そこまでの事実を目の前にしても、医者はやっぱり「鍼」を認めないんだなということを、あらためて思い知らされた。
 ここで言い争ってもしょうがないので、適当に返事してひきあげたが、内心は「そこまで言うなら、なぜがんが小さくなっているのか合理的に説明してよ」と言いたい気分だった。

 乳がんになってから、西洋医学の治療に対する疑問は深まる一方だが、この先さらに対立せざるを得ない出来事が起こるのだった。

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 9月11日。
 乳がんを告知されてからほぼ2ヶ月がたつ。
 この間に行った病院・治療の回数は、

 鍼灸治療 12
 漢方 2
 リンパマッサージ 1
 乳腺科 4
 婦人科 1
 放射線科 1
 呼吸器内科 1
 コンタクト科 1
 心療内科 2
 検査 2
 セカンドオピニオン 4
 歯医者 4

 なんと35回!
 まあ中には乳がんと関係ないものもあるけど、これだけ通ってれば落ち込む暇もないわけだ。

 9/4の聖路加でセカンドオピニオンもすべて終了し、今日の南田先生(仮名)の診察で今後の治療方針を最終決定することになった。
 じつは、前回の診察日(8/28)の翌日、私は南田先生に手紙を書いている。
 出だしはこんな感じだ。

ーーーーーーーーーーーー

 突然のお手紙で、失礼いたします。
 このたびの治療に際しましては、いろいろとお心遣いいただき、ありがとうございます。
 先生が、過去の経過や今抱えている状況を鑑みた上で、最善の治療法をみつけようとしてくださっていることには大変感謝しております。

 が、昨日、今後の治療についてお話したした際、まだ伝わりきっていないと感じられたことが多々あり(それはこちらが話していないので当然なのですが)、やはり一度きちんとお話しておいたほうがいいと思いまして、こうしてお手紙を差し上げることにいたしました。
 本当は直接お話したほうがいいのでしょうが、これだけのことを診察室でお話しするのはとても勇気が必要ですので、あえて手紙にさせていただきます。

ーーーーーーーーーーーー

 以下、過去の治療でどんなことが行われたか、情報源も告知もない中で、L病院の医師にどんな対応をされたか、突然の後遺症告知にどれだけ絶望したか、その後どんな経緯で訴訟するにいたったか、和解するまでにどれほど見苦しい言い逃れが繰り返されたかを綿々と書き綴った。
 かなり率直に書いたが、ここまで書かなければ「私が毎回どんな気持ちでL病院の門をくぐっているのか」「医師にどれだけの不信感をもっているのか」「西洋医学にどれだけ疑念を抱いているか」「自分の身体をこれ以上傷つけたくないという思いがどれだけ切実か」を理解してもらえないと思ったので書いた。
 後半は、東洋医学に出会ってどれだけ自分の心と身体が変わったかという驚きと、西洋医学のやり方に対する疑問について、これまた身も蓋もないほど率直に書いた(ほとんどはすでにこのブログに書かれていることだが)。

 A4用紙7枚分になった。
 片手しか使えないので書き終えたらさすがにどっと疲労し、しばらくは動けなくなった。
 しかし、この手紙の効果は確実にあった。
 
 診察室に入ったとたん、南田先生は「この間はお手紙をいただきまして…」と「読んだ」という意思表示を示したが、手紙の内容に対するコメントはいっさいしなかった。
 しなかったが、事実上全面降伏(?)したことがその後の対応ではっきりわかった。
 ひらたく言うと、南田先生は、「手術も薬もなしで、当分鍼だけで様子をみる」という、普通ならばとても受け入れるはずのない私の要求をすべて受け入れてくれたのだ。
 それも拍子抜けするくらいあっさりと。

 もちろん、手紙の効果もあったと思うが、最大の理由は「がんが小さくなっている」というはっきりとした物的証拠があがったことにある。
 南田先生は開口一番「それがねぇ………不思議なことに…小さくなってるんですよ」と言いながら診察前に撮ったエコー画像を私に見せた。

 腫瘍の大きさは18mmになっていた(8/31に三鷹のクリニックでエコー検査をしてもらったときには16mmと言われたが、エコーではその程度の誤差は普通に出るらしい)。
 L病院でエコーをとったのは、組織生検を行った7/6以来だが、そのときは27mmだった。

 今までにも、CTやMRIでは腫瘍径は小さめに出ていたが(CTは19mm、MRIは16.5mm)、その都度「検査(の種類)によって誤差は出るから」の一言で片付けられていた。
 しかし同じ検査で27mmが18mmになったとなると、さすがに「誤差」で通すわけにはいかなくなったのだろう。
 2枚並べられたエコー画像は、大きさを測るまでもなく、目測でも同じ形のまま縮小ツールを使ったように3分の2程度に縮んでいることがはっきり確認できた。
 正直、南田先生はかなり戸惑っているようだった。
 私は「小さくなっている」という確信を随分前から身体で感じていたので南田先生ほどの驚きはなかったが…。

 先生はしばらく考え込んだあと「鍼……ですか?」と、きわめて遺憾そうにつぶやいた。
 なんとなく気の毒になり、私は餌を蒔いた。
 「青山先生(仮名)は低用量ピルを中止したせいではないかとおっしゃるんですが」
 案の定、南田先生は餌に食いついてきた。
 「なるほど! それはありますね」
 青山先生よく言った!
 青山先生に1票!
 南田先生の顔にははっきりそう書いてあった。
 「青山先生には鍼の話はしてませんし、きっと合理的な理由をなんとかみつけようとしたんでしょうねぇ」
 私がピル説をてんで相手にしていない様子を見て、南田先生は言い訳がましくこう言った。
 「まあねぇ、青山先生も『こちら側の人間』ですから、僕と考えることは同じだと思いますよ」
 こちら側って……。
 なに急にスクラム組んでるんだよ!

 「私としてはピルをやめただけでこんなに縮小するかなっていう疑問は拭えないんですけど。だってそんな簡単な問題なら、乳がんなんてホルモン療法だけですぐに消えちゃうってことになりませんか?」
 「うーん。まあそうですねぇ」
 「百歩譲って薬をやめた影響があったとしても、その効果がそんなにいつまでも持続するものでしょうか」
 「うーん」
 「そのうちに脂肪でエストラジオールが作られるようになったらまた大きくなってくるかもしれないですよね。もしピル説が正しいなら」
 「うーん」
 なんか反論してきたらこう言ってやろうといろいろ考えてきたのだが、南田先生は全然反論してこない。
 「だとすれば、このまま大きくならないでいたらそれはやっぱり…」
 「……鍼ですか……」
 再び遺憾そうにつぶやく南田先生。
 「ちなみに、聖路加の一条先生(仮名)には鍼の話をしたんですが、『医者としては標準治療を勧めるが、自分が心から信じられると思うのなら東洋医学で様子を見るのもいいと思う』とおっしゃってました」
 「うーん。そうですか。一条先生は『こちら側』の中でも比較的柔軟な考えをもつ人のようですね」
 まだ言うかーー!(笑)

 私が一条先生の話を出したのは、「一条先生は鍼で様子を見るのもOKだと言っている。もし南田先生が『そんな選択肢は認められない』とおっしゃるなら聖路加に移るつもりですがなにか?」という意思表示のためだった。
 というか、まず十中八九、普通の医者なら鍼の話を出した時点で物別れだと思うので、私は聖路加に移る覚悟をほぼ決めていた。
 ところが、なんだかんだ言いながらも南田先生は私の選択肢を認めてくれたのである。
 「まあ小さくなってることは事実だし、その他のリスクもすべて低いタイプだし、ホルモン剤を飲むのもいやだということなら、もう少し様子を見てから手術でもいいと思いますよ」
 これは予想外の展開だったが、認めてくれるなら聖路加に移る必要もなくなる。

 ここで話題は「手術」に移った。
 全摘か温存かはさておき、術式としては一般の外科手術か、内視鏡手術かの選択になる。
 一般の外科手術を選ぶならどの病院でもいいが、内視鏡手術を選ぶなら亀田総合病院に行くことになる。
 南田先生は「このくらい小さい範囲なら外科手術でも内視鏡手術でもたいして変わらない」と思っているようだった。
 たしかに、青山先生にも「内視鏡手術は傷が小さいというだけで、美容上のメリットは大きいが、やることは従来の手術と同じなので、身体への負担は外科手術と同じ」と言われている。

 しかし、私にはひとつひっかかることがあった。
 普通、乳がんの手術は「切ってから放射線をかける」という順番になる。
 私の場合、すでに胸部に放射線がかかっているため、順番が逆になるわけだ。
 その点について、一条先生は「放射線のかかった皮膚は硬く、伸びにくくなるので、メスを入れると普通の人よりもあとがくっつきにくくなるなどの弊害が起こりやすいかもしれない」という心配をあげていた。
 だとすれば、メスを入れる範囲を考えるとやはり内視鏡手術のメリットは大きいのではないだろうか。

 そのことを南田先生に話したところ、「なるほど!」と妙に納得し、なんと「手術をするならべつの病院へ行く」という要求まで承諾してくれたのである。
 「治療は鍼だけ」
 「病院は検査だけしてくれればいい」
 「手術することになったらべつの病院に行く」
 こんなメチャクチャな要求が通るとは正直思っていなかったのでびっくりだった。

 「青山先生は、このまま小さくなって10mmを切ったら『凍結療法』もありかも…とおっしゃってたんですけどね」
 そう言ったら、「なんですか? それ」という言葉が返ってきた。
 凍結療法を知らないのか?!
 乳腺の専門医といっても、最新の治療法をすべてチェックできているわけではないのだ。
 日々の患者への対応(説明)と、最新の情報収集。
 両方こなすのは大変なことだ。
 標準治療に頼るのも、「アラカルトで料理を注文されると面倒だから、みんなコース注文にしてね」的なことなんだろう。
 凍結療法について説明したところ、南田先生は興味深そうに聞き入っていた。
 鍼について説明したときは露骨に関心なさげだったのに。
 なんてわかりやすい反応なんだろう…。

 そんなわけで、この日、2ヶ月の漂流の結果が出た。
 次の外来は10月23日。
 それまでにせっせと鍼に通うぞ!

 ーー追記。
 一昨日、一条先生からお礼メールの返信がきた。
 なんとなく予想していたことだが、一条先生はクリスチャンだった。
 「あまりにつらいことに正面から向きあうと、心も身体もダメージを負ってしまう。人が人を裁くことはできない。それを解決してくださる大きな存在に自分をゆだねてみることも大事」というようなことが書かれていた。
 大きな存在って…神様なんだろうな、やっぱり。
 人智の及ばない大きな「力」を感じることはたしかにある。
 自分が出会ってきたすべての出来事(良い事も悪い事も)にメッセージがあるように思えることもある。
 でも、神様というほど明確な認識はまだ持てていない。正直なところ。

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 9月5日。
 この日は瀬田クリニックのミニセミナーに参加した。
 瀬田クリニックは、「免疫療法」を行っている専門クリニックである。

 西洋医学のがん治療といえば、俗に「3大治療」と呼ばれる「手術」「抗がん剤」「放射線治療」の3つである(乳がんや前立腺がんなどはこれにホルモン療法が加わるが、基本的にはこの3種類)。
 「免疫療法」は、この3つについで第4の治療法と言われている注目のがん治療だ。

 がん細胞は、健康な人間の体内でも毎日生まれているという。
 にもかかわらずがんにならないでいられるのは、免疫細胞の地道な働きによって増殖が抑えられているからだ。
 しかし、なんらかの理由で免疫機能がガクンと弱ってしまったとき、増殖する力が抑える力を上回り、検査で認識されるところによる「がんデビュー」となる(統計によると、一生のうち、2人に1人は「がんデビュー」するらしい。がん患者は決して「一部のマイノリティー」ではないのだ)。

 つまり、理論上は弱った免疫力を再び強化させればがんはひっこむわけだが、じゃあどうやって強化させるのか?と言われたら西洋医学にはなすすべがないのが実情だ。
 もちろん、東洋医学的にはいろいろ方法があるのだが、それはエビデンスがないので(笑)、医者は免疫に関しては「手が出せない」「各自に任せる」というのが正直なところだと思う。
 そもそも免疫のシステムにはわからないことがまだまだ多いし、「こういうときにこういう細胞がこういう働きをする」というところまではわかっていても、「どういうときに働かなくなるのか」「働かなくなったときにはどうすれば活性化できるのか」はわからないらしい。
 わからないから、そこは触れないようにして、とりあえず目に見えるがんのかたまりを3大治療でたたきつぶす。というのが西洋医学のやり方だ。

 しかし、皮肉なことに、この3大治療こそが、もっとも「免疫力」を落とす「免疫の敵」なのだ。
 ためしに医者に聞いてみるといい。
 「抗がん剤や放射線って、なんだかんだ言っても免疫落としますよね? 身体弱らせますよね?」
 これに対して「そんなことはありません」と言い切る医者はまずいないだろう。
 せいぜい「まあ、でも治療しないとどうしようもないでしょう。しょうがないですよ、がんなんだから」と話をそらす人がほとんどだと思う。
 「まあでも」っていきなり言い訳から入るのを見ても、医者自身「免疫落とす」と認めているのは明白だ。
 認めてはいるけれど、それに目をつぶらなければ治療ができない(=なすすべがない)から「しょうがない」という言葉が出てくるのだ。
 「がんなんだからしょうがない」。
 そう言われてしまったら、患者のほうも「そうだよな。がんなんだから贅沢言ってる場合じゃないよな」という気分になってしまう。
 しかし、本当に3大治療は「しょうがない」んだろうか?

 あるブログ(現役の医者が開設している)で、「患者さんからよく『抗がん剤はこわいからやりたくない』という声を聞くが、それは誤解だ。たしかに抗がん剤はつらい症状が出るかもしれないが、それは一時のことだ。治療が終われば元に戻るのだから頑張ってやってほしい」というようなことが書かれていて愕然とした。
 そのブログを書いているドクターは本当に患者のことを親身に考えている人に見えたし、善意でその記事を書いているのもわかるだけによけいにがっかりした。

 残念ながら、問題は「一時的なつらさ」にとどまらない。
 私も昔は(がんだとは知らなかったにせよ)「今この瞬間の苦痛を耐えぬけば健康が取り戻せる!」と信じ、歯を食いしばって治療に耐えた。
 にもかかわらず、度重なる治療のダメージは、結局重い後遺症と二度目のがんを生んだ。
 私だけではない。
 どんなに念入りに治療を重ねても、再発したり、身体中に転移したりする人はあとを断たない。
 これはなぜなのか?

 医者に言わせれば「治療したにもかかわらず」という文脈になるのだろうが、東洋医学の文脈では「治療したからこそ」である。
 実際、「がんになったのに治療を受けない人」はほとんどいないわけだから、治療を受けた場合と受けない場合で公正な比較をすることはできないはずだ。
 だからどっちの言い分も「証明」はできない。
 しかし、免疫が落ちればがんになるとわかっていながら、がんを治すために免疫を落とす治療をやり続ける西洋医学にはやはり不信感を持たざるをえない。

 抗がん剤も放射線も、「治療後に身体が勝手に回復してくれる」ことをあてにして、身体をいじめぬく。
 でも身体だって不死身ではない。
 表面上は回復したように見えても根っこのダメージはいつまでもひきずることになる。
 たとえはあまりうまくないが、これは腰の悪い人にどんどん重い荷物をもたせながら、その一方で腰に鎮痛剤を注射し続けるようなものではないか。
 
 前置きが長くなったが、そんなことを考えているうちにいきあたったのがこの「免疫療法」である。
 今のところ、これをやっている病院はまだまだ少ない。
 印籠にあたるエビデンスがないし、保険もきかないため、行っているのは専門クリニックが中心となっている。
 医師の間でも「免疫療法? なにそれ。うさんくさ〜」と思ってる人が多数だろう。
 そこまで露骨な態度でなくても「そういうものもあるようですが、エビデンスがないから効くかどうかわかりません」という医師がほとんどだ(実際、今回セカンドオピニオンでまわった医師全員がこういう答え方だった)。
 それでも「免疫療法」に活路を見いだし、訪ねてくる患者はあとをたたない。
 それだけ「エビデンスのある治療」だけでは治らない患者が多いってことだ。

 たしかに他の民間療法と同じく、免疫療法と一口にいってもあやしげなところもあるだろう。
 私が、数多くの医療施設の中で瀬田クリニックを選んだのは、地味だけどまじめに取り組んでいるという印象があったからだ。
 資料も取り寄せてみたが、担当医に説明するときのために…と「医療関係者向けの資料」も同封されていたことに感心した。
 たとえば東洋医学や民間療法なら、病院の担当医に黙ってこっそりやることもできるだろうが、この免疫療法に関してはそれができない(一応西洋医学の医者が行う治療なので)。
 しかし、実際はこの「担当医に理解してもらうこと」が最大の難関になる。
 「うさんくさ〜」と思っている医師相手に、素人が「免疫療法とはなんぞや」を説くのは並大抵の作業ではない。
 そんな患者のために「対ドクター資料」を用意してくれているのだ。

 なかなか行き届いているじゃないか。と思う一方で、専門外のこと、標準治療外のことに対する一般の医師の関心の薄さにはびっくりする。
 忙しいのはわかるが、患者が探してきた治療法についてちょっと調べてみるくらいの姿勢があってもいいんじゃないか。
 まあこのあたりの事情を見ただけでも、免疫療法というものが医学界でどういう位置づけにあるのかが想像できるが、セミナーに参加してみてその思いはいっそう強くなった。

 一言で言うと、免疫療法とは「がん細胞を消滅させる力を持つ免疫細胞」をとりだし(方法は一般の採血で)、特殊な機械で増殖させ、数週間後に再び体内に戻すという方法だ。
 自分の身体の中にあるものしか使わないので副作用もほぼゼロだとのこと。
 というと良いことづくめのようだが、そう簡単な話ではない。
 セミナーの中で、「免疫療法を受けた人の予後」というデータが出されたが、なんと「完全消失した人が1%」「進行した人が44%」という数字だった。
 これを見たら誰でも「なんだよ。全然効いてないじゃん…」と真っ暗になるだろう。
 が、そこがデータのトリックなのだ。

 この調査の対象になっている人は、なんらかの事情で手術ができなかった人である。
 なぜなら、手術でがんを取り除いたあとに治療を行っても、効果があるのかどうかはわからないから。がんがそこに見える状態で治療を行って、初めて「進行したか」「現状維持か」「縮小したか」が判断できるからである。
 このデータの対象者はもともと「そのままなにもしなければ進行するのが決定的な重篤な患者たち」であり、そうなると44%というのは決して多い数字ではなく、むしろ「44%しか進行しなかった」という評価になる。

 だったら、そんなわかりにくいデータ出さなければいいのに、なぜか出してしまう瀬田クリニック。
 そしてフォローするわけでもない先生。
 口数が足りないというか、あまり商売上手とはいいがたい。
 先生自身はとてもまじめで誠意があるように思ったが、失礼ながら「なんか損な役回りをひきうけちゃうタイプだなー」という印象を受けた。
 なによりも患者以上に疲れきった顔色をしていて、覇気がないのが気になった。
 セミナーに参加している患者さんはいわばがん難民化している人たちで、みんな切羽詰まっている。こういう切羽詰まってる人たちから常に「これは治るのか」「これはどうなんだ」と食いつかれて疲労困憊の態といった感じだった。
 正直、先生の免疫状態が心配になった。

 パンフレットによれば「初期の人にも使えるし、進行して他の治療が効かなくなった人にも使える」という話だったが、前述したように、現実は治療を受けにくる患者のほとんどが末期の人だ。
 セミナーに来ている人も「もう余命が尽きかけている」「本人は治療を受けにいく体力もない状態」「難治性のがんと診断され、治療法がないと言われた」といった人ばかりだった。
 でも、「免疫療法」というくらいなんだから、あまりにも弱った状態(=免疫力が落ちきっている状態)で治療を受けても劇的な効果は望めないのではないだろうか。
 先生自身「免疫療法は、手術をした直後の補助療法としてやるのが一番理想的」と話している。

 にもかかわらず、初期の状態で来る人はほとんどいなくて、3大治療をやり尽くして免疫が落ちまくっている人ばかりが来るのはなぜか?
 「保険が適用されない免疫療法は値段が高いから、他に治療法がまだある段階ならまずそっちを受ける」というのもひとつの理由だろう。
 しかし私は「担当医が免疫療法を受けさせようとしない」という理由も大きいのではないかと思う、

 誰だって少しでも体力のある患者を治療したいだろう。
 初期治療ならばどんな治療でも患者は耐えられるし、効果もあがりやすい。治療→再発・転移を繰り返すほど、治療はしにくくなる。
 だとしたら、治療しやすい患者を医師は手放したがらないだろう。
 「免疫治療をやってもいいが、抗がん剤とセットでないとだめ」
 「免疫治療をやってもいいが、初期治療でやるのは不可」
 そういう条件をあげている病院の話も聞いた。
 言い方は悪いが、そういう病院の姿勢は「失敗作をおしつけている」ようにしか私には見えない。

 とはいうものの、これからのがん治療において、「免疫」が大きなキーワードになるのは間違いないと思う。手術・抗がん剤・放射線治療の3大治療は今後見直しや方向転換がはかられるようになってくるだろう。 
 もちろん、今の「免疫療法」はまだまだ発展途上であることはたしかだ。
 肝心なところは「身体任せ」という印象が否めない。結局、どんなに頑張っても免疫体系のすべてをコントロールできるわけではないからだ。

 Tリンパ球を増やせばがん細胞を殺してくれる。
 理論上はそうなのかもしれないが、はたして試験管上で働いたリンパ球は体内でも絶対に同じ働きをするのだろうか?
 体内で自然に増えたリンパ球と、よそで勝手に増やしたリンパ球は同じように働くのだろうか?
 
 「おまえなんか試験管リンパ球じゃねえか」
 「どこの馬の骨ともわからないリンパ球に大事な仕事を任せられるかよ」
 「おまえらみんな同じ顔してて気持ち悪いんだよ」
 
 などという迫害を受けたりはしないのだろうか。
 迫害を受けたリンパ球はグレてがん細胞の手先になったりしないだろうか。
 体内の免疫体系はひとつの宇宙であり、免疫細胞は、意味があって増えたり減ったりしているはずだ。
 その意味がわからないまま勝手に増やされたり戻されたりしても、受け入れる身体が了解しなければやっぱり思うようにはいかないのではないか。

 最初は「免疫療法いいかもしれない」と思っていたのだが、同じ目的ならば、今は鍼治療のほうがいいように感じられてきている。

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 9月4日。
 聖路加国際病院に行く。
 いよいよラスト「セカンドオピニオン」である。

 1回目のセカオピはとてつもない猛暑だった。
 2回目のセカオピはイベントとぶつかってとんでもない人混みに飲み込まれた。
 3回目のセカオピは傘がおちょこになるほどの台風にぶつかった。
 なぜかいつも受難が続くセカオピだが、今回は「突然時間が大幅に変更」になった。
 予約時間については「セカオピ準備完了!」にも書かれている通り、当日の夜の診察が終了し次第…ということになっていた。
 何時になるかは2時頃に電話をかけて確認してくれとのことだったので、言われた通り出先から電話をしたのだが、「先生が急に夕方から出かけることになったので、できれば3時半頃に来てもらえないか」と言われて「なんだそりゃぁ」と思った。

 聖路加はセカオピの予約受付の要領が非常に悪くて、ここまででも充分イライラしていたのに、最後にまだこんなオチがあろうとは。
 診察が終わるのは7時半くらいにはなるというので、私はそこまでの時間をつぶそうと、その日いろいろな用事を入れていた。
 今さら早く来いと言われても…と思ったが、しかたなく用事をキャンセル&調整して4時頃に病院に向かった。

 聖路加国際病院は、築地の駅から徒歩7分程度と案内図には書かれていたが、実際はもっとずっと近く感じた。
 広すぎない道は適度にさびれてて気もちよかったし、緑の中にある聖路加看護大学の瀟洒なたたずまいもいい雰囲気だ。

 到着した病院の印象は…「なんて空いてるんだろう」だった。
 時間的にもまだまだ患者が減る時間帯ではないと思うのだが、どこへ行っても人が少なくてなんともいえずまったりしている。
 L病院とはえらい違いだ。
 L病院は、夜になっても患者の数はいっこうに減らないし、特に母がかかっている乳腺科の某医師などは、朝から夜中の10時、11時までぶっ通しで診察していることで有名である(午前中に検査を済ませ、その結果を午後に聞く患者などは、まさに朝から晩まで待っていることになる。これでは健康な人でも気分が悪くなりそうだ)。
 丁寧でいい先生なのだろうが、あまりにも患者の数が多すぎる。
 いくら優秀で人柄のいい医師であっても、人間の体力・集中力には限界がある。
 これでは見落としやミスがあっても不思議はないし、患者のほうも言いたいことがあっても申し訳なくて言えない。
 そういう光景を見慣れてきた目には、聖路加の人口密度の低さにはびっくりだった。
 実際、名前を呼ばれるまでは1時間ほど待たされたのだが、人が少なくて院内のムードがのんびりしているせいか、それほどイライラさせられることはなかった。

 まずはブレストセンターの看護師(乳がんの専門知識を身につけたナース)に呼ばれて問診を受ける。
 私が提出した資料を見ながら、「今一番心配なこと」「一番疑問なこと」「聞いてみたいこと」などを聞き出していく。
 その後再び待合室で待っていると、今度は診察室から名前を呼ばれた。
 返事をして診察室に向かおうとした私は、思わずギョッとした。
 なんと、女の先生が、診察室から私を迎えにみずから出てきたのだ。
 「こんにちは、(名札を見せて)私、一条(仮名)と申します。どうぞよろしくお願いします。今日は急な時間変更で本当に申し訳ありませんでした。さあ、こちらへどうぞ、どうぞ」と笑顔で診察室内に招き入れる。
 患者がドアを開けて中に入ると医師が座って待っている…というのが診察室のデフォルトなので、この出迎えにはかなり度肝を抜かれた。
 それもマニュアル化された行動ではなく、ごく自然に、「私のお部屋へようこそ」的な、まるで個人のお宅に人を招くような感じなのである。
 これが「聖路加方式」なんだろうか。
 それともこの先生だけのやり方なのか?
 
 一条先生は私と同じくらいの年齢で、どうやら今年に入るまでずっと(15年間)アメリカにいたらしい。
 一通り挨拶が済んで椅子に座り、さっそく本題に入ろうとしたら、先生は私の左手にちらっと視線をやったかと思うと、「ちょっと待ってね」と立ち上がった。
 なにをするのかと思いきや、タオルを重ねてデスクの上に置き、左手をここに置くようにと言われる。
 何回も言うように、私の左手はリンパ浮腫でかなりむくんでいる。
 むくんだ腕は重いので、ついダランと下へ下げっ放しにしてしまうが(ただでさえ、麻痺で自力では腕が持ち上がらないので)、リンパ浮腫はなるべく高い位置に腕を置いたほうが悪化しない。
 しかし、リンパ浮腫のケアについて興味のある医師は少なく、ましてや具体的なケアの知識を持つ医師は残念ながらほとんど皆無といっていい。
 だからまっさきに腕の状態を気にしてくれたことに私はかなり驚いた。
 そんな気遣いをする医師になど会ったことがなかったからだ。
 「ようこそ診察室へ」パフォーマンスといい、やはりただ者ではないな>聖路加ドクター
 この時点で初期の「事務方」の失点は一気に挽回の方向へとむかった。

 ようやく本題に入る。
 まず、先生は今の状態について云々する前に、最初の病気についてふれてきた。
 「ホジキンだったんですね。治療、大変だったでしょう。よく頑張りましたね」
 「ええ。そうですね。告知されてませんでしたし」
 「そうか。その頃はそうだったんですね。それじゃあ、病名を知らずにこんな過酷な治療を受けられたんですね。それは本当につらかったでしょうね」
 ここで横からたまらずに母が口を出す。
 「そりゃあもう。告知できないでいる家族もつらかったですよ!」
 いや、そういう話は今はいいから。と思ったが、一条先生は母にも深い共感を示しつつ「そりゃあそうですよ。言えないご家族の苦しみも大変なものですよ。当然です」と繰り返す。

 先生の話を聞く姿勢はまさに「傾聴」といった感じで、これまた今まで会ってきたどの医者とも違う。
 この聞き方はもはやただの医者ではなく「カウンセラー」か「宗教家」だった。
 先生があまりにも熱心に話を聞いてくれるものだから、母は過去の鬱憤を一気に晴らす勢いで綿々と今までに味わったつらい思いを訴え始めた。
 だから、そういう話はエンドレスになるから今はきりあげようよ!と思ったが、一条先生は身を乗り出して、何回も頷きながら母の話に聞き入っている。
 まずい〜。これじゃ過去の話だけで時間切れになっちゃうよ。
 とヒヤヒヤしたが、先生は途中からうまく本題へと話題をシフトしていった。

 「まずこの乳がんの原因が放射線治療にあるかどうかという点ですが、たしかに可能性はあると思います。でも、これはホジキンの治療のため必要な選択だったと思うので、そのときはしかたがなかったんだと思いますよ」
 ……やっぱりこれについてのコメントは他の先生と同じだ。
 放射線科の先生でない限り、これが「妥当な治療だったかどうか」はわからない。
 わからない以上、こう言うしかないだろう。
 でも、あれは「しかたがなかった治療」などでは断じてないのだ。その根拠ははっきりあるが、今ここでそれを言ってもしかたがないのでそれについては黙っていた。
 とりあえず、「放射線治療と二次発癌の因果関係」についてのコメントがもらえればいい。

 以降、「考えられる治療法」についても、ほぼ他の先生と同じ意見だった。
 いわゆる標準治療というやつだ。
 全摘手術+ホルモン療法。
 温存はできなくはないが、放射線がかけられないと局所再発率が増すので、もし術後に局所再発が起こって再手術→全摘となったとき、二度メスを入れるのは身体への負担として望ましくないと言われた。
 「一度放射線をかけた皮膚にメスを入れると皮膚が伸びにくくて傷がふさがりにくかったり、癒着を起こしやすくなったりするし、普通の人に比べて合併症も起こしやすいので、手術のリスクはできるだけ減らした方がいい」とのこと。
 なるほど。それは新しい視点だなと思った。

 内視鏡手術については、一条先生もあまり知らない様子だった。
 内視鏡手術はもともと日本生まれの術式。手先が器用でないとできないので、欧米ではあまり広まっていないようだ。
 15年間アメリカにいた一条先生がよく知らないのは当然だろう。
 
 また、「再建術」について具体的に触れてきたのも一条先生が初めてだった。
 乳房の再建には、シリコンバッグなどの人工物を入れる「インプラント法」と、背中の皮膚と脂肪と筋肉を切り取って血管をつないだままぐるっと後ろから前に移動させて使う「自家組織による再建(筋皮弁法)」があるが、過去の手術や放射線で組織が癒着しやすくなっているため、異物を入れるインプラント法は勧めないとのこと。
 ただ、自家組織を使うというのは、聞こえはいいけど当然背中にも傷が残るわけだし、素人考えだが、左の脇にも放射線がたっぷりかかって固くなっているので、左上肢の血流がさらに悪くなるんじゃないかという不安が残る。
 ちなみに、より多くの脂肪を必要とする場合はお腹の脂肪をとって使う方法もある。
 というと「それいいじゃん!」と食いつく人も多いと思うが、これはこれで危険らしい。
 お腹にかなり大きな傷が残るし、移植先までの距離が長いため、血流が悪くなって再建乳房が壊死を起こしたり、腹筋が弱ってヘルニアを起こしたりするなど、考えられる合併症は数多くあるという。
 「全摘→再建」と一口に言うが、その道のりは一般の人が思うほど簡単ではないのだ。

 一条先生の見解はだいたい以上だが、やはり聞けば聞くほど治療に対する疑問が大きくなってくる。
 最初は「不安」だったが、今あるのはもっとはっきりとした「疑問」だ。
 先生の説明は理屈ではよくわかる。
 こちらの気持ちに配慮してくれているのもわかる。
 それでも「なにかが違う」という違和感が自分の中でふくらんでいくのを、私はどうしても見逃すことができなかった。
 その違和感を直接口に出すのはものすごく勇気が必要だったが、これが最後のセカンドオピニオンになるわけだし、思い切って言ってみようと決心した。

 「あの…おっしゃることはよくわかるんですが…こうしたほうがいいという理由もよくわかるんですが…それでもどうしても今回は治療を受ける気持ちになれないんです。あまりにもいろいろなことが今までありすぎて…」
 一条先生は静かに頷きながら私の言葉に耳を傾けている。
 「私は過去に散々手術や抗がん剤治療や放射線治療をやってきて、大きな後遺症を残されています。今度のがんが過去の治療による発がんだとしたら、今回受ける治療も将来的にまたべつのがんや病気をひきおこす可能性はおおいにありますよね。そういうリスクはどんどん加算されていくものですから、二度目三度目のがんはますます治療が難しく、身体へのダメージも大きくなっていくはずです。そんないたちごっこをいったいいつまで続ければいいんでしょうか」
 説得できるものなら説得してほしいと思ったが、先生は反論しなかった。
 この部分が、西洋医学にとって一番のアキレス腱であることは間違いなかった。

 「じつは1ヶ月ほど前から鍼治療を受けているんです。私も最初は西洋医学の治療を受ける覚悟でしたし、東洋医学だけでがんが治るとも思ってませんでしたけど、でもあまりにも劇的に体調が変化して、検査で見ても腫瘍が小さくなっているのがわかって、今は逆に西洋医学の治療を受けるのがこわくなってきているんです。前は後遺症が進んでいないかと毎日些細な変化にビクビクしていましたが、鍼を受けるようになってからは新しい変化を確認するのが楽しみになってます。せっかく体調がよくなっているのに、また身体にダメージを与えたくないんです」
 さすがに「鍼でよくなっている」なんて話に西洋医学の医師が同意するわけはないと思っていたので、否定覚悟でのカムアウトだった。

 しかし、意外にも先生はこれを否定しなかった。
 「私は東洋医学だからといって頭ごなしに否定するつもりはないですよ。病気を治すのに一番必要なのは、患者さん本人の『この治療が効いている』と信じられる強い気持ちだと思います。それだけで免疫力はあがりますし、それが病気に効果を及ぼすことも充分あると思います。本人が疑いや不安をもったまま治療に臨んでも良い結果は得られませんし、小春さんが西洋医学にそこまで不信と恐怖を持っているのでしたら、それがとれるまでは治療は受けないほうがいいと私は思います」

 正直、驚いた。
 聖路加の先生は懐が広いとは聞いていたが、まさかここまで太っ腹(?)だとは思わなかった。
 鍼を肯定する医者なんて絶対にいないと思っていたので、この言葉には感動すらおぼえた。

 「ただ」と先生は続けた。
 「私は医者なので、医者としてはさっき言った治療を勧めるしかありません。東洋医学には残念ながらエビデンスがないので、効くという保証がないのです」
 出た、エビデンス!!
 医者にとってこの「エビデンス」という言葉は「葵の御紋」に等しい。
 「エビデンスがない」と言えば議論はそこまでになる。
 エビデンス(科学的根拠)は、しばしば現実をもまげてしまう力をもっている。

 「先生、ここが痛いんです」
 「そんなはずはない。あなたの痛みにはエビデンスがない」
 
 これでもう患者の痛みはなかったことにされてしまう。
 エビデンスという名の辞書に載っていないものは存在を抹消される。
 それが西洋医学というものだ。
 でも、前にも書いた通り、エビデンスだけで病気が治るほど単純ではないし(もしそうなら、がんで亡くなる患者がこんなに増え続けるわけがない)、実際エビデンスの内容自体も日々変わっていくのだからそれほどあてになるものとは思えない。
 医者が言う「エビデンス」とはあくまでも「現在時点の」という条件付きのものであり、目の前の患者が訴える症状はそれをくつがえす力をもっているかもしれないのに、想像力のない医者ほどエビデンスにしがみつく。

 東洋医学というと決まって「エビデンスがない」と言われるが、それは当然だ。
 エビデンスとは「統計的裏付け」であり、東洋医学は患者によってアプローチを変えていくものだから統計のとりようがない。
 Aさんに効いたからといってBさんにも効くわけではない。
 なぜなら、AさんもBさんも抱えている背景や事情がまったく違うから。
 その差を無視して「Aさん効いた」「Bさん効かない」→「治癒率50%」としてしまうのが統計だ。
 「すべての人が同じ構造をもっている」という前提がないと統計はとれないし、エビデンスも得られない。
 それに気づいてからは、東洋医学にデータやエビデンスを求めても意味がないと思うようになった。
 だからこのときも言い返さずにはいられなかった。

 「たしかにデータはないです。でもデータってなんなんでしょうか。西洋医学でいうデータって、全員を把握してるわけじゃなくて、一部をサンプリングしてるっていうか、つまりそれって…」
 言おうかどうか一瞬迷ったが続けた。
 「…『視聴率』みたいなもんですよね」
 「……」
 言っちゃったよ。
 さすがに気分を害したかな。と思いきや、一瞬の沈黙のあと、一条先生はこう答えた。
 「たしかに…そうですね」
 み、認めた!?
 「疑問に思われるのはよくわかります。データは完全じゃないし、目安だし、たしかに視聴率と言われるとそうかもしれません」
 なんと、一条先生はこれにも反論しなかったのである。
 「医療には3つのEが必要だと言われています。1つ目は『evidence(科学的根拠)』、2つ目は『experience(経験)』、3つ目は『expert(熟練)』です。エビデンスは定量的な根拠に過ぎず、それだけでは治療はできません。数多くの患者さんに接することによって得られる経験則、それを治す技量やテクニックがなければ治療はできないんです」

 そうなんだ〜。
 初めてきいたよ。
 だとすると、私の目には1つ目の「E」が2つ目と3つ目を凌駕して肥大しているようにしか見えないのだが。
 というか、2つ目と3つ目が現場でもっと正当に評価されていれば、1つ目だけがこれほど幅をきかせることはないだろうと思う。
 東洋医学は1つ目はないが、2つ目と3つ目が命綱になっている。
 逆に言うと、2つ目と3つ目が大きすぎて定量化できないともいえる。

 それはともかくとして、西洋医学の医者がここまで理解ある態度を見せてくれるなんて異例ともいうべき事態であり、「さすが聖路加」と感服した。
 「患者さんの中には、西洋医学を頭から毛嫌いして東洋医学に走る方もいらっしゃいますけど、小春さんはこれだけちゃんと勉強したうえで東洋医学に手応えを感じていらっしゃるんですから、私にはもう何も言うことはありません。小春さんが信じた道をいくことが大事だと思います」
 一条先生は何度も「信じる」という言葉を繰り返した。
 「私が一番言いたいのは、今度は小春さん自身が治療を選ぶことができるということです。前のときは自分の知らないうちに治療を進められたということがとてもつらい傷になったと思います。今回は自分で選ぶ機会が与えられているのですから、このチャンスを大事にしてください」
 こうして最後のセカンドオピニオンは締めくくられた。

 一条先生は、帰りも診察室から一緒に出てきて、ブレストセンターの受付まで見送ってくれた。
 「またいつでもお話しにきてくださいね」という言葉とともに。
 
 聖路加のセカンドオピニオン料金は、1時間で31,500円だった。
 安くはないが、満足度は高かった。
 ここだったら、L病院からまるごと引っ越してもいいなと思った。
 私の希望としては、当分の間、鍼だけで様子を見て、検査だけ病院でやってもらうことを考えていたが、ここならばそれも叶えてくれそうだ。
 ただひとつ、入院することになると個室しかなくて入院費がかさみそうだというのが気になったが…。

 ともあれ、これで4件、無事にセカオピまわりが終了した。
 大変だったが、やはりいろいろな先生に話を聞くのは重要だとあらためて思った。
 「evidence(科学的根拠)」にのみこまれないようにするためには、患者のほうにも「experience(経験)」と「expert(熟練)」が必要になる。
 科学的根拠を理解し、患者としての経験を積み、医師とコミュニケーションする技量を身につけることによって、初めて3つの「E」が揃い、「自分に必要な治療法」が見えてくる。
 セカンドオピニオンを通してそんなふうに感じた。

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 朝、カード会社から電話がかかってきた。
 保険の勧誘らしい。
 いらないと言ってるのにしつこく食い下がる。
 「保険、入れないんですよ、私」
 「いえ、大丈夫です。過去5年以内にがんとか大きな病気をしていなければ…」
 「今、がんなんです(-_-) 」
 「!!………た、大変失礼いたしました。(ガチャン! ツー、ツー、ツー)」
 おいおい、それで終わりかよ。
 「わかりました。では5年後にまたおかけします」くらいのオチつけてよ〜。

 9月1日。
 6回目の鍼に行く(四ツ谷先生の治療は3回目)。
 毎回、治療が終わったときに皮膚の上からノギスでしこりの大きさを計測するのだが、この日は13×10mmだった。
 もちろん、エコーやCTで計測する数値とぴったり一致はしないだろうが、同じ計測方法で毎回少しずつ小さくなっていることはたしかだ(前回、8/25に行ったときは15×10mmだった)。

 今日は四ツ谷先生におそるおそる「あのー、しこりが小さくなったのはピルをやめたせいなんでしょうか」と聞いてみたが、「そんな単純なものじゃないよ。そんなことで小さくなるなら苦労しないよ」と一笑に付された。
 まあ、そう言うだろうなーとは思っていたが、私もピル説は疑問。
 たしかにやめた直後は多少影響もあるだろうが、もうやめてから1ヶ月半もたつのにまだじわじわ縮小しているのはピル中止のためだけとは思えない。
 
 そもそもホルモン補充の治療用には中用量ピルが使われるのが普通(だから保険がきくのは中用量のみ)なのだが、私は副作用が心配なので低用量ピルを選んだ。
 低用量ピルは基本的に健康な女性が飲むものだから、補充されるホルモンは必要最小限におさえられている。そのため、副作用も中用量ピルに比べたら桁違いに軽い。
 保険が効かないのは痛かったが、やはり副作用は少ない方がいいので、まずは低用量を飲んでみて、症状が改善されないようだったら中用量を飲むことにした。
 結果的には低用量でも充分効果があったのでそのままそれでいったわけだが。

 なにが言いたいかというと、低用量ピルで補充される女性ホルモンはそれほどたいした量じゃないということ。
 乳がんの治療で使うホルモンを抑制する薬の強さに比べたらその影響は微々たるものだ。
 だとしたら、乳がんの治療で使う強力なホルモン剤でも完全にがんの大きさをコントロールできるとは限らないのに、低用量ピルで補ってる分が減ったくらいでそんなに劇的な効果があるんだろうか?という疑問がわく。
 ましてや、健康な状態で避妊のために飲んでいる人はプラスアルファのホルモンになるわけだが、治療のために飲んでいる人はマイナスからの補充になるので、その補充分がそこまで決定的な要因になるとも思えない。

 ただ、ピルをやめた時期と、鍼を始めた時期がなんとなく重なっているので、どちらがどの程度影響を及ぼしているのかがわかりにくいのは事実だ。
 そこで素人なりに考えてみた。

 女性ホルモンは卵巣で作られる。
 しかしいずれ卵巣の機能が低下してくると、今度は脂肪を使って女性ホルモンを作るようになる。
 卵巣を使って作り出す量に比べればわずかな量だが、これは生殖に使われるのではなく、健康維持(骨や代謝を健康に保つ働きが女性ホルモンにはある)のために使われる分なので、それほどの量はいらないのだ。
 乳がんの治療では、この脂肪で作り出すわずかなホルモンも容赦なくカットしていくわけだ。

 私は今まで、卵巣機能が低下している分、ピルでホルモンを補充してきた。
 つまり身体はなにもしなくても外から補充されるホルモンをあてにできた。
 ところが、7月17日から外からの援助が断たれた。
 当然、身体はあわてる。
 
 「どうしよう。なんで急に封鎖されちゃったんだろう。困るよー」
 「これからは自分たちでなんとかするしかないってこと?」
 「でも卵巣ももう引退しちゃったし。エストラジオールなんてどうやって作ったらいいんだよ!」
 「卵巣にきいてみようか?」
 「だめだ〜。こいつもう起きねえよ」
 「今さら自給自足って言われてもねえ」
 「無理だよ。減反政策しちゃってるし」

 この状態が、私の脳内で再生された先日の「エストラジオール5以下状態」だ。
 しかし、これは一時的なパニックだろう。
 彼らはやがて気づくはずだ。

 「そうだ。脂肪があるじゃないか。こんなにたくさん!」
 「そうだよ。これを使ってなんとかできないかな」
 「できねえよ。脂肪はただの脂肪だ」
 「いいえ。できるかもしれません。私がなんとかやってみるわ」
 「誰だ、おまえ」
 「私の名は……アロマターゼ!」

 こうして、救世主アロマターゼは、脂肪を使って男性ホルモンを女性ホルモンに変換する技を会得し、私の身体は微量ながらも自給自足の道を見いだしていくのであった……完。

 つまり、もし今がピル中止によるホルモン欠乏状態で、そのためにがんが縮小しているのだとしても、その効力は永遠には続かないだろうということだ。
 放っておけば、「脂肪を使って自給する」という方法を身体が思いつき、またせっせと女性ホルモンを作り出すはずだ。
 そうなれば、アロマターゼの働きを阻害するホルモン療法を始めない限り、再びがんは増大傾向に転じるということになる。
 逆に言えば、ずーっと縮小傾向が続くならピル中止以外に理由があるということになる。
 やっぱりここは冷静にもう少し様子をみたほうがいいかも。

 医者も周囲の人たちも、「なぜそんなに長い間がんを放置して平気なんだ。さっさと治療すればいいのに」とやきもきしているだろう。
 しかし、今の私には確信がある。
 がんはこのまま小さくなっていくだろうという確信が。
 実際に小さくなっているから、というだけではない。
 前にも書いたが、「身体」が確信しているのだ。

 最初は「鍼で本当にがんが治った人がどのくらいいるのか、データがほしい」「西洋医学がどうだめで、東洋医学がどういいのか、もっと具体例をあげて説明してほしい」と思っていた。
 でも七瀬さんは強引なことはあえて言わず、「迷うのはよくわかるけど、そのうちに身体が決めてくれますよ」と私に言った。
 その意味が最初はわからなくて混乱したが、今は「これか!」というのがわかる。
 と同時に、「東洋医学にデータを求めても意味がない」ということもわかった。

 西洋医学の考えにどっぷり浸かった頭にとっては、なにかを信じるときにまず「データ」を頼りにしたくなる。
 たとえばここに100人の乳がん患者がいるとする。
 この100人にAという薬を飲ませたら5年後に10%が再発しました。
 一方、薬を飲まなかった乳がん患者100人については、30%が再発しました。
 だからAという薬を飲めば再発率は3分の1になりますよ。
 それはいい。飲もう。飲もう。
 簡単に言えば、データってこういうことだろう。
 医学用語でいうところの「エビデンス(科学的根拠)」ってやつだ。

 たしかに大雑把な傾向はデータから窺い知ることができるかもしれない。
 だが、それは所詮目安でしかない。
 人間は一人ひとり違う。
 「100人の乳がん患者に同じ治療をする」という時点で、すでに不確定要素満載だ。
 まったく同じ乳がん患者なんていない。

 もちろん、データをとるときは、「35歳以上(以下)」とか、「ホルモンレセプター陽性(陰性)」とか、「腫瘍径5センチ以上(以下)」とか、「リンパの転移あり(なし)」とか、さまざまなカテゴライズをするのだと思うが、そういった条件でどんなに細かく条件抽出したところで、まったく同じ条件の人間の集合体にはならないのだ。
 過去の病歴、投薬歴、家族の病歴、栄養状態、睡眠状態、運動習慣、生活習慣、ものの考え方、そうした因子が複雑にからみあって今の状態があるのだから、その違いに目を向けずに一緒くたに同じ治療をしたところで、同じ成果が上がるとは限らないだろう。

 だとしたら、上記のようなデータがどれだけ意味をもつのか疑問が起きてくる。
 「100人にAという薬を飲ませたら5年後に10%が再発しました」
 これは一見「90%の人は薬を飲んだから再発しなかった」ように見えるが、本当にそうだろうか。
 もしかしたら90%の人は薬を飲まなくても再発しなかった人かもしれない。
 10%の人は他の要素で再発したのかもしれない。
 他の要素を病院がどこまで把握しているのかといったら怪しいものだ。
 多くのがん患者は病院には内緒で「代替療法(東洋医学からサプリメント、健康食品など)」を併用している(だいたい病院はこういうものをいやがるので、正直に申告する人はほとんどいないだろう)。
 それを把握せずに西洋医学の影響だけで比較しても、それって意味があるのだろうか?

 また、この手の再発率とか生存率といった数字は、非常に短いスパンでしか出てこない。
 5年後の再発率というが、10年後はどうなのか。20年後は?……とつきつめていくと、結局最終的にはそれほど数字が変わらなかったりするケースも多い。
 なぜなら、長く生きれば生きるほど、後天的なリスク(病気が治ったあとにどういう生活を送り、どういうストレスを受けるのかなど)の影響が大量に加味され、なにが原因なのかわかりにくくなってくるからだ。

 それに、がんの再発はなくても、他の病気で亡くなる確率だってある。事故に遭う確率だってある。
 健康な人は日頃そんなことを考えていないから、生存率が100%でないという事実にまずギョッとするのかもしれないが、がん患者に限らず、「最後まで死なない人」はいないし、「明日生きている確率が100%の人」もこの世には1人もいないのだ。

 そう考えていくと、なにがどのくらい効くのか、なにがどのくらい原因になっているのかなんて、そう簡単に言い切れるものではない。
 たしかに、今現在、どんどんがんが増大し、目に見えて身体の状態が悪くなっている患者がいたとして、「治療できなければ余命はこのくらいだろう」というのは経験上「ある程度は」わかるかもしれない。
 しかし、少なくとも手術で目に見えるがんをとりきった患者が、この後何十年というスパンで再発するかしないか、転移するかしないか、何年生きられるかなんてことは、人間にもコンピュータにもわからないことだと思う。
 もしかしたら、治療をするかしないかよりも、もっと大きな要因がその人の生き方の中にひそんでいるかもしれないからだ。

 基本的に、がんは「自分で作り出したもの」だと思う。
 少なくとも、外から突然襲ってきた敵ではない。
 自分に害を及ぼすものであったとしても、もとは自分の一部であったことはたしかだ。
 それは唐突に変化したのではなく、なんらかの理由があって出現したはずで、変な言い方だが「人間にはがんを作り出す力がある」のだと思う。
 だとしたら、「人間にはがんを消す力もある」のではないだろうか。
 そんなに単純じゃないと言われるかもしれない。
 もちろん、誰もが治療なしで治るとは思わない。
 思わないが、潜在的な能力は誰でも持っていると私は思う。

 がんになった人の多くは「振り返ればがんになってもおかしくない出来事がその前の数年間にあった」と言う。
 私の場合は「訴訟」だったと思う。
 原因は放射線の影響もあると思うし、生活習慣にもあるかもしれないが、ひきがねとなったのは明らかに「訴訟」だと思う。
 自分でもわからないうちに自分を追い込んでいたんだということが今はよくわかる。
 だからといってそれは避けられた道ではないのだが。

 でもがんがみつかったことで、今までの一連の出来事が一気にダーーーッとつながって見えてきたことはまぎれもない事実だ。
 よく「がんになってよかった」「がんは恵みだった」と言う人がいる。普通の人は「なに言ってんだよ。いいわけないじゃん。わけわかんない」と思うかもしれないが、これは未来の指針ができたという意味ではないだろうか。
 がんとともに生きることができるなら、それは「恵み」にもなると私も思う。

 セカンドオピニオン残り1件。
 だんだん、行くべき道が見えてきた。

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 8月31日。
 三鷹第一クリニックに行く。
 サード「セカンドオピニオン」である。

 三鷹第一クリニックは、吉祥寺からバスで10分ほどの場所にある小さなクリニックだ。
 なぜここに来たかについては、「セカオピ準備完了!」にも書いたが、内視鏡手術のエキスパートである青山先生(仮名)が、月に一回、千葉の鴨川にある亀田総合病院から出張してきているからだ。
 今日は、傷が小さくて済むという内視鏡手術について、意見を聞いてみるつもりだった。

 この日、関東地方には台風11号が接近していて、ちょうどクリニックに着いた頃から雨風が激化。約束は10時45分だったが、青山先生が遅れてきたらしく、1時間半ほど待たされてから名前を呼ばれた。

 前のセカンドオピニオンでは、いずれも資料を事前に送る機会があったが、今回はすべて当日提出だ。
 事情が複雑だし、短い時間でどこまでわかってくれるだろうと不安だったが、青山先生は「今から資料に目を通しますのでちょっとお待ちくださいね」と言うやいなやものすごい集中力で資料を読み込み始め、1分ほどで「はい、わかりました」と顔を上げた。
 本当にわかったのか?と半信半疑だったが、先生は揺るぎない自信に溢れた表情をしている。

 「ではまず、触診とエコーをさせていただいてもよろしいですか? CTフィルムは拝見しましたが、エコーの資料はついてませんでしたので。それから説明に入ります」

 え? 診察してくれるの?
 しかもエコーまでこの場で?!
 普通、セカンドオピニオンは診察はしないことになっているので(あくまでも意見だけを述べる)、これには驚いた。と同時に喜んだ。
 私としてはどうしてもしこりが小さくなっていることを検査で証明したいのだが、今までやった検査はすべて違う種類の検査なので、「検査によって誤差は出る」の一言で済まされてしまうのが歯がゆかった。
 エコーをやってもらえれば、最初にやったとき(組織生検を行った7/6時点)との比較が容易にできるのに…と思ったが、L病院はエコーの予約をとるのも大変で、診察のついでにちょっとみてもらうというわけにはいかなかったのだ。

 エコーでしこり部分を診た先生は「あれ?」という顔をしてしばし画面を凝視した。
 「……大きさ、たしか27ミリって書いてありましたよね」
 私はもう少しで飛び起きそうになるのをこらえて答えた。
 「そうです。27ミリでした。最初のエコーでは」
 「うーん…」
 その先の言葉に期待が高まる。
 「そんなにないなぁ…」
 「小さくなってるんですか!!」
 浮き足立って質問すると、「そうですね。16ミリってとこかな」という答え。

 やっぱり小さくなってんじゃ〜ん!!

 気のせいではないことが証明され、私は心の中で快哉を叫んだ。 
 が、その態度に釘をさすように青山先生は冷静に言う。
 「ただ、悪性度が高いがんだと、成長の早さに栄養が追いつかなくて一時的に小さくなることがあるんですよ。その可能性も考えないと」
 「悪性度というとHER2のことですか?」
 「そうです。この検査結果だと擬陽性でFISHの結果待ちとありますが、これがもし陽性だとすると…」
 「(食いつくように)その結果ならもう出ました! 陰性でした!!
 「そうですか。あとは核異型度が…」
 「(さらに食いつくように)それもグレード1でした!!
 ケンカ売ってんのか>私。
 「……そうですか。だとすればその可能性はないですね」
 ようやく納得してくれた〜。
 「じゃあやっぱりがんは縮小してるんですね?!」
 「そういうことになりますね。最初の診断時では2期になりますが、今の状態だと1期です」
 やった!!
 やっと認められたぞ!
 私は今、西洋医学的には無治療状態。
 にもかかわらず縮小しているということは、やはり鍼のためだとしか思えない。
 が、もちろん私が鍼に通っていることなど知るよしもない青山先生は、なんとかこの現象に合理性をみつけようとしてこう言った。

 「低用量ピルを飲んでたんですよね。1ヶ月ちょっと前にやめたと書いてあるので、おそらくそのせいだと思うんですよね」

 え???
 いや、たしかにやめたからがんの餌となる女性ホルモンは減ってると思うけど、そんなことくらいでこんなに一気に小さくなるのか?

 「ピルをやめただけでこれだけ縮小するということは、ホルモンの感受性がかなり高いタイプのがん細胞なんでしょう。他の要素を見ても低リスクですし、これは術前ホルモン療法をやれば相当小さくなると思いますよ。2ヶ月もやれば充分でしょう」

 うーん。なんだか話が不穏な方向に…。
 もちろん、小さくなっているのは悪いことではない。
 というか、とても喜ばしいことだ。
 青山先生いわく、「放射線がかけられないとすると、安全を考えて大きめにマージンをとって部分切除をすることになりますから、切除範囲を小さくするためにも、術前にできる限り小さくしておくことが重要です」とのこと。

 それはわかる。
 普通、術前にがんをなるべく小さくする目的なら抗がん剤を使う。
 短期間で急速にサイズダウンさせるには抗がん剤が一番有効だからだ。
 が、当然副作用も強く出る。
 抗がん剤のかわりにホルモン剤を使えば副作用的にはマイルドになるが、ホルモン療法だけで短期間で劇的に縮小するという科学的根拠はまだ充分出そろっていない。
 私の場合はそのホルモン剤がかなりの確率で効くはずだと言われているのだから、本来なら喜ぶべきところだろう(しかも、本来なら術前ホルモン療法は半年やることになっているのに、2ヶ月で充分だと言うのだ)。
 私自身、つい最近までは「術前ホルモン療法で縮小→内視鏡で温存」というコースを考えていたので、まさに希望通りの提案だ。

 にもかかわらず、私は手放しでは喜べなかった。
 それは「ホルモン剤」に対する拒否反応が日に日に自分の中で大きくなっているからだ。
 多くの先生はホルモン療法を「マイルドな副作用」と説明する。
 しかし、実際に使った人の様子をみると、とてもマイルドとは思えないのだ。
 これは使った人にしかわからないだろうから、本当のところは医師にもどんな体調になるのかわからないと思う。

 こう言うと「副作用なんて人によるじゃん。飲んでみなきゃわかんないよ。出るかどうかわからない副作用をこわがるよりも、効果があるって先生が言うんだったらまずは試してみたら?」と言う人もいるかもしれない。
 しごくまっとうな反応だと思う。
 私もそう思って試すつもりだった。

 しかし、私が「飲みたくない」と思う理由は「副作用」だけではないのだ。
 このところ、ずーーーっと調べに調べているのだが、ホルモンというのは、思った以上に複雑で精巧にできている。医学的にも「ホルモン」については解明されていないことがまだまだ多いらしい。
 それを知れば知るほど、ホルモンを人工的にいじることに恐怖を感じるようになってきた。

 一番こわいのは「ホルモン」と「免疫」が密接な関係にあるということだ。
 だとすれば、ホルモンバランスを崩して、免疫力だけが上がるなどということがあるのだろうか?という疑問が起こってくる。
 身体は、ホルモンのバランスを正常に戻そう戻そうとすることによって免疫力をあげていくのだから、ホルモンバランスを人工的に崩すというのは、身体を弱らせることと同義だとしか私には思えない。

 さらに心配なのは「精神的なダメージ」だ。
 ストレスでホルモンバランスが崩れるとあらゆる身体的不調が起こることは誰でも知っているが、これは逆も言えるはずだ。
 ホルモンバランスを薬で崩せば、その人の精神状態にもダメージを与える。
 単に「身体の調子が悪いから弱気になる」というだけではなく、一種のうつ状態を作り出すという意味だ。

 ホルモン療法中の人の話を聞いたり読んだりすると、「あきらかにこれはうつ状態だ」と思えるものが多い。
 私は自分がなったことがあるのでわかるのだが、「うつ」は数値に現れるものではないし、周囲も気づきにくい。本人が知識を得て気づかない限りはなかなか診断されないという厄介なものだ。
 「精神が不安定になる」「気力がわかない」「疲れがひどくて1日出かけると2日寝込んでしまう」「物忘れが激しくなる」などは典型的なうつ症状だが、書いている本人はそれに気づいていない(ホルモン療法のせいだとは思っていない)ケースが多い。医師が気づいて心療内科の受診を勧めるケースもほとんどないようだ。

 ただただ自分が自分でなくなっていくのがつらくて、でもまわりの家族はどんな副作用なのかよくわからないから「薬をやめる」なんて言い出そうものなら「もうちょっとなんだから頼むから頑張って飲みきってくれ」となだめすかし、そう言われると「頑張れない自分が情けなくて落ち込む」という悪循環を生む。
 そんな悲痛な姿が浮かんでくる。

 はたしてそんな状態でがんを押さえ込む免疫力が得られるのだろうか?
 ホルモン療法は、通常術後5年は行うことになっている。
 手術で目に見えるがんはなくなっているわけだから、この治療は「身体のどこかにあるかもしれない目に見えない微小ながん」をたたくためにやるわけだ。
 逆に言えば、「身体のどこにもないかもしれない微小ながん」のために免疫力を落とし続ける治療とも言える。

 百歩譲って、ホルモン抑制で乳がんのえさは断つことができても、免疫力を落とした代償として、数年後、10数年後に別のがん、あるいはがん以外の病気を引き起こすかもしれない。
 そのとき、前の治療をした医師は責任をとるだろうか?
 「あのときはしかたなかったんだ」と言うだけだろう(実際、今も私は同じセリフを言われている)。
 西洋医学はいつだって目先のことしか見ない。
 また新たに発生した病気に関心が移り、それを治すことだけを考えるに違いない。
 その治療がその先どんなリスクを生み出すかは考えずに…。
 そう考えていくと、「ホルモン療法はマイルドだから長く飲んでも大丈夫」というよく聞くセリフも鵜呑みにはできなくなってくる。
 数十年後にはホルモン療法の後遺症に悩む患者が出てきて「あの頃はマイルドだと思われてたんだからしょうがないよ」とサクッと言い訳されるかもしれない。

 不安はまだある。
 ホルモン療法の副作用は、抗がん剤ほど数値や外見にはっきり現れないから医師にも周囲にも理解されにくい。しかし、わかりにくいからといって「軽い」わけではない。
 問題はそこなのだ。
 わかりにくいから医師もあまり真剣にとりあわない。
 「軽い」と言われているから患者も「このくらい我慢しなきゃ」と思う。

 たとえば、私の母はずっとアリミデックスというホルモン剤を飲んでいるが、これは「骨量が減少する」という副作用がトップにあげられる。
 しかし、L病院は4年目になるまで骨量の検査をしなかったし、するきっかけも「あれ? やってませんでしたっけ? じゃあ、一度やってみましょうか」といういい加減なものだった。
 患者が多すぎて気が回らないのかもしれないが、医者の方もどこかで「術後に飲むホルモン剤なんてどうせたいした副作用は出ない」と思っているのではないだろうか。

 もしホルモン剤を飲むなら、「ホルモン剤はあらゆる副作用が起きる可能性がある」という前提のもとに、医師には5年間きっちりと、さまざまな側面から副作用の可能性を疑ってしっかりフォローしてもらいたい。
 しかし、実際はほとんどの医師が「副作用」には興味が薄いように見える。せいぜい製薬会社があげるデータを見せて「こういうのが起きるかもしれないけど、一部の人の話だからね」と説明する程度だろう。

 「神経質すぎる」と言われるかもしれないが、私は治療の副作用や後遺症に関しては過去にいやというほどひどい目にあってきたし、正直なところ、病院や医師にはいくら疑っても疑いきれないくらい不信感を持っている。
 だから、副作用や後遺症のコントロールに関心の薄い医師のもとで治療を受けるのは絶対にいやなのだ。

 “ホルモン語り”が長くなったが、話を元に戻す。
 内視鏡手術については、「傷は小さいし、形の崩れも少ないが、とりだす範囲や、やることは外科手術と同じなので、身体へのダメージは同程度」と言われた(このあたり、青山先生は正直だ)。
 内視鏡手術は脇と乳輪を小さく切開するだけなので、傷はほとんど残らず、皮膚のひきつれなども起きにくい。
 全摘でも皮膚を残すことができるので再建もしやすい。
 まあ、おもに美容上のメリットが大きいということだ。
 また、有明では「内視鏡だと取り残しが…」と言われたが、それもあまり根拠がないようだ。
 実際、乳房の局所再発率は、外科手術よりも内視鏡手術のほうがかなり低い(外科手術に比べたら症例数が少ないから単純比較も難しいだろうが)。

 注目すべきは、青山先生が、資料に目を通しただけですぐに「これだけのリスクを抱えているのですから標準治療の適用外です」と認めてくれたことだ。
 今まではどの先生も「標準治療」から離れることができずに、「いかに標準治療が安全確実か」という話を延々とするだけだったが、青山先生は即座に発想を切り替えてくれた。

 「放射線なしでも全摘しないでいける」とはっきり言ってくれたのは青山先生が初めてだ。
 もっとも、がんの浸潤がどこまであるのか(しこりの状態で限局しているタイプなのかそうでないのか)がもう少し詳しいデータで確認できないとなんともいえないとは言われたが、もし限局している広がりのないタイプのがんだった場合、1センチ以下にまで縮小したら「凍結療法」も適用できるかも…と言われて驚いた。

 「凍結療法」とは、国内では亀田総合病院でしか行われていない最新治療で、高圧のアルゴンガスとヘリウムガスを使ってがん細胞を凍結→破壊するという究極の局所治療法だ。
 針生検の延長みたいなもので、メスを使わないので局所麻酔で手術ができる。
 エコーの画像を確認しながら行うので、凍結部位とその効果がはっきりわかるのが利点だ。
 私もネットでこの記事を発見し「これができたら一番身体への負担が少ないのになあ」と指をくわえて見ていたのだが、残念ながらこの治療が適用になるのは1センチ以下の大きさなので、私には無理だと諦めていた。
 しかし、縮小次第でその可能性も出てくると聞いて希望の光が見えてきた。

 最後に、「もし亀田で治療するつもりがあるなら、電話で検査の予約を入れてください。造影剤を入れたMRIがなんとかできないか、無理なら他の方法がないか、放射線科と相談してみます」と言って検査予約専用の案内チラシを渡してくれた。
 うーん。なんてぬかりがないんだ。
 ここ三鷹第一クリニックは亀田のアンテナショップみたいな役割なんだな。

 相談は1時間ほどかかったが、会計に行ってその額にびっくり!
 1870円……桁がひとつ違うんじゃないかと何度も数えてしまった。
 どうやらここはセカンドオピニオンではなく、普通の「初診診療」扱いとして診てくれたらしい。
 もともと、ここで治療ができるわけではないので、このクリニック自体がセカンドオピニオン専用の医療機関的な性格があるのだろう。
 とにかく、このコストパフォーマンスには感動した。
 台風の中、来た甲斐があったよ。

 青山先生は非常に「きれ者」という感じで、知識も経験も豊富だし、思考も柔軟だし、今まで会った中では一番信頼できる先生だと感じたが、最大のネックは病院が遠いこと。
 遠方から来る人のために、検査を最少の来院数で済ませるなど、病院もいろいろ考えているようだが、こう持病が多いと、なにかあったときにすぐに駆け込める距離にかかりつけの病院がないのはやはり不安だ。
 L病院との縁を切って、まるごと引っ越すには、物理的な距離が大きな壁となることは間違いない。

 また、西洋医学のドクターとしては文句なく頼りがいのある先生だと思ったが、私がここまで根深く西洋医学の医療に不信感をもっていることは伝えていないので、治療をお願いするとなったら、それをどこまでわかってもらえるかが問題になってくる。
 ぶっちゃけ、東洋医学を代替療法として選択することをのみこんでくれるかどうか。

 今日の話の様子では、青山先生の選択は「術前ホルモン療法2ヶ月→内視鏡手術(温存)or凍結療法→術後ホルモン療法5年間」ということだったが、もちろんこれはすべてを西洋医学でまかなうことを前提とした最大限に柔軟な治療法だ。
 ここからさらにホルモン療法を鍼治療に変えると言ったら承諾してくれるだろうか。
 最初の治療から、抗がん剤も放射線もホルモン療法もやらないなんて、西洋医学的には無治療に近いからなあ…。

 とにかくあとひとつ、最後のセカンドオピニオンとなる聖路加国際病院の意見を聞いてから考えることにしよう。

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 8月28日。
 MRI検査の結果を聞きにいく。
 が、せっかくなのでホルモン検査もしてもらおうと思い、事前に南田先生(仮名)にメールで採血のオーダーを入れた。
 予約時間前に採血を済ませれば、診察時にMRIと血液検査の結果の両方を聞くことができる。

 血液検査の目的は、「閉経」しているか、していないかの確認である。
 ホルモン療法を行う場合、それによって使う薬が変わってくるのだ(詳しくは「セカンドオピニオン(1)を参照)。

 確認するまでもなく、私は「閉経」しているだろうと予測できた。
 なぜなら、今から5年前(41歳)の時点で「このままだとすぐに閉経になる」と婦人科で言われ、以降5年間低用量ピルを服用してきたからだ。
 閉経平均年齢は50歳前後だと思うが、私は25歳のときにホジキンの治療でエンドキサンという抗がん剤をかなり使ったので、その副作用で人より早く卵巣機能が低下しているらしい。

 「生理がなくなってもかまわないならそのまま放置してもいいが、41ではまだ若すぎるので、健康のためにもしばらくはホルモンを補充したほうがいいのでは?」というのが婦人科のドクターの意見だった。
 ピルの安全性や副作用も気にはなったが、更年期症状も出ていたし、低用量ならほとんど副作用はないと言われて(ただし低用量だと保険適用外になるけど)、飲むことにした。
 たしかに飲んだ方が体調はよくなった。

 それから5年。
 婦人科の先生には、「ピルもいつまでも飲んでいてはいけない。長期服用は心臓や肝臓にも負担がかかる。そろそろ量を減らしていって、50前にはやめたほうがいい」と言われ、「やめる時期も考えなきゃなあ」と思っていた。
 そこへどーんと「乳がん」がきた。
 ご存知の通り、多くの乳がんは、女性ホルモンを餌にして成長する。
 乳がんが見つかった以上、微量とはいえ、女性ホルモンを補充するのは当然よくない。
 ホルモン受容体が陽性と判明したその日に私はピルを中止した。

 余談だが、「ピルを飲んでいると乳がんになる」とよく言われる。
 実際、そのせいにする医者もいる。
 私もそれを気にしていたのだが、婦人科のドクターには否定された。
 「リスクが上がるとはいっても気にするほどの差ではないし、検診をちゃんとするかしないかの差の方がよっぽど大きい」
 たしかに「飲んでいるから気をつけて検診しようと思う人のほうが、結果的には早期発見できて安全」という考えもあるかもしれない。
 乳がんになるのは今や20人に1人。
 アメリカでは8人に1人だが、日本も早晩このくらいの数字にはなるだろうと言われている。
 なにがリスクになるかわからないほど、患者の数は激増しているのだ。

 話を戻して。
 そういうわけで、薬をやめた時点でもう「閉経」しているだろうとは思ったが、念のため数値で確認をとることにした。
 結果は……思った通り「閉経状態」だった。
 乳がん的には女性ホルモン量は少なければ少ないほどいいので、これはホッとすべき結果ではあるのだが、ちょっとこれは……思わず考え込んでしまった。

 少なすぎるのだ。
 いくらなんでも。
 ちなみに、検査の結果は以下の通りだった。

 黄体形成ホルモン(LH) 62.2
 卵胞刺激ホルモン(FSH) 107.7
 エストラジオール(E2) 5以下

 卵巣が作り出すいわゆる女性ホルモンの値が、一番下の「エストラジオール」(エストロゲンの主要な成分)だ。
 普通の女性で「100」くらいはあるはず(卵胞期と黄体期で変動は多少ある。妊婦は万単位になる)。
 だいたい「閉経」を迎えると20以下になるらしいのだが、私の数値はご覧の通り「5以下」。事実上「計測不能状態」だった。
 20以下は覚悟していたが、さすがに「5以下」にはひいた。
 玉手箱を開けた浦島太郎のように、数字を目にしたとたん、一気に老人になったような気がした。
 ああ、肌が…髪が…急速に衰えていく〜〜!!!

 ていうか、「計測不能」ってなんだよ。
 測る気にもなれないほど少ないってこと?
 「こんなのゼロと同じだよ。2でも3でもどっちでもいいじゃん」ってこと?
 なんかすっっっごくむかつくんですけど。

 問題はエストラジオールの量だけではない。
 FSHが3桁!
 これはまあ端的に言うと、卵巣に向かって「エストラジオール出せよ」と命令するホルモンのことで、脳下垂体前葉から分泌される。
 ちゃんとエストラジオールが出ていれば10とかその程度の数値なんだろうけど、出てないとそれを促すためにガーッと上がるわけです。

 つまり、エストラジオールの量が多少少なくても、FSHがそれほど上がってなければまだ余裕ってことです。
 私は5年前の検査でエストラジオールが67.5あって、その数値はまだ「ちょっと少ないかな」程度だったのだが、FSHが61.6あったので、「脳が焦ってるのでまもなく閉経するでしょう」と診断された。それが今回はいよいよ3桁台に突入してしまったのだ。

 「いい加減、さぼってないで出さんか、ゴルァ!!」
 「できません、コーチ。私にはもう無理です。これが精一杯なんです!」
 「そんなことはない。おまえならできる。岡」
 「コーチは私を買いかぶってます。今までは助けてくれる人がいたから…」
 「己の限界を決めるな! おまえは一人でもできる」
 「私はそんなに強い人間じゃありません」
 「俺ができると言ってるんだ。おまえは俺が信じられないのか!!」
 「私だって女です。ただの弱い女なんです!」
 「女ならエストラジオール出せ。うがぁ〜!!!」→3桁突入

 とまあこんな状況でしょうか。
 ホルモンの仕組みって微妙だー。

 ってしみじみしてる場合じゃないんだよ。
 私が心配になったのは、「こんなに減ってるのにさらにホルモンを薬で抑制しても大丈夫なのか?」ってことだ。
 素人考えかもしれないが、100を50に抑えるなら、がんの縮小効果もありそうだけど、2を1に抑えてもたいして変わらないんじゃないか?
 それこそ1でも2でも3でも同じようなものなんじゃないの?
 むしろ、ここまで少ないと、骨量減少とか、身体機能全般の老化が進むとか、そういう弊害の方が大きくなるんじゃないかと思ってしまう。

 南田先生は「閉経の数値ですね」と言うだけで、特に何もコメントはせず、私もそのときはそこまで深く考えなかったのだが、あとになって急に心配になってきた。
 ネットで見ても「5以下」っていうのはさすがにみつからなかったので。
 今度あらためて聞いてみよう。

 さて、大騒ぎして撮ったMRIの結果だが、「がん細胞の広がり」は特に見られなかった。やはりすべての所見から見て「おとなしいタイプのがん」であることはたしかなようだ。
 とはいえ、無治療で放置していればいずれは大きくなるだろう。
 なんらかの治療は受けなければならない。
 問題はなにを選択して、なにを省略するかだ。
 一応、9/4の聖路加のセカオピで最終結論を出そうと思っているが、私の中で「こういう治療を受けたい」というプランはほぼ決まりつつある。
 今日はそれを南田先生に初めて話してみた。

 どこまで話そうか非常に迷ったが、いつかは話さなければならないことなので、思い切って鍼治療のことも話した。
 南田先生はなにも言わなかったが、「東洋医学もいいけどがんは治せないでしょう。体調を東洋医学で整えてもらうのはいいけど、がんの治療は西洋医学でやらないと…」と思っているのが手に取るようにわかった。
 そう思われるのはもっともだ。
 私自身、つい最近までそう思っていたので。
 でも今は少しずつ考えが変わってきている。
 身体の調子がよくなることと、がんが治ることは別のことではない。
 身体だけがよくなってがんが悪化すること、または身体が悪くなってがんだけがよくなることはないと思うようになってきた。

 ただ、これは理屈だけでなく、身体がそう感じ始めているということなので、この感覚を説明するのは難しい。
 もちろん、「東洋医学だけで治す」と言い切れるほどの確信はまだない。
 ないけれど、「たとえデータ的に再発のリスクが多少増えることになっても、西洋医学の治療は最小限に絞りたい」とは思うようになっている。

 なぜそう思うようになったのかは、またあらためて書くが、日を追うごとに私はこの「西洋医学のデータ」というものが信じられなくなってきているのだ。
 西洋医学は、データが100%に近い根拠になっているから、そこに疑問をもつと根底からゆらいでしまう。
 このへんは非常に微妙な問題で、ある意味医者の仕事を否定することにもなるので、関係を壊さずに理解してもらうのは大変なことだと思う。
 ちょっと言ってあっさり「わかりました」と納得する医者はまずいないだろうし、辛抱強く訴え続けるしかない。
 ものすごくエネルギーが必要だが、これからの自分の人生がかかっているのだから、専門家といえども人まかせにはできない。

 私は前の病気のときに告知を受けないで治療を受けてきた。
 当時の年齢や社会的状況や病気の重さを考えればしかたがなかったのだと思うが、そのことはやはり私の中でしこりになっている。
 今度は病気についてのすべての情報を知り、自分で治療を選ぶ権利が与えられている。
 そのチャンスを大事にしたい。
 告知されなかった経験をもつだけにいっそう強くそう思う。

 ところで、前回、CTを撮ったら最初のエコーと随分大きさが違っていた(27ミリ→19ミリ)という話を書いた。
 「小さくなってる?」と喜んだら「大きさが検査によって変わって見えるのは珍しくない」と言われてがっかりしたのだが、なんと今回のMRIではさらに小さくなって16.5ミリになっていた。

 16.5って……これもう誤差という範囲じゃないでしょう。
 これを「縮小」と言わずしてなにを「縮小」というんだよ!
 と思ったが、南田先生はこれについてもそれほど反応せず、「画像を拡大するとまだ中心に壊死がみえるんで、実際の腫瘍径はおそらくもっと小さいでしょうねー」などとのんびり言っている。
 さらに縮小?!
 えーーーーーー、なんかますます切りたくなくなってきた。

 でもたしかに自分で触っても小さくなってる気がするんだよなー。
 どうなんだろう。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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