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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 今日は父、弟と緩和ケア外来に行ってきた。
 これからは緩和ケアの先生が主治医だ。
 千倉先生(仮名)は3年前の母のときにも病棟でお世話になった先生だが、私たち家族のことをちゃんとおぼえていてくれた。

 緩和ケア病棟は、原則として「治療を終えた人」だけが入れる病棟であり、痛みや苦しさなど、苦痛をできる限り取り去ることを目的としていて、延命治療や蘇生措置や意味のない検査はいっさいしない。
 苦痛に対する治療はするが、がんに対する治療はしない。
 がん治療をしながら緩和ケア外来に通う人もいるが、病棟に入院はできない。
 私の母はギリギリまで治療を続けたので、緩和ケア病棟に入ったときにはもう起き上がるのはおろか、眼を開けることも時々しかないほど衰弱していたが、早い時期から緩和ケア病棟に入り、調子が良くなったら自宅に戻り…といった使い方をしている患者さんも多いらしい。
 また、そのほうが余命が延びるというレポートもあるらしい。

 緩和ケア病棟は、なるべく自宅に近い状態で過ごしてもらうことが推奨されているので、規則も最小限となっている。
 アロママッサージをやっている人もいれば、漢方を飲んでいる人もいる。
 一般の病棟では禁止されていることも、ここではかなり許される。
 ためしに「鍼を訪問でやってもらうのはダメですか?」と聞いたんだけど「刺すものはちょっと…」と言われてしまった。
 刺さない鍼ならいいのだろうか。
 実際、あれなら潜り込んでやってもらっても気づかないと思うが。

 とりあえず、介護用品など、自宅で過ごすために必要なレンタル用品は、介護保険が効くか効かないかでかなり値段が違ってくるので、早急に介護保険の手続きをとることになった。
 本来は65歳以上でないと適用されない介護保険だが、末期がん患者だと若くても適用になるらしい。
 適用になったらなったで今度は障害のほうのサービスが使えなくなったりして、制度的には痛し痒しなんだけどまあそれはおいおい考えていくしかない。
 ベッドなどのレンタル品は申請がおりるまでは日割りで自己負担となる。

 もうひとつ、今受けている訪問診療が緩和ケアに対応しているのかどうかがちょっと不安だが、もしダメそうであればそれもまた探し直しになるかもしれない。
 
 いったん家に帰って、小一時間ほど休んで今度は鍼へ。
 移動はすべて車だったが、久しぶりの外出だったのでさすがに疲れた。

 一昨日は電動ベッドが入って(私は指示するだけだったが)配線を組み直したり、ベッドの抽き出しの中身を入れ替えるなど、ほとんど引っ越しのようになってしまったこともあって、この数日は体に負担をかけたかもしれない。

 ゆっくりしようと思っても、福祉事務所やらベッド業者やらケアマネさんやら金融機関やら、けっこう連絡とらないといけないことが多くて、さっぱり休めない。
 秘書がほしいよ、秘書が。。。
 母のときは病身ながら私がかけまわったが、自分のこととなるとあらためて代わりにやってくれる人がいないことが骨身にしみる。
 
 木曜あたりから咳がひどくなってきた。
 特に今日は朝からひどい。
 ただでさえ乾燥しているし、寒冷刺激でも咳のスイッチが入ってしまう。

 先生から咳の薬を頓服で出してもらったが、風邪薬とはわけが違うので、麻薬系のかなり強い薬だ。
 副作用もあるだろうし、気軽に飲むにはちょっと勇気がいる。

 幸い、先ほどからちょっと収まってきたし、なぜか寝ているときは出ないので、今日はなんとか飲まずにしのごう。

 先生にも言ったが、私は今日を「余命0日」と決めた。
 「余命×ヶ月」と人に決められ、それにしたがって人生を配分したくはない。
 検査結果を見たときから、覚悟せざるをえない内容だということは理解した。
 理解したからには、もう今までと同じ質の時間は生きられない。
 「余命×ヶ月」からのマイナス1日で考えるのではなく、「余命0日」からのプラス1日で考えたい。
 サッカーでいうアディショナルタイム(ロスタイム)だと思うことにする。
 笛が吹かれる時間は神様だけが知っている。
 だとすれば、試合終了からあとに与えられるこの時間はまさにアディショナルタイム。
 何分であろうと与えられた時間を使い切るしかない。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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