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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 L病院に資料一式を受取りに行った3日後(5/20)、少しでも早く届けたほうがいいと思い、事前にメール連絡したうえで、聖路加のリハビリに行くついでにその資料を受付に預けてきた。

 そして5月25日。
 9日におこなったCTに対する放射線科のコメントを聞きに行った。

 結論から言うと、肝臓に写っている影は、悪性腫瘍ではなく嚢胞とみてよいだろうとのコメントだった。
 場合によっては、MRI判定も覚悟していたので、とりあえずはホッとした。

 が、レポートにはその他にもいろいろとコメントが書かれている。
 L病院ではいちいちこんなものを開示してくれなかったので、現物を見せてくれたのはありがたかったのだが、困ったのは聖路加でCTをとったのはこれが初めてなので過去のデータとの比較検討ができないということだった。

 病歴・治療歴が長いと、長期にわたって体全体にさまざまな影響が出るため、患者歴が長いほど不調の原因は複雑になる。
 こういった検査をするたびに異常があちこちから検出されるのだが、それが前からあったものなのか新しくできたものなのか、治療の痕なのか腫瘍なのか、悪性なのかそうでないのか、再発なのか転移なのか、育っているのか縮小しているのか、可能性がどんどん広がっていき、今現在の結果だけでは状況を判断するのが非常に難しい。

 にもかかわらず、大きい病院(特に大学病院)ではありがちなことだが、L病院では検査データの経時変化を一人の医師が追うということをしないため、先生が変わるたびに情報がリセットされてしまっていた。
 見るのはいつも直前のデータだけ。
 引き継ぎもどこまできちんとされているのかおおいに疑わしい。
 カルテが電子化されるようになって、少しずつ情報の共有ができるようになってきたが、それでも医師同士に見えない壁があれば、いくらソフトを整えても状況はほとんど変わらない。
 本当に重要なのはコミュニケーション能力だからだ。

 同じ病院内でもそうなのだから、病院が変わったらさらに情報の受け渡しは難しくなる。
 黙っていれば医師同士きちんと情報の申し送りをしてくれると信じている患者が世の中ほとんどだと思うが、残念ながらそれができていないから医療過誤や診断ミスが次々に起こる。
 そのことは身にしみて味わったので、今ではもう、ウザがられようがクレーマーと言われようが、データはいちいち開示してもらい、丁寧に確認して、なおかつしつこく問いただすようにしている。
 自分の身を守れるのは自分しかいない。

 だから、今回も過去の経緯はなるべく詳細に話し、思い当たることがあればこちらからもどんどん意見を言うようにしたのだが、それでも具体的なデータが手に入らないのは痛い。
 かろうじて2年前のCTは手に入れたものの、それより前のデータ(つまり乳がん発症以前のデータ)を取り寄せるのは今となっては難しいだろう。
 でもまあ2年前の画像だけでも手に入ってよかったと思うしかないか。

 ……などと考えながら2年前の画像と比較してくれるのを待ったが、一条先生(仮名)、なんだか今日はボーッとしていて反応が悪い。
 どうやら寝不足らしく、すごく眠そう。。。
 大丈夫なのか??
 「あのー、このあいだ渡したCT画像と比較してどうでしたか?」
 そう聞いたら、急に我に返ってデスクの上をゴソゴソ探し始めた。
 「いや、それは最初に私が持ってきた資料じゃないですか?」と言ったら、「あ、そうか。向こうにあるんだ」と言いながら診察室から出て行ってしまった。
 ……よ、用意してなかったのか。
 ていうか、せっかく事前に渡したのに……もしかして預けっぱなしでまだ見て……ない?
 なんか拍子抜けした。。。

 しばらくしてL病院の資料を手にして戻ってきた先生、ようやくモニタ上に2枚のCT写真を映し出し、比較してくれた。
 たしかに肝臓の病変は同じ場所に2年前からある。
 それから見てもこれは「嚢胞」と判断するのが妥当だろう。

 もうひとつ、前回の診察時から指摘されていたのだが、甲状腺に複数の腫瘤が見られた。
 特に左が顕著だが、右にもある。
 一条先生には「これは悪性ではないと思うけど、なんらかの理由で甲状腺の機能が低下しているかもしれない」と言われていたのだが、あらためて比べてみると、2年前の画像でもわずかに腫瘤が見られる。

 この日は甲状腺機能を調べる血液検査をおこなってみたが、結果は「甲状腺ホルモンの量はやや少なめだが、甲状腺の機能じたいは正常」とのこと。
 機能が落ちていたら、また「薬で補う」とかいう話になっていたと思うので、これまたなんとかセーフだ。

 甲状腺というのは放射線の影響を受けやすい部分なので、放射線治療時にもここだけは鉛でブロックするのだが、けっこうギリギリまでブロック範囲を狭められたので、当然治療の影響が出てもおかしくないところだ。
 といっても、治療をおこなった放射線科医は治療記録をほとんど残しておらず、事実上雲隠れ状態なのだから、今となっては確認のしようがない。
 今後も、異常が出れば出っぱなしということになるだろう。

 甲状腺については、ホジキンの化学療法の後遺症として、二次発がんを起こしやすいというデータがあり、そちらから見てもリスク大だが、CTレポートでも甲状腺の腫瘤は心配しなくてよいとあるので、今のところは大丈夫そうだ。

 甲状腺の機能低下については、自分でも思い当たることがあった。
 今年になってからずっと体調が悪く、とにかく疲れるし、だるいし、体が重いのだ。
 それほど食べてないのに体重がびっくりするほど増えている。
 膝や足首などがかたまったように痛い。
 一時は、家の中の階段も手すりにつかまってひきずるようにあがっていたほどだ。

 これはすべて「むくみ」の悪化からきていると鍼灸の四ッ谷先生(仮名)から言われた。
 左腕だけでなく、全身がむくんでいるのだそうだ。
 たしかに、左腕のむくみがすごすぎて気がつかなかったが、全部むくんでると言われたらそうかもしれない。
 動くと体中が痛いのだが(歩くと足の裏も)、むくむことで動きが制限されているのだろう。
 言うまでもなく、甲状腺機能が低下すると全身がむくんで体重が増えるので、甲状腺に異常があるなら辻褄が合う。

 ただ、この「むくみ」は甲状腺だけが問題なのではなく、ずっと前から少しずついろいろな原因が積み重なった結果起こっているものであることはたしかで、いわば体の不調を示すバロメーターみたいなものだ。
 体調が良いときは、むくみも軽いし、動きもよくなるし、乳がんの大きさも縮小するし、疲れもたまらない。
 悪いときはこれが全部逆に出る。
 マッサージもリハビリも、調子の良いときは効果が出るが、悪いときはどんなにやっても効果が出ない。
 すべて連動しているのだ。

 ホルモン欠乏もむくみも「結果」でしかない。
 表に出た「結果」だけを消そうとしても「原因」はそのまま残るので「治療」にはならない。
 がん治療も同じことだと思う。

 なのに、甲状腺機能が低下しているというと、病院では甲状腺ホルモンを薬で補充しようとする。
 むくみがたまっているというと利尿剤で外に水分を出そうとする。
 どれも典型的な対症療法だ。

 ホルモン補充も利尿剤も「自然」に手を加えることだから、ピンポイントでメリットだけが得られるわけではない。
 ホルモンだったら、むやみに補充することで自力で作り出す力がさらに低下するかもしれないし、利尿剤は必要な水分まで排出してしまい、なおかつ腎臓に負担をかけるかもしれない。

 やはりこういう「負」のスパイラルを断ち切るには、東洋医学が一番有効だと思う。
 四ツ谷先生は、この状態に対し、5月から新しく「お灸」をプログラムに加えた。
 その場所とは……膝でもなく、腕でもなく……「かかと」だった。

 今までにもお灸をされたことはある(骨折のときも結局お灸が一番効いた)。
 が、それはいずれも「知熱灸」といって、「熱くて我慢できないギリギリまでもぐさを燃やして途中で消す」というやり方のお灸だった。
 今回は違う。
 「透熱灸」といって、「最後までもぐさを燃やしきる」というハードなお灸だ。
 熱くて我慢できない臨界点をさらに越えるので、はっきり言って息が止まるほど熱い。
 ネットなどでは「熱いのは一瞬」とか「楊枝で刺されたような感じ」とか書かれているが、そんななまやさしいものじゃない!
 たしかに一回分は短時間ではあるけれど、連続して10回くらいやるので、終わると騒ぎ過ぎてぐったりしてしまう。

 ところが、このお灸を始めてわずか2回目で、早くも尿量が自然に増え、むくみが軽くなってきたのだ。
 体重も少し減ってきた。
 おそるべし、透熱灸!
 ……と思ったら次の回はそれほどの効果がない。
 そう申告したら、四ッ谷先生いわく「うーん。あんまり熱がるから前回は半分の量に減らしてみたんだよね」。
 ひー、やぶ蛇だったよ〜(>_<)
 結局、また量を元に戻すことに(ToT)
 もぐさの量は多すぎても少なすぎてもダメなので、試行錯誤しながらその人にとって最適の量を見いだすのが鍼灸師の腕の見せどころとなる。

 一条先生にその話をしたところ、今まで眠そうだったのに急に興味津々の表情になった。
 「うそ。お灸やってるの? どこにやるの? かかと? え、かかとなの? なんでかかとなの? あととかつくの?」と矢継ぎ早に質問してくる。
 「もちろんつきますよ。焼ききるんだから」
 たまたまサンダルだったんでかかとの焦げ跡を見せたら一条先生びっくり。

 「なにこれ!なんでこんなに小さいの

 焦げ跡は5mm×3mm程度。
 お灸の痕にしては大きいほうだと思うが、先生はしきりに「小さい」と驚いている。
 もしかしてもぐさをてんこもりにして焚き火のようにボーボー燃やしてるとでも思ってるんだろうか。
 米粒より小さくひねって乗せるんだけど……(ちなみに、もぐさを小さくひねって燃やす方法は日本でしかやってない手法らしいです)。

 お灸話で盛り上がったところで「じゃあ次は2ヶ月後にまた血液検査で経過をみましょう」ってことで診察が終わったが、帰ってからもうひとつ「…これ放っておいていいのかな」という箇所をレポートからみつけてしまった…。

 続きは次回。

拍手[6回]

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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