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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 20年以上通い続けたL病院を出て行くと決めた。
 正確には喘息でかかっている呼吸器内科のみ、まだL病院に籍を残しているのだが、がん関係は一括して聖路加に移すことにした。

 本当はもっと早くにそうしたかった。
 裁判まで起こした相手なのだから当然のことだが、それをべつにしても、昨今のL病院の患者への対応の質は著しく劣化していると思う(特に、患者を「様」付けで呼ぶようになってからそれは顕著になった)。

 なにしろ経営収益率ナンバーワンの病院だ(という時点でどこの病院だかもうだいたいわかると思うが)。
 患者の数はおそろしく多い。
 待合室に座るスペースがない、エレベーターに乗ろうと思うと満員で通過してしまう…などということも珍しくないし、それに比して(人件費を削っているのか)受付には異様に人が少ない。

 バックヤードは壁で仕切られて見えないようになっているため、受付に人が出てこない限り、患者が延々と放置されることもしばしばだ。
 看護師をつかまえるのは、流しのタクシーをつかまえるよりも難しいし、薬局では何十人もの患者が集まってくるタイミングになぜか必ず「一人」しか対応の薬剤師をおかない。
 トイレもいつも並んでいるし、掃除も行き届いていないことが多い。

 待ち時間の問題だけではなく、これだけ患者の数とスタッフの数が不均衡だと、細かいところでトラブルも頻発するし、患者もイライラさせられることが増え、余裕がなくなり、雰囲気もギスギスしてくる。
 昔はもっとのんびりした雰囲気だったのだが、今はもうまったくべつの病院のようだ。

 このあいだも中待ちスペースで一人の患者が「ふざけんな。おたくのところだけが病院じゃないんだぞ!」と怒りを爆発させているのを見た。
 本来ならば、公共の場でこのような大声を出す人を見るのは気分がよくないのだが、このときばかりは横を通りながら「GJ!よく言った、おじさん」と思った(笑)。

 ではなぜ、そんな病院に私はこれまで我慢して通い続けてきたのか。
 前の記事でも書いたように、ここまで複雑な病歴を持った患者を引き受けてくれる病院が他になかったからーーもちろんそれもあるのだが、もうひとつ、私がここに通わなくなって一番ハッピーになるのは間違いなくL病院だろうなと思ったから……というのもある。
 今ですら、過去の治療についての説明も資料の開示も隠蔽バリバリモードなのだ。私のほうからここを離れたら、その糸は間違いなく100%プッツリと断たれてしまうだろう。
 L病院は私があきらめて来なくなるのを待っていると言ってもいいと思う。
 それはひしひしと感じる。

 たとえば……。
 昨年、聖路加で急遽目の手術をおこなうことが決まったとき、手術日がL病院乳腺科の予約日とバッチリぶつかってしまい、キャンセル&予約延期のお願い電話をしたのだが、そのときの受付の対応は「予約のキャンセル&変更は電話ではできません。直接来院して手続きしてください」というムチャクチャなものだった。
 しかたなく、担当の南田先生(仮名)に直接事情を書いてメールしたのだが返信はなし。
 結局、他の用事で通院するときまで予約を入れることができず、次に検査してもらえるまで2ヶ月もかかってしまった。

 このときは私もかなりムッとして、南田先生に「電話で予約の変更ができない病院なんて聞いたことがない。メールの返信もないし」と訴えたら、「え?そうなんですか?メールは受け取ってないですけど。電話は僕を直接呼び出してくれればすぐつながるはずですよ」と言う。
 いやいや、だからその電話をつないでくれないんだってば!

 そして今回。
 「聖路加に転院したいので資料を揃えておいてほしい」と先生にメールしたら、今度は「了解しました」という返信があったので、さらにいつとりに行ったらいいのか直接聞こうと思って電話したら、交換台からすぐに乳腺科の受付に電話をまわされ、思いっきり居留守を使われた。

 いや、正確にいうと、その日先生が外来に出ていることは明白なので居留守もくそもないのだが、電話に出た看護師は、「お名前は?」「フルネームは?」「ID番号は?」「用件は?」「紹介状ってどこ宛ですか?」と根掘り葉掘り聞いてきたあげくに、「少々お待ち下さい」と言って長々と待たせ、やっと出てきたと思ったら「診察がずっと続いているのでおつなぎできません。もう一度かけ直してください」と言う。
 「はぁ?」と思いつつも、「かけ直すって、じゃあいつならつないでいただけるんですか?診察時間が終わる頃にかけけたほうがいいですか?」と聞いたら、「いえ。診察時間外はちょっと……。4時まで予約が入っているので、診察時間中にかけてください。でも電話に出られるかどうかはわかりません」だと。

 なんじゃ、そりゃぁ〜!!

 これって「おまえにはつ・な・が・ね・え・よ」ってことじゃん。
 ていうか、私の置かれている状況など何ひとつ知っちゃいないだろう、たまたま電話に出た看護師に、なぜいちいちこんな細かい用件までしゃべらなきゃいけないんだよ。
 どうせ伝言する気もないくせに。
 あー、腹立つわ〜。
 どうしてこのとき、看護師の名前をきいておかなかったかと後悔。
 きいて、目安箱に名指しで投書してやればよかったヽ(`Д´)ノ

 要するに、数ヶ月に一回、予約で会うとき以外は、何があっても先生には連絡をとらないでくださいっていうこと?
 日々体調が変動している患者を相手にしているという自覚がほんっっっとにまっっっっったくないんだね、この病院は。
 とあきれ果て、結局電話をするのは諦めて、また先生に直メールした。
 かなり率直にキレた口調になったためか、今度はすぐに「対応が悪くて申し訳ありません」という謝罪と、具体的な日時を指定したメールが送られてきた。 

 「しょうがないな」と思いつつ、指定された日時に資料をとりにL病院に行ったところ、なんと私と話している途中に、フツーに患者からの電話が先生にとりつがれ、目の前で予約変更のやりとりがおこなわれているではないか!
 ………(‾Д‾;) はんぱねえ選別だな。L病院。
 完璧、ブラックリストじゃん、私。クレーマー扱いね。

 あのさ……言っておくけど、私だって最初からクレーマーだったわけじゃないよ。
 自分で言うのもなんだけど、治療にも前向きだったし、かなりの優良患者だったと思う。
 先生の非常識な対応にもギリギリまで耐えたよ。
 患者の立場で反論なんてしたらいけない。
 先生を怒らせたらおしまいだって。
 横暴で気まぐれで協調性のない医者相手に、なんでここまで…っていうくらい気を遣いまくったよ。
 だからこそ、まじめだったからこそ、よけいに許せないんだよ、この病院が。
 わかるか、L病院!

 資料の中には乳がんが初めてわかった2年前にとられた全身CT写真もあったので、その場で画像を確認してもらった。
 今回、肝臓転移が疑われている箇所をチェックしてもらったところ……あった!
 たしかに同じ場所に。
 2年前からこれはここに存在していたのだ。

 ということは、「2年前にもあって今も不変=悪性ではない=嚢胞」と考えるのが妥当のような気がしてきた。がんだったら不変ってことはないから。
 ただ、原発がん(乳房にできたがん)のほうも鍼灸治療によって2年間不変(もしくは縮小)なので、肝臓のほうも育ってないがんという可能性もある。
 南田先生は「今のデータは見てないからなんともいえないけど、これは嚢胞でしょう」と断言しているが、悪いけどもう医者の言うことはいちいち信じられない。

 いずれにしろ、MRIをやれば嚢胞か腫瘍かの区別くらいはつくんじゃないだろうか。と思うが、それならそれでさっさと検査を済ませてほしい。
 もう1週間以上たつのに放射線科医の読影結果は知らされてこない。
 待ってるほうの身にもなってください>先生方

 最後に、南田先生にはどうしても言っておきたいことがあった。
 いや、これは南田先生個人に、というよりも、医療従事者全体に対して言いたいことだったが。

 「なぜ治療のデメリットを患者に知らせないのですか?治療中の副作用だけではなく、サバイバーが治療後に負うデメリットはたくさんあるはずなのに、メリットだけを声を大きくして言うのはなぜですか?その場さえしのげば、その後の患者の人生はどうなっても関係ないと思ってるんですか?サバイバーを量産することだけに目を奪われて、サバイバーの末路について誰も問題にしようとしないのはなぜですか?最初にがんになった患者の対応だけで手一杯ってことですか?それでがんを治療したと言えるんですか?」

 南田先生は一言も答えられなかった。
 「聖路加の先生は、『がん治療の限界は身にしみて感じている。医者としてこういう治療が使えますという提示はできても、やりたくないと言われたらそうだろうなと思う』と言っていました」と言ったら、「僕も今は同意見です」とだけ答えた。

 空しい旅の終わりだった。
 重い荷物をひきずるようにして、私はL病院を出て行った。
 

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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