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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 9月11日。
 乳がんを告知されてからほぼ2ヶ月がたつ。
 この間に行った病院・治療の回数は、

 鍼灸治療 12
 漢方 2
 リンパマッサージ 1
 乳腺科 4
 婦人科 1
 放射線科 1
 呼吸器内科 1
 コンタクト科 1
 心療内科 2
 検査 2
 セカンドオピニオン 4
 歯医者 4

 なんと35回!
 まあ中には乳がんと関係ないものもあるけど、これだけ通ってれば落ち込む暇もないわけだ。

 9/4の聖路加でセカンドオピニオンもすべて終了し、今日の南田先生(仮名)の診察で今後の治療方針を最終決定することになった。
 じつは、前回の診察日(8/28)の翌日、私は南田先生に手紙を書いている。
 出だしはこんな感じだ。

ーーーーーーーーーーーー

 突然のお手紙で、失礼いたします。
 このたびの治療に際しましては、いろいろとお心遣いいただき、ありがとうございます。
 先生が、過去の経過や今抱えている状況を鑑みた上で、最善の治療法をみつけようとしてくださっていることには大変感謝しております。

 が、昨日、今後の治療についてお話したした際、まだ伝わりきっていないと感じられたことが多々あり(それはこちらが話していないので当然なのですが)、やはり一度きちんとお話しておいたほうがいいと思いまして、こうしてお手紙を差し上げることにいたしました。
 本当は直接お話したほうがいいのでしょうが、これだけのことを診察室でお話しするのはとても勇気が必要ですので、あえて手紙にさせていただきます。

ーーーーーーーーーーーー

 以下、過去の治療でどんなことが行われたか、情報源も告知もない中で、L病院の医師にどんな対応をされたか、突然の後遺症告知にどれだけ絶望したか、その後どんな経緯で訴訟するにいたったか、和解するまでにどれほど見苦しい言い逃れが繰り返されたかを綿々と書き綴った。
 かなり率直に書いたが、ここまで書かなければ「私が毎回どんな気持ちでL病院の門をくぐっているのか」「医師にどれだけの不信感をもっているのか」「西洋医学にどれだけ疑念を抱いているか」「自分の身体をこれ以上傷つけたくないという思いがどれだけ切実か」を理解してもらえないと思ったので書いた。
 後半は、東洋医学に出会ってどれだけ自分の心と身体が変わったかという驚きと、西洋医学のやり方に対する疑問について、これまた身も蓋もないほど率直に書いた(ほとんどはすでにこのブログに書かれていることだが)。

 A4用紙7枚分になった。
 片手しか使えないので書き終えたらさすがにどっと疲労し、しばらくは動けなくなった。
 しかし、この手紙の効果は確実にあった。
 
 診察室に入ったとたん、南田先生は「この間はお手紙をいただきまして…」と「読んだ」という意思表示を示したが、手紙の内容に対するコメントはいっさいしなかった。
 しなかったが、事実上全面降伏(?)したことがその後の対応ではっきりわかった。
 ひらたく言うと、南田先生は、「手術も薬もなしで、当分鍼だけで様子をみる」という、普通ならばとても受け入れるはずのない私の要求をすべて受け入れてくれたのだ。
 それも拍子抜けするくらいあっさりと。

 もちろん、手紙の効果もあったと思うが、最大の理由は「がんが小さくなっている」というはっきりとした物的証拠があがったことにある。
 南田先生は開口一番「それがねぇ………不思議なことに…小さくなってるんですよ」と言いながら診察前に撮ったエコー画像を私に見せた。

 腫瘍の大きさは18mmになっていた(8/31に三鷹のクリニックでエコー検査をしてもらったときには16mmと言われたが、エコーではその程度の誤差は普通に出るらしい)。
 L病院でエコーをとったのは、組織生検を行った7/6以来だが、そのときは27mmだった。

 今までにも、CTやMRIでは腫瘍径は小さめに出ていたが(CTは19mm、MRIは16.5mm)、その都度「検査(の種類)によって誤差は出るから」の一言で片付けられていた。
 しかし同じ検査で27mmが18mmになったとなると、さすがに「誤差」で通すわけにはいかなくなったのだろう。
 2枚並べられたエコー画像は、大きさを測るまでもなく、目測でも同じ形のまま縮小ツールを使ったように3分の2程度に縮んでいることがはっきり確認できた。
 正直、南田先生はかなり戸惑っているようだった。
 私は「小さくなっている」という確信を随分前から身体で感じていたので南田先生ほどの驚きはなかったが…。

 先生はしばらく考え込んだあと「鍼……ですか?」と、きわめて遺憾そうにつぶやいた。
 なんとなく気の毒になり、私は餌を蒔いた。
 「青山先生(仮名)は低用量ピルを中止したせいではないかとおっしゃるんですが」
 案の定、南田先生は餌に食いついてきた。
 「なるほど! それはありますね」
 青山先生よく言った!
 青山先生に1票!
 南田先生の顔にははっきりそう書いてあった。
 「青山先生には鍼の話はしてませんし、きっと合理的な理由をなんとかみつけようとしたんでしょうねぇ」
 私がピル説をてんで相手にしていない様子を見て、南田先生は言い訳がましくこう言った。
 「まあねぇ、青山先生も『こちら側の人間』ですから、僕と考えることは同じだと思いますよ」
 こちら側って……。
 なに急にスクラム組んでるんだよ!

 「私としてはピルをやめただけでこんなに縮小するかなっていう疑問は拭えないんですけど。だってそんな簡単な問題なら、乳がんなんてホルモン療法だけですぐに消えちゃうってことになりませんか?」
 「うーん。まあそうですねぇ」
 「百歩譲って薬をやめた影響があったとしても、その効果がそんなにいつまでも持続するものでしょうか」
 「うーん」
 「そのうちに脂肪でエストラジオールが作られるようになったらまた大きくなってくるかもしれないですよね。もしピル説が正しいなら」
 「うーん」
 なんか反論してきたらこう言ってやろうといろいろ考えてきたのだが、南田先生は全然反論してこない。
 「だとすれば、このまま大きくならないでいたらそれはやっぱり…」
 「……鍼ですか……」
 再び遺憾そうにつぶやく南田先生。
 「ちなみに、聖路加の一条先生(仮名)には鍼の話をしたんですが、『医者としては標準治療を勧めるが、自分が心から信じられると思うのなら東洋医学で様子を見るのもいいと思う』とおっしゃってました」
 「うーん。そうですか。一条先生は『こちら側』の中でも比較的柔軟な考えをもつ人のようですね」
 まだ言うかーー!(笑)

 私が一条先生の話を出したのは、「一条先生は鍼で様子を見るのもOKだと言っている。もし南田先生が『そんな選択肢は認められない』とおっしゃるなら聖路加に移るつもりですがなにか?」という意思表示のためだった。
 というか、まず十中八九、普通の医者なら鍼の話を出した時点で物別れだと思うので、私は聖路加に移る覚悟をほぼ決めていた。
 ところが、なんだかんだ言いながらも南田先生は私の選択肢を認めてくれたのである。
 「まあ小さくなってることは事実だし、その他のリスクもすべて低いタイプだし、ホルモン剤を飲むのもいやだということなら、もう少し様子を見てから手術でもいいと思いますよ」
 これは予想外の展開だったが、認めてくれるなら聖路加に移る必要もなくなる。

 ここで話題は「手術」に移った。
 全摘か温存かはさておき、術式としては一般の外科手術か、内視鏡手術かの選択になる。
 一般の外科手術を選ぶならどの病院でもいいが、内視鏡手術を選ぶなら亀田総合病院に行くことになる。
 南田先生は「このくらい小さい範囲なら外科手術でも内視鏡手術でもたいして変わらない」と思っているようだった。
 たしかに、青山先生にも「内視鏡手術は傷が小さいというだけで、美容上のメリットは大きいが、やることは従来の手術と同じなので、身体への負担は外科手術と同じ」と言われている。

 しかし、私にはひとつひっかかることがあった。
 普通、乳がんの手術は「切ってから放射線をかける」という順番になる。
 私の場合、すでに胸部に放射線がかかっているため、順番が逆になるわけだ。
 その点について、一条先生は「放射線のかかった皮膚は硬く、伸びにくくなるので、メスを入れると普通の人よりもあとがくっつきにくくなるなどの弊害が起こりやすいかもしれない」という心配をあげていた。
 だとすれば、メスを入れる範囲を考えるとやはり内視鏡手術のメリットは大きいのではないだろうか。

 そのことを南田先生に話したところ、「なるほど!」と妙に納得し、なんと「手術をするならべつの病院へ行く」という要求まで承諾してくれたのである。
 「治療は鍼だけ」
 「病院は検査だけしてくれればいい」
 「手術することになったらべつの病院に行く」
 こんなメチャクチャな要求が通るとは正直思っていなかったのでびっくりだった。

 「青山先生は、このまま小さくなって10mmを切ったら『凍結療法』もありかも…とおっしゃってたんですけどね」
 そう言ったら、「なんですか? それ」という言葉が返ってきた。
 凍結療法を知らないのか?!
 乳腺の専門医といっても、最新の治療法をすべてチェックできているわけではないのだ。
 日々の患者への対応(説明)と、最新の情報収集。
 両方こなすのは大変なことだ。
 標準治療に頼るのも、「アラカルトで料理を注文されると面倒だから、みんなコース注文にしてね」的なことなんだろう。
 凍結療法について説明したところ、南田先生は興味深そうに聞き入っていた。
 鍼について説明したときは露骨に関心なさげだったのに。
 なんてわかりやすい反応なんだろう…。

 そんなわけで、この日、2ヶ月の漂流の結果が出た。
 次の外来は10月23日。
 それまでにせっせと鍼に通うぞ!

 ーー追記。
 一昨日、一条先生からお礼メールの返信がきた。
 なんとなく予想していたことだが、一条先生はクリスチャンだった。
 「あまりにつらいことに正面から向きあうと、心も身体もダメージを負ってしまう。人が人を裁くことはできない。それを解決してくださる大きな存在に自分をゆだねてみることも大事」というようなことが書かれていた。
 大きな存在って…神様なんだろうな、やっぱり。
 人智の及ばない大きな「力」を感じることはたしかにある。
 自分が出会ってきたすべての出来事(良い事も悪い事も)にメッセージがあるように思えることもある。
 でも、神様というほど明確な認識はまだ持てていない。正直なところ。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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