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がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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 最後に残った「介護支援」。
 これが一番大きな山だった。

 福祉事務所に言われた通り、認定のための手続きを済ませ、訪問調査に来た区の職員と面談をおこない、100以上の質問に答え、検討会議にかけられ、ようやく認定通知が郵送されてきたのが1ヶ月前のこと。
 週に1回1時間というささやかな支援ではあったが、とにかくこれだけは認められた。
 同居家族がいると認められないケースも多いらしいので、ありがたいと思わなければならないだろう。

 ところがこの決定通知、どこをどう読んでも「次の段階」についての記述が見あたらないのだ。
 担当者の名前が書かれているわけでもないし、いつまでにどこでどういう手続きをしろといったことも書かれていない。
 ただ、「この権利は無期限ではなく、有効期間は1年間である」ということだけは書かれていて、それが切れるときの更新の手続きについてはいろいろ述べられてるんだけど、今どうすればいいのかについては何も記されていない。

 これって次の連絡を待てっていう意味?
 まあ、訪問調査も来る来ると言いつつ何週間もなしのつぶてだったしな。
 お役所だからなんでもやることが遅いんだろう。
 ……と理解しておとなしく次のアプローチを待っていた。
 しかし1ヶ月すぎても何の音沙汰もない。
 さすがにおかしいと思い、封筒に書かれていた代表者番号に電話をかけ、該当する部署の人を呼び出してもらった。

 電話に出た職員は、「何が送られてきたか」「そこには何が書いてあるか」「受給者番号は何番か」など質問ばかり重ねていっこうにこちらの疑問に答えてくれない。
 受話器を持ちながらしゃべっていると、利き手がふさがって身動きがとれず、スピーカーフォンにしないでかけたことを後悔した。
 しばらく話しているうちになんとなく薄ぼんやりとした違和感が広がり、やがてひとつの形となって頭の中に現れた。
 まさか……まさか……。

 「あの…すみません。もしかしてヘルパーさんを派遣してくれる事業所って……自分で勝手に探せってことですか?

 私の疑念に相手はあっさり「はい。そうです」と答えた。
 はぁ〜???………「そうです」って……。

 だったらなんでそういう説明を最初からしてくれないんだよ!
 今までの無駄に長い質問タイムはいったいなんだったんだ!
 というか、そういうことなら通知と一緒に「この先は自分で探してください。相談はここで受けます。資料はここで得られます」くらいの情報を添付するのが当然だろうに。
 つっこみたいところは多々あったが、とりあえず一番大事なところだけ聞いた。

 「事業所ってどうやって探すんですか?」

 答えはなんとも間の抜けたものだった。
 「はあ。まあ、ネットとか……」
 ネットとかネットとかネットとか…ってアバウトすぎだろ!!
 「事業所の一覧がほしければ郵送しますけど」
 あるなら最初から同封しとけ!

 あまりにも他人事のような物言いなんで(まあ他人事なんだけどね)、思わず最後に言ってしまった。

 「これ6月からサービスが使えるって書いてありますけど、もう1ヶ月たっちゃってるんですよ。その1ヶ月分の権利は消滅ってことですか?」

 そしたらまたもやあっさり「そうですね」という答え。
 はぁ〜???………そうなんだ。

 そのあともいろいろ聞いたけど、結局どうやって探せばいいのかはわからなかった。
 どうも、区役所の仕事というのは認定通知を出すまでで、そこから先は面倒みねーよってことになってるらしい。ちょっと前までは区のほうで事業所を決めていたが、今は自分で探してもらうようにしているという一点張りだった。
 
 途方に暮れて、今度は聖路加通院時にSSD(医療社会事業課)まで話を聞きに行ったが、「自治体によって随分違うみたいなんですよねー。私がこの前聞いた区では、認定通知と同時に担当者が直接家に訪ねてきて事業所選びの相談にのってくれたって話でしたけど、通知だけで放り出すなんて区もあるんですねー」とソーシャルワーカーさんも驚いていた。
 念のため、その人からも電話できいてもらったけど、福祉事務所で相談にのってくれるんではないかとのことだったので、事業所リストをもらいにあらためて福祉事務所を訪ねることにした。

 が、そこでの対応も似たりよったりだった。
 リストはくれたけど、事業所の所在地と連絡先がダーーッと書いてあるだけで、「まあ一番近くの事業所からあたってみたらいかがでしょう」の一言で終わり。
 結局、特定の事業所を勧めるというのは行政の立場上できないということなんだろう。

 それはわかるけど、事業所といっても玉石混淆のはず。
 「結局はヘルパーさんとの相性。まずはどこでもいいからあたってみなさい。気に入らなかったらチェンジすればいいんだから」という意見も聞くが、断るのって口で言うほど簡単じゃない。そんなエネルギーがあるくらいなら支援なんて頼まないよ。
 そんなバクチみたいなこと、今の状態でやりたくない。

 これ、80件以上あるし。
 HP持ってる事業所もごくわずかだし。 
 せめて特徴というか、「うちは障害者支援ひとすじ××年です」とか「上肢障害支援を得意としています」とか「上肢支援コンテストで金賞を受賞した伝説のヘルパーがいます」とか、なんでもいいから他とはひと味違う的な選ぶ基準みたいなものがほしい。
 一応事業所PR欄もあるんだけど「心あたたまるケアを目指しています」とか抽象的なこと書かれてても話になんないわ。

 そうこうしているうちに周囲からも情報が集まってきたが、ほとんどが介護保険でのヘルパー支援のケース。
 介護保険は65歳以上でないと使えないということも意外にみんな知らないようだ。
 ケアマネージャーがケアプランをたててくれるからまずケアマネを探すべしとか、いやケアマネがつくのは高齢者(介護保険利用者)のみで障害者にはつかないよとか、ただ漠然と「家事支援」とかじゃなくて「入浴介助」とか切実で具体的な問題をアピールしなきゃダメとか、いや入浴介助は介護保険でしょとか、なんか聞くたびに情報が錯綜し、翻弄され、数日で早くも頭がぐるぐるしてきた

 問い合わせしてくれたり、知り合いに話をきいてくれたり、いろいろやってくださった方たちには本当に感謝なんだけど、ちょっともう限界
 裁判のときもそうだったけど、未知の領域に踏み込むときにはそれなりのエネルギーと余力が必要。
 なにが起こるかわからないからね。

 この先1ヶ月は個人的に正念場的な出来事があるので、なんか同時進行するとどっちもダメになりそうな悪寒が…。
 というわけで、正念場のほうが山を越えて、どこかの総理ではないけど「一定の目処がついたら」あらためて事業所探しに取り組もうと思う。

 ただ、たとえヘルパーさんに来てもらえるようになったところで、週1時間程度では今の苦境はどうにもならないだろう。
 今後はもう少しシステマチックに、定期的に、誰にこれだけの頻度で何をやってもらうという決めごとをきっちりしておく必要がありそうだ。

 「何か手伝うことない?」とたまに来て言われても、説明するほうがよっぽど大変。
 すごくいっぱい説明したわりには、やってもらうことは一瞬で終わったりするので、やってくれる人には悪いんだけど「労多くして益少なし」という気分。というか、思うように説明できないもどかしさでかえってストレスがたまってしまう。

 もちろん、自分の手でやるようにやってもらうことが不可能だということはわかっているが、「説明しなくてもある程度事情をのみこんで自主的にやってくれる」という部分を少しずつでも増やしていかないと多分私はこの先生きていけないだろう。
  
 あー、事業所ミシュランがほしいわ〜。
 「ここがいいですよ」と推薦するのは難しくても、質を保つための第三者によるチェック機関は必要なんじゃないだろうか。
 でないと、ずっと玉石混淆のままじゃないか。
 元気だったら覆面調査員やってミシュランガイド作るのになー。
 あ、元気だったらヘルパーさん使わないか。。。。

 

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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。

がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。

だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。

漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。

別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
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