がん治療に取り組む医療関係医者の皆様へ。その治療の先にあるものはなんですか?がん治療に前向きに取り組む患者の皆様へ。その治療が終われば苦しみからは解放されますか?サバイバーが増えれば増えるほど、多彩になっていく不安と苦しみ。がん患者の旅に終わりはなく、それに最後までつきあってくれる人は……いったいどれだけいるのでしょうか?<ワケあり患者・小春>
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「全摘とは言わないけど、局所くりぬきでも手術する気はない?」
一条先生(仮名)がまた蒸し返してきた。
検査結果を検討した結果、どうやら転移はしていなさそうだということがわかると、それはそれでまた「せっかく転移してないんだから今のうちに治療しようよ」という気になってきたらしい。
医者にしてみれば、目の前にあるものをそのままにしておくというのはなんとも居心地が悪いものなんだろう。
「前にも言った通り、治療はしません。目の前に見えてるものをとり除いたからといって、それで治ったとも思わないし、安心もできません。見えないところで起こっていることが大部分なんですから。手術なんかしたって外科的処置でまた体に影響が出るという不安が増えるだけです」
今まで何度も繰り返して来た返答をもう一度繰り返すと、一条先生は「やっぱり…」という表情をしつつ、また予想通りの言葉を返してきた。
「じゃあホルモン療法は?ホルモンだけでもやってみない?」
だ・か・ら〜!!
それもやらないって何度も言ってるじゃんよー。
「なんでホルモン療法いやなの?」
「なんで勧めるんですか」
「ホルモン陽性だし、効く可能性高いと思うんだけど」
「信用できない。そんなに効くんだったら陽性の人はみんな術前でホルモン療法やればいいじゃないですか。術前化学療法はやっても術前ホルモン療法はほとんどやらないってことはそれほど効くとは思ってないからでしょ」
「まあたしかにそれはそうなんだけど」
「ホルモンと関係があることがわかったからといって、ホルモン抑えればがんも治るなんてそんな単純な話じゃないと思う」
いい加減ウンザリしてきて、こっちもかなりケンカ腰になってきた。
でもここまで言わなきゃわからないのだから、自分が感じている正直な気持ちははっきりと言うしかない。今まで言えなかった分よけいに…。
「たしかにそう単純じゃないというのはその通りなんだけど、『副作用も軽くて、効果もある』という人も一定数いることもたしかで…」
「その集計データはどういう条件で集めてるんですか。過去に私と同じ治療を受けたことがある人たちですか?治療歴なにもない人と比較しても意味ないんじゃないですか?」
「まあそう言われればそうなんだけど…。でも『副作用が重く出て、効果もない』って最初からネガティブに考えすぎじゃないかな。可能性としては『副作用が重い・軽い』『効果がある・ない』の組合わせで4通りあるわけだから…」
「理論としてはそうでも、前提条件が違う以上、同じ可能性ではないでしょう。今でも過去の治療のせいでホルモンバランスめちゃくちゃになってんのに、これ以上ホルモンいじって体調がよくなるって考えるほうが不自然でしょう」
どこまでいっても平行線。。。
向こうが考えてることは手に取るようにわかる。
放置しておいてよくなるものじゃない以上、まずは試してみるべき。
やってみて副作用がつらかったら途中でやめればいい。
意外に副作用が軽くてしかも効いたらラッキーと思えばいい。
そんな感じだと思う。
一見もっともらしい理屈だが、副作用というのはそのときだけのものじゃない。
目に見えないところで、治療を受けるたびに自己治癒力は確実にダメージを受けている。
それが積もり積もって今の状態があるのだから、「つらかったらやめれば」という感覚じたいすごくお気楽に見える。
今まで充分治療する機会は与えたつもりだ。
それでもこんな状態なんだから、「もう一度やらせて」と言われても「まだやる気?」としか思えない。
そう言うと今度は「でも治療したからホジキンは治ったじゃないか。治療してなければ今頃命落としてたよ」と問題をすりかえてくる。
べつにホジキンの治療について否定はしていない。
ただ「ここまでやる必要があったのか?」という点についてはいまだに疑問をもっている。
やりすぎによって、次のがんを引き起こしたり、重篤な障害を残したりすれば、「治った」とは言えないだろう。「ホジキン」が治ればあとはどうなってもいいというわけじゃない。
私は過去の治療が「誰に見せても恥ずかしくないほどの正当な治療」だったとは思っていない。
だから訴訟も起こした。
でも、百歩譲って、「今の医学で精一杯の治療をしたし、恥ずべきことややましいことはいっさいない」のだとしても、今の状態を作ったことは事実。
つまり今の状態とひきかえでなければ治療はできなかった。後遺症は防ぎようがなかった。それが西洋医学の限界だった。ということだ。
だとしたら、その「限界」を認めてほしい。
なんでもかんでも自分たちが正しいと思わないでほしい。
治療を受けるのが当たり前だと思わないでほしい。
それだけだ。
前にも書いたけど、「セカンドキャンサー外来」があったらいいのにな。
初めてがんになった人は、まだ体力もあっていろいろ調べにまわったりできるし、治療に耐えられる体も持っている。
でも一度がんになった人は人生観も身体観もすべて変わってしまうし、治療の選択肢も限られてしまう。
両方の患者に対して柔軟に対応できる医者はいったいどのくらいいるんだろうか。
多分「乳がん」は「乳がん」としか思っていない医者がほとんどなのではないだろうか。
ホルモンレセプターが陽性か陰性かの区別には注目しても、どんな生活を送り、どんな体質を持っている人なのかについては通り一遍のチェックしかしない。
どこまでがんが浸潤しているかは懸命に調べるが、その人が医療や病気に対してどういう価値観を持っているのか、どのくらい精神力が強いのか、などということには興味がない。
というか、治療には関係ないと思っている。
そんな体質が10年や20年で変わるとは思えないので、多分日本の医療はずっとこのままだろう。
少なくとも、患者が意識を変えない限り、病院も医師もずっとこのままだと思う。
一条先生(仮名)がまた蒸し返してきた。
検査結果を検討した結果、どうやら転移はしていなさそうだということがわかると、それはそれでまた「せっかく転移してないんだから今のうちに治療しようよ」という気になってきたらしい。
医者にしてみれば、目の前にあるものをそのままにしておくというのはなんとも居心地が悪いものなんだろう。
「前にも言った通り、治療はしません。目の前に見えてるものをとり除いたからといって、それで治ったとも思わないし、安心もできません。見えないところで起こっていることが大部分なんですから。手術なんかしたって外科的処置でまた体に影響が出るという不安が増えるだけです」
今まで何度も繰り返して来た返答をもう一度繰り返すと、一条先生は「やっぱり…」という表情をしつつ、また予想通りの言葉を返してきた。
「じゃあホルモン療法は?ホルモンだけでもやってみない?」
だ・か・ら〜!!
それもやらないって何度も言ってるじゃんよー。
「なんでホルモン療法いやなの?」
「なんで勧めるんですか」
「ホルモン陽性だし、効く可能性高いと思うんだけど」
「信用できない。そんなに効くんだったら陽性の人はみんな術前でホルモン療法やればいいじゃないですか。術前化学療法はやっても術前ホルモン療法はほとんどやらないってことはそれほど効くとは思ってないからでしょ」
「まあたしかにそれはそうなんだけど」
「ホルモンと関係があることがわかったからといって、ホルモン抑えればがんも治るなんてそんな単純な話じゃないと思う」
いい加減ウンザリしてきて、こっちもかなりケンカ腰になってきた。
でもここまで言わなきゃわからないのだから、自分が感じている正直な気持ちははっきりと言うしかない。今まで言えなかった分よけいに…。
「たしかにそう単純じゃないというのはその通りなんだけど、『副作用も軽くて、効果もある』という人も一定数いることもたしかで…」
「その集計データはどういう条件で集めてるんですか。過去に私と同じ治療を受けたことがある人たちですか?治療歴なにもない人と比較しても意味ないんじゃないですか?」
「まあそう言われればそうなんだけど…。でも『副作用が重く出て、効果もない』って最初からネガティブに考えすぎじゃないかな。可能性としては『副作用が重い・軽い』『効果がある・ない』の組合わせで4通りあるわけだから…」
「理論としてはそうでも、前提条件が違う以上、同じ可能性ではないでしょう。今でも過去の治療のせいでホルモンバランスめちゃくちゃになってんのに、これ以上ホルモンいじって体調がよくなるって考えるほうが不自然でしょう」
どこまでいっても平行線。。。
向こうが考えてることは手に取るようにわかる。
放置しておいてよくなるものじゃない以上、まずは試してみるべき。
やってみて副作用がつらかったら途中でやめればいい。
意外に副作用が軽くてしかも効いたらラッキーと思えばいい。
そんな感じだと思う。
一見もっともらしい理屈だが、副作用というのはそのときだけのものじゃない。
目に見えないところで、治療を受けるたびに自己治癒力は確実にダメージを受けている。
それが積もり積もって今の状態があるのだから、「つらかったらやめれば」という感覚じたいすごくお気楽に見える。
今まで充分治療する機会は与えたつもりだ。
それでもこんな状態なんだから、「もう一度やらせて」と言われても「まだやる気?」としか思えない。
そう言うと今度は「でも治療したからホジキンは治ったじゃないか。治療してなければ今頃命落としてたよ」と問題をすりかえてくる。
べつにホジキンの治療について否定はしていない。
ただ「ここまでやる必要があったのか?」という点についてはいまだに疑問をもっている。
やりすぎによって、次のがんを引き起こしたり、重篤な障害を残したりすれば、「治った」とは言えないだろう。「ホジキン」が治ればあとはどうなってもいいというわけじゃない。
私は過去の治療が「誰に見せても恥ずかしくないほどの正当な治療」だったとは思っていない。
だから訴訟も起こした。
でも、百歩譲って、「今の医学で精一杯の治療をしたし、恥ずべきことややましいことはいっさいない」のだとしても、今の状態を作ったことは事実。
つまり今の状態とひきかえでなければ治療はできなかった。後遺症は防ぎようがなかった。それが西洋医学の限界だった。ということだ。
だとしたら、その「限界」を認めてほしい。
なんでもかんでも自分たちが正しいと思わないでほしい。
治療を受けるのが当たり前だと思わないでほしい。
それだけだ。
前にも書いたけど、「セカンドキャンサー外来」があったらいいのにな。
初めてがんになった人は、まだ体力もあっていろいろ調べにまわったりできるし、治療に耐えられる体も持っている。
でも一度がんになった人は人生観も身体観もすべて変わってしまうし、治療の選択肢も限られてしまう。
両方の患者に対して柔軟に対応できる医者はいったいどのくらいいるんだろうか。
多分「乳がん」は「乳がん」としか思っていない医者がほとんどなのではないだろうか。
ホルモンレセプターが陽性か陰性かの区別には注目しても、どんな生活を送り、どんな体質を持っている人なのかについては通り一遍のチェックしかしない。
どこまでがんが浸潤しているかは懸命に調べるが、その人が医療や病気に対してどういう価値観を持っているのか、どのくらい精神力が強いのか、などということには興味がない。
というか、治療には関係ないと思っている。
そんな体質が10年や20年で変わるとは思えないので、多分日本の医療はずっとこのままだろう。
少なくとも、患者が意識を変えない限り、病院も医師もずっとこのままだと思う。
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お読みになる前に…
年が明けて、三度目のがんがみつかってしまいました。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。
がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。
だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。
漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。
別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
25年間で新たながんが3回……さすがにこれはないでしょう。
がん治療ががんを呼び、また治療を勧められてがんを呼び……はっきり言って「がん治療」成功してないです。
私は「生きた失敗作」です。
医者は認めようとしませんが、失敗されたうえに「なかった」ことにされるのは耐えられません。
だから息のある限り語り続けます。
「これでいいのか?がん治療」……と。
漂流の発端をたどると1988年から話を始めることになります。
西洋医学の限界とともに歩んできた私の25年間をご覧ください。
別サイト「闘病、いたしません。」で第1部「悪性リンパ腫」から順次更新中です。
このブログでは第4部「乳がん」から掲載されています。最新の状況はこちらのブログで更新していきます。
プロフィール
HN:
小春
HP:
性別:
女性
職業:
患者
自己紹介:
東京都在住。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
2013年(50歳)
照射部位にあたる胸膜〜縦隔にあらたな腫瘤が発見される。
過去の遺産を引き続き背負って無治療続行。
1988年(25歳〜26歳)
ホジキン病(悪性リンパ腫)を発病し、J堂大学附属J堂医院で1年にわたって化学療法+放射線治療を受ける。
1991年(28歳〜29歳)
「再発」と言われ、再び放射線治療。
1998年(35歳)
「左手の麻痺」が表れ始める。
2005年(42歳)
麻痺の原因が「放射線の過剰照射による後遺症」であることが判明。
2006年(43歳)
病院を相手に医療訴訟を起こす。
2009年(46歳)
和解成立。その後放射線治療の二次発がんと思われる「乳がん」を告知される。直後に母ががん転移で死去。
迷いに迷ったすえ、西洋医学的には無治療を選ぶ。
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