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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 11月20日。
 昨日の午後、母が緩和ケア病棟に移った。
 ベッドがかたいのと、布団が重いのと、タオルケットの生地が悪くて足にまとわりつくのと、枕が高すぎるのが気になったので、この日は父に家で使っているものを持っていってもらった。
 マットレスは持っていけないが、マットレスの上に敷く事で寝たきりの人が楽になるという専用の敷きパッドを持っていった。
 私も手があがらなくて寝返りがうちにくいので、このパッドにはとても助けられている。
 でもせっかく持っていったのに、今度のベッドはウォーターベッドになっていて、看護師さんには「こっちのほうが快適ですよ」と言われてしまったらしい。
 ウォーターベッドにこのパッドってわけにはいかないのかなあと思ってさっそく敷きパッドのメーカーに電話で聞いてみたが、ウォーターベッドを使うなら単独のほうがいいという。
 体圧分散効果という点では両方とも効果があるが、敷きパッドには遠赤外線効果があって冷えた身体が温まる効果もある。
 高いけど同じメーカーのブランケットだけ買ってみようかな。

 この日、私は家で一日休むことにしていたのだが、とても休める心境ではなかった。
 安定剤を飲んで寝たが、6時間で目がさめてしまい、そのあとも寝ようと思うといろいろ考えてしまうし、家の中は荒れ放題だけど何もする気がしないし、食べようと思っても胸がムカムカするし、一人でいるのがつらくて親戚に電話をかけてはまた泣き続けた。
 夕方、横浜の叔母が心配して鯵寿司を持って訪ねてきてくれたので、帰ってきた父と3人で食べた。とてもありがたかった。
 私の身体が思うように動かないため、父に負担がかかっているのが申し訳ない。

 この日の母は、とてもよく寝られたようだった。
 昼間もかなりうとうとしているようだったが、そのせいで口にものを入れることができないでいる。
 でも寝られるならいい。
 具合が悪いのに寝られないつらさは想像を絶するから、寝られるときには余計なことを気にせずに思いっきり寝てほしい。

 ただ、母は自分ではちゃんと漢方を毎日すべて飲みきっていると思ってて、眠れたのも漢方のお陰だと思い込んでいるようだった。
 緩和ケアの先生方に「西洋医学なんてだめだ。私の友達も末期から漢方で生還した。私も漢方で奇跡を起こすんだ」と話していたという。
 困った父があとから先生方のあとを追って「すいません。実際はほとんど飲めてないんで、点滴で眠れてるんだと思うんですけど、本人は漢方のお陰だと思い込んでいるようで」と弁解しに行ったら、先生は笑って「いいんですよ。いいじゃないですか。漢方のお陰と思うならそれはそれでいいんですよ」と言ってくれた。
 さすがに緩和病棟の先生は漢方にもかなり理解を示してくれている。

 今日はこれから鍼に行ってから病院に行くつもりだ。
 

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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