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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 10月9日。
 聖路加に行った翌日、母はL病院に行き、三井先生(仮名)に「病院を変わりたいので紹介状がほしい」旨を伝えた。
 母はこれを言うのがものすごく気が重くていやでたまらなかったらしいが、三井先生はあっさりと承諾。
 「この病院ではいろいろあったし」と言ったら「そうらしいですね」とさらっと一言。
 意外にホッとしているのかもしれない。
 「紹介状と資料を来週中を揃えていただきたい」と言ったら、「私、来週は忙しいので別の先生に揃えさせます」と丸投げ。
 出たよ、丸投げ。L病院の得意技。

 というわけで、転院の話はあっさりうまくいったのだが、同じ日、今度は私のほうが予想外の災難に見舞われる。
 この日は珍しく夜外食をして帰宅が深夜近くになったんだけど、あと5分で自宅だというところで無灯火の自転車にはねとばされて頭を強打するという事故に遭った。
 相手の男はアルコールも入っていて、動転したあげくに……逃げた。
 詳細は病気とは関係ないほうの個人ブログに書いたのでここには書かないが、とにかく暗闇でしかも人のいない場所での事故は想像を絶するほどこわくて、本当にどうしたらいいのかわからなかった。

 怪我もこわかったけど、加害者もこわかった。
 頭打ってるから病院行かなきゃ…と思う一方で、咄嗟に母のことを考え、「救急車なんかで病院に運ばれたら母に連絡がいってしまう。ただでさえ精神的ダメージの大きい時期なのに、このうえ私が事故で頭打ったなんて知ったらパニックになるかも。できることならなにもなかったことにしてこのまま家に帰りたい」とも思った。
 結果的には一人で近くの交番に行き、救急車を呼んでもらって脳外科のある病院でCTとってもらったんだけど。
 母は案の定パニックになったが、とりあえずCTの結果は異常がなく、意識もはっきりしていたし、入院とかににもならずに済んだのでなんとか安心したようだった。

 とはいうものの、頭はあとになって後遺症がいろいろ出ることがあるので、それからしばらくはこわくてビクビクしていた。
 最初はそれほどのダメージではないと思っていたが、2日ほどたったら頭や首や肩や背中など、ありとあらゆる部位が痛くなり、やはり事故は侮れないと思った。
 なによりも「あて逃げ」という事実に遭遇した精神的なショックが大きくて、数日間は眠れない日が続いた。
 逃げていった相手のことを思うと胸がムカムカしたし、せっかくせっせと鍼治療に通ってここまで身体を回復させてきたのになぜこんな目に…と思うと悔しくてたまらなかった。

 事故から4日後。
 鍼灸院で事故のことを話したら「頭を打つと頸椎への影響がこわい。たとえレントゲンで異常がなくても、あとからいろいろな形で影響が出るから治療しておいたほうがいい」と言われ、頸椎に抜罐法(太い鍼を一気に差し込んで出血させ、ガラスの吸い玉で鬱血を吸わせる治療法)というちょっとハードな治療をされた。
 今までは「鍼、ほんとに使ってんの?」っていうゆるい刺激の治療しかしてなかったんでこれにはちょっとびっくりした。
 四ッ谷先生(仮名)は「じゃあこれからいきますよ〜」というタメがまったくなくて、いきなりザックリくるのでこわい。
 いや、タメられたほうがこわいか。。。

 西洋医学では事故の怪我というとその場所のことしか心配しないけど、東洋医学では外傷による刺激は身体全体の気の流れを乱すとして、かなり慎重に扱われる。
 この日は順調に小さくなっていた腫瘍径もちょっと揺り戻しがあったようだ。
 もうすぐ乳腺科でエコー計測するのにこんなことで悪化されたら困るんだよ(怒)。
 あー、ほんと腹たつ。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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