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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 母を見送った。
 11月27日金曜日に通夜式を、翌28日土曜日に告別式を、母が通っていた教会で行った。
 いずれも本当に大勢の方々が集まってくださって、感謝の気持ちでいっぱいだった。
 母を大切に思ってくださった方々は、私たち家族のことも大切に思ってくださる。
 その気持ちの温かさが土に水がしみわたっていくように伝わってきた。

 25日の朝に自宅に戻ってきた母は、27日に納棺されるまでの2日半の間、大好きだった家で過ごした。
 両親と私の3人でエネルギッシュに注文をたくさんつけて建て替えた新しい家には、結局2年しか住むことができなかったが、いつもは何につけても、迷ったり取り替えたり後悔したりすることが多い母が、この家に関しては「ああすればよかったと思うことはひとつもない」と言い切っていた。そのくらい満足していた自慢の家だった。

 特に、新しい家に引っ越して最初の秋は、家から見える公園の紅葉があまりにもすばらしくて、何度も「すごいわね」「きれいね」と繰り返し、周囲の人にも「遊びにくるなら紅葉の時期に来てね」と言ってまわっていた。
 くしくも今、家から見える紅葉は真っ盛りで、心が洗われるほど美しい。
 きっとこれから先、紅葉を見るたびにたまらない気持ちになりそうだ。

 母が家に戻ってきた日は、昼なのか、夜なのか、時間の感覚もよくわからなくなるほど重い疲れが吹き出てきて、ほとんどベッドから起き上がれない状態だった。
 弔問客や葬儀屋との打ち合わせは父と弟に任せ、ひたすら横になっていたが、ウトウトと眠ろうとすると悲しみが身体の底から間欠泉のようにわき上がってきて、頭が覚醒してしまう。
 その繰り返しで、どんなに疲れていても眠ることができなかった。

 ただ、親戚がずっとそばにいてくれて、食事の準備や荷物の片付けや話し相手などをつとめてくれていたので、その点はとても心強かったし、救われた。
 普段は滅多に会うことがなくても、こういうときにはやはりありがたい存在だと思う。

 その日は、とにかく通夜式と告別式の時間と場所をまわりに一刻も早く知らせなければ…という仕事が最優先で、それだけで1日が終わった。

 翌日、ようやく少し落ち着きを取り戻し、従姉妹と一緒に母のお化粧直しをした。
 特に眉のカットには気合いを入れた。
 できるだけきれいに見せたいと思い、精一杯頑張った。

 夕食後は、昔のアルバムを引っ張りだし、母の横で、弟と2人で母の若い頃の写真をセレクトし、通夜ぶるまいの席で皆さんに見ていただくための母の写真集を作った。
 散逸した写真を集めるのは予想以上に大変だったが、思い出を語り合いながら写真を選ぶ作業は楽しく、自分たちの子供の頃の写真にも心がなごんだ。
 小さい頃は(というかつい最近まで)、家族と一緒に撮る写真にそれほど意味があるとは思っていなかったが、今になってみると、どれもこれも宝石のように輝いて見える。
 一緒にいられた時間がどんなに貴重で愛しいものだったのか、あらためて思い知らされて愕然とした。
 母はどれも完璧な笑顔で写っているのに、横に並ぶ私の顔は98%くらいが残念な顔で、われながら情けなかった。

 驚くことは翌日の朝起こった。
 夕方にお化粧したときにはたしかにそんなものはなかったのだが、翌朝起きたら母の左目(目尻のあたり)から涙が出ていたのだ。
 親戚も全員それを目撃して息をのんだ。
 あとで看護師の親戚に聞いたところ、「延命治療をされて苦しんだ人には絶対に起きない現象。安らかに亡くなった人でないとそういうことは起きない。なおかつ起きる頻度は非常に少ない」と言われた。

 「たまに起こる生理的な現象」と言えばそれまでだが、それでも同じ条件の人に同じように起こる現象というわけではないのだから、遺族としてはそこに「意思」を感じずにはいられない。
 きっと母は、弟とアルバムを作ったことを喜んでくれたのだ。
 そう信じたい。

 1時になって、葬儀屋が納棺に現れた。
 家を建てるときに、母は「ここの寝室からだと棺が出入り口を通れない」ということを妙に心配していて、設計士は「そんなこといちいち心配する人はいないですよ」と笑いとばしていたのだが、その心配は2年で現実になってしまった。
 たしかに寝室から棺は出せなかった。
 棺は玄関ホールに設置され、遺体はそのまま玄関まで運ばれることになった。

 棺には、母の好きだった服とロザリオ、楽譜、眼鏡、皆さんからいただいたお手紙やカード、結婚記念日の写真と若い頃の演奏会写真、それに家の中や家から見える紅葉の写真と、新居の模型を入れた。

 この日の6時に通夜式が、その翌日の1時半に葬儀ミサと告別式が行われた。
 葬儀に対し、私たち家族が希望したことは3つある。
 一つ目は、最後に撮った結婚記念日の家族写真と、若い頃の演奏会の写真を献花台に飾ってもらうこと。
 二つ目は、献花の際に、50年前、芸大の校内演奏会で本人の歌った曲を流すこと。
 三つ目は、献花の前に、母が父と一緒に作った女声合唱団に歌ってもらうこと。

 結婚記念日の写真については、すでにこのブログでも書いたが、献花の前に行う遺族挨拶で、父がそのときのエピソードを紹介した。
 女声合唱団については、来年の4月に10周年記念リサイタルを開くことになっているのだが、そのときに披露する予定の一曲(レーガーの「マリアの子守唄」)を演奏した。
 この演奏会を見ることができなかったのは、母にとって大きな心残りのひとつだろう。

 なお、献花のときに流したシューマンの「女の愛と生涯」は、たまたま50年前の音源が残っていたため、CDにおとして持ってきたものだが(本人が一番輝いていた思い出の演奏だと思うので)、父が挨拶の中でこの詩の意味を説明した。
 「女の愛と生涯」は、全部で8曲の短い歌から成るが、最初の7曲では、「運命の男性に出会い、恋に落ち、求愛され、幸せの絶頂で子供を授かる」という喜びが綴られる。
 そして8曲目で1曲目と同じ節に戻り、「あなたは今、初めて私に苦痛を与える」という伴侶の死を嘆く悲痛な叫びが歌われるのだそうだ。
 説明しながら、「立場は逆だけど、この曲を聴くのは本当はとてもつらい」と言って父は泣いた。

 葬儀は無事に終わり、一人欠けた家族が残された。
 この5日間、周囲の人たちの配慮によって、笑うことも、幸せを感じることもできた。
 と同時に、まるでセットになっているかのように、悲しみと空虚感がジェットコースターのごとく襲ってきて、感情の起伏が常に不安定に動き続けていた。

 ただ、家族が今までにないほど素直な気持ちを表に出すことができたのは、母のお陰だと思った。
 それは常に後悔と隣り合わせだし、母が元気でいたら出せなかったものではあるが、そうやって人は必ずあとに残る人に大きな「何か」を残していくのだろう。

 叔母に「『こうすればよかった』と思ってはダメ。こじつけでもいいから『こうだったのはよかったね』と“よかったこと捜し”をしなさいね」と言われた。
 たしかに「後悔して自分を責める」ほうが、じつはずっと簡単なのかもしれない。
 “よかったこと捜し”……してみようと思う。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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