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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 11月21日。
 昨日、初めて緩和ケア病棟に行った。
 鍼に行ってからだと到着は3時半にはなってしまうので、待っている母のことを思うと電車の中でも気がせいたが、この日の母はほとんどウトウトしている状態で、いろいろ話しかけてもかすかに頷いたりするだけで、会話をかわすことができなかった。
 時折、ふっと目を見開くのだが、時間や場所の感覚が混乱しているようで、わけのわからないことを口走ったりする。
 夕べの睡眠剤が残っているせいもあるかもしれないが(肝臓で解毒できないのでどうしてもたまってしまう)、肝機能障害で意識の混濁が起こっているのだろうと先生に言われた。

 ただ、看護師さんとか、家族以外の人に話しかけられたときにはわりとはっきり返事をしたりするので、他人と身内ではスイッチを切り替えている部分もあるのかもしれない。
 他の人から「こういうふうに言ってましたよ」とかいう話を聞くと、「私のときはそんな気のきいたこと言ってくれなかった」と悔しい気持ちになる。
 まあ、家族がいるときには安心しているんだと思うことにしよう。

 嚥下機能も衰えていて、水分を飲み込むのがとても大変そうなので、この日から漢方はとろみをつけてスプーンで口に入れることにした(漢方の先生に確認したらそれでもOKだというので)。
 実際、もうほとんど飲むことはできないのだが、これは本人の支えなので、希望があるときにはいつでも飲ませられるようにしておきたい(とはいっても、さすがに薬なので、担当医の許可があるとはいえ、スタッフに飲ませてもらうわけにはいかないのがつらいところ)。

 母は、身の置き所がないのか、常に身体を動かしているが、寝返りを打つ力も弱くて時々耐えられずに声をあげている。
 つらい。どうしたら楽なのかがわからなくて、つらくて自分が石になってしまいそうだ。
 でも時々はスヤスヤ寝入っている瞬間もあり、そのときだけは「今は楽なんだな」と思ってちょっとだけホッとする。

 緩和ケア病棟のスタッフはさすがにとてもよくできた方々ばかりで、雰囲気が全然違う。
 一般病棟は「治療をする場所」という緊張感が漂っているが、緩和ケア病棟はもっとのんびりした雰囲気で、スタッフの人たちに余裕が感じられる。
 それに患者にはもちろんのこと、家族にもさりげなく気を配ってくれるのが感じられて救われる(最初に緩和ケア病棟の先生に会ったとき、「あなたは眠れていますか?」と聞かれてちょっと驚いた)。
 そのときは、母がもうろうとしながら「子供の緩和ケアはないの?」と言っていて、何を言っているんだろうと思ったが、きっと私のことがずっと気になっているんだと思う。

 母とあまり話ができなかったので、この日はスタッフの人たちといろいろ話をした。
 うとうとしていても、まわりで会話している声がぼんやり聞こえてくるだけでも安心できるかなと思って。
 この日の昼の担当看護師は男性だったが、いきなり「娘さんも劇作家なんですか?」と聞かれた。
 「え? 『も』ってどういうことですか?」
 「え? だってお母さんも劇作家なんでしょ? 4月に公演があるって言ってましたよ」
 「違います。劇作家は私で、母は音楽の先生。4月にあるのは私の公演じゃなくて母が指導しているコーラスの演奏会です」
 どうも主語がはっきりしなくてとりとめなくしゃべるので、全部の情報がシャッフルされて伝わっているらしい。

 音楽療法士の方には、母がやってきた音楽活動についていろいろ話をして、CDプレーヤーを貸してもらった。
 とりあえず、教会音楽のようなものがいいかなと思って、賛美歌を小さな音量で流してみた。
 いずれ、指導しているコーラスの合唱曲なども流してあげようと思う。

 目や口の機能は使うのも疲れるだろうが、鼻と耳は比較的受け入れられるのではないかと思い、音楽を流すことと、アロマセラピーはぜひとりいれたいと思った。
 特に、アロマは医療行為に使われることもあるくらいなので、つらさを緩和できる効果もかなりあるのではないかと考えている。
 ただ、健康な人間なら「これ、いい匂い」で済むが、病人なので、やはり専門家に相談してから選んだほうがいいだろう。
 緩和ケア病棟には、アロマセラピーの専門家が毎週1回ボランティアでまわってくるというので、そのときに相談してみるつもりだ。

 あとは、キリスト教関係の話をできるチャプレン(牧師)も紹介してもらった。
 毎週日曜の朝にはお祈りをしに病室をまわってきてくれるそうだ。

 最後に、緩和ケア病棟の担当の先生にも挨拶をした。
 今晩から「意識の混濁」がとれる薬を使っていくつもりだと言われた。
 これで少しでも効果が出るといいのだが…。
 
 でも緩和ケア病棟に移れて本当によかった。
 無理にでも聖路加に連れてきてよかった。
 この日はあらためてそう思った。

 今日は会社が休みになる弟に行ってもらっているが、その間に少しでもゆっくり休もうと思い、昼間も軽く安定剤を飲んで無理やり寝た。
 食欲も全然ないが、回数分けて少しずつ口に入れるようにしている。

 まわりがバタバタ風邪で倒れていくため、面会に行くシフトがどんどんタイトになっている。
 私も風邪だけはひけないので、まず寝ること、食べられるだけ食べること、身体を冷やすものは避けること、週2の鍼だけはなにをおいても通うことは死守し、あとは十全大補湯とマヌカハネーで持ちこたえている。

 ここに記録を書くことだけは気持ちの支えになっているので続けたい。
 

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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