がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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母が亡くなってちょうどまる一年がたった。
…というと必ず返ってくる言葉が「もうそんなにたったの?」「早いわね」というもの。
一応「そうですね」とは答えているものの、私自身の気持ちとしては「まだ一年か……」という感じだ。
この一年は、足に重い錘をゆわえつけた状態で階段を一段一段上っていくような気分で、ちょっとでも気を抜くと一気に足をふみはずして階段下まで転落しそうで、いっぱいいっぱいの毎日だったが、時間がたてば少しでも楽になれると信じて、まずは一年たつのを待った。
最初の一ヶ月は環境の変化についていくのに精一杯で、なにがなにやらわけがわからない状態だった。
それでも、その一ヶ月は非日常だったからなんとか乗り切れた。
本当につらかったのは二ヶ月目から(つまり年明け以降)だった。
生活が日常に戻るにつれて、現実を受け入れられない苦しみが具体的に表れてくる。
まわりからは「そりゃあまだ一年もたってないんだから無理だよ」と言われたが、じゃあこの気持ちをいったいどうしたらいいのか、という答えはどこにもみつからなかった。
未経験の悲しみに、ただただ溺れるしかなかった。
一年たった今、少しずつではあるが、たしかに変化はあった。
悲しみが薄れることはないが、悲しみから距離を置くことはできるようになった。
悲しみに溺れ、もがいている自分を外側から眺めることもできるようになった。
そこまできてようやく、母の存在を自分の「外」ではなく、「中」に感じることができるようになった。
「外」から私を支えてくれた母は、今は「中」から支えてくれているのだ、と知ることができた。
思いがけず強くなった自分を感じるたびに、「母が私の中にいる」と実感する。
と同時に、今まで「外」にいた母に対して随分と甘えていたことに気づく。
今までは母と並んで歩いてきたが、これから歩む道は、もしかしたら「一人」しか通れないほど狭く過酷な道なのかもしれない。
だから母は「外」から「中」へと移って私に「道を進む力」を与えてくれたのかもしれない。
スピリチュアル系のヒーラーに「母の言葉を聞かせてほしい」と頼んだとき、返ってきた言葉は「残せるものはすべて残してきた。道は必ずみつかる。だから心配はしていない」というものだった。
その言葉の真偽を確かめるすべはないが、それから気持ちが楽になったのは事実だ。
それでも現実は厳しく、体の障害は確実に進んでいる。
日常の些細な動作もどんどんできなくなってきていて、しかも外からはわかりにくいので、なにに困っているのかなかなか理解してもらえないのがつらい。
道は必ずあると信じなければ一歩も動けない状況だが、あてがはずれたり、逃げられたりする繰り返しの中で「道を信じ続ける」には、気が遠くなるほどのエネルギーが必要だ。
…というと必ず返ってくる言葉が「もうそんなにたったの?」「早いわね」というもの。
一応「そうですね」とは答えているものの、私自身の気持ちとしては「まだ一年か……」という感じだ。
この一年は、足に重い錘をゆわえつけた状態で階段を一段一段上っていくような気分で、ちょっとでも気を抜くと一気に足をふみはずして階段下まで転落しそうで、いっぱいいっぱいの毎日だったが、時間がたてば少しでも楽になれると信じて、まずは一年たつのを待った。
最初の一ヶ月は環境の変化についていくのに精一杯で、なにがなにやらわけがわからない状態だった。
それでも、その一ヶ月は非日常だったからなんとか乗り切れた。
本当につらかったのは二ヶ月目から(つまり年明け以降)だった。
生活が日常に戻るにつれて、現実を受け入れられない苦しみが具体的に表れてくる。
まわりからは「そりゃあまだ一年もたってないんだから無理だよ」と言われたが、じゃあこの気持ちをいったいどうしたらいいのか、という答えはどこにもみつからなかった。
未経験の悲しみに、ただただ溺れるしかなかった。
一年たった今、少しずつではあるが、たしかに変化はあった。
悲しみが薄れることはないが、悲しみから距離を置くことはできるようになった。
悲しみに溺れ、もがいている自分を外側から眺めることもできるようになった。
そこまできてようやく、母の存在を自分の「外」ではなく、「中」に感じることができるようになった。
「外」から私を支えてくれた母は、今は「中」から支えてくれているのだ、と知ることができた。
思いがけず強くなった自分を感じるたびに、「母が私の中にいる」と実感する。
と同時に、今まで「外」にいた母に対して随分と甘えていたことに気づく。
今までは母と並んで歩いてきたが、これから歩む道は、もしかしたら「一人」しか通れないほど狭く過酷な道なのかもしれない。
だから母は「外」から「中」へと移って私に「道を進む力」を与えてくれたのかもしれない。
スピリチュアル系のヒーラーに「母の言葉を聞かせてほしい」と頼んだとき、返ってきた言葉は「残せるものはすべて残してきた。道は必ずみつかる。だから心配はしていない」というものだった。
その言葉の真偽を確かめるすべはないが、それから気持ちが楽になったのは事実だ。
それでも現実は厳しく、体の障害は確実に進んでいる。
日常の些細な動作もどんどんできなくなってきていて、しかも外からはわかりにくいので、なにに困っているのかなかなか理解してもらえないのがつらい。
道は必ずあると信じなければ一歩も動けない状況だが、あてがはずれたり、逃げられたりする繰り返しの中で「道を信じ続ける」には、気が遠くなるほどのエネルギーが必要だ。
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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。
がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。
だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。
漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。
別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。
がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。
だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。
漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。
別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
HP:
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
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過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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