がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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肋骨の痛みがどんどん激化してきている。
最初は咳をするときだけだったのに、そのうちにちょっと動かすだけでもズキュンズキュン痛むようになってきて、ひびでも入ったんじゃないかと心配になったが、さっき鍼に行ってみてもらったら骨がどうこうなってるってことはなさそうで一安心。
今日は一時ほどのひどさではなくなってきたが、体を伸ばすと痛むので、常に前屈み気味に。
右肋骨エリアはまんべんなく熱をもっているのがはっきりわかる。
咳止めはあきらめてこのところほぼ毎日飲んでるけど、痛みの緩和はできるだけ自然療法を試そうと、昨日今日とびわの葉&こんにゃく温熱療法をやってみた。
びわの葉の焼酎漬けはすでに試してみたが、温熱のほうがエキスを有効に吸収できそうだったので(ただこれはやってくれる人がいないとできないのが難点)。
生のびわの葉を患部に直接あてて、10分間ゆでたこんにゃくをタオルに巻いて上から乗せる。
あてる時間は30分って書いてあったけど、控えめに20分くらいにしてみた。
こんにゃくの保温力にはびっくり。1時間くらいは楽勝でほかほかしてる。うっかりすると低温やけどしそうなので、はさむタオルの数をまめに調整する。
肋骨をやって、腎臓をやって、足の裏をやった。
足の裏は特に気持ちよくて思わずまどろんでしまった。
びわは1回しか使えないが、こんにゃくは再利用可能。
これは意外に効果ありました。
明らかに痛みは緩和され、ロキソニンテープから脱却できた。
先人の知恵はすごいね。
介護保険が予想外の早さで認められた。
これで介護用品のレンタルも1割負担で利用できる。
今後は訪問看護も入る予定。
ヘルパーさんのスケジュールも練り直しになるし、なんだかいつまでたっても落ち着かない。
最初は咳をするときだけだったのに、そのうちにちょっと動かすだけでもズキュンズキュン痛むようになってきて、ひびでも入ったんじゃないかと心配になったが、さっき鍼に行ってみてもらったら骨がどうこうなってるってことはなさそうで一安心。
今日は一時ほどのひどさではなくなってきたが、体を伸ばすと痛むので、常に前屈み気味に。
右肋骨エリアはまんべんなく熱をもっているのがはっきりわかる。
咳止めはあきらめてこのところほぼ毎日飲んでるけど、痛みの緩和はできるだけ自然療法を試そうと、昨日今日とびわの葉&こんにゃく温熱療法をやってみた。
びわの葉の焼酎漬けはすでに試してみたが、温熱のほうがエキスを有効に吸収できそうだったので(ただこれはやってくれる人がいないとできないのが難点)。
生のびわの葉を患部に直接あてて、10分間ゆでたこんにゃくをタオルに巻いて上から乗せる。
あてる時間は30分って書いてあったけど、控えめに20分くらいにしてみた。
こんにゃくの保温力にはびっくり。1時間くらいは楽勝でほかほかしてる。うっかりすると低温やけどしそうなので、はさむタオルの数をまめに調整する。
肋骨をやって、腎臓をやって、足の裏をやった。
足の裏は特に気持ちよくて思わずまどろんでしまった。
びわは1回しか使えないが、こんにゃくは再利用可能。
これは意外に効果ありました。
明らかに痛みは緩和され、ロキソニンテープから脱却できた。
先人の知恵はすごいね。
介護保険が予想外の早さで認められた。
これで介護用品のレンタルも1割負担で利用できる。
今後は訪問看護も入る予定。
ヘルパーさんのスケジュールも練り直しになるし、なんだかいつまでたっても落ち着かない。
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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。
がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。
だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。
漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。
別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。
がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。
だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。
漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。
別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
HP:
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
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