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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 火曜日からは咳も息苦しさもなんとか我慢できるくらいに収まったので薬には手をつけずに済んだが、金曜日の午後はまた息苦しさがひどくなった。
 やはり鍼に行った日はいったん状態が悪くなるような気がする。
 土曜からはまた回復してきた。
 つまり、鍼の緩和効果が持続するのが今のところ3日程度ということなんだろうか。

 咳は本当に体力を消耗するので、なんとか薬以外に緩和する方法がないかと悩んでいる。
 アロマなんかはどうだろうと、アロマの学校に通う友人に聞いてみたが、先生に聞いたら「アロマは治療には使えない」「責任持てないことをするんじゃない」「専門家に任せるべき」と一刀両断されたという。

 はあ〜。どこもかしこも「責任とりたくない」ガードがバリバリだな。
 べつにアロマでがんを治療しようなんて思っちゃいない。
 症状緩和に使えないかと思っただけだし、子供や病人など体力の落ちている人に使うときは量を控えないと刺激が強すぎるということもわかってる。
 だから専門家に聞こうと思ったのに「専門家に任せるべき」とは???

 もしかして「専門家」って医者のこと言ってんの?
 だとしたら他ならぬ「専門家」中の「専門家」に任せた結果、こういう事態になったんだけど。。。。

 25年前は「責任なんか考えずにやりたい放題やる医者」がいっぱいいて、そのツケが出てくる時代になったら今度は「責任とりたくないおっかなびっくりの人」で溢れかえる時代に。
 その犠牲になった人はいったいどうすればいいんだよ。

 この1週間、私がやってきた仕事をなんとかあとの人に託せるようにと、あとに残った人が困らないようにと、そればかり考えている。
 「もういいよ、どうにでも好きにやって」
 ということはおいておくとして、「これだけは…」というものだけは動けるうちに片付けておきたい。

 ……という流れもあって、友人の提案でサイボウズLIVEというネットワークシステムを使って情報共有をおこなうことにした。
 今の状況、困ってること、ヘルプがほしいことなどをスケジュールとともに掲示板にあげておくと、プロジェクトに登録している友達の中で手伝えそうな人がどんどん名乗りをあげていくようなシステムになっている。
 訪問診療などでも使われているらしいが、たしかにこれは便利だ。
 話題ごとにトピックをたてられるので、情報が錯綜することがないし、過去ログをたどるのも簡単だ。
 インターフェースに慣れるまでちょっとかかりそうだけど、なんとかこれを使いこなしていきたい。
 正直、来た人ごとに状況を何度も口頭で説明するのは体力的にきつい。

 いろいろな人の協力で、重い仕事が徐々に動いている。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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