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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 近況の続きです。

3)薬局について

 これもまた私にとって悩みの一つだった。
 「病院に行って待って診察やリハを受けて帰って来る」というだけでも疲れてるのに、それに薬をもらうための一連のアクション(処方箋をもらう→薬局に出す→時間をつぶす→受け取って持って帰る)が加わるのが負担になってきたということがひとつ。
 もうひとつはもらった薬をシートから押し出すのに指の力が必要で、それが厳しくなってきたこと。
 そう雪村さん(仮名)に言ったらすぐに「自宅まで配達してくれる薬局」を紹介してくれた。
 この薬局は、家から処方箋をFAXすると、薬剤師さんが24時間以内に車で配達しにきてくれる(処方箋の原本は薬と引き換えに渡す)。
 さらに、薬は飲むタイミングごとに一包化してくれることになった。これならシートから薬を出す手間がいらなくなる。
 薬局も過当競争が厳しいのだろうが、正直、こんなサービスがあるなんて全然知らなかったので驚いた。
 これはマジで助かる。
 薬剤師さんへの連絡も休みなくとれるし、ずっと同じ人が対応してくれるのも安心だ。
 
4)訪問診療について

 通院リハがなくなったことで、病院に行くのは基本的に薬をもらうために月1程度でよくなった(内科と精神科。呼吸器内科は3ヶ月に1回程度)。
 この他、リンパマッサージを月2回聖路加に受けに行っていたが、もともと通っていた大森のリンパマッサージ施設が西新宿に引っ越すことになり、俄然うちから近くなったため、それももとに戻すことにした。
 回数についても、浮腫の状態が落ち着いているため月1に減らした。

 こうしてほぼ病院に行く必要はなくなったのだが、雪村さんから「薬をもらうだけなら訪問診療に切り換えるのも手かもしれませんよ」と提案され、ここでまた話が動いた。
 たしかに今は治療もしていないわけだし、病院に行く意味が限りなく薄くなっている。
 仕事柄訪問ドクターと接する機会が多いという雪村さんによると、「訪問の先生は経験豊富で柔軟性もある人が多く、いろいろなパイプを持っているのでいざというときも頼りになる」らしい。
 「生活に密着した診療をしてくれるので小春さんのようなケースには合うのでは?」と勧められ、訪問リハで感じるところもあったので思い切ってすべてを訪問に切り換える方向で検討してみることにした。

 ひとつだけネックになっていたのは精神科から出ている抗うつ剤だった。
 保険みたいなもので最少量しか飲んでいないのだが、これだけは精神科医でないと処方できない。正確に言うと、処方はできるのだが、増減のさじ加減はやはり専門医でないと…ということらしい。
 ただ、精神科の投薬については私も最近思うところがあり(おもに個人差がありすぎる副作用について)、これを機会にやめたいという気持ちがあった。
 試しに先生に話してみたところ、「やめてもいい」という同意をもらえたのでこれで問題は解決した。

 雪村さんいわく「病院の先生によっては訪問に切り換えるというといい顔をしない人もいる」ということだったが、聖路加の先生はどの先生もあっさり賛成してくれて、紹介状も一回行っただけですべての書類が手に入るくらいスムースに事が運んだ。

 どのクリニックを選ぶかは雪村さんに一任した。
 決まったのは歩いて行けるくらいの距離にあるクリニックで、つい最近訪問診療部門をスタートさせたばかりだという。土日診療もやっているらしい。
 担当の先生にはまだ2回しか会っていないが、おだやかで、なおかつ頼りがいのありそうな先生だった。
 無治療についての話も「がん治療はリスクを伴うもの。やればいいというものではなく、状況を考えて『治療しない』という選択をするのも当然ありだと思う」とこれまたあっさりと理解してくれた。

 まだ始まったばかりでなんともいえないが、ようやくあるべきところにたどりついた気がしている。
 検査や治療が必要になったときにはまた聖路加に行くことになるが、そのパイプはつながっているので安心だ。

 とりあえず、月に2回ドクターが訪ねてきて診察をして必要な薬を出してくれることになった。
 リハビリの指示もこちらから出る。
 処方箋はドクターから薬局にダイレクトにまわるので、待っていれば翌日には薬が届く。

 これで、かかりつけ医(訪問)・主治医(病院)・療法士(リハビリ)・薬剤師(薬局)・ケアマネ(福祉)…とすべてネットワークがつながった!
 本当に険しい道のりだったが、黙って待っていれば手に入るものでないことはたしかだ。
 頑張って手に入れた勲章だと思いたい。

 病院のあり方も日々変わってきている。
 病院を追い出され、在宅療養を余儀なくされる患者も増えているというが、それならばその分だけ訪問診療サービスを手厚くしていく方向にいかなければ社会はサバイバー難民だらけになってしまう。
 また、たとえサービスが増えたとしても受け手に認知されなければないのと同じだ。
 そこにもうひとつ、つなぎ手が機能することも重要なのだろう。

 まだまだ進行中の案件があるが、大きな状況の変化は以上だ。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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