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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 肋骨の痛みがどんどん激化してきている。
 最初は咳をするときだけだったのに、そのうちにちょっと動かすだけでもズキュンズキュン痛むようになってきて、ひびでも入ったんじゃないかと心配になったが、さっき鍼に行ってみてもらったら骨がどうこうなってるってことはなさそうで一安心。

 今日は一時ほどのひどさではなくなってきたが、体を伸ばすと痛むので、常に前屈み気味に。
 右肋骨エリアはまんべんなく熱をもっているのがはっきりわかる。

 咳止めはあきらめてこのところほぼ毎日飲んでるけど、痛みの緩和はできるだけ自然療法を試そうと、昨日今日とびわの葉&こんにゃく温熱療法をやってみた。
 びわの葉の焼酎漬けはすでに試してみたが、温熱のほうがエキスを有効に吸収できそうだったので(ただこれはやってくれる人がいないとできないのが難点)。

 生のびわの葉を患部に直接あてて、10分間ゆでたこんにゃくをタオルに巻いて上から乗せる。
 あてる時間は30分って書いてあったけど、控えめに20分くらいにしてみた。
 こんにゃくの保温力にはびっくり。1時間くらいは楽勝でほかほかしてる。うっかりすると低温やけどしそうなので、はさむタオルの数をまめに調整する。
 肋骨をやって、腎臓をやって、足の裏をやった。
 足の裏は特に気持ちよくて思わずまどろんでしまった。
 びわは1回しか使えないが、こんにゃくは再利用可能。

 これは意外に効果ありました。
 明らかに痛みは緩和され、ロキソニンテープから脱却できた。
 先人の知恵はすごいね。

 介護保険が予想外の早さで認められた。
 これで介護用品のレンタルも1割負担で利用できる。
 今後は訪問看護も入る予定。
 ヘルパーさんのスケジュールも練り直しになるし、なんだかいつまでたっても落ち着かない。

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 体調にむらがある。
 咳はそれほどひどくないんだけど(ただ、風邪や気管支炎の咳と違ってキレが悪いので回数が少なくてもじわじわとダメージがくる感じ)、とにかく右の肋骨が痛い。
 咳するたびにパンチくらったみたいに「うっ」ってなる。

 肋骨をかばうせいか、肋骨以外も痛い。
 具合の悪いときは、肩、背中、腰、首、すべてが痛くて動かせない。起き上がれない。
 2日以上咳が続いたら薬を飲むと決めていたのだが、なんかいい具合に飲もうと思うとちょっとよくなってきちゃったりするので、ずっと飲む機会を逸し、結局2週間で1回しか飲まないまま、今日2回目の緩和ケア外来を受診した。

 千倉先生(仮名)には「重くなってから飲むより、軽いうちに飲んでください」と釘をさされた。
 たしかにここ数日の弱りっぷりを考えると、体力の温存のためには服用もやむなしかもしれない。
 なんかこれじゃ全然緩和にもケアにもなってないし。

 もうひとつ薬で悩んでいるのが眠剤だ。
 告知を受けてから1ヶ月、環境の激変と多大なストレスにさらされ、一時的にレンドルミンを2錠に増やしてたんだけど、訪問の先生にレンドルミン2錠はあまり好ましくないって言われたんで(結局出してはくれたけど)、2日前から1錠に減らしてみた(そのかわりデパスの割合を増やした)。

 最初の日はなんとかうまく寝られたけど、夕べはひどい目に遭った。
 夜中の2時半に目がさめちゃって、それからは体全体がどこもかしこも痛くて固くてもう眠るどころの騒ぎじゃない。
 デパス飲み足してみたけど全然緊張とれなくて、結局明け方近くに2錠目のレンドルミンを飲んだらすぐに緊張がとれて眠れた。
 もう今日は迷わず最初から2錠飲むわ。睡眠には変えられない。

 今日は久しぶりに訪問リハの療法士さんが来た。
 いくら交換してもマットレスが固くて合わないと言ったら、「電動ベッドに変えたからじゃないか」と言われる。
 たしかに電動ベッドはマットレスが宙に浮いてるような形になるので、普通のベッドとは重心が違って常にちょっとずつグラグラしてる感じになる。
 自分では気にしてなかったけど、無意識のうちに体のあちこちに力が入って筋肉痛を起こしているという側面もあるかも。
 療法士さんにはベッドの高さを最低にまで下げて使うと少しは安定感がアップするのでは?と言われる。
 なるほど。さっそく今夜から試してみよう。

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 ようやく1月が終わった。
 おそろしく長い1ヶ月(正確には3週間)だった。

 29日、30日と、鍼の翌日から2日続いて咳がひどかったので、悩んだ末、薬を飲んだ。
 魔法のようにピタッととまるわけではないが、たしかに咳は軽くなったし、ずっと緊張していた筋肉が少しゆるんで体を伸ばせるようになった(それまではちょっとでもゆるめるとその刺激で咳が出始めるので寝ているとき以外は力が抜けなかった)。

 31日はわりと落ち着いていたが、夜になって胸がぐぐっと圧迫されるような息苦しさに襲われた。
 気管が圧されているのか。
 「心臓をわしづかみにされる」ってこういう感じなのかなと思いつつ、ベッドの上でまるまって息を殺していたら1時間ほどで収まった。
 やっぱり昼間に疲れること(特に洗髪)をするとそのあとに具合が悪くなるようだ。

 1日、2日とかけて部屋の模様替えをおこなう。
 模様替えというと優雅だが、電動ベッドに変えて、ベッド上で過ごす時間が長くなったことで、配線やらなにやらすべて変えないともろもろ不都合が生じてきたのだ。
 特に2日は異常に暖かかく湿気も多かったので、窓を開けはなしても寒くなくて助かった。

 2日は美容院にも行った。
 これまた優雅に聞こえるが、目的は「洗髪の負担を軽減すること」。
 洗髪で一番体に負担なのはドライヤーで髪を乾かす時間だ。
 これを楽にする方法はふたつ。
 髪をすいてボリュームを落とすことと、パワーのあるドライヤーを使って短時間で乾かすことだ。
 プール用の髪の毛の水分を一気にとるタオルなども試してみたがいまひとつ効果があるようには思えなかった。
 美容院はいつもカットとカラーをいっぺんにしていたが、両方は疲れるのでこの日はカットのみを手早くやってもらった。
 ドライヤーは調査中だ。

 しかし、近所とはいえ、美容院はやっぱり負担だったのか、その夜はけっこう具合が悪くなった。
 咳もだけど、腰、肋骨、背中と身体中が痛くて動けない。

 この日、はじめて里芋の湿布というのを試してみた。
 右胸と右背中に二カ所。
 体熱で里芋を煮てるみたいな感じでけっこう芋くさかった。
 翌朝、はがしてみたら、胸のほうに貼った里芋がかなり熱くなっていたので驚いた。

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 昨日の鍼のあとの反応は、ちょっと圧迫されるような息苦しさがあったものの、前回ほどひどい反応はなかった。
 鍼の日はなるべく早く寝るようにと言われているので、とるものもとりあえずさっさと寝ようと思ったのだが、鍼に行った日はなぜか眠れなくなる。
 体の中でなにかがもぞもぞと蠢き始める感じで、夕べも眠剤飲んでるのになかなか寝付けなかった。

 今日は久しぶりに咳がひどい。
 咳は刺激でとまらなくなるので、寒冷刺激とかでもすごく出る。
 そしていったん出るとくせになる。

 午後はケアマネさん立ち会いのもと、介護保険への切り替えに伴う聞き取り調査。
 介護保険が使えるようになると、さまざまな介護福祉用品が1割負担でレンタルできるようになる(今は全額負担)。
 が、一方で障害者自立支援として負担なしで利用できていたヘルパーさん利用は1割負担になる。
 このへんの制度の仕組みはおそろしく複雑なので、皆さんも他人事と思わず心して備えたほうがいいですよ。

 夕方には訪問診療のドクターが来る。
 まだ4回しか訪問してもらってないけど今日でやめるらしい。
 2月からはまたべつの先生になるので曜日も変わる。

 がんがみつかってからは今回が初めての訪問になる。
 訪問の先生も生検は勧めなかった。
 放射線を照射されている部位は組織がもろくなっているため、針を入れるのはたしかにリスクがあるし、生検してなんのがんだかわかったところでどちらにしろ有効な治療はなさそうな感じだった。
 放射線科の先生は「転移性乳がんだったらホルモン療法が効くかもしれない」という期待も持っていたようだが、乳がん転移である可能性はきわめて低く、放射線の二次発がんである可能性はきわめて高い。
 それにホルモン療法をやるつもりがあればもっと早い時点でやっている。

 訪問の先生には「夫婦と連れ添うつもりで一緒に生きていくしかない」と言われた。
 「ケンカすることもあるかもしれないけど、おとなしくしていることもありますよ」
 人によっては怒りだしそうだが、私も同感だった。
 今となっては最後まで添い遂げるしかないという気持ちだ。
 もともとは自分の一部だったものだし…。

 ただ、薬についてはやはり西洋医なので「薬で症状を抑えていく」という基本は変わらない。
 咳止めについても頓服で飲むくらいなら特に気にするほどのものではないという。
 まあ、医者としてはそう言うだろうな〜。
 残念ながら、医者の話はどんなにいい先生でも4掛けくらいのバイアスをかけてしか聞けなくなってしまった。
 「咳で体力を消耗するのが問題」
 という点に関しては洋の東西を問わず「一致」しているようだが、そうなると薬を飲んでも治癒力を落とすし、飲まなくても体力を落とすということになり、ますます悩ましくなる。
 とりあえず、前よりは食べられるようになってきたので、咳を誘発させないようにぜんそく系の薬はまた飲み始めることにした(食事が充分とれなかったので薬はしばらくやめていた)。

 それかられんこん汁。
 古めかしい自然療法の本に載っていた「咳止め」のレシピ(れんこんをすりおろして熱湯でうめるだけのもの)を一日3回作って飲んでいる。
 効果のほどはさだかではないが、先人の知恵は侮れない。
 もともとれんこんは好きなのでけっこう楽しんでいる。

 鍼の先生に話したら「生をすりおろすの大変じゃない?『節れんこん』って名前で粉になってるのが売ってるよ」と言われた。
 「粉なんて邪道だ!」とか言いそうな院長の口から出たのでびっくりした。
 粉でいいんだ〜。

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 火曜日からは咳も息苦しさもなんとか我慢できるくらいに収まったので薬には手をつけずに済んだが、金曜日の午後はまた息苦しさがひどくなった。
 やはり鍼に行った日はいったん状態が悪くなるような気がする。
 土曜からはまた回復してきた。
 つまり、鍼の緩和効果が持続するのが今のところ3日程度ということなんだろうか。

 咳は本当に体力を消耗するので、なんとか薬以外に緩和する方法がないかと悩んでいる。
 アロマなんかはどうだろうと、アロマの学校に通う友人に聞いてみたが、先生に聞いたら「アロマは治療には使えない」「責任持てないことをするんじゃない」「専門家に任せるべき」と一刀両断されたという。

 はあ〜。どこもかしこも「責任とりたくない」ガードがバリバリだな。
 べつにアロマでがんを治療しようなんて思っちゃいない。
 症状緩和に使えないかと思っただけだし、子供や病人など体力の落ちている人に使うときは量を控えないと刺激が強すぎるということもわかってる。
 だから専門家に聞こうと思ったのに「専門家に任せるべき」とは???

 もしかして「専門家」って医者のこと言ってんの?
 だとしたら他ならぬ「専門家」中の「専門家」に任せた結果、こういう事態になったんだけど。。。。

 25年前は「責任なんか考えずにやりたい放題やる医者」がいっぱいいて、そのツケが出てくる時代になったら今度は「責任とりたくないおっかなびっくりの人」で溢れかえる時代に。
 その犠牲になった人はいったいどうすればいいんだよ。

 この1週間、私がやってきた仕事をなんとかあとの人に託せるようにと、あとに残った人が困らないようにと、そればかり考えている。
 「もういいよ、どうにでも好きにやって」
 ということはおいておくとして、「これだけは…」というものだけは動けるうちに片付けておきたい。

 ……という流れもあって、友人の提案でサイボウズLIVEというネットワークシステムを使って情報共有をおこなうことにした。
 今の状況、困ってること、ヘルプがほしいことなどをスケジュールとともに掲示板にあげておくと、プロジェクトに登録している友達の中で手伝えそうな人がどんどん名乗りをあげていくようなシステムになっている。
 訪問診療などでも使われているらしいが、たしかにこれは便利だ。
 話題ごとにトピックをたてられるので、情報が錯綜することがないし、過去ログをたどるのも簡単だ。
 インターフェースに慣れるまでちょっとかかりそうだけど、なんとかこれを使いこなしていきたい。
 正直、来た人ごとに状況を何度も口頭で説明するのは体力的にきつい。

 いろいろな人の協力で、重い仕事が徐々に動いている。

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 今日は父、弟と緩和ケア外来に行ってきた。
 これからは緩和ケアの先生が主治医だ。
 千倉先生(仮名)は3年前の母のときにも病棟でお世話になった先生だが、私たち家族のことをちゃんとおぼえていてくれた。

 緩和ケア病棟は、原則として「治療を終えた人」だけが入れる病棟であり、痛みや苦しさなど、苦痛をできる限り取り去ることを目的としていて、延命治療や蘇生措置や意味のない検査はいっさいしない。
 苦痛に対する治療はするが、がんに対する治療はしない。
 がん治療をしながら緩和ケア外来に通う人もいるが、病棟に入院はできない。
 私の母はギリギリまで治療を続けたので、緩和ケア病棟に入ったときにはもう起き上がるのはおろか、眼を開けることも時々しかないほど衰弱していたが、早い時期から緩和ケア病棟に入り、調子が良くなったら自宅に戻り…といった使い方をしている患者さんも多いらしい。
 また、そのほうが余命が延びるというレポートもあるらしい。

 緩和ケア病棟は、なるべく自宅に近い状態で過ごしてもらうことが推奨されているので、規則も最小限となっている。
 アロママッサージをやっている人もいれば、漢方を飲んでいる人もいる。
 一般の病棟では禁止されていることも、ここではかなり許される。
 ためしに「鍼を訪問でやってもらうのはダメですか?」と聞いたんだけど「刺すものはちょっと…」と言われてしまった。
 刺さない鍼ならいいのだろうか。
 実際、あれなら潜り込んでやってもらっても気づかないと思うが。

 とりあえず、介護用品など、自宅で過ごすために必要なレンタル用品は、介護保険が効くか効かないかでかなり値段が違ってくるので、早急に介護保険の手続きをとることになった。
 本来は65歳以上でないと適用されない介護保険だが、末期がん患者だと若くても適用になるらしい。
 適用になったらなったで今度は障害のほうのサービスが使えなくなったりして、制度的には痛し痒しなんだけどまあそれはおいおい考えていくしかない。
 ベッドなどのレンタル品は申請がおりるまでは日割りで自己負担となる。

 もうひとつ、今受けている訪問診療が緩和ケアに対応しているのかどうかがちょっと不安だが、もしダメそうであればそれもまた探し直しになるかもしれない。
 
 いったん家に帰って、小一時間ほど休んで今度は鍼へ。
 移動はすべて車だったが、久しぶりの外出だったのでさすがに疲れた。

 一昨日は電動ベッドが入って(私は指示するだけだったが)配線を組み直したり、ベッドの抽き出しの中身を入れ替えるなど、ほとんど引っ越しのようになってしまったこともあって、この数日は体に負担をかけたかもしれない。

 ゆっくりしようと思っても、福祉事務所やらベッド業者やらケアマネさんやら金融機関やら、けっこう連絡とらないといけないことが多くて、さっぱり休めない。
 秘書がほしいよ、秘書が。。。
 母のときは病身ながら私がかけまわったが、自分のこととなるとあらためて代わりにやってくれる人がいないことが骨身にしみる。
 
 木曜あたりから咳がひどくなってきた。
 特に今日は朝からひどい。
 ただでさえ乾燥しているし、寒冷刺激でも咳のスイッチが入ってしまう。

 先生から咳の薬を頓服で出してもらったが、風邪薬とはわけが違うので、麻薬系のかなり強い薬だ。
 副作用もあるだろうし、気軽に飲むにはちょっと勇気がいる。

 幸い、先ほどからちょっと収まってきたし、なぜか寝ているときは出ないので、今日はなんとか飲まずにしのごう。

 先生にも言ったが、私は今日を「余命0日」と決めた。
 「余命×ヶ月」と人に決められ、それにしたがって人生を配分したくはない。
 検査結果を見たときから、覚悟せざるをえない内容だということは理解した。
 理解したからには、もう今までと同じ質の時間は生きられない。
 「余命×ヶ月」からのマイナス1日で考えるのではなく、「余命0日」からのプラス1日で考えたい。
 サッカーでいうアディショナルタイム(ロスタイム)だと思うことにする。
 笛が吹かれる時間は神様だけが知っている。
 だとすれば、試合終了からあとに与えられるこの時間はまさにアディショナルタイム。
 何分であろうと与えられた時間を使い切るしかない。

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 ちょっと驚くことがあった。
 ある友人に病気のことを話したら一冊の本が届いた。
 まずタイトルを見たとたん「!」となった。
 そのタイトルとは…。

 「一日一花」

 え?
 この言葉…実際にあったんだ。
 私の造語じゃなくて。
 というのが最初の驚きだった。

 Facebookの基本データのところに「好きな言葉」という項目がある。
 以前、そこに「なんて書こうかな」と考えたときに、ふと浮かんだ言葉がこの「一日一花」という言葉だった。
 どこかで見た事があるわけでもなく、本当にふっと浮かんだのだ。
 読みは「いちにちひとはな」でも「いちじついっか」でもどっちでもいいかな…と考えたこともおぼえている。

 とりあえず、その日一日分の花が咲けばいいじゃないか。
 翌日には翌日の花がまた咲くだろう。
 うまく咲けない日もある。
 しおれる日もある。
 でもそういうこともすべて「一日」でリセットして、また新しい花を咲かせよう。

 そんなイメージで浮かんだ言葉だった。
 花の手入れをしていると、無心になれるし、花のパワーには本当におごそかな気持ちにすらなる。
 座右の銘にするなら「花」から学んだ言葉を入れたいと思った。

 で、友人はFacebookでその言葉を見てこの本を送ってくれたのかなと思いながらパラパラと見ていたのだが、自分がどんなふうに書いたのか気になってFacebookを開いてみたら……ないのだ。
 「好きな言葉」の欄が空欄になっている……。

 え……そしたら私が書いたつもりだったあの文章はどこにいったんだろう?
 結局載せないで消したのか?
 じゃあ、友人も見てないってこと?

 さらに気になって友人に聞いたら「Facebookは見ていない」という。
 「本屋でたまたま気になって手に取って開いてみたらとてもひきこまれた。そのあと発病のことを聞いて『あ、この本は小春さんのところに行きたがってるんだ』と感じたのですぐに送った」と言われて二度びっくりした。

 正確に言うと「写真集」だ。
 ここでいう「一日一花」は「毎日花を生ける」という意味である。
 震災後、毎日山野から心にとまる花を探してきては、花器に生けてその写真をブログにアップする…という仕事を366日続けた華道家がいて、それを書籍化したものだ。
 人為的な「いけばな」というよりは、自然の力を生かす「なげいれ」という手法らしいが、よく見るとけっこう人為的にしたてられている。

 しかし伝わってくるパワーがすごい。
 花器も古代の石器のようなものが使われていたり、まわりの空間も含めて一枚一枚に静謐なオーラがある。
 ちなみに今日の花はローマ時代のガラスにいけられたアツモリソウとトロロアオイ。
 涸れかけて冷えてかたまったような、冬の温度まで伝わってくる一花だ。
 重いのが難だが、毎日めくりたくなる本を届けてくれた友人に感謝。

 体調は相変わらずだ。
 寝る時間から入浴時間や食べるものまで、極力体力を使わない方向で省エネしているが、こうした努力はすぐに成果となって目に見えるわけではない。
 あせってはいけないとわかっているが、一人でじっとしているといやなことばかり考えてしまう。
 それでいて、自分は何を恐れているのか、何におしつぶされそうになっているのか、その正体がはっきりわからない。
 やきもきしていることの大部分がじつはどうでもいいことなのかもしれない。

 前回、鍼の反応で息苦しさが強くなったと書いたが、どうやら違う気がしてきた。
 前の夜にやったリハビリの疲労と考えるのが正しいように思う。
 リハ→就寝→鍼→悪化→回復
 という順番だったので鍼に目がいってしまったが、体への負担を考えればリハビリの影響と考えるのが妥当だろう。
 当分、リハビリもリンパマッサージも休むことにした。

 鍼の先生には「精神的なストレスからくる体調不良も当然加算されてるだろう。人と話すなどの気晴らしも必要。でも時間を区切って連続して集中しないように」とアドバイスされる。
 連続がダメって……難しすぎる……(ToT)

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 重たい話をしておいてそのまま「放置」というのも寝覚めが悪いので更新します。

 べつに意地悪してるわけじゃないんだけど、今回こういう耳をふさぎたくなるような告知を何人かにしたところ、おもしろいくらい反応に差があることがわかった。
 アメリカ在住のあるがん治療専門医師が、自らがんにかかったとき、友人にメールで告知したところ、レスポンスがかえってきたのが2割だったことにショックを受けたと書いていた。
 しかも返事をくれないのはほとんどが日本人。アメリカ人は「打ち明けてくれてありがとう」「あなたを全面的にサポートするよ」という返事をくれる人が多かったらしい。
 今、緩和ケア医療をやっている医師が書いた『死を忘れた日本人』という本を読み始めたが(本棚にあったが途中までしか読んでなかった)、まさに表題通りだ。

 返事を返さないことをどうこう言うつもりはない。
 返事をしないのがその人の返事なのだと思う。
 ただ、「終わり」が見えるということは、「終わり」以外のものもいろいろ見えてくるんだなと思った。

 水曜日は告知を受け止めて帰るだけでいっぱいいっぱいだったけど、水曜から木曜にかけてもろもろ連絡に追われたり、ヘルパーさんが来たり、療法士さんが来たりしているうちにあとからどっと疲れが吹き出てきた。
 微熱、だるさ……そして食欲が皆無に。

 昨日は午前中に鍼に行って院長に新しいがんが見つかったという話をした。
 「放射線はね……あとになっても出てくるんですよ…」と一言。
 「化学療法を受けるつもりはないので生検も受けないと思う」ということをあらためて伝えた。

 もちろん、治療は今までと変わらない。
 乳がんが大きくなってきたのと今回の腫瘤の出現は連動しているから、根っこは同じだ。
 自分の今のキャパシティを越える負荷がかかったから起きている現象だ。
 乳がんが小さくなっているのに新しい腫瘤ができたり、乳がんが転移したりしているわけではないので、やり方が間違っているのではないと思う。

 「治療しなかったから」と言いたい人はたくさんいるだろうが、治療していたらもっと早く転移や原発がんが出てきただろうと思う。
 そのくらい厳しい状態でこの4年間やってきたのだ。
 私だってその間放置して好きなように生きていたわけではない。
 病院で治療を受けるよりもずっとずっと気を遣い続け、多くのものを諦めて生活してきた。
 傍目にはそんなふうには見えないと思うし、何万言を費やしても理解してくれる人はほとんどいなかったけれど。

 院長は「まず、息苦しさをなんとかしましょう。それが最優先です」と言って治療を始めた。
 患部を押して確かめているが、治療するのは足の指とか相変わらず関係がよくわからない場所だった。

 鍼から帰ってきたら息苦しさがいっそう強くなった。
 胃がムカムカして何も食べたくない。
 窒息しそうとか呼吸困難というほどではないが、一回一回の呼吸が重く、胸がつまる。
 疲労で起きていられない。
 昨日まではここまでひどくなかったのになぜこんなに急に悪化したんだろう。
 自分なりにこれだけはやっておきたいと思ったことがあったのに、それすらもうできないのか……と恐怖で硬直した。

 が、夕方になり、少しずつ呼吸が楽になり、今日は霧が晴れたように息苦しさが消えた。
 冷静に考えると、あれは鍼の反応だったのかもしれない。
 母も鍼で治療した日はかなり痛みを訴えていたことを思い出した。

 呼吸が楽になるだけで気持ちも随分変わる。

 今日はケアマネさんとの打ち合わせ。
 またいろいろと生活環境やサポート体制を整えていかなくてはならないが、少なくとも今月は省エネ月間としてできるだけ休養しようと思う。 

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 今日はちょっと重たい話をしなければなりません。

 『闘病、いたしません。』

 というサイトを立ち上げたとたん、「本当にしないのか?」とあらためて問われるような事態に直面した。

 1ヶ月前から、風邪もひいていないのに喘息とも違う息切れが続いていて、いやな予感はしていたのだが、 昨日、CTで新しいがんが見つかった。

 造影なしなので可能性がしぼれないんだけど、右側の胸膜にかなり大きな腫瘤があって肺を圧迫してるらしい。良性とは考えにくいそうだ。

 最初は「乳がんの転移」「肺がん」「上縦隔にできた悪性リンパ腫」などが疑われたけど、専門の読影医のコメントで、「乳がんとは場所が離れているので転移ではなさそう」「肺の中ではなく外側の膜から出てるように思う」「リンパ腫の形とは違う」ということで3つとも否定され、「新たに胸膜に出現したがん」である可能性が濃厚と言われた。
 場所的に放射線を照射されたど真ん中なので、これもまた2次発がんだと思う。

 正直、医者も予想外だったようで驚いていた。
 これ以上の検査となると生検になるけど、このへん一帯すべて放射線が二重にかかってる部位なので、胸の上からブッ刺すにしても、気管からアプローチするにせよ、なにが起こるのかわからないリスキーさがある。
 生検してなんのがんなのかを特定したところで、有効な治療法があるのかどうかもさだかではなく、医者の口調も自信なさげ。
 もちろん、医者はできるところまで駒を進めようとするだろうけど、生検が残された体力を奪うことは確実だ。

 外科手術でどうにかなるものでもないし、放射線もNG。
 あとは効く薬があるかどうかという賭けみたいなもの。
 転移の覚悟はして検査に臨んだものの、まさか新しいがんとは思ってなくて、しばらくは信じられなかった。

 データを見ながら、腫瘍内科の一条先生(仮名)、放射線科の百井先生(仮名)と話をした。
 まだつきあいの浅い百井先生は、当然「生検」を勧めた。
 医者として王道だと思う。
 しかし、母の件も含めて今までの一連の経緯を見てきている一条先生は、すでに私の答えがわかっているようだった。

 「治療をしますか?しませんか?」

 直球で聞いてきた。
 もちろん、一条先生だって医者としての基本的スタンスは「最後まで治療を」だろう。でもすでに無治療という選択をしている私にとって、「前はやらなかったけど今度はやる」という答えはないのだ。今度やるくらいなら前もやってた。

 治療のハードルは最初より二度目、二度目より三度目とどんどんあがっていく。しかも再発や転移ではなく、すべて違うがんなのだ。
 医者はそれぞれべつのがんだと認識してるだろうけど、私にとっては最初のがんが治っていないのと同じだ。形を変えて次々に出てきているだけとしか思えない。
 だとすれば、やっぱり今までと同じやり方を続けるしかない。

 わかってはいたけれど、やはり即答はできなかった。
 理屈ではない。答えはひとつなのに、そこへ到達するには助走が必要だった。
 ひとしきり、いろいろな質問や問答をしながら必死に考えた。
 ぐるぐるぐるぐる考えたが、たどりつく答えはやはり同じだった。

 「先生。やっぱり治療は考えられません」

 一条先生は驚くでもなく、「そう言うと思ったよ」とうなずいた。
 「治療しないのならこれ以上の検査は意味がないと思う」とも言われた。
 その通りだ。
 生検で一気に母が衰弱していった出来事はつい3年前の生々しい出来事だ。
 あのときは治療前提だったから覚悟を決めて受けたが、今回は事情が違う。

 なんなんだろう。
 もちろん、すごくショックなんだけど、恐怖もあるんだけど、なんとなく腑に落ちている自分もいる。
 というのも、昨年の秋くらいからだろうか。
 いや、姪が産まれたときくらいかな。
 自分がこの先何十年も生きるという実感がどうしても持てなくなってきたのだ。
 すべての「欲」が薄くなってきて、世の中との距離感を感じるようになってきた。
 本来なら大喜びして「もっともっと」と欲が出るようなニュースにもそれほど喜びを感じられなくなってきた。
 そして一日一日が時計が止まったようにすごく長く感じられるようになってきた。
 「また今度ね」「近いうちに」と言われると、その言葉が星の彼方のように遠く感じられる。

 多分、その変化は私の身近にいる人にもうっすらと感じられたかもしれない。
 なぜそんなふうに思うようになってしまったのか、そのきっかけはわからないが、CTの画像を見せられたとき、凍り付くように違和感が符合した。

 私はもう終わりの見えないゴールに向かって歩んでいくことから解放されたかったのかもしれない。
 どんなに頑張っても、どんな人にでもいつか「終わり」はやって来る。
 その「終わり」を見せられるのは誰だってつらい。
 でも「終わり」が見えないことに底知れぬ恐怖をもつ状況というのもあるのだ。

 これまでのことを最初から書いていこうとサイトをたちあげた。
 そのタイミングでこういう事実が露見したということは、今、書き終えるまでの猶予を与えられたということなのかもしれない。

 自分にできること。
 自分にしかできないこと。
 あらためて探したい。

拍手[6回]

 近況の続きです。

3)薬局について

 これもまた私にとって悩みの一つだった。
 「病院に行って待って診察やリハを受けて帰って来る」というだけでも疲れてるのに、それに薬をもらうための一連のアクション(処方箋をもらう→薬局に出す→時間をつぶす→受け取って持って帰る)が加わるのが負担になってきたということがひとつ。
 もうひとつはもらった薬をシートから押し出すのに指の力が必要で、それが厳しくなってきたこと。
 そう雪村さん(仮名)に言ったらすぐに「自宅まで配達してくれる薬局」を紹介してくれた。
 この薬局は、家から処方箋をFAXすると、薬剤師さんが24時間以内に車で配達しにきてくれる(処方箋の原本は薬と引き換えに渡す)。
 さらに、薬は飲むタイミングごとに一包化してくれることになった。これならシートから薬を出す手間がいらなくなる。
 薬局も過当競争が厳しいのだろうが、正直、こんなサービスがあるなんて全然知らなかったので驚いた。
 これはマジで助かる。
 薬剤師さんへの連絡も休みなくとれるし、ずっと同じ人が対応してくれるのも安心だ。
 
4)訪問診療について

 通院リハがなくなったことで、病院に行くのは基本的に薬をもらうために月1程度でよくなった(内科と精神科。呼吸器内科は3ヶ月に1回程度)。
 この他、リンパマッサージを月2回聖路加に受けに行っていたが、もともと通っていた大森のリンパマッサージ施設が西新宿に引っ越すことになり、俄然うちから近くなったため、それももとに戻すことにした。
 回数についても、浮腫の状態が落ち着いているため月1に減らした。

 こうしてほぼ病院に行く必要はなくなったのだが、雪村さんから「薬をもらうだけなら訪問診療に切り換えるのも手かもしれませんよ」と提案され、ここでまた話が動いた。
 たしかに今は治療もしていないわけだし、病院に行く意味が限りなく薄くなっている。
 仕事柄訪問ドクターと接する機会が多いという雪村さんによると、「訪問の先生は経験豊富で柔軟性もある人が多く、いろいろなパイプを持っているのでいざというときも頼りになる」らしい。
 「生活に密着した診療をしてくれるので小春さんのようなケースには合うのでは?」と勧められ、訪問リハで感じるところもあったので思い切ってすべてを訪問に切り換える方向で検討してみることにした。

 ひとつだけネックになっていたのは精神科から出ている抗うつ剤だった。
 保険みたいなもので最少量しか飲んでいないのだが、これだけは精神科医でないと処方できない。正確に言うと、処方はできるのだが、増減のさじ加減はやはり専門医でないと…ということらしい。
 ただ、精神科の投薬については私も最近思うところがあり(おもに個人差がありすぎる副作用について)、これを機会にやめたいという気持ちがあった。
 試しに先生に話してみたところ、「やめてもいい」という同意をもらえたのでこれで問題は解決した。

 雪村さんいわく「病院の先生によっては訪問に切り換えるというといい顔をしない人もいる」ということだったが、聖路加の先生はどの先生もあっさり賛成してくれて、紹介状も一回行っただけですべての書類が手に入るくらいスムースに事が運んだ。

 どのクリニックを選ぶかは雪村さんに一任した。
 決まったのは歩いて行けるくらいの距離にあるクリニックで、つい最近訪問診療部門をスタートさせたばかりだという。土日診療もやっているらしい。
 担当の先生にはまだ2回しか会っていないが、おだやかで、なおかつ頼りがいのありそうな先生だった。
 無治療についての話も「がん治療はリスクを伴うもの。やればいいというものではなく、状況を考えて『治療しない』という選択をするのも当然ありだと思う」とこれまたあっさりと理解してくれた。

 まだ始まったばかりでなんともいえないが、ようやくあるべきところにたどりついた気がしている。
 検査や治療が必要になったときにはまた聖路加に行くことになるが、そのパイプはつながっているので安心だ。

 とりあえず、月に2回ドクターが訪ねてきて診察をして必要な薬を出してくれることになった。
 リハビリの指示もこちらから出る。
 処方箋はドクターから薬局にダイレクトにまわるので、待っていれば翌日には薬が届く。

 これで、かかりつけ医(訪問)・主治医(病院)・療法士(リハビリ)・薬剤師(薬局)・ケアマネ(福祉)…とすべてネットワークがつながった!
 本当に険しい道のりだったが、黙って待っていれば手に入るものでないことはたしかだ。
 頑張って手に入れた勲章だと思いたい。

 病院のあり方も日々変わってきている。
 病院を追い出され、在宅療養を余儀なくされる患者も増えているというが、それならばその分だけ訪問診療サービスを手厚くしていく方向にいかなければ社会はサバイバー難民だらけになってしまう。
 また、たとえサービスが増えたとしても受け手に認知されなければないのと同じだ。
 そこにもうひとつ、つなぎ手が機能することも重要なのだろう。

 まだまだ進行中の案件があるが、大きな状況の変化は以上だ。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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