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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 むちゃくちゃ間があいてしまいましたm(_ _)m
 前にも書いたように4月に「いやいやいや無理でしょこれ無理無理!」っていうくらい大きなイベントが重なり、それはなんとか通り抜けたんだけど、それから疲労と気候不順が重なって、絶不調の日々を過ごしておりました。

 その間にもいろいろなことがありました。
 とりあえず、一番動きのあったことから報告します。

 障害年金の申請が通りました\(^o^)/

 初めて年金申請手続きの方法について役所に相談にいったのが去年の5月31日。すべての書類が揃って申請できたのが10月28日。
 それから延々と待たされ続け、今年の2月の半ばに「審査に大変時間がかかっておりますのでもう少々お待ちください」という封書が届き、さらに待ち続けて3月22日、ようやく認可がおりました。
 申請に5ヶ月、申請してからまた5ヶ月。なんだかんだで1年近くかかったよ。
 初診認定がいつになるかによって支給額も全然変わってしまうので、最悪年金が納められなかった空白期間に初診認定されたらゼロになっちゃうかも…とドキドキだったのだが、一番最初の、まだ会社に勤めていた時の初診日が認められたため、厚生年金が適用されることになった。
 あーーーーー、た・す・か・っ・たーーー!

 さっそく申請時にお世話になった一条先生(仮名)とSSD(医療社会事業課)のソーシャルワーカーさんに報告したが、一条先生は「は?まだ通ってなかったの?」と忘却モード。
 一方、ソーシャルワーカーさんは「おりたんですね。よかった〜!ほんとよかった。小春さん、あんなに頑張ってたのにおりなかったら私なんて言ったらいいかってすごく悩んでたんですよ〜」と泣きださんばかりに、いやもう私以上に歓喜してくれました。
 ここまで喜ばれると「ああ、この人、口には出さねど『このケースはおりないんじゃないか』って悲観的だったのね」とあらためて思ってしまった。
 通るのが当然と思っているドクターとの温度差に「なるほど。これが現場の空気ってやつなんだな」と実感。
 と思ってたら「一条先生が書いてくださったお陰ですね。普通、なかなか自分が最初から診てきたわけじゃない患者さんの診断書って先生は書きたがらないんですよ。一条先生でほんとによかったですね!」と言われた。
 そうか。先生なら書いてくれるのが当然と思ってた自分との温度差に反省。

 しかし、年金の問題はこれで終わりではなかった。
 障害年金を受け取るということは、将来国民年金は受け取れなくなるということだ(どちらか額の多い方のみしか受け取れないので)。
 つまり支給決定と同時に、現在払っている国民年金を払わなくてもよくなるってことなんだけど、これまた放っておけば切り替えてくれるわけではなくて、こちらから支払い停止の手続きをしなければならない。
 障害年金のリーフレットのようなものには「払わなくてもよくなりますよ」的なことは書いてあるんだけど、「そのためにどこそこでこういう手続きが必要になりますよ」的なことは書かれていない。
 とりあえず区役所の国民年金係に電話してどうすればいいのか聞いたら「書類を渡すから来い」と言われた。

 だ・か・ら〜!ヽ(`Д´)ノ

 なんでそういちいち気軽に呼びつけるわけ?
 外出が大変な障害者だから障害年金申請して、障害年金がおりたから年金支払い免除の手続き申請してるんだよ。
 この一年、申請手続きにどれだけエネルギー費やしたと思ってるんだよ。
 郵送しろよ、郵送。
 というニュアンスを込めつつ「郵送ではだめでしょうか?」と聞いてみたらあっさり「いいですよ」と言われた。
 いいなら最初からそうして!!!
 
 というわけで、年金関係は1年仕事になったが無事終了した。
 …と思ったら今度は介護支援認定の更新の通知が……!
 えーーー、もう一年なの?!
 そういや、認可がおりたのは6月末だったな。
 事業所探しに手間取って実際に利用できたのは半年だけだったけど。
 あれ?……通知どこやったっけ?
 なんかもう書類があとからあとからくるんで開封も追いつかない状態なんですけど。
 ヘルパーさんも書類の整理までは手伝ってくれないし。
 最近は右手の指にも力が入りにくくなってきて、書類探しは拷問。
 …と思ったら今度はガソリン代助成の更新通知が……!
 これも領収書だけがたまってまだ一回も利用してないよ(ToT)

 もう……いや……ORZ 
 どこまで続くのこの無間地獄。。。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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