がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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今日はちょっと重たい話をしなければなりません。
『闘病、いたしません。』
というサイトを立ち上げたとたん、「本当にしないのか?」とあらためて問われるような事態に直面した。
1ヶ月前から、風邪もひいていないのに喘息とも違う息切れが続いていて、いやな予感はしていたのだが、 昨日、CTで新しいがんが見つかった。
造影なしなので可能性がしぼれないんだけど、右側の胸膜にかなり大きな腫瘤があって肺を圧迫してるらしい。良性とは考えにくいそうだ。
最初は「乳がんの転移」「肺がん」「上縦隔にできた悪性リンパ腫」などが疑われたけど、専門の読影医のコメントで、「乳がんとは場所が離れているので転移ではなさそう」「肺の中ではなく外側の膜から出てるように思う」「リンパ腫の形とは違う」ということで3つとも否定され、「新たに胸膜に出現したがん」である可能性が濃厚と言われた。
場所的に放射線を照射されたど真ん中なので、これもまた2次発がんだと思う。
正直、医者も予想外だったようで驚いていた。
これ以上の検査となると生検になるけど、このへん一帯すべて放射線が二重にかかってる部位なので、胸の上からブッ刺すにしても、気管からアプローチするにせよ、なにが起こるのかわからないリスキーさがある。
生検してなんのがんなのかを特定したところで、有効な治療法があるのかどうかもさだかではなく、医者の口調も自信なさげ。
もちろん、医者はできるところまで駒を進めようとするだろうけど、生検が残された体力を奪うことは確実だ。
外科手術でどうにかなるものでもないし、放射線もNG。
あとは効く薬があるかどうかという賭けみたいなもの。
転移の覚悟はして検査に臨んだものの、まさか新しいがんとは思ってなくて、しばらくは信じられなかった。
データを見ながら、腫瘍内科の一条先生(仮名)、放射線科の百井先生(仮名)と話をした。
まだつきあいの浅い百井先生は、当然「生検」を勧めた。
医者として王道だと思う。
しかし、母の件も含めて今までの一連の経緯を見てきている一条先生は、すでに私の答えがわかっているようだった。
「治療をしますか?しませんか?」
直球で聞いてきた。
もちろん、一条先生だって医者としての基本的スタンスは「最後まで治療を」だろう。でもすでに無治療という選択をしている私にとって、「前はやらなかったけど今度はやる」という答えはないのだ。今度やるくらいなら前もやってた。
治療のハードルは最初より二度目、二度目より三度目とどんどんあがっていく。しかも再発や転移ではなく、すべて違うがんなのだ。
医者はそれぞれべつのがんだと認識してるだろうけど、私にとっては最初のがんが治っていないのと同じだ。形を変えて次々に出てきているだけとしか思えない。
だとすれば、やっぱり今までと同じやり方を続けるしかない。
わかってはいたけれど、やはり即答はできなかった。
理屈ではない。答えはひとつなのに、そこへ到達するには助走が必要だった。
ひとしきり、いろいろな質問や問答をしながら必死に考えた。
ぐるぐるぐるぐる考えたが、たどりつく答えはやはり同じだった。
「先生。やっぱり治療は考えられません」
一条先生は驚くでもなく、「そう言うと思ったよ」とうなずいた。
「治療しないのならこれ以上の検査は意味がないと思う」とも言われた。
その通りだ。
生検で一気に母が衰弱していった出来事はつい3年前の生々しい出来事だ。
あのときは治療前提だったから覚悟を決めて受けたが、今回は事情が違う。
なんなんだろう。
もちろん、すごくショックなんだけど、恐怖もあるんだけど、なんとなく腑に落ちている自分もいる。
というのも、昨年の秋くらいからだろうか。
いや、姪が産まれたときくらいかな。
自分がこの先何十年も生きるという実感がどうしても持てなくなってきたのだ。
すべての「欲」が薄くなってきて、世の中との距離感を感じるようになってきた。
本来なら大喜びして「もっともっと」と欲が出るようなニュースにもそれほど喜びを感じられなくなってきた。
そして一日一日が時計が止まったようにすごく長く感じられるようになってきた。
「また今度ね」「近いうちに」と言われると、その言葉が星の彼方のように遠く感じられる。
多分、その変化は私の身近にいる人にもうっすらと感じられたかもしれない。
なぜそんなふうに思うようになってしまったのか、そのきっかけはわからないが、CTの画像を見せられたとき、凍り付くように違和感が符合した。
私はもう終わりの見えないゴールに向かって歩んでいくことから解放されたかったのかもしれない。
どんなに頑張っても、どんな人にでもいつか「終わり」はやって来る。
その「終わり」を見せられるのは誰だってつらい。
でも「終わり」が見えないことに底知れぬ恐怖をもつ状況というのもあるのだ。
これまでのことを最初から書いていこうとサイトをたちあげた。
そのタイミングでこういう事実が露見したということは、今、書き終えるまでの猶予を与えられたということなのかもしれない。
自分にできること。
自分にしかできないこと。
あらためて探したい。
『闘病、いたしません。』
というサイトを立ち上げたとたん、「本当にしないのか?」とあらためて問われるような事態に直面した。
1ヶ月前から、風邪もひいていないのに喘息とも違う息切れが続いていて、いやな予感はしていたのだが、 昨日、CTで新しいがんが見つかった。
造影なしなので可能性がしぼれないんだけど、右側の胸膜にかなり大きな腫瘤があって肺を圧迫してるらしい。良性とは考えにくいそうだ。
最初は「乳がんの転移」「肺がん」「上縦隔にできた悪性リンパ腫」などが疑われたけど、専門の読影医のコメントで、「乳がんとは場所が離れているので転移ではなさそう」「肺の中ではなく外側の膜から出てるように思う」「リンパ腫の形とは違う」ということで3つとも否定され、「新たに胸膜に出現したがん」である可能性が濃厚と言われた。
場所的に放射線を照射されたど真ん中なので、これもまた2次発がんだと思う。
正直、医者も予想外だったようで驚いていた。
これ以上の検査となると生検になるけど、このへん一帯すべて放射線が二重にかかってる部位なので、胸の上からブッ刺すにしても、気管からアプローチするにせよ、なにが起こるのかわからないリスキーさがある。
生検してなんのがんなのかを特定したところで、有効な治療法があるのかどうかもさだかではなく、医者の口調も自信なさげ。
もちろん、医者はできるところまで駒を進めようとするだろうけど、生検が残された体力を奪うことは確実だ。
外科手術でどうにかなるものでもないし、放射線もNG。
あとは効く薬があるかどうかという賭けみたいなもの。
転移の覚悟はして検査に臨んだものの、まさか新しいがんとは思ってなくて、しばらくは信じられなかった。
データを見ながら、腫瘍内科の一条先生(仮名)、放射線科の百井先生(仮名)と話をした。
まだつきあいの浅い百井先生は、当然「生検」を勧めた。
医者として王道だと思う。
しかし、母の件も含めて今までの一連の経緯を見てきている一条先生は、すでに私の答えがわかっているようだった。
「治療をしますか?しませんか?」
直球で聞いてきた。
もちろん、一条先生だって医者としての基本的スタンスは「最後まで治療を」だろう。でもすでに無治療という選択をしている私にとって、「前はやらなかったけど今度はやる」という答えはないのだ。今度やるくらいなら前もやってた。
治療のハードルは最初より二度目、二度目より三度目とどんどんあがっていく。しかも再発や転移ではなく、すべて違うがんなのだ。
医者はそれぞれべつのがんだと認識してるだろうけど、私にとっては最初のがんが治っていないのと同じだ。形を変えて次々に出てきているだけとしか思えない。
だとすれば、やっぱり今までと同じやり方を続けるしかない。
わかってはいたけれど、やはり即答はできなかった。
理屈ではない。答えはひとつなのに、そこへ到達するには助走が必要だった。
ひとしきり、いろいろな質問や問答をしながら必死に考えた。
ぐるぐるぐるぐる考えたが、たどりつく答えはやはり同じだった。
「先生。やっぱり治療は考えられません」
一条先生は驚くでもなく、「そう言うと思ったよ」とうなずいた。
「治療しないのならこれ以上の検査は意味がないと思う」とも言われた。
その通りだ。
生検で一気に母が衰弱していった出来事はつい3年前の生々しい出来事だ。
あのときは治療前提だったから覚悟を決めて受けたが、今回は事情が違う。
なんなんだろう。
もちろん、すごくショックなんだけど、恐怖もあるんだけど、なんとなく腑に落ちている自分もいる。
というのも、昨年の秋くらいからだろうか。
いや、姪が産まれたときくらいかな。
自分がこの先何十年も生きるという実感がどうしても持てなくなってきたのだ。
すべての「欲」が薄くなってきて、世の中との距離感を感じるようになってきた。
本来なら大喜びして「もっともっと」と欲が出るようなニュースにもそれほど喜びを感じられなくなってきた。
そして一日一日が時計が止まったようにすごく長く感じられるようになってきた。
「また今度ね」「近いうちに」と言われると、その言葉が星の彼方のように遠く感じられる。
多分、その変化は私の身近にいる人にもうっすらと感じられたかもしれない。
なぜそんなふうに思うようになってしまったのか、そのきっかけはわからないが、CTの画像を見せられたとき、凍り付くように違和感が符合した。
私はもう終わりの見えないゴールに向かって歩んでいくことから解放されたかったのかもしれない。
どんなに頑張っても、どんな人にでもいつか「終わり」はやって来る。
その「終わり」を見せられるのは誰だってつらい。
でも「終わり」が見えないことに底知れぬ恐怖をもつ状況というのもあるのだ。
これまでのことを最初から書いていこうとサイトをたちあげた。
そのタイミングでこういう事実が露見したということは、今、書き終えるまでの猶予を与えられたということなのかもしれない。
自分にできること。
自分にしかできないこと。
あらためて探したい。
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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。
がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。
だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。
漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。
別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。
がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。
だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。
漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。
別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
HP:
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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