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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 だるい……。
 おそろしくだるい。
 いつも梅雨どきは体調がすぐれないので覚悟はしていたが、この1週間のだるさはひどすぎる。
 まるで地底にひきずりこまれるかのようなだるさだ。

 この気候だ。
 多かれ少なかれみんな「だるい」のだとは思う。
 しかし「みんなだるい」からこそ、「だるい」と言ってもあまり相手にされず、「そうだよね。私も〜」と返されて終わらせられてしまうことが多いのも事実。
 自分のだるさがどのくらいのランクに位置づけられるのかわかんないけど、「私のだるさはこんな感じ」と取り出して見せられないのがもどかしい。

 外に出るのが億劫でたまらないのだが、なんとか気合いを入れて玄関を出る。
 移動中の電車の中ではその場でドロドロと溶けてしまいそうにだるいが、人と会って話すときは気が張っているのか、わりと普通にしていられる。
 だが帰ってくるとそのツケが倍返しになって戻ってくる。

 なに、このだるさ……。
 とりあえず横になってみる。
 でも全然楽にならない。
 起きているときは体からへなへなと力が抜けていくような感じなのに、横になると今度は力が抜けなくてリラックスできない。
 そして息苦しい。
 呼吸が常に浅く、肺が湿った雑巾でくるまれたように重たく感じられる。
 体を休めようと思ってじっとしているのに、胸のあたりがワヤワヤといやな感じになり、落ちつかなくなる。
 一人になるとさらにこれがひどくなり、金縛りのように体が動かなくなって、呼吸もうまくできなくなる。

 今までにもこんな症状がたびたびあった。
 おそらく「抑うつ症状」だと思う。
 昼から夕方が一番具合が悪くて、夜になると少し回復してくるというパターンが「うつ」くさい。
 精神科の先生に言われている通り、そんなときには抗うつ剤に加えてデパスを服用する。
 今回も薬はある程度効いたのだが、だるさと息苦しさはずっと続いている。

 こんなふうに薬に頼り続けるのはいかがなものかと我ながら思う。
 自分を押しつぶすおおもとのストレスは、軽くなるどころか日に日に重くなっていくばかりなので、根本的な解決は棚上げされたままだ。
 これからも解決されることはないだろう。
 だとしたらなんとか折り合っていくしかないが、どういうポーズで溺れようと溺れている状態が続いていることに変わりはないので、いつまでたっても「慣れる」ことはない。

 前回の診察から帰ってきたあと、あらためてCTレポートを見てみたら、「乳がん」の他に「右鎖骨上のリンパ節の腫脹」という指摘があることに気づいた。
 肝臓については「嚢胞だろう」ということで終わっていたのだが、右鎖骨については「良性か転移かの鑑別が必要な病変」と書かれている。
 一条先生(仮名)、これについてはなんにも言ってなかったけど大丈夫なのかな…。
 眠そうだったから危ないな。確認しておこう。

 そう思ってメールしたら、「たしかに、ホジキンの再発というのはないと思うが、新たなリンパ腫か乳がんの転移の可能性はある。あるいは以前の治療の瘢痕か、感染症かも。いずれにしても以前のデータとの比較が必要だと思う」という返事が…。

 え〜〜〜〜〜、ま・た・な・の???……と脱力。

 簡単に「以前のデータ」とか言うけど、L病院はそう簡単に資料なんて渡してくれないよ。
 2年前の乳腺科のデータをもらえただけでも御の字。
 その前にCTをとったのは2005年になるが、これは放射線科の秋吉先生(仮名)のオーダーで撮ったもの。
 正直、もう秋吉先生にはコンタクトをとりたくないし、口もききたくないし、保存期間が5年を過ぎているため、破棄されている可能性もある。
 というか、5年以上たっていると保管義務がなくなるため、あってもなくても「もうない」と言い張られればそれまでになってしまう。

 元データを入手するのは難しいが、2005年までは裁判でカルテ保全をしてあるので、CTレポートならコピーがある。
 だるくてなかなかやる気が起きなかったが、頑張って段ボール箱いっぱいのカルテの山からなんとか2005年のCTレポートを探し出した。

 そこには「右鎖骨上窩の異常」について触れている記述はなかった。
 「ホジキン原発部分である『左鎖骨上窩と縦隔(肺と肺の間)』に治療後と思われる軟部組織影が見られる」とは書いてあったが、いかにも連携に弱いL病院らしく、以前のデータが用意されていないため比較ができず、「治療後の瘢痕だとは思うが比べられないのでなんとも言えない」という結論だった。
 「今後も経時的比較が望ましい」と付記されていたが、それから乳がんを発症するまでの4年間、検査は全然おこなわれていない。

 こうやって、毎回毎回の検査結果がバラバラになっていくんだなとしみじみと実感した。
 患者だって体を張ってX線浴びて検査を受けているのだ。
 貴重な資料として精一杯生かしてもらわないと報われないんだけどね。

 2005年のレポートを見る限りでは、右鎖骨のリンパ節はあらたに出現したかのように見える。
 が、さらにさかのぼって2000年に血液内科でおこなわれた頸部エコーの結果をみると、「左頸部に数ミリ大のリンパ節が2個、右頸部に数ミリ大のリンパ節3個が認められるが腫大傾向はない。甲状腺も正常」とある。
 エコー上では2000年当時からすでに右にも左にもリンパ節があったということだ。

 ただ、血液内科では検査結果についてほとんど何も教えてくれなかったので、私にはそのへんの経緯がわからない。
 というか、教えてくれなかったばかりではなく、カルテにも何も書かれていないのだ。
 レポートには客観的事実が書かれているだけで、それがどういう意味をもつのかはドクターが判断するべきことであり、カルテにその判断の部分が書かれていれば、あとから見た人にもある程度状況がつかめるはずなのだがそれがない。

 とにかく、以上のような状況を一条先生にメールし、指示を待つことにしたのだが、いくら待っても返信がこない。
 次の診察は2ヶ月も先なのに、このまま放置しておいていいのか? 
 あれだけ不吉な可能性を並べ立てておいてそのまま放置って……とやきもきしているうちに2週間以上が経過し、ようやく返信がきた。

 返信には「経時的変化をみることは有用だとは思うけど、たとえ以前と比べて変化がなかったとしても『だから転移ではない』とは言えない。現在右鎖骨上のリンパ節が腫大していることは事実なので、転移かどうかはっきりさせるには生検が必要。リンパ節のサイズが小さいので難しいかもしれないが、希望するなら放射線科と相談する」とあった。

 まーーたーー生検かよ〜〜〜〜!!!!

 結局、西洋医学って現物見なくちゃわからないって話になるんだよね。
 母の場合は現物見て診断しても薬は効かなかったわけだけど…。
 生検生検って気軽に言うが、右鎖骨は「転移予防」と称してすでに二度も放射線の照射を受けており、人間の皮膚とはとても思えない状態になっている(硬くなりすぎて皮はもう動かない)。
 この首のどこをどう見たら「生検しよう」って気になるんだよ!
 しかも検査のためだけに。
 どう考えてもハイリスクローリターンすぎだろう。

 もうひとつの選択肢として考えられるのはPET(Positron Emission Tomography=陽電子放射断層撮影法)だという。
 これは以前よくやっていたガリウムシンチとほぼ同じような検査だが、放射性同位元素を放出する特殊なブドウ糖を静脈から注射してしばらく安静にしていると、がん細胞の増殖の盛んな部分だけにそれが集積していくので、その分布状態を断層撮影して画像化するというもの。
 CTやMRI、エコーのように大きさや形状だけがわかる検査と違い、「どれだけ意欲的に活動しているかという状況」…つまり悪性度まで診断できる。
 逆を言えば「弱ってきている状況」もわかるので、治療がどれだけ奏功しているのかもわかるという検査だ。

 がんの早期発見や、がん治療の指標として最近はよくおこなわれるようになっているが、欠点もある。
 まず、泌尿器系のがんや活動性の低いがんは判別しにくいこと(つまりオールラウンダーではない)。
 第二に、大きさや正確な位置を見るという点ではCTやMRIに劣ること。
 第三に、まだまだ高価な検査であること。
 保険が適用される疾患は限定されており、自由診療だと10万円前後かかる。
 ただ、私の場合は保険が適用されるはずだし、障害者認定を受けているので保険診療については料金がかからないと思う。

 少なくともこの検査を受ければ悪性か良性か(あるいは治療の瘢痕か)の判別はつくかもしれない(絶対とは言えないけどね)。
 が、被爆についてはやはり抵抗がある。
 「胃のバリウム検査の半分量」「自然被爆1年分」など、「心配がないこと」がマニュアルでは強調されているが、被爆で人生を狂わされた身としてはどうしても過敏にならざるをえない。
 これ一回で済む話じゃないし、一回やれば定期的にやることになるしね。
 また、静脈注射が入るのかどうかも不安だ…。
 ぶっちゃけ残りの人生であと何回針を刺せるんだろうと思い詰めているくらい不安…。

 というわけで現在考え中。
 生検は論外だ。
 そこまでいくと治療法を決めるための検査になってしまう。
 「治療しない」と決めている以上、そんな検査は必要ない。
 PETは……もう少し考えてみる。
 
 とりあえず、次回診察時にエコー検査は受けてみようと思う。
 「まだ8ミリなら、エコーだけで経過観察というのもありだと思う」と先生も言っているので。

 結局、「転移してるかもしれない」ということを常に念頭に置きつつ、経時的変化を追う…という選択になるのかな。
 まあ、乳がん患者である限り「転移があるかもしれない」という疑念を完全に払拭することはほぼ一生できないわけで、そのへんは追及していくとキリがないという気もする。
 安心できるための検査がハイリスクならば、不安をそのまま受け入れるしかないだろう。

 「ワケあり患者」は、検査ひとつしても「思い当たるフシ」が多すぎていっこうに原因を絞り込めないのである。

拍手[7回]

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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