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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 華麗なる病歴の中にまたひとつ新顔が加わった。

 それは、正念場な出来事が一段落した翌日(10月11日)のことだった。
 ストレスには、「これはストレスだなー」とわかっていながら身をさらさざるをえない「自動的なストレス」と、まわりからいきなり加えられる予測不能の「他動的なストレス」がある。
 このときはそれがダブルできている状況だった。

 夜8時過ぎ頃、パソコンに向かっていたら右の背中と脇腹と胃と肋骨あたりに鈍痛を感じた。
 もともと左麻痺のために常に身体のバランスが崩れているので、身体のどこかが痛むことは珍しくなかった。
 だからこのときも最初はそれほど気にしていなかったのだが、痛みは確実に増していった。
 筋肉がぎゅ〜っと固まっていくような痛さだ。
 ベッドに横になってみたが、いっこうに楽にならない。
 我慢できないほどの痛みではなかったが、身におぼえがありすぎる私は、とっさに数々の原因を頭の中でシミュレーションした。

 「胃が重い感じがするけど心臓ってことはないか?よく胃と心臓って痛みがごっちゃになるっていうし」
 「そうだ。私乳がんだし。骨転移ってのもありじゃね?」

 とりあえず血圧を測ってみたら「185-115」という数字が出て、こりゃやばいと思い始めた。
 10時過ぎ。痛みはますます大きくなっていく。
 一条先生(仮名)に連絡し、とにかく車で聖路加の救急外来に向かった。

 ところが、車に乗っているうちに徐々に痛みが軽くなってきたような…。
 救急外来に着いたのは11時近かったが、その頃にはピーク時の50%くらいの痛みに。
 が、ここまできたら「おそろしい原因ではない」ということだけでも証明して帰らなければこわくて一晩越せない。
 とにかく検査はしてもらおうと中へ入った。

 それからはドラマの「ER」状態……と言いたいところだけど、容態が落ちついてしまっているせいか、妙にまったりしたテンポで検査が進められた。
 場所はオペ室だけど、ついているのは若い当直医1名+ナース1名のみ。
 問診して、血圧測って、採血して、点滴ラインとって、輸液入れて、心電図モニタにつないで、心臓エコーに内臓エコー、X線写真……と一通りの検査&チェックがおこなわれたが、異常はどこにもなさそうだった。

 唐突に「今晩、何食べましたか?」と質問するドクター。
 「煮豚」と答えたら「何それ」という顔をされたので、面倒くさいから「焼豚」と答え直した。
 さらに「他には?何か生もの食べませんでしたか?」と聞かれたので「食べてない」と答えたが、どうも食中毒方向に誘導したいみたいで10分置きくらいに同じ質問をされた。

 そうこうしているうちに痛みは2割くらいに減少。
 あちこち押されて「どこが痛いですか?」と聞かれるんだけど、聞かれるたびに位置がズレていく気がする。
 「えーと。今は背中です」「あと肋骨。いや、脇腹かな?」
 答えたそばから、そこじゃない気がしてくる…。

 とりあえず、異常がないならもういいよ……とだんだん帰りたい気分になってきたが、ドクターはどうしても原因をみつけたいようで「最後にCT撮らせてくれませんか?」と言ってきた。
 CTかー。このあいだ撮ったばっかりだからなー。
 迷ったが、最後まで検査したほうがスッキリすると思い、承諾した。

 CT撮影後、処置室のベッドに移動して検査結果を待っていたら、いきなりドクターがどや顔で入ってきた。

 「わかりましたよ、小春さんッ!腎臓に石がありました。腎臓結石です!」

 腎…臓…結…石……?!……w(°0°)w

 思いもよらない病名に戸惑いを隠せなかった。
 腎臓結石なんて暴飲暴食のおっさんがなるものと思っていたので、ちょっとショック。
 でもドクターは「あー、よかったよ。結石で〜」という色がありありで、すっかりリラックスしている。
 「ここでしょ?痛いのってここでしょ?」とエコーでぐいぐい背中を押され、「そうです。そこです」と答えたら、さらに自信を深めた表情で「間違いありませんね。痛みの原因は腎臓結石です」と言い切られた。

 結石の大きさは1ミリ以内の小さなもので、右の腎盂部分にあるとのこと。
 普通、腎臓内にあるときは無症状で、尿管におりてくるときに激痛がくる。自分で気づくのはその段階であることがほとんどらしい。
 今回の場合、小さいために腎盂内で石が動き、痛みを生じたのだろう。
 ということだった。

 「とりあえず、点滴で鎮痛剤入れておきますから。経口の鎮痛剤も出しておくので、家で痛くなったらこれ飲んでください」
 「点滴終わったら帰っていいんですか?」
 「いいですよ」
 「石ってどのくらいで出るんですか?」
 「まあ、それは人それぞれなので。ずっと動かないまま腎臓に留まり続ける石もあるし」
 「えー、そんな長いこと留めておいたら大きく育っちゃいませんか?出すとき難産になりませんか?」
 「まあ、そうですね。小さいうちに出したほうがいいですけど」
 「それって早く出す方法ないんですか?」
 「うーん。まあ水をたくさん飲むくらいしか。うんと大きいと衝撃波で砕いて砂状にして出すとかできるけど、こんな小さいんじゃ命中させるのは難しいし」
 「あー、なんか頭がグルグルまわってるんですけど」
 「点滴で入れてるお薬の副作用だと思います。これ、けっこう強い薬なんで」
 「強いっていうと麻薬系の?」
 「そうですね。手術後とかによく使う薬です。少し休んでれば収まると思うので、立って歩いても大丈夫になったら帰っていいですよ」

 というわけで、グルグルが収まってから帰宅したら午前3時になった。
 想像していたようなシリアスな病変ではなかったことには安心したが、「石がいつ出るのかわからない」「痛みがいつくるのかわからない」という不安は消えないままだったので、今後どのくらいこんな状態が続くのかと思うとどっと気が重くなった。

 それにしても意外だったのは「腎臓」の位置だ。
 私は今までずっと腰に近い部分にあるのだと思っていたのだが、こんなに上にあったとは……してやられたよ。

 今日はここまで。
 パート2に続く。

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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